2009年10月

2009年10月28日

連載小説「龍の道」 第31回




 第31回 武 漢 (wu-han)(3)


 20分ほど走ると、やがて港が見え始めた。
 この道には見覚えがある。これは、初めて台湾に到着してからロールス・ロイスで走った道を、反対に港の方に向かっているのだった。

「基隆(キールン)に行くのですか・・?」

「・・そうよ、そこに基地があるから」

「それじゃ、基隆の港に、秘密の基地があるんですね?」

「ご期待に添えなくて残念だけど、ただの基地よ、台湾海軍の・・・」

「あ・・海軍の・・・」

「ヒミツ結社の、スゴイ秘密の基地じゃなくて残念ね、坊や・・!」

「ぼ、坊や・・?」

「・・そうよ、だって、あなたはまだハイスクールに通ってるご身分でしょ!」

「そ、そりゃ・・まあ、そうですけど・・・」

「それじゃ、間違いなく、立派な “坊や” じゃなくって・・?」

「・・・・・・」

 “坊や”と言われて、宏隆は流石に気分を悪くしたが、軍隊の迷彩服をキッチリ着こなし、男勝りの荒々しいものの言い方をするこの女(ひと)は、ふと気付けば、時折り上品な仕草や育ちの良い言葉遣いが見え隠れする。
 もしかすると宗さんは、上流の良い家庭で育った人かも知れなかった。

 港の埠頭には、グレーに塗られた海軍の軍艦や潜水艦が何隻も停泊している。
 穏やかな夏の雨の中に佇む軍艦の姿は、戦地から帰還して休息を取る兵士のように、どこか安らぎを感じさせる。

 言うまでもなく、台湾にとって最も脅威となっているのは中国である。
 中国が台湾を併合しようと躍起になっているのは世界中が知る事実であり、その中共が、いつ、どのようにして侵略を開始するのか、戦力に於いて遙かに勝る敵に、果たして台湾はどのように立ち向かえるのか・・・
 当然ながら、台湾併合は日本にとっても中国からの “チェックメイト(王手)” であるし、そうなればアメリカも黙っては居られなくなる。
 
 そんなことを想えば、任務の合間に入港中の軍艦を眺めて“安らぎを感じる”などと、暢気に構えて居られるわけもないのだが、今の宏隆には、まだそんな情勢を十分感じ取れるだけのアンテナもなければ、危機感も無い。
 戦後日本の平和に身を委ねて育った彼には、軍艦がこの港に停泊している理由も、それによって想い起こされる筈の危機への実感も、何も無いのだった。


 ジープが走っている道のすぐ横には、高い金網のフェンスがあって、その上には高電圧のケーブルが何段にも張り巡らされている。フェンスの手前には螺旋に巻かれた鉄条網が二重三重に置かれていて、至る所に監視カメラが設置されている。
 此処は紛れもなく、台湾海軍の重要な基地であるに違いなかった。

 やがてジープは、海軍基地の入口の検問所で停まった。
 すぐに自動小銃を手にした門衛が二人、ゲートの向こうからジープを夾むようにして立ちはだかる。いきなり小銃が目に入って、宏隆は少し緊張した。
 同時にもう一人、拳銃と警棒を腰に提げた兵士が運転席に近付き、両足の踵を付けて宗さんに慇懃に敬礼をすると、身分証を確認することもなく、直立不動の姿勢のまま、何か中国語で語りかけている。
 宗さんが助手席の宏隆を指差して、ひと言ふた言、強い調子で答えると、すぐに大声で返答し、再び姿勢を改めて敬礼し、他の門衛にゲートのバーを上げるように指示した。
 宗さんは、この基地ではよく知られている存在らしい。

 基地の中は、外からフェンス越しに見るよりも遥かに広い。
 ちょっと年季の入った二階建ての兵舎や、大きな倉庫、ヘリコプターや水陸両用の装甲車を入れた格納庫なども見え、整備兵たちが忙しそうに働いている。
 向こうのグラウンドでは、この雨の中を、兵士たちが15人ほど隊列を整えて走っており、傍らで合羽を着た上官が大声で怒鳴って発破を掛けている。
 ジープは相変わらず荒っぽい運転で倉庫の裏の通路に入り、体育館のような蒲鉾型の屋根の建物の前で、「キィーッ!」とブレーキの音を立てて停まった。

「 Here we are 〜 !! (さあ、ついたわよ!)」

 ・・ちょっと楽しそうに、歌を口ずさむように、宗さんが言う。

 建物の中は板敷きのトレーニング・ホールになっていて、大勢の兵士がグループに分かれて様々な訓練をしている。
 クライミングロープを手だけで昇る人、ウエイト・トレーニングをする人、マットの上でレスリングのような組技を練習している人、ハンドミットや、サンドバッグを打つ人・・・奥の方にはボクシングのリングも見える。

「こっちよ、ついて来て・・」

 立ち止まって辺りを見回している宏隆を促して、宗さんはどんどんリングの方に向かって歩いていく。
 近付くと、リングはよく見かける試合場のものとは違って、少し小振りで、ほぼ床と同じ高さに設置されているので、中の人の動きがよく見える。

 リングの上では、海軍のタイガーストライプの迷彩ズボンとTシャツ姿の二人の男が、グローブをはめ、ヘッドギアとボディプロテクターを着けて闘っている。
 似たような体格で、しかも全く同じ恰好をしているので、一体どちらがどちらなのか見分けが付かないが、グローブの色が「青」と「赤」に分かれているので、何とか区別が付く。

 宏隆は、こんなふうに防具を着けて練習したことが無いので、その戦い方に少し興味を持った。それが素手・素面で行うのと、グローブや防具を着けて練習するのとでは、当然動きが違ってくるし、打撃の方法も違って来る。早い話が、剣道でも防具を着けていなければお互いに決して気軽には打ち込めはしないし、攻防のスタイルも違ってくるのだ。

 リングの二人は激しく打ち合って闘っているように見えるが、よく見れば、一方は決して相手を倒すために、ただ力まかせに打ち合っているのではない。
 当たるか、当たらないか、という単純な攻防技術を磨こうとしているのではないのだ。
 自分がどう打てるか、どう躱せるかというのではなく、どのように整えれば相手の攻撃を無効にできるのか・・・その場で相手を倒すこと、倒せることを目的とせず、丁寧に攻防の在り方の訓練をしようとしているように見える。
 つまり、「相手と打ち合う」という状況を借りて、身体の在り方を整えるための訓練をしているように思えるのだ。丁寧な基本功と套路の訓練を一年以上に亘って王老師から指導されてきた宏隆には、その人の動きがそんな風に見えるのである。

