2009年09月

2009年09月28日

連載小説「龍の道」 第28回




 第28回 臺 灣 (たいわん)(7)


「・・・それは、今から、わずか20年ほど前の話だ。
 終戦間近の、もう誰が見ても日本に余力など残っていないと思える時期に、日本の主な都市は、カーチス・ルメイ将軍の“日本焦土化作戦”によるB29の大空襲の攻撃を受け、日本の攻撃専用に開発したM69焼夷弾やナパーム弾で、武器を持たぬ50万人もの民間人が、まるで虫けらでも駆除するように、無差別に焼き殺されたのだ。

 焼夷弾は “悪魔の火” とも呼ばれる、ある意味では原爆よりもひどい爆弾だ。
 それは紙と木で出来た日本の家屋をあっという間に燃やし、周り中を火の海にして、人間をバーベキューにする。あまりにも空気の温度が高くなって、その炎自体に触れなくとも、衣服や髪の毛が自然に発火してしまう。
 彼らはそれを使って、日本の67個所の都市を爆撃した。

 東京大空襲では、特製の焼夷弾を搭載した325機のB29爆撃機が38万発の爆弾を落とし、ただの一夜にして10万人もの日本人が生きたまま焼き殺された。
 アメリカ軍は、関東大震災での被害を徹底的に調べ上げ、木造住宅が密集する東京の下町が火災の被害を最も受けやすいことに着目し、そこを攻撃目標の中心にした。
 火炎の高さは高度15,000mの成層圏にまで達し、摂氏一千度、風速25m以上の、台風並 みの熱風が東京中に吹き荒れた。
 そして、それが真珠湾での被害、軍人2,300人、民間人57人の死者に対する正当な報復攻撃だと、ルメイ将軍は公言して憚らなかった。
 アメリカ国内でも、日本の民間人への無差別攻撃は人道的に誤りであり、国際法にも違反するという声が高かったが、カーチス・ルメイは日本人が民間居住地区で軍需物質を製造していることを理由に、反対を押し切って、日本焦土化作戦を立案、無差別爆撃を強行した。

 マッカーサーをはじめ、無差別爆撃に反対する人たちは、戦略的にはもう日本にそのような攻撃をする必要はまったく無く、もはや上陸する必要さえないと言い切っていたが、ルメイ将軍は、反対を押し切って大空襲を強行したのだ。

 このルメイという男は、後のキューバ危機に於いては執拗にキューバ空爆をケネディ大統領に提案し、また、最近のベトナム戦争では空軍参謀長として北ベトナムの爆撃を担当し、『ベトナムを石器時代に戻してやる!』と豪語した大の戦争好きの人物で、数年前、副大統領候補に立候補した時にもハッキリと人種差別を主張していた。
 ・・結局、落選したがね。核ミサイルを数十基も配備していたキューバに空爆をしていたら、それこそ第三次大戦になっていただろう。


 ・・そして、日本の67の都市と主要五大都市を丸ごと焼け野原にした後に、さらに止めを刺すかのように、世界初の原子爆弾が、2度連続して投下され、広島だけで20万人もの犠牲者を出した。

 原爆投下の2ヶ月も前から、日本はすでに、ソビエトを通じて降伏の交渉を進め、スターリンに米英首脳への仲介を依頼していた。そして、連合国側も、それをきちんと承知していたのだ。

 ポツダム宣言を「拒否」したから、原爆を落とされた・・?
 それを受諾しなかった日本政府が悪い・・?

 そうではない・・! 
 事実は全く違っている・・!! 
 それこそが、予め予定され、造られた、一般人への認識の操作というものだ!

 たとえば、ポツダム宣言には、わざと天皇への扱いが不明確にされていた。
 宣言書にそう書いておけば、当時の日本が絶対に宣言を受諾することはない事を見越して、わざと不明確に書かれていたのだ。
 また、これはよく知られている話だが、ポツダム宣言を拒否したことについては「翻訳」の問題があった。
 ポツダム宣言が出た後、日本は閣議でゴタゴタしていたが、結局、記者会見が開かれることになり、そこで鈴木首相は「ノーコメント」と言った。
 しかし、英語禁制の時代で「ノーコメント」は使えない、そこで、それを取材した記者が「黙殺」という言葉に変えてしまった。ノーコメントと黙殺では意味が全く違うが、新聞記者は国民の戦意高揚を考えて、そう書いてしまった。
 ところが、この「黙殺」という日本語を、同盟通信は「ignore(無視)」と翻訳して打電し、さらに欧米のメディアがそれを「reject(拒否)」と歪めて報道した。
 これがアメリカが日本に原爆を落とす口実を与えることになったのだ。

