2009年01月04日

連載小説「龍の道」 第1回




 第1回 兄 弟(1)


「・・やあ、兄さん!」

 今年高校2年生になったばかりの弟が、川沿いの坂道を下ってきた兄を見つけて、走り寄って声をかけた。

「おお、今帰りか? 珍しいな、お前と一緒になるのは・・・」

 神戸には坂道が多い。

 六甲山から吹き下ろす爽やかな風が初夏の日差しに心地良い、この川沿いの坂道からは、眼下に神戸の街並みと、扇の形をした港と、真っ赤なポートタワーが見えて、今日のような天気の良い日には、遠く堺の町並みや淡路島の彼方まで望めそうな気がする。

 水害の教訓を活かして深く掘られた、澄んだ水の流れる川に沿って造られている道は、絶好の散策コースでもある。ここを歩いていると、軽井沢や那須のような避暑地でもない都会に、こんなにも気候が爽やかで気持ちの良い土地があるのだろうかと、長年ここに住み慣れた住人たちでさえ、改めてそう思えるほどであった。

 神戸はまた、日本でいちばん「光」が美しいところでもあるという。
 事実、真珠の生産と加工で世界的に名高い会社が、極上の真珠の色を正しく見分けるために、わざわざ神戸に研究所を置いているほどで、鑑定の専門家たちは神戸の澄んだ自然光でなくては本当の真珠の美しさは見分けられない、と言うのである。

 ・・そんな神戸でも、今は、ひときわ光が美しく輝く季節であった。


 弟と三つ違いの兄の隆範(たかのり)は、自宅から山沿いの道を東に3kmほど行き、さらに六甲ケーブルの方に向かって坂道を1kmほど上った、山の上にある大学に歩いて通っている。
 神戸の山の手ともなれば、運転手付きで送り迎えをさせる富裕な家庭の学生も珍しくはないが、この兄は運転手どころか、自転車にもオートバイにも乗らず、頑なにこのきつい坂道を敢えて徒歩で通学している。
 初夏ともなれば、坂を登り初めて五分もしないうちに汗が身体中から噴き出すのは必至だが、その理由を訊けば、生まれつきの自分の身体の虚弱さを、せめてこうすることで鍛え続けているのだという。

 兄の隆範は背が高く、やせ形の体型で、それほど虚弱には見えないものの、どこか頼りなさそうにも見え、誰が見てもそれほど健康そうには思えない。
 しかし、美人の母親似の面立ちは、まるで俳優のようにハンサムであり、更にどこか母性をくすぐるものを持ち合わせているのか、キャンパスでは入学した早々から今日に至るまで、女子学生たちの憧れの的でもあった。

「今日の晩メシは何かなあ・・もう不味いエビフライはたくさんだけど!
 ハナのつくるスープは、味もイマイチだし・・・」

 暑苦しそうに、歩きながら黒い詰め襟の上着を脱いで、まるで映画のアウトローのようにそれをヒョイと肩に担いだ弟が、いかにも弟らしい、暢気そうな声でそう言う。

 弟の宏隆(ひろたか)は、誰が見ても兄とは対照的に見える。
 兄が「陰」とすれば、弟は「陽」そのもので、いつも明るく快活で豪放には見えるが、内面は以外なほど繊細で、物事を深く捉え、常に自分の理解を人と分かち合う性格であった。

 宏隆は兄のようなハンサムなタイプではないが、何処か遠くを見るような目もとはスッと切れ長で、まるで平安貴族のような面影さえある。兄が貴族的な面立ちであるとすれば、弟は貴族の血液を持つ、勇猛な武家の人のようでもあった。

 それもそのはず・・

 この兄弟の家系は、千年以上も天皇家に女子を嫁がせてきた北家藤原氏の末裔であり、姓も北陸の加賀に君臨した藤原氏の直系を意味する「加藤」であった。
 事実、親戚には子爵や男爵の家も名を連ねているし、祖父は台湾統治時代の総督府の高官であり、名将として名高い乃木将軍や児玉大将とも親しい友人で、祖父と三人で庭先で歓談している写真が父の書斎に掛けられていた。

 また、かつて「北野の小町」と呼ばれた美しい母は、足利氏の血を引く旧家の出であり、一族は姫路藩主であった池田輝政の末裔として、今なお四国の丸亀や奈良に栄え、神戸市内には名品茶碗の収蔵で有名な茶道美術館を持つような家柄でもあった。

 そのような血液が主張してか、友人の誰にもその家柄を明かしたことがないのに、兄は小学校の頃から学友たちに「麿(まろ)」などと呼ばれ、弟は顔が皇太子の浩宮殿下によく似ていて、名前にもヒロが付くので、畏れ多くも「ヒロノミヤ」と渾名されているほどである。
 この兄弟には嫁いだ姉が居るが、その姉の長女も、浩宮さまの妹君である紀宮清子内親王と、写真を見れば姉妹か双子とも思えるほどそっくりであった。

 弟の宏隆の気性は、武術や帝国海軍で鍛えられた父の激しいところを兄弟で最も多く受け継いでいると、よく周りから言われた。

 しかし宏隆は見かけの快活さとは反対に、生まれた時から身体が弱く、八歳になるまで野菜しか受け付けない体質だった。食べられるものと言えば、キュウリなどの漬け物と、豆腐、湯葉、煮染めた野菜くらいのものであった。
 その身体は卵も牛乳も受け入れず、これではまるで禅僧の生まれ変わりかキリギリスのようなものだと母に嘆かれ、姉などには、せっかく神戸に生まれながらスキヤキもステーキも食べられないのは、よほど前世で悪いことをした罰当りではないか、などと、非道い冗談さえ言われたものである。

 その宏隆が・・ある日突然、変容した。
小学校の三年生を目前にした頃である。


 何故かは分からないが、不思議なことに食事も何でも摂れるようになり、体力もつき、子供の世界とはいえ、何につけても実力がモノを言う環境の中で、持ち前の実力とリーダーシップを発揮して、あっという間にガキ大将にのし上がった。

 学校へ行く時は数人の子分を従え、教科書は忘れても、お気に入りの黒樫の棍棒だけは肌身離さず持って出かけ、学校の帰りには度々下町に寄り道をして、悪ガキどもと闘っては勝利をおさめ、その証しとして、昔の武将が敵の首を取るように、敵将のお気に入りの棍棒を没収したのである。

 今の時代であれば大問題となるところだが、昭和三十年代の子供たちにとっては、それは決して特殊なことではなく、男児の多くは自分のお気に入りの棒きれを持ち歩き、学校の行き帰りに誰もが思い思いにケンカやチャンバラを繰り返していたのである。

 けれども、それは殆どが阪急電車の線路よりも南側の、いわゆる下町の子供たちを主とした話であって、宏隆のような、山の手の家庭の子息たちがそのようなことをすることは、まず有り得なかった。
 しかし、宏隆が納屋の片隅にこっそり隠し貯めているその敵将からの戦利品はふた抱えほども量があって、ちょっと半端な数ではない。

 かくして、この弟は、この辺りの閑静な高級住宅地の住人としては全くもって相応しくない、大のケンカ好きとして、その勇名が下町にまで鳴り響く「暴れん坊」となっていた。





taka_kasuga at 02:00コメント(0)連載小説:龍の道 | *第1回 〜 第10回 

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