 そして、その赤いグローブをはめた方の、軽く、素早い、流れるような動きに、宏隆は目を見張った。その実力は、もう一方と比べると、まるでケタ違いである。
 青いグローブの相手は、時おり機を狙って、まだチカラ任せに、強引に打ちたがっているのが見えるが、この赤いグローブの相手には、それをやっても何も通じない。無理を押してでも当てようとするのだが、どうしてもそれが出来ないのである。
 いや、打つどころか、打とうとするその動き自体が先に制御されてしまい、その結果あらぬ方向に攻撃が逸れて大きく崩され、結果として相手に触れることさえ儘ならないのだ。

 しかし・・・

「ああっ・・・ こ、これは・・・・」

 リングの攻防を見ているうちに、宏隆は初めて自分が王老師に向かって行ったときのことをまざまざと思い出して、ハッとした。

「これは・・あの時の、自分の姿そのものじゃないか・・・?
 この赤いグローブは、まるで王老師の動きを再現したような動きだ!!」

 そして、そう思った途端、リングの上で相手を思う儘に翻弄している、その赤いグローブの人が誰であるのか・・・宏隆はようやく気付き始めた。
 迷彩の服に、分厚いヘッドギアを付けているので顔がよく分からなかったが、そう思い直してよく見てみれば、その人は間違いなく、兄弟子の陳中尉その人であった。

 スゥーッと・・・相手の右の打撃を避けもせず、それが勝手にあらぬ方向に空を切ったと同時に、まるでスローモーションのようにその空間に入り込み、足を掛けると、相手は見事に宙に舞って倒れ、さらにその倒れた顔面に足を踏みに行って、顔の数センチ手前でピタリと止めた。

「すごい・・・!」

 思わず、それを見た宏隆が呻る。
 
「・・・よし、それまでっ!!」

 赤いグローブが相手にそう言うと、

「ありがとうございました!」

 相手は、グローブを着けた両手を額の所まで挙げて礼をし、相手に一発も当たらなかったことに盛んに首を傾げながら、リングを跨いで出ていく。

 そして、リングを降りてきて赤いグローブを外し、ヘッドギアを脱いだその人は、やはり陳中尉であった。

「陳中尉! ミスター・カトウをお連れしました!」

 宗さんが、タオルで汗を拭きはじめた陳さんに、英語で声を掛ける。

「・・ああ、Ensign Zong(宗少尉)・・・ご苦労さん!」

「エンスン?・・・Ensign(エンサイン)かな・・?? 
 というと、旗?・・いや、旗手のことだったか・・・?」

 宏隆が思わずそう口にして、宗さんの方を見ると、

「Ensign は旗手じゃなくて、”少尉” っていう階級のコトよ、坊や!」

「しょ、少尉・・・!?」

「・・そうよ! 女だてらに、って思うンでしょう? あははは・・・・」


 「少尉」と言えば、尉官である中尉のすぐ下の階級である。
 各国の海軍では凡そ、一番下に新兵の三等水兵が居て、二等水兵、一等水兵、水兵長となり、その上は「下士官」の三等兵曹、二等兵曹、一等兵曹、軍曹、兵曹長などとなる。
 「尉官」とは、准尉、少尉、中尉、大尉。 次の「佐官」とは、少佐、中佐、大佐、最上位の「将官」は、准将、少将、中将、大将、元帥、となり、このような順序で階級が上がっていく。

 少尉となるには、士官学校で教育を受けた上で確かな実績や信頼性が認められなくてはならず、軍組織を直接指揮運用する立場の一員として厳しく教育される。
 少尉は、戦場では中佐以上で構成される司令部を支え、前戦の現場では、分隊(9〜12人)または小隊(36〜48人)を預かる分隊長や小隊長の立場となる。
 宏隆が驚くのも無理はないが、先ほど基地のゲートで衛兵が宗さんに慇懃に敬礼をした理由もこれで説明がつく。

 民間人には相手の階級章を確認する習慣など無いが、改めて宗さんの肩を見れば、なるほど、階級章には少尉であることを示す、太い一本の線が入っている。
 陳中尉は、その上にもう一本、細い線が入ったワッペンがTシャツの袖に着けられている。
 中尉となれば、少尉の任務を1年以上こなした経験があり、全ての小隊を束ねて動かす任務を与えられる、名実共に一人前の士官であった。


「・・やあ、加藤さん、ようこそ、台湾海軍へ!」

 陳中尉がいつもと同じように、太極門の包拳礼で挨拶をしてくる。
 異なるのは英語で話しているということだが、たびたび米軍と合同演習を行う台湾軍では英語も必須の訓練のひとつなのだろうと思った。
 しかし、軍隊でも武門の世界でも、本来なら当然、先輩や上官に対しては下の者から先に礼を取らなければならない。宏隆は慌てて姿勢を正して、包拳礼を返しながら、

「失礼しました・・・陳中尉、本日は、お招きいただいてありがとうございます」

「おや? 私のことを “陳中尉” と呼ぶようになりましたね、ははは・・・
 こちらこそ、雨の中をよく来てくれましたね。
 それに、英語もなかなか話せるじゃないですか・・・」

 陳中尉は、いつも気さくで、謙虚さが感じられる人だ。

「はい、恐れ入ります・・
 此処へ来るときには、ホテルの程さんにもお世話になりました」

「・・秘密の地下道は、面白かったでしょう?」

「はい、あんな凄い通路が地下に隠されているなんて、驚きです」

「ははは・・・でも、日本に帰っても、内緒にしておいてくださいね。
 コトによると、まだ誰かが使うかも知れないので・・・
 そういえば、神戸にも、似たような設備があるらしいですね」

「はい、程さんは、お仕事で神戸の地下道にも行かれたそうです」

「・・お仕事(job)じゃなくて、任務(duty)でしょ、坊や・・!」

 宗少尉が、横から口を挟んで、宏隆の英語を直すと、

「・・ぼ、坊やじゃなくって、僕の名前はヒロタカです・・!」
 
 ちょっとムッとして、ヒロタカが返す。

「あははは・・・君たちは、もう仲良くなっているようだね。
 宗少尉も、まあ、あまり苛めるな・・・
 私の大切な同門なのだし、君とそれほど齢も離れていないのだから」