 しかし、実はトルーマンはそれより遥か以前に原爆投下を決定していた。砂漠の実験ではデータが少ない。対ソ政策としても世界初の公開実験をする必要があると考えたのだ。
 つまり、アメリカは、どうしても原爆を使いたかった、ということになる。

 その証拠に、ヒロシマのわずか三日後に、長崎に原爆が投下された。
 こればかりは、アメリカ国内でも大問題になった!
 彼らは、わずか三日前に広島の惨状を目の当たりにしながら、何をためらうこともなく、一瞬で7万4千人もの命を奪う爆弾を、平然と、長崎に投下したのだ!!

 長崎は、キリスト教が日本に伝来して以来、カトリック信者の多い土地で、鎖国解消後の長崎開港で欧米人が居住区をつくり、その一角に教会が造られた。浦上天主堂と呼ばれるその教会は、完成までに二十年の歳月を要した、東洋一の大聖堂だった。

 その浦上天主堂が、原爆の爆心地になった。投下時には聖母被昇天の大祝日を間近に控えて、司祭や信者たちが教会で儀式を行っていたが、全員が死亡している。
 それはキリスト教の教会だ。異教徒の教会ではない。
 アメリカでは大統領も教会への礼拝を欠かさない国だ。しかし、彼らはそのキリスト教の大聖堂を標的として狙い、同じキリスト教徒に対して、たった一発でTNT火薬に換算して2万2千トンにも相当する、強力な原子爆弾を浴びせたのだ。

 ・・・これは、人類史上に残る、大量虐殺以外の何ものでもない。
 その大量虐殺が、日本の “侵略戦争” を食い止めるという名目で正当化され、平然と行われたのだ。

 しかし、その原爆を投下した “加害者” について、日本が言及したことは無い。
 日本が示しているのは、幾度となく原爆慰霊祭を迎えても、常に “被害者” としての姿勢だけだ。まるで、自分たちが犯した "過ち" とでも言わんばかりに。
 巧妙にでっち上げられた南京大虐殺を批判され、真珠湾攻撃を卑怯な奇襲と罵られ、東京裁判で世界の悪者にされても、あの原爆を2度も投下した非人道的な行為について日本が非難したことは一度も無い。それは何故なのか・・・?」


「日本への原爆投下は、日本を叩くこと以外にも、ソ連への牽制や、東南アジア諸国への示威の意味が大きかった。
 それはまた、新兵器による大規模な人体実験を目的とするものでもあった。
 事実、その証拠に、現在でもアメリカは、被爆者の子孫の転居先にまで、その追跡調査を続けている。それは21世紀になっても延々と続けられることだろう。

 もちろん人種差別という理由もある。哲学者のサルトルは、もし日本人が白人であれば、アメリカは決して原爆を落とさなかっただろう、と公言した。
 アインシュタインと共に、核兵器の廃絶を世界に宣言したバートランド・ラッセルは、原爆の投下は単にアメリカの非人道的行為に留まらず、白人全体の罪であり、日本を降伏させるための必要不可欠な行為とするのは、まったくもって白人の偽りに他ならない、と言明している」


 宏隆は、父や母から聞かされた、日本の敗戦前夜の話を思い出した。

「・・・それらのことは、僕もある程度は知っています。しかしそれは、話に聞いているということに過ぎませんし、学校の歴史の授業で学んだというだけのことです。
 また、実際の戦争体験をしたわけではないので、その実感もまったくありません・・」

「そうだ、そうやって、その体験は、その歴史は、次の世代には忘れられていく。
 そして、やがて当事者の記憶からも薄れ、あげくの果てには歪められた歴史が教育され、何も知らぬ者たちが自分の祖先が“悪いこと”をしたのだと自虐史観を持つようになり、その責任を国家や政府の所為にするようになる。
 それは、他国が侵略や併合をするのに絶好の条件が整った、正に理想的な国だ・・」