「Yes, Sir! でも、私は可愛がっているつもりですが・・・」


 リングでは、別の組が上がって、さっきと同じように打ち合いの訓練を始めている。
 宏隆は、打ち合いの動きには、つい目を奪われてしまう。

「加藤さんは、散手に興味があるようですね・・・」

「はい、防具で試合するのを見るのは初めてです。
 それから陳中尉、僕のことはどうぞ、 “ヒロタカ” とお呼び下さい」

「・・オーケイ、そうしましょう」

「あれは、散手・・というのですか?」

「そう、あのようなスパーリングのことを、散手、散打などと呼びます。
 あなたは、まだ王老師に教わっていないのですね?」

「はい、初めて目にします。
 組織の人は、いつも、この海軍の施設で訓練をするのですか?」

「ああ・・これは偶々(たまたま)のことですよ。
 少し前から海軍に依頼されて、この基地で格闘訓練を教えているのです。
 この中にも、組織の者を何人か連れてきていますが・・」

「あ、なるほど・・・」

「坊や・・いや、ヒロタカは、 “秘密基地” に行きたかったそうです・・・」

 またしても、横から、宗少尉が絡んでくる。

「・・そ、そんなこと言ってませんよ!」

「あら、そうだった? でも、この海軍基地も、なかなか面白くってよ・・!」

「面白いって・・何が、どう面白いんですか?」

「教えてあげてもいいけど・・ まず、私と散手してみる・・・?」
 
「・・えっ? 貴女(あなた)と・・・?」


                               (つづく)




  
       *台湾海軍基地のゲート


      
       *基隆の海軍基地に停泊中の潜水艦

2009年10月23日

練拳 Diary #23 「腰相撲(こしずもう) その5」

 私たちが行う「腰相撲」の稽古は、実に様々な架式とスタイルが用意されており、その種類を挙げていったらキリがないほど数多くの腰相撲が存在します。
 それは、その日その時の稽古内容に合わせて、"今・此処" で必要な練功として腰相撲が行われるためであり、他の練功の稽古中でも「今から、この形で腰相撲をやってみましょう」と言って、その場で新しい腰相撲が発案されるのも珍しいことではありません。
 「腰相撲」と言っても、単に腰を押すものだけではなく、反対に”引いてもらう”ものや、腰以外の身体の部位を押してもらうもの、壁や床に固定されるものから、お互いに自由に崩し合うものまで、全ては「太極拳」という文化・学問の学習と体現、そして太極拳特有の力である「勁力」を理解するためのバリエーションであると言えます。

 さて、今回行われたのは、腰相撲の「投げ」でした。
 稽古方法は、まずお互いに右足を前に出して、腰を取って四つに組み、その状態から、一方が前足を挙げて相手の外側に入り、これを崩して倒します。そのとき、相手は倒されないように、それを阻止する、というものです。
 これまでに述べてきた腰相撲と異なる点は、相手から押されるというアクション無しに、こちらから仕掛けるところと、始めに組んでいた弓歩の架式から変わって、完成姿勢が馬歩になるところです。

 この腰相撲で要求されるポイントを幾つか上げると、
 
 (1)相手と組んだところから前足を挙げる際に、後ろ足に乗り直さない。
 
 (2)自分の出していった足で、相手の足を刈って倒さない。
 
 (3)自分が動き始めたときには、相手が崩れていなくてはならない。
 
 ・・などです。

 (1)については、よく初心者を中心に指摘されることなのですが、自分が行動を起こす際に一度乗り直すという動きでは、相手に関わるまでに最低でも二動作必要になり、相対している状態から、一動作以上の動きは武術的に考えても有り得ず、もしそのような動きを稽古していれば、相手は容易に反撃することができてしまいます。
 相手と構えた時の架式が正しく整えられていて、そこからどのようにでも動ける状態であれば、足を挙げることから相手に入っていくところまで、すべて一動作で可能になります。

 (2)に上げた、相手の足を刈るのではないということは、ある程度太極拳の仕組みを理解していないと難しいようで、普通は「倒す」ということに対する先入観が働き、日常的な、いわゆる ”足を掛けて倒す” ということの工夫になってしまいます。
 太極拳で求められる「倒す」ということは、私たちのところでは、結果的に相手が「立っていられない」ことを意味します。つまり、支点を作ってテコの原理で倒されたり、自分が立っていた力よりも大きな力で倒されるのではなく、自分が立っているということの全体そのものが、その場に存在できなくなるのです。
 そのような状態を、門人はよく「天地がひっくり返った」と表現します。自分に力が加えられて地面に倒されるのではなくて、自分が立っている状態はそのままで何も加えられずに、今立っていたはずの地面が、その天と地とが一瞬にして入れ替わる、というような感覚のものです。

 (3)で示されているものは、今回の腰相撲に限らず、全ての対練に共通することなのですが、相手と向かい合ったそのときから、そして動き始めたときから、すでに相手を崩せていなくては、武術的に間に合わない、と指導されます。
 それは相手との接触・非接触に関係なく、相手がこちらに向かってくるその瞬間から崩せていないと ”遅い” とされるのです。
 そして、「崩す」ということは、何も見た目にグラグラと崩せていることだけではなく、相手が感知できないくらいの、ごく微細な ”崩し” もそれに入ります。

 それでは一体、何によって「崩れる」ということが起こるのでしょうか。
 その秘密は、ひとつには「架式」にあると言えます。それは、馬歩で立っているとき、或いは弓歩で構えたとき、静止してその場に立っているだけでも、その架式が正しく取れていれば、相手は容易に近づくことが出来ず、ついには触れてもいないのに崩されてしまう、ということが起こります。
 これは、構造対構造であれば、より構造的に大きくて、無理がなく整っている方が勝る為であり、例えば自分が巨大なビルを目の前にして見上げた時や高層ビルの上から下を見たときの目眩にも似た感覚や、不意に水に浮かぶサーフボードに乗せられたときのような、自分の構造以外の物の上に立ってしまった状態と少し似ているかも知れません。
 ・・とは言え、始めにそのような ”構造負け” をしていても、徐々にそれに対応できるようになり、サーフィンも出来れば、高くて細い梁の上でも、楽に歩けるようになってしまうのですから、人間に秘められている可能性というものを考えると、つくづく凄いことだと思えます。

 今回の腰相撲での架式や構造については、お互いに構えたところから、こちらから動きを起こして相手を倒します。それは、始めに整えられた架式の要求を外さずに動けるかどうかが、各自に問われているのだと思います。
 真に正しい要求と原理に沿って整えられた架式であれば、それ自体がそこからどのようにでも自在に動ける「静中の動」の状態であり、動いても失われない架式の状態は、即ち「動中の静」であると言えますから、ここでもまた、站椿の「無極椿」と「太極椿」を理解することの重要性が伺えます。
 
 さらに、整えられた架式から動けた場合には、「相手とぶつからない」ということが起こります。ちょうど、構造が整えられている方がもう一方を捉えられるように、こちらが動いたときには、お互いにひとつの構造として、ひとつの方向へ動いていくことになるのです。
 ただし方向性としては、同じひとつの方向でも、ちょうどシーソーのように、こちらは起きる方へ、相手は落ちる方へと動くため、この現象が結果として「ぶつからずに相手を倒した」と、いうことになるわけです。

 師父や上級者がこれを行うと、動きが始まったと同時に相手が宙に浮くような格好で崩されるため、足を刈るどころか、身体にはほとんど触れていないことが分かります。
 それはスローで稽古が行われるときも同様で、例え足に触れることがあっても、触れている力以上には増えずに動き続けて、ゆっくりな動きのまま返されていくのです。
 例え相手が拙力で倒されまいと頑張っていても、それは例えば、遊園地のコーヒーカップに二人で乗りながら、ひとりだけが回るまいと頑張っているようなものですから、どれほどカップの上で力んでいようとも、意味のないものになります。
 反対に、多少力ずくで来てもかわせるような、柔らかい状態で受けられたとしても、ひとつの構造として取ってしまうため、相手はかわすこともできずに崩されてしまうのです。

 腰相撲で、相手に何の抵抗感も与えずに投げられる、ということを繰り返していると、例えば弸(ポン)の稽古で、構えている相手の両手に触れ、接触しているただそれだけの力で相手が大きく吹っ飛び、崩されるという事と同じであることに気がつきます。
 それは弸(ポン)に限らず、手の平や腰を持っての「押し合い」や「腕相撲」などの対練でも同様で、全てに共通しているのは、極めて小さな力で大きな影響力が生じる、ということです。そしてそれは「四両撥千斤(しりょうはつせんきん)」の現象を表しています。

 「四両撥千斤」とは、四両(150g)の力で千斤(500kg)を撥(はじ)くという喩えで、陳氏第九世の陳王廷が残したと伝えられる、太極拳の戦い方を示した歌訣に出てくる言葉です。
 また、王宗岳が著した、いわゆる「太極拳経」と呼ばれるものにも、
 『察セヨ、四両モ千斤ヲ撥クノ句ヲ、力(チカラ)ニ非ズシテ勝ツコト顕ラカナリ』・・という一節が出てきます。
 四両と千斤の話を聞いた当初は、さすがは中国だ!、とも思いましたが、腰相撲でも弸(ポン)でも、実際に百キロ近い体重の人間が、触れられていた状態から、何のモーションもなく、まさに数十グラム程度の軽い力で数メートル離れた壁まで一気に吹っ飛ばされるわけですから、決してオーバーな例え話ではなかったのだと、つくづく思い直したものです。
 その、四両の軽さで千斤を撥くことを可能にしているのが、他でもない「勁力」なのだと思います。そして、その「勁力」を理解し、身につけるためのシステムが、基本功を始め、腰相撲などの対練にまで、徹底されているのだと思いました。
 
 すべては正しい架式が整っていればこそ、と述べましたが、実際にはそう簡単なことではありません。

 そもそも、何を以て「正しい架式」とするのか。
 どのようにして、その架式が整えられるのか。
 その架式から、どのようにして動けるのか。
 構えたときと動いたときの、自分の架式と相手との関係性はどうであるのか・・。

 架式の追求は、即ち拳理・拳学の追求そのものであり、その追求なしには、どれ程の太極拳を学んでいようとも、またそこでの修行にどれ程の年月を掛けようとも、太極拳の核心に迫ることは叶わないと思えるものです。
 そうでなければ、なぜ多くの時間を使って数々の「腰相撲」をこなし、その全ての腰相撲で架式の重要性が説かれるのでしょうか。ましてや、その場で相手が崩れて、吹っ飛ぶというような表面的な工夫をしていては、架式どころか、腰相撲の意味さえ見えてくるはずがありません。

 これらの問題は、単に站椿が鍵だ、意識が重要だ、などと、聞いたようなことを頭で復唱していても当然解決するはずはなく、実際に自分の足で探求の旅に出て、自分の眼で観て、自分の身を以てそれを骨の髄まで浸みさせ、通過させ、さらに研究と検証を重ねることによってのみ、ようやく「本物の太極拳」と言われるところの、その片鱗に触れることができるのだと思います。
 站椿や基本功など、ごく身近にある練功はそれ自体が至宝であり、そのような ”探求の旅” に出て、その本質を尋ねるだけの価値があると思えるものです。


                                  (了)



  【 参考写真 】

        
  *相手はかなり頑張っているのですが、簡単に投げられてしまいます。
   「組んだ時から既に浮かされているような感じがする」とのことでした。



        
  *非常に軽い投げで、出した右足の着地は、相手が倒れてからであることが分かります。
   身体の動きが早く、左足にも落下が無いことなどが見られます。



        
  *まだ稽古回数が20回に満たない新入門人の投げ。動きは当然ぎこちないものの、
   馬歩を修正することで膝が出なくなり、相手を押さなくなりました。



        
  *これは、門人が師父を投げに行こうとして、反対に返されたところです。
   返される時にも、ぶつかったり押し返されたりするような感覚はまったく無く、
   何故返されてしまうのかが解らないほど、非常に柔らかく返されます。
   普通は、投げに行くために足を出すという行為自体が全くできない状態です。

2009年10月18日

連載小説「龍の道」 第30回




 第30回 武 漢 (wu-han)(2)


 しばらく地下道を歩くと、やがて通路が行き止まりとなり、左右の壁にひとつずつ金属製の扉が付けられている。
 程さんは右側の扉の鍵を開けて、自分から先に中へ入って行き、

「あちらの扉は、また別の場所に出る通路です。
 状況によって、出口をどちらにするか選ぶことが出来る、というわけです。
 追っ手のある時には、わざと反対側を開けておくこともできますしね・・」