「・・・・・・」

「私たちばかりではなく、ほとんどのアジアの国々や台湾の国民の多くは日本に戦争責任があるとは考えていない。東京裁判など、戦勝国の茶番に過ぎないと私たちは思っている。
 東京裁判でまともなことを言ったのは、インドのパール判事くらいのものだ。
 その証拠に、あのマッカーサーでさえ、東京裁判を批判しているではないか・・

 真珠湾が奇襲攻撃・・? そもそもアメリカは、戦争する時に宣戦布告などしたことがあるのかね?、その事実をアメリカ国民は知っているのだろうか?
 それに、真珠湾を騙し討ちだと言うのなら、その2年前にドイツとソビエトが宣戦布告なしでポーランドに侵攻した事をどうして問題にしないのか? ポーランドでは5年間で全人口の20%が殺害されている・・・」

「結局、勝てば官軍・・ということでしょうか?」

「日本の格言だね? “勝てば官軍、負ければ賊軍” だったか・・・
 大東亜戦争・・・アメリカの言う太平洋戦争は、アジアを欧米の植民地政策から開放し、アジアに独自の経済圏を確立することを、その第一の目的としていた。
 日本は戦争に負けたが、結果として、今ではかつての日本が望んだ通りに、アジアは欧米支配からほとんど開放されつつある。これは、皮肉にも日本の勝利が証明されているということになる」

「・・・しかし、そのために、日本は “賊軍” となったのではないでしょうか?」

「その通りだ。そして、それにつけ込んで戦後の賠償金を主張する国もあるし、ロシアのように、ヒロシマのわずか2日後に日本に宣戦布告をし、ここぞとばかりに、日本が占領していた満州と樺太に上陸してくるような、卑怯極まりない奴らも居る・・・」

「もっと、勉強します・・・日本人でありながら、僕はまだ何も知らない・・・
 僕は、日本や世界のことを何も分かっていないようです」

「それがいい・・・・まずは、よく勉強しなさい。
 そして、もっと自分の国に、自分を育んでくれた母なる国に誇りを持つことだ」

「日本人は、世界にも類を見ない、とても優秀で知的な民族なのだ。台湾や韓国は日本の力がなければここまで復興しなかった。
 そして、世界を支配しようとしていた白人たち・・・欧米列強に対して、初めて牙を向いて果敢に立ち向かった、アジアの、最も勇気ある民族でもある・・・
 自分の国を大切にしなければならない。自分の祖先が生き、自分を育んでくれた文化や風土を大切にすることは、どこの民族でも人間の基本ではないだろうか」

「はい・・・・」

 張大人の話は、宏隆にもよく分かった。
 しかし、普段よく考えもしなかった話の内容を聞いて、少なからずショックを受けていた。

 そんな、意気消沈してしまった宏隆を見て、張大人が、

「ははは・・・成り行きとは言え、つい歴史の話しが過ぎたようだね。
 そう、話は戻るが、吾々の“家族”に参入することについては、どう思うかね?」

 ・・そう言って訊ねてくる。

「このように、歴史も、世界の現状も、何も知らないに等しい私が、ただ陳氏太極拳を学びたいと言うことだけで、組織に参入することなど、許されるのでしょうか・・?」

「そもそも、私たちと君とは、浅からぬ縁があるのだ・・・
 いや、縁というよりは、それはもう、必然と言えるかも知れない。
 君だけではなく、君の父君とも、私たちはすでにご縁がある。
 それに、君のような人間を、私たちは探していたのだよ。
 これからの時代は、君のような若者にこそ、活躍して貰わなくてはならない」

「先ほどからのお話を伺っていて、私の心の中に、強く主張し続けるものがあります。
 私のような、何も知らない若輩の人間でも、何かのお役に立ち、私の知らないことを教えていただけるのであれば・・・・此処に迎えて頂けるのであれば、皆さんとのご縁の大きさを信じて、ぜひ、お仲間に入れて頂きたいと思います」

「おお、そうか、そうか・・・
 うん、そういう気持ちがあるのなら、ことは手っ取り早い。
 早速、君を吾々の“家族”に迎えるための準備を始めることにしよう」

 張大人のその言葉を機に、宏隆は席から立ち上がって、少し椅子から離れ、張大人に向かって丁寧にお辞儀をして言った。

「張大人・・・大切なお話をして下さって、本当にありがとうございます。
 私は、人生経験の少ない、無知な若輩に過ぎませんが、皆さまのお仲間に入れて頂けることをとても嬉しく思います。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「おお、立派な挨拶だ。
 父君も立派な人だが、本当に君は良い家庭で、良い教育を受けたのだね。
 もう近ごろでは、台湾でもそんな挨拶の出来る若者は滅多に居なくなった・・・」