 そう説明をしながら、照明を点ける。
 かつて蒋介石総統のために造られた緊急脱出路は、さすがに用意周到だ。

 扉の内部は地下に降りていくトンネルになっていて、クネクネと曲がった下りの階段が見える。ここはすでに地下3階のはずだが、更にどんどん下に降りて行く階段になっているのである。

 程さんは内側から扉に鍵を掛け、ロックされたことを念入りに確認し、ちょっと微笑みながら宏隆に声を掛ける。

「・・どうですか、面白そうな通路でしょう?」

「すごいなぁ、まるで大蛇の巣みたいですね。台湾一のホテルの地下に、まさかこんな通路があるなんて、誰にも想像がつきませんね!」

「いえ、実は、どこから洩れたか、この地下道は、世間でもいろいろと噂されているのです。
 けれども、経営者の宋一族と私たちの組織の人間以外は、実際には誰も見たことがなく、宋一族の人でさえ知らない人も多いのです。
 ですから、今のところは、単なる噂に留まっていますが・・・」

「これなら、僕がホテルの外に出ても、誰にも分からないでしょうね」

「この通路の出口も、まるで出口とは思えないように造られているので、貴方が外出したこと自体、まず誰にも気付かれることはありません。
 今ごろ彼らは、ロビーで暢気に張り込みを続けていることでしょう、ははは・・・」

「・・この、階段の横に並行して付いている、水路のようなものは何ですか?」

「ああ・・それは滑り台ですよ。
 緊急の時には、それで滑っていくと、あっという間に下まで行けるというわけです。
 それに、荷物を手に持たずに、滑らせながら運べるようにも考えられています。
 白いズボンを履いている時は、汚れますから、止めた方が良いと思いますが」

 今にも滑り台に飛び乗りそうな宏隆の、白いズボンを見ながら、程さんが言う。

「滑り台! ははぁ、なるほどねぇ・・・」

 よく見れば、その滑り台は表面がツルツルしていて、これなら下まで滞りなく、あっという間に滑って行けそうだと思える。この勾配ではかなりのスピードになるかもしれない。

 秘密の地下トンネルは、それほど大きくはない。自分の身長から考えると、天井の高さは2メートル少々で、横幅はそれよりやや広い程度だ。
 階段と滑り台は、まるで遊園地の地底探検のようにクネクネと曲がりながら薄暗い地下に潜ってゆくので、これから何処へ行くのだろうかという不安と期待とが入り交じって、子供のようにワクワクさせられる。

 しかし、ずいぶん長い階段だ・・もう、すでに五十段ほどは下りただろうか。
 このホテルは丘の上に建てられているので、脱出用の通路も、必然的に下に降りていくように造られたのだろうと思った。

 けれど、よくもまあ、こんなものを造ったものだなぁ・・と、宏隆はひたすら感心した。
 南京町の地下道とは、あまりにもスケールが違っている。

「いやぁ、すごいですね・・・この通路は、何処まで通じているのですか?」

「 ”剣澤公園” という、ホテルの裏側にある、山麓の大きな公園に出ます。出口は、公園の設備施設のように見えるので、誰もそれが秘密の通路の出口だとは思えないような造りになっています」


 やがて、階段が無くなり、地面が平坦になった。
 滑り台は、終点のところで少し平らになり、立ち上がり易いように、すぐに立てる高さに作られ、両側の手すりも多少高くなっていて、細かい配慮がされている。
 階段は全部でおよそ九十段近くもあった。
 普通の建物なら6〜7階建てほどにも相当する高さから、1階まで、延々と曲がりくねったトンネルの階段を下りてきたことになる。エレベーターで降りた地下3階の秘密の通路から此処までの距離は、優に200メートルは超えているはずだ。

 此処にもまた、円いトンネルの壁に合わせて鉄製の扉がある。
 扉は二枚あって、閂(かんぬき)がふたつ着けられている。
 程さんが扉を開けて壁際のスイッチを点けると、数十個の明かりが順に向こうまで灯り、平坦な通路が真っ直ぐに延びているのが見える。

「これが、通路の最後にあたる直線部分です・・・
 ここのライトは“防爆(ぼうばく)仕様”になっていて、万一に備えられています」

「ボウバク・・・?」

「・・防爆、というのは、爆発を未然に防ぐためのシステムです。
 秘密の脱出路の、最後の出口へ向かう通路に、爆発性のある無臭ガスなどを密かに撒かれていると、電灯のスイッチを点けた途端に、大爆発することになりますからね。
 暗いところで電灯を点けたいのは人情ですから、せっかく脱出してきたことが無駄にならないよう、念を入れて防爆機能が施されたライトにしてあるのですよ・・・」

「すごい! そこまで考えて造られているんですね・・・」

「まあ、敵というヤツは、あの手この手でやってきますからね!!
 もっとも、私たちにしても、それは同じことですが・・・はははは・・・・」

 この直線の通路だけでも、長さが5〜60メートルはあるだろうか。
 所どころ、トンネルの天井に浸みた水滴が垂れてきていて、床に水が溜まっている。
 蒋介石が逝った今では、誰も整備をしていないのか、空気が淀んでいて湿っぽい。

 通路の突き当たりには、金属製の、いかにも頑丈そうな分厚いドアが付けられている。
 程さんがふたつの鍵を開けてその扉を開くと、ポンプやメーターのようなものが所狭しと並んだ、機械室のような部屋が現れた。

「ここにある機械は、みんなダミーです。
 今は使われていない古い設備室、という設定で造られているのですよ・・・」

 程さんが説明をしてくれる。しかし、何という周到な脱出路だろうか・・これではまず、入口も出口も、誰にも知られることはないだろう。

 設備室の出口には、周りから少し外の光が漏れている。
 程さんは、ドアの内側に付けられた小さな窓を開けて外を確認し、鍵をガチャリと開けて、まず自分から先に出て周囲の様子を伺い、頷いて宏隆を外へ誘う。

 一歩外に出ると、そこは、鮮やかな緑が雨に洗われる、美しい公園だった。
 ホテルが建つ丘の北側の麓に位置する、樹々が深く覆い繁るその公園は、あらためて見れば普通の公園に過ぎないのだが、殺風景な地下道を延々と歩いて来た目には、まるで突然、どこか別の世界にでも迷い込んだような気分になってしまう。

 振り向けば、今宏隆が出て来たところは、壁が石造りの小さな建物で、程さんの言うように、まるで電気や排水の設備室のような雰囲気に造られていて、ご丁寧なことに石壁に蔦まで這わせてある。これなら公園を歩いていても、誰も気にも留めないことだろう。