「ありがとうございます・・」

「・・では、準備が整い次第、連絡をしよう。
 王くんは勿論のことだが、君を王くんに引き合わせたK先生にも来て頂かなくてはいけない。準備が整うまで一週間は掛かるだろうから、その間、この陳にいろいろと案内してもらったり、教わったりすると良い。今日はこのままホテルに戻って、ゆっくり休みなさい。
 そうそう、圓山大飯店は、お気に召したかな・・・?」

「・・はい、申し遅れましたが、立派なお部屋をご用意していただき、本当にありがとうございます。台湾滞在中は、陳さんに就いて、色々と勉強させて頂こうと思います、どうぞ宜しくお願いします」

 そう礼を言って、陳さんの方にも頭を下げ、もう一度、張大人にあらためて深くお辞儀をして、その場を立ち去ろうとしたが、

「あの・・・張大人・・・もうひとつお訊きしても良いでしょうか?」

 何かを思い出したように、宏隆が言う。

「・・おお、何なりと訊きなさい」

 孫の話を聞いてやる祖父のように、優しい顔をして張大人が頷く。

「僕が、正式に家族になったら・・・
 皆さんのように、すぐに武器を取って戦うことになるのでしょうか?」

「いやいや、そうではない・・・私たちの家族にならなくては、君に陳氏太極拳を正式に伝承することは出来ない、ということなのだ。
 決して君に、組織の “戦闘要員” になれ、と言っているのではないよ、ははは・・・」

「そうですか・・・・」

「うむ、安心したかね?」

「いいえ、そうではなく・・・
 戦闘要員でなければ、武器や戦闘の訓練を受けられないのかと思いまして・・・」

「ん?・・・・・
 それは、つまり、望んでその訓練を受けたい・・と言っているのかね?」

「そうです。人間としての尊厳や、家族や、祖国を守れるように・・・
 いざという時のために、せめて、そのような訓練だけは受けておきたいと思うのです。
 先ほどのお話をうかがってから、だんだんその気持ちが強くなってきました」

「・・おお、それは良い考えだ、是非そうしなさい!
 戦闘に関することは、この陳に、何でも教えてもらうと良い。 
 彼は、こう見えても・・・・」

 ・・・しかし、そう言いかけた張大人の言葉を遮るように、

「はい、知っています・・・
 元、台湾海軍中尉で、秘密結社・玄洋會の、戦闘部隊の教練・・でしたね!」

 と、宏隆が陳さんの方を見ながら先にそう言ったので、張大人と陳さんは思わず顔を見合わせ、大きな声を上げて、笑った。


                                 (つづく)

2009年09月26日

お知らせ 「一部の画像が表示されない状態について」

 日頃は「Blog Tai-Ji」をご覧頂き、誠にありがとうございます。

 数日前より、ブログ内の画像が一部表示されない状態が続いており、皆さまには大変ご迷惑をお掛けしております。

 当方で原因を調査いたしました結果、ブログサーバー側の、画像移行作業に伴う障害であることが判明いたしました。

 現在、ブログサーバーがこの問題の修復作業を進めておりますので、大変お見苦しいこととは存じますが、正常に戻るまでの間、今しばらくお待ち頂きますようお願い申し上げます。


                   太極武藝館 ブログ編集室

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2009年09月24日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その6(最終回)」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 さて、長々と書いてきたが、そろそろ纏めをしていきたい。
 先ず、脚(ジャオ)の役割とは、いったい何であるのだろうか。

 言うまでもなく、脚(ジャオ)の機能とは、「身体を支持すること」と「身体を推進すること」のふたつの事のためにある。
 人の身体の重さは、背骨から骨盤、大腿骨と脛骨を経て脚部の距骨(きょこつ)に乗り、そこから踵骨(しょうこつ)に約77.5%、中・前足部には約22.5%と、前後に分かれて重さが伝わる構造になっている。
 しかし、おそらくそのような人間本来の構造通りに、距骨まで真っ直ぐ綺麗に立つことのできる人などは、現代に於いては極めて希であるに違いない。
 多くの人は実生活に於いて「正しく立つこと」の意識を全く必要としないはずで、各人が最も都合のよい、歩きやすく動きやすい体軸を造り、それを用いながら日常を送っている。
 一般の人が取り立てて「ヒトの正しい構造」を気にする必要など、普段の生活には全く存在しないと言って良い。

 そしてその事は、武術を学ぶ多くの人にも、同じことが言えるかもしれない。
 一般人が「真正な体軸」に対して無知で無意識であるのに対し、武術を学ぶ人の場合は、これこそが武術的であると各自が信ずるところの情報をもとに、意図的にユニークな構造を造り、それをもとにして鍛錬しているのであろうが、それゆえに、ヒトとして本来備わる「正しい構造」を失ってしまっている可能性が無きにしもあらずである。
 そして、それらの「真正な体軸」からの逸脱は、直立静止状態から歩行動作へと、裸足からヒール付きの靴や特殊な靴を履くことへと、あるいはまた、一般日常的な運動から特殊な武術運動へと変化することにより、さらに顕著になっていくに違いない。

 武術を高度に発展させてきた先人たちは、その「思いこみ」と「正しい構造」とのギャップを埋めるために、実に様々な工夫を重ねてきた。

 たとえば、武器の訓練・・・
 片手に武器を持つ、片手ずつ武器を持つ、両手で武器を持つ、重い武器を持つ、
 長い武器を持つ、重くて長い武器を持つ・・・

 たとえば、站椿・・・
 床の上に立つ、杭の上に立つ、煉瓦に立つ、片足で立つ、椅子に座ることで立つ・・・

 たとえば、数多い推手のバリエーション・・・ 

 そして、十三勢套路の訓練段階・・・・

 それらの練功の目的が、何を差し置いても、その日常的に思い込んだ勝手気儘な体軸を「正しい構造」へと修正するための工夫であり、常に、一瞬たりとも其処から外れぬように工夫された「立ち方」と「動き」であるのだとすれば、それら多種多様な練功の存在にも、自ずと納得がいく。

 では、武術に於ける、脚(ジャオ)の役割とは何か・・・
 それは、ヒトとしての「正しい構造」を受ける最下端の部位として、その正しい構造が失われないようにするための、ある重要な役割を担っている。
 この地上に存在する限り、ヒトには「重力」が働いているので、当然ながら最下部の脚(ジャオ)は最も重さの負荷が掛かってくる所となり、そこは常に重さに喘ぐことを余儀なくされている部位でもある。
 子供に簡単にその部位の形を描かせると、大抵は「L字形」に描こうとする。
 これは、降りてきた脛の骨がL字形に曲がって、指先の方向に伸びているようなイメージを持っているからであり、実際、多くの人は大人になっても中々そのイメージが抜けない。
 しかし、骨格図や骨格模型を見れば、脚(ジャオ)は「逆Y字形」に浮かされている形であり、重さが直接地面にぶつからないように工夫されている。その工夫こそが「土踏まず」と呼ばれる「空間」なのである。

 この、脚(ジャオ)がL字形ではなく、逆Y字形に造られているというのは、武術的に見て、とても重要なポイントであると思う。
 骨盤から股関節を経て、スネの太い骨が降りてきたところには「距骨(きょこつ)」という、一番初めに重さを受ける骨があって、そこから前に向かって中足部のやや大きい骨があり、さらに指の骨である前足部が前に伸びている。
 また、距骨の後ろにはカカトの骨である「踵骨(しょうこつ)」があり、逆Y字形の後ろ側を担う骨として備わっている。

 この「逆Y字形」を保つために、土踏まずには実に100本以上もの靱帯が付いている。
 また、脚(ジャオ)の足底部には、最も浅い第1層から、最も深い第4層まで、四つの層に11種類の主要な筋肉が巡らされ、それらの内在筋はすべて『足指関節の内転・外転・屈曲・伸展の作用』のために用いられ、同時に足底のアーチを支持する役割を担っている。
 このように、脚(ジャオ)は逆Y字形を維持するために、多くの靱帯と筋肉が骨格を支えており、本来ヒトの脚は「扁平足」ではなく、「土踏まずのアーチ」が正しく保たれてこそその機能をトータルに発揮できる ”構造” になっていることが分かる。
 つまり、骨格の崩れや歪みによって生じた「扁平足」は、ヒトにとって決して正常な状態ではなく、扁平足では十全にヒトの構造を使うことが出来ないのだ。