 程さんは、辺りを憚るように、手早くドアを閉めて鍵を掛け、持っていた大振りの傘を広げて、宏隆に差しかけた。


「You’re Late !! (遅いじゃないの!)・・・」

 突然、背後の樹の陰から大きな声がして、宏隆はギクリとして、振り返って身構えた。

「・・だ、誰だ?!」

 思わず、声に出した宏隆に、

「わざわざ迎えに来てあげたのに、誰だ!・・って言い方は無いでしょ!!」

 よく締まった、はちきれそうな肉体を迷彩服で包んだ女が、宏隆の頭の後ろまで抜けていきそうな鋭い声で、そう言う。

 顔は中国人だが、そうは思えないような、流暢な英語である。
 神戸生まれの宏隆は、小さい頃から英語にはよく馴染んでおり、外国人の友人も多いので相手が何を喋っているのかはよく分かる。

 しかし、一体、この女は誰なのか・・・?
 ちょっと唖然としたままでいる宏隆の耳元に、程さんが小声で、

「哎呀(アイヤー)・・・大変な人が、お迎えに来てしまいましたね・・・・
 気をつけてください、アレは、武漢班の名物で・・」

 そう言いかけた程さんの言葉を遮るように、

「・・さあ! 早くしなさいっ! 時間が無いんだから!!」

 手にしていた迷彩柄のポンチョをサッと羽織りながら、もうその女は歩き始めている。

 宏隆はちょっと呆れた顔をして程さんの方を見た。

「行きましょう・・・車までお見送りしますよ」

 程さんは、諦めたような顔をしながら宏隆を促し、傘を差しかけながら歩く。

「いったい何ですか? あの女性は?」

「行けばわかりますよ・・でも、陳中尉よりも、よっぽど怖い・・・」

「・・え? あの女性が? ただの、迎えに来た人じゃないんですか・・?」

「シィーッ、聞こえますよ・・・
 気をつけて下さいね、私まで、後からひどい目に逢わされそうで・・・」

「ひどい目に・・って、あの女性にですか?
 もしかして、ものすごく武術が強いとか、何か・・・・」

「いえ、それが・・・」

 またしても、ちょうど、程さんがそれを言おうとしたところを、

「・・はい!、さっさと乗って!!」

 それを遮るように、鋭い声が飛ぶ。

 軍用のクルマなのだろうか、公園の脇の道に、ナンバープレートの数字の頭に「軍」と記されたジープが停められている。屋根に幌は付いているが、ドアは無い。

「では・・・くれぐれも、気をつけて行ってらっしゃい。
 お帰りになったら、また、お部屋に伺います・・・」
 
 程さんが心配そうな顔をしてそう言うので、宏隆はちょっと躊躇ったが・・
 仕方なく、そのジープに乗り込んだ。

「ブォン、ブォォオーン・・・」

 ロクに席に着くか着かないかという時に、ジープはもう走り出している。
 とても女性とは思えないような運転で、シャツを腕まくりした手が、長いシフトレバーを手際よく捌いては、ゴンッと乱暴にクラッチを繋いで、他のクルマをどんどん追い越しながら、街の中を飛ばして行く・・・

「はい、これ・・・」

 そう言って、シフトチェンジの合間に、後ろの荷台に片手を伸ばして、薄汚れたカーキ色の布を宏隆に手渡す。

「何ですか、これは?」

「ポンチョ・・・膝に掛けて・・・
 このジープはドアが無いから、そんな恰好じゃ濡れるでしょ!」
 
「あ、どうも・・ありがとうございます。
 軍用車っていうのは、こんな具合に、みんなドアが無いものなんですか?」

「あ、これ・・・? 
 これは・・・この前、爆風で吹っ飛んでしまったのよ!」

「爆風で・・・? 」

「そう、敵の手榴弾でね・・・
 その席に座っていた人は、爆発でそのままバラバラになって、あの世行き・・・
 ・・ほらっ! まだその辺りに、血の跡がいっぱい残っているでしょう・・?!」

「えっ?・・・ええっ・・・!!」

 慌てて、自分の座っているシートやら、そこいらを見回している宏隆に、

「あはははは・・・・ ははははは・・・・ 
 嘘よ、ウ、ソ・・・ほんの冗談!! 
 あなた、大武號でライフル持って大活躍したって割には、ずいぶん臆病なのね!!
 あはははは・・・・ はははははは・・・・」

「じょ、冗談・・・・ ふぅー、てっきり本当かと思った・・・」

「私の名は、宗麗華(そう・れいか)・・・よろしく!」

 そう言って、握手を求めてくる。

「・・あ、はじめまして、僕は加藤・・」

「知ってるわ、ヒロタカ・・ね!
 中国語は出来ないって聞いたけど、英語は少しは話せるようね。
 私は日本語も話せるように教育されたけど・・・どれがお好み?」

「普段は英語で構いませんが、難しいことは日本語でないと・・・」

「じゃ、英語にしましょう。
 陳中尉も、他の隊員も、英語は訓練されるので、みんな堪能よ!」

「・・ところで、これから何処へ行くのですか?
 陳中尉には、まだ何も、今後の予定を知らされていませんが・・・・」

「これから行くところは・・そうね・・・
 日本語で言うと “地獄の一丁目” というところかしら・・?」

「じ、地獄・・・? そこで、いったい何をしようと・・・」

「あはははは・・・さあ、何かしら?
 フタを開けてからのお楽しみ、ってヤツね!!」

 雨はだんだん激しくなってきた。
 ドアの無いジープは、港に向かって、曲がりくねった道をひたすら突っ走って行く。


                               (つづく)



  


      
 

2009年10月14日

資料映像集 #14「陳氏太極拳小架式 その4」

 陳氏太極拳第19世
 陳鑫 〜 陳椿元系 小架式伝人 陳立清(Chen Li-Qing)老師



     



 陳立清老師は、陳有本 〜 陳仲甡 〜 陳鑫 〜 陳椿元 〜 陳鸿烈 〜 陳立清 と続く、
 小架式の伝人である。
 7歳の時、陳徳禄から陳氏大架を学び、10歳で父である陳鴻烈に従って陳氏小架、
 炮捶および刀、槍を、また、後に叔父の耿占彪(陳氏外甥)から春秋大刀、剣、棍、
 桿、などの器械を学んだ。