 よく、「扁平足」でありながら立派な記録を出す陸上選手の話題が出ることがある。
 だからと言って、末續選手のように扁平足でなければ、あのようなレコードを出せないというわけではない。現に、カール・ルイスやロロ・ジョーンズなども、ごく普通の足裏をしている。反対に、それが正しいアーチ構造が失われた「真性扁平足」でない限り、足裏が地面に着いてしまった状態が絶対に駄目だというわけでもないと思う。
 しかし、統計を取ったわけではないが、著名武術家、武道家、関取、スポーツマンなど、数十人の脚(ジャオ)を写真等で観察する限り、優れた構造や運動をする人たちは扁平足でない人が殆どであると思える。
 脚(ジャオ)の骨格や足裏の筋肉群の状態は、その人独自のトレーニングのスタイルによって生じた、その人の運動スタイルや、運動の経歴の現れであると言えるだろう。


 先ごろ結婚したモーグル選手の上村愛子さんは、ひどい「外反母趾」だったという。
 彼女が3歳から住んだ白馬村は1年の半分近くが雪なので、お洒落にハイヒールを履いて歩けるワケもなく、それは西洋式の靴の所為ではない。

 彼女の外反母趾の痛みを大きく軽減したという特殊な「インソール」の謳い文句には、

【土踏まずを正しい形で支えると、足の機能が良くなって体のバランスも整っていきます】
・・とあるが、これを反対に、

【身体をバランスよく正しく整えれば足の機能が回復し、
  土踏まずも正しい形になって、きちんと身体を支えられる】
・・と言い換えることもできる。

 言うまでもないが、高度な運動に於いては、靴をどうするか、道具をどうするかではなく、先ずは、身体の構造がどうか、ということこそが問われなくてはならない筈である。

 先述の通り、外反母趾は扁平足と同じ、脚の「構造の崩れ」によるものであり、足を酷使するモーグルで、間違った脚の使い方を続けていた為にそうなってしまったのだと推測される。そしてそれ故に、期待された割には成績が伸び悩んでいた。

 それまで「エアー技法」に拘っていた上村さんは、ソルトレイクで金、長野で銀を取ったフィンランドのモーグルスキーヤー、ヤンネ・ラテハラに師事することで、ターンの技術とスピードの向上を求めて走法そのものを見直し、徹底的に走法の改善を図り、その結果、ワールドカップ通算6勝、年間総合女王の座を掴むことになったという。

 この、「走法の改善」というのは、太極拳で云うところの「歩法の理解」に相当する。
 つまり、飛び上がって空中で演技をする「エアー」への拘りを捨てて、地に足を着けた「立ち方」「滑り方」という基本が見直されることによって、上村さんは飛躍的な進歩を遂げた、ということになるだろうか。

 これは、武藝館に入門してくる他門派の猛者が「パワー」や「スピード」に拘り、その挙げ句、母親のような年齢の女性に対練で吹っ飛ばされ、小柄な年下の女性に散手であしらわれてひどく落ち込み、ようやく「歩法」を本気で学ぶ気になる・・ということと似ている。 
「立つこと」と「歩くこと」の基本が理解出来ていなければ身体は歪み、当然のこととして構造は崩れてくる。それはスポーツでも、武術でも、同じことなのだと思う。


 太極拳では「十趾抓地」と言う「足の指で地面を掴むかのようにする」などと云われる要訣が知られ、格闘技やスポーツの世界では「母趾球に力を入れる」とか「母趾球が足の中心である」などという考え方もよく聞かれる。あるいはまた「足裏の筋肉を多用する」とか、「足の指をフル活用して動かすことが拳理の妙諦に繋がる」などと云う人も居られるようだ。
 しかし、何を差し置いても先ず、本来のヒトの脚(ジャオ)の役割とは一体如何なるものなのか・・それを識らず、それが解らずには、何も始まらないと思える。

 その、ヒト本来の構造・・・チンパンジーやゴリラ、猿人、原人などの構造から、現在の私たちの、完全な二足歩行を可能とする「構造の違い」が無視されたままでは、如何に高度な鍛え方や使い方をしようと、それがある特殊な運動能力の一助にはなったとしても、決して「人間の機能」としての、高度でトータルな使われ方に発展できるはずは無い、と私には思える。
 そして「高度な武術」とは、取りも直さず、二足歩行が可能な「ヒト」でありさえすれば、本来誰もが等しく有する、ありのままの自然な構造を用いて、その機能を限りなく高度に研ぎ澄ませていったものではないかと思えるのだ。