 1975年、三百年近くも伝承の途絶えていた「108勢長拳」を、洪洞の許方慶老師
 より学び直して古来の陳氏拳の研究を続けるなど、偉業も多い。

 1919年陳家溝生まれ。2008年逝去。


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2009年10月08日

連載小説「龍の道」 第29回




 第29回 武 漢 (wu-han)(1)


 一夜明けた台北には、雨が降っていた。
 テラス越しに見下ろす台北の市街は、灰色の雲が空を低く横切りながら、薄いカーテンのように、霧のような雨を降らせている。
 ぼんやりと、その光景を眺めながら、宏隆は独り、珈琲のカップを傾けていた。

 昨夜、張大人に聞いた話は、今朝になっても宏隆の頭の中を巡って離れない。
 これから自分が何を学ばなくてはならないか、日本人として、アジア人として、そして、ひとりの人間として何を理解し、何を為さなければならないのか・・・
 その大きな問題が、宏隆の脳裏を捉えて放さないのである。


「コン、コン、コンッ・・・・」

 そんなとき、突然、部屋の扉がノックされた。 

「はい・・・?」
 
「フロントでございます。雑誌をお持ちいたしました」

「雑誌? 何かな・・・・」

 ドアを開けると、白い制服姿のボーイが立っている。

「お早うございます、雑誌をお届けに参りました」

 ボーイが手にしている丸いプレートには、「TIME」という英語の雑誌が載っている。

「これは・・・?」

 言いかけると、その言葉を遮るように、

「どうぞ、ご確認ください・・」

 と、ボーイが言う。

 雑誌を手に取ると、メッセージ・カードが栞(しおり)のように夾んであり、開いてみると、そこには “武漢“ と言う文字が書かれている・・・
 宏隆は、思わず「ハッ」として、そのボーイを見上げた。

 武漢とは、組織の戦闘部隊、“武漢班” のことに違いない。
 ホテルマンという先入観で見過ごしていたが、こうして異なる目で見れば、その白い制服の下には、鍛えられた肉体が隠されていることにようやく気付かされる。

 ボーイは、小さくニコリと微笑んで、さらに、

「・・もう日が高いですが、睡(ねむ)りは足りましたか?」

 ・・と、訊ねてきた。
 まだ朝の8時前で、日が高いわけはないのだが、宏隆は、それが家族の合図だと、昨日の帰り道に陳さんから聞いたことを思い出した。

「はい、香炉峰(こうろほう)の雪を眺めていたところです」

 ・・そう答えて返す。

 日高ク睡リ足リテ、猶(ナオ)起キルニ懶(モノウ)シ・・・

 白楽天の詩の一節が、ここでは互いに家族であり、現在何の危険もない状況であることを確認し合った、という意味になった。小声の会話でもあり、これなら誰かがそれを耳にしても不審に思うことはない。
 “武漢” という文字だけでは、その者が組織の人間だという保証は無い。
 それを見極めるために、念には念を入れて、二重の確認方法が取られているのだった。

 そうしている間にも、朝食を摂りに階下(した)へ行く宿泊客が、前の廊下を通り過ぎて行く。

「・・それでは、ご朝食のご用意いたしましょうか」

 ボーイは、少し辺りを憚るように、いかにもホテルマンらしい言葉を口にしてから、宏隆を目で促して部屋に入り、扉を閉めると、改めてこう言った。

「私は、玄洋會の “程(てい)” と申します。
 陳中尉からのお言付けで、本日13時に、お迎えのお車をご用意する、とのことです」

 昨日、張大人宅からの帰路に陳さんが、「明日は、面白いところに案内しましょう」と言っていたので、てっきりまたロールス・ロイスで迎えに来てくれると思っていたのだが、どうも今日は違うらしい。

「・・では、その時間に、玄関に降りていれば良いのですか?」

「いいえ、玄関ではなく、私がこの部屋から別のところまでご案内します」

「別のところ?」

「今はまだ、何処にご案内するかは申し上げられませんが・・」

「・・・・・?」

 宏隆には、その意味がよく飲み込めなかった。
 ホテルに迎えに来る車が、玄関以外にどこに着くというのだろうか。
 まさか従業員用の裏口に迎えるわけでもあるまい。
 それに、何故それを、その時になるまで自分に隠しておく必要があるのか・・

「・・いったい、どういうことですか?」

 自然に、その疑問を “程” と名乗るボーイに投げかけてみる。

「・・実は、貴方が台湾に来られたことで、さっそく“動き”が見られたのです」

「動き・・? いったい何のことです?」

「もちろん “敵側” の動きのことです。
 彼らは、貴方が台湾に入ったことを確認すると、さっそく行動を監視し始めました。
 今も、ロビーにひとり、張り込んでいます」

「僕を・・・? でも、まだ正式な弟子でもなければ、家族でもないのですよ。
 そんな自分が台湾に来たことが、どうして敵側にとって問題になるのでしょう?」

「お分かりになりませんか? それは、名高い実業家でもある貴方のお父様が、吾々の組織に深く関与しておられるからです。
 そのご子息の貴方が吾々の家族となり、組織の重鎮である王老師の正式な後継者となられることは、彼らにとっては当然、大いに気になるところだと思いますが・・」

「あ・・父が・・・?」

 またしても、父の名前が出てきた。
 宏隆は、いつか庭先で朝の稽古をしている時に、父から聞いた言葉を思い出した。
 父は、『お前よりも私の方がずっと古くからの客なのだ』と言い、中国の秘密警察に追われる王老師を、台湾からより安全な日本に招く手伝いをしたとも言っていた。

 しかし、父がこの組織に関与していることを何となく分かっていたつもりでも、この異国のホテルで、見知らぬボーイから当然のことのようにそう聞かされると、とても不思議な気持ちにならざるを得ない。
 実際のところ、若い宏隆にとっては、父がこの組織に関与していることについて、どうにもまだ実感が湧いてこないのである。

「・・・それでは、定刻の20分ほど前に、お迎えに上がります。
 私に何か問題が起こった場合には、他の者が代わりに来ます。
 その場合は、2回、3回、1回、と扉をノックしますので、そうでない者が来たら、決して部屋から出てはいけません。貴方は拉致のターゲットになる可能性も高いのです」

「拉致・・・?」

「そうです、貴方を拉致してお父様を脅せば、組織への関与や支援も見直されます。
 それに、今回の“大武號”への襲撃は、貴方を狙ったものかも知れないのです」

「・・えっ? あの襲撃は、この僕を狙って・・?!」

「そう考えることも出来る、ということです。
 貴方が乗った船が襲撃されたことは、余りにもタイムリーでしたからね」

「・・・・・・」

「身内からのノックは、2,3,1です。
 相手がルームメイドでも、それ以外のノックでは決してドアを開けてはいけません。
 メイドが来ないように、 “Do not disturb” の札を掛けておいてください。
 よろしいですか・・?」

「分かりました・・・」

 ボーイに身を窶(やつ)した程さんは出ていったが、何となく気が落ち着かない。
 大武號が襲撃されたことが、自分に関わることかも知れないということ、それに、自分は敵側から行動を監視されていて、拉致される可能性もある、ということも気になる。
 現に今も、下のロビーで自分を張り込んでいる人間が居る、というのだ。
 それに、これから陳さんの所に行くのに、それが何処なのかも、それからどうするのかも未だに分からない。いや、何処から迎えの車に乗るのかさえ、知らされていない・・・
 あれやこれやと、いろいろな事が頭の中をグルグル巡るが、そのどれもが、自分ではどうすることも出来ないことばかりだった。

「儘(まま)よ・・考えても仕方がない、なるようになれ、だ・・・!!」

 宏隆は、気を取り直して、少し部屋で稽古をしてからシャワーを浴び、レストランで早めの昼食を取って、程さんが迎えに来るのを待った。


 ・・・時計はすでに、12時30分を指している。
 宏隆は、チノ・クロスのズボンにポロシャツという姿で、雨をよく弾く薄手のジャンパーを用意し、ぼんやりと小糠雨に煙る台北の街を眺めながら、程さんを待った。

 それにしても、こんなホテルの従業員にまで、玄洋會の者が入り込んでいるのには驚かされる。自分が想像しているよりもこの組織は大きいのだと、改めて思える。
 そして、敵側が自分の行動を監視し、拉致される可能性さえあるということは、もう自分がこの組織の人間として見られているのであり、宏隆も否応なしにそれを認識せざるを得ない。

「これは、いよいよ腹を括らなくてはならないな・・・」

 宏隆は、自分の運命や人生が、急激に変わりつつあることを感じた。


 ・・やがて、入り口のドアがノックされた。

「お迎えに上がりました」
 
 程さんは、ホテルのスタッフが送迎に使う、ドアマンズ・アンブレラという大きめの傘を手に持っている。迎えの車は、戸外(そと)の何処かに来るのだな、と宏隆は思った。

「それでは、ご案内しましょう」

「お願いします」

 ・・・エレベーターに乗るのかと思っていたら、非常階段を歩いて下りていく。
 宏隆の部屋は9階にあるので、このまま下まで歩くのかと思うと、7階で客室通路に出て、ちょっと辺りを窺いながら、その階の隅にある、扉に「PRIVATE」と書かれた部屋に入っていく。
 ルームメイドが掃除に使う道具や、シーツや毛布、石けんやシャンプーが所狭しと棚に並んでいるその部屋を縫うようにして歩くと、奥に従業員と荷物運搬用の小さめのエレベーターがあり、それに乗り込む。

 エレベーターは全ての階に行けるようになっていたが、程さんは地下2階の(B2)と書かれたボタンを押し、やがて(B2)のボタンのライトが消えて停止したので、入口の側にいた宏隆が先に降りようとしたが、

「・・あ、ちょっとお待ち下さい」

「え・・?」

「この階ではありません・・」

 何だ、間違えたのか・・・と宏隆は思ったが、程さんは一旦ドアを閉めると、もう一度、(B2)のボタンを押したまま、(3)(5)と、ふたつ続けてボタンを押した。
 すると・・・その三つのボタンが白い色から赤い色に変わり、エレベーターはさらに下に向かって動き始めた。

「・・えっ? まだこの下に、階があるのか・・・?」

 エレベーターは、少し下に動いてから、ゆっくりと停止した。
 もう一度、階を示すボタンを見てみたが、やはり(B3)などという表示は無い。

 扉が開くと、ぼんやりと灯った非常灯の明かりに、真っ暗な通路がどこかへ延びているのが見える。
 程さんは再び(B2)のボタンを押して、エレベーターを地下2階に戻した。

 表示が地下2階までしかない従業員用のエレベーターに、実はそれより下の、地下3階が存在する。そして其処へはボタンの特殊な操作によってのみ、到達することが出来る・・

 これは、もちろん、秘密の地下通路に違いなかった。

「すごいなぁ・・・これと同じようなことを神戸で体験した時にも驚かされましたけれど、ここの方がスケールが大きいですね!」

 辺りを見回しながら、宏隆が程さんに声をかける。

「神戸の南京町にある地下施設ですね? 私も一度、使いで行ったことがあります」

 壁に付けられた、大きな電灯のスイッチをパチンと入れながら、程さんが答えた。

「えーっ、そうなんですか・・?!」

「ははは・・・こう見えても、いちおう、組織の一員ですからね」

「では、程さんも、武漢班の・・・?」

「いえ、私は “武漢” とは違う班なので、今はこのホテルに配属されています」

「でも、そんな立派な体格をされて・・・」

「どの班に所属していても、戦闘訓練は必ず受けますからね。
 ひと通りは鍛えられています。私も本当は武漢班で働きたかったのですが・・・」

「それにしても、一体何のために、ホテルの地下にこんな通路が造られているのですか?」

「これは、つい先年亡くなった蒋介石総統のために造られた、脱出用の秘密通路です。
 このホテル自体、総統夫人の宋美齢(そう・びれい)が建てたので、万一のことがあってはと、脱出用の秘密の避難路を造ったらしいですね。
 夫人は、すでにアメリカに移住しましたが、経営は今でも宋一族によって行われています」

「なるほど・・でも、さっきは地下2階までしかないと思っていたら、ボタンの操作でもう一階分、下に行ったので、ちょっと驚きました。すごい仕掛けですね・・・」

「もし、地下3階の表示を作って、そこに鍵を付けると、まるで其処に秘密の場所があると言っているようなものですからね。これだと、追っ手には決して分かりません。
 ついでながら、あの(3)と(5)は、“マダム蒋介石” 宋美齢の誕生日の、3月5日から取った数字です。もっとも、これは内緒の話ですけどね、はははは・・・」

「ああ、なるほど・・・・」

 エレベーターにも表示されていない地下3階の秘密の通路は、電灯は点いているものの、薄暗くて、少しジメジメしている。

「さあ、行きましょう・・・」

 程さんは、宏隆を促して、その通路の奧へと進んで行った。


                                 (つづく)

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