 「ヒトの存在は、それ自体が奇跡なのだ・・」と、よく師父が仰る。
 人間は、その存在という名の奇跡を、ごく当前の成り行きであると勘違いしてか、絶妙なバランスによってようやく保たれているその奇跡を、あまつさえ自分勝手に解釈し、崩し、壊し、他のものと取り替え、要らぬものをわざわざ付加したりする事で、それを研究や進歩、成長や発展などと勘違いしがちである。
 古今東西の賢者や聖者たちは、その傲慢さを超えて人間本来の在るべき姿に目覚めることを様々な立場から説いたが、太極拳もまた、優れた先達賢者たちによって、天理自然に見る普遍の原理から人の本来の在り方が詳しく観照され、人間の精神性と身体機能が本来在るべき姿として宇宙自然の理と調和することによってこそ、高度な武藝原理が創出されると達観されたものだと思える。

 師父は私たちを指導する際に、「何を足しなさい」とも言わないし、「何を引きなさい」と言われるわけでもない。能く能く考えてみれば、ただ「ヒトの本来在るべき姿」を見出し、その構造に還り、その本来の構造を武術として高度に磨いて用いることこそが、この道場の稽古に於いて求められていることであった。
 そして、今や内外に多くの人々が知るところとなった、師父の驚嘆すべき太極拳の功夫、その武藝=武功藝術は、すべてそのような考え方のもと、ただそれだけの事を、四十年もの永きに亘ってコツコツと根気よく求め、築き上げ、練り上げて来られたものに違いないのである。


 実は、太極武藝館には、今まで誰も語らなかった「太極拳の構造」が存在している。
 武術雑誌のバックナンバーを何十冊となく読み漁っても、神田の書店街の武術コーナーにあるほとんどすべての本を読み尽くしても、何故か、それを記したものは一冊も、一行も、唯の一言も存在しない。不思議なことに、それを仄めかすような記述さえ皆無なのである。

 しかし、武藝館で行われている全ての練功は、その「誰も語らなかった太極拳」の構造のためにこそ存在している。一般クラスの稽古で、拳学研究會で、正式弟子の厳しい訓練で、等しく行われているそれらの練功は、そのシンプルな「構造」のためにこそ、存在しているのだと思える。

 脚(ジャオ)は、その「誰も語らなかった構造」の、重要なヒントである。

 ヒール付きの靴を履いただけで、容易に失われてしまう、その構造・・・
 階段を昇降しただけで、容易に崩れてしまう、その構造・・・
 金剛搗碓で、片足を挙げただけで、消えてしまう、その構造・・・
 跌叉式で、床に座っただけで、雲隠れしてしまう、その構造・・・
 それを正しく知らぬが故に錯覚してしまう、落下や蹴りなどの拙力の構造・・・

 脚(ジャオ)は、それらを正しい構造に導いてくれる、大きなヒントであると思う。
 長々と ”甲高と扁平足” を、このブログに書き連ねた理由も、そこにあった。

 この最終稿に目を通された師父が、ポツリと、武術的に「立つこと」とは、「立つ」という言葉で表現していては分からないかもしれない・・と仰った。
「立つこと」は、「立つ」と表現するから理解できないのかもしれない、と仰るのである。
 ならば、その「立つこと」とは、いったい何を意味するのか・・?

 私にとって、それを探求する旅は、まだまだ果てしなく続いてゆく。


                                  (了)

2009年09月18日

連載小説「龍の道」 第27回




 第27回 臺 灣 (たいわん)(6)



「日本への侵略を企んでいるのは、君もよく知っている、すぐお隣の国々だ。
 そして、彼らが侵略を計画しているのは、日本だけではない。この台湾も、東南アジアの国々も、西はカスピ海、南はインド、オーストラリア、東はハワイに至るまで、その狂ったような侵略計画は止まることを知らない・・・」

「しかし、それをきちんと知りたかったら、私たちの家族になることだ。
 そうすれば、私たちは、その詳細を君に教えることができる。
 そこには、一般日本人には知る由もない、政治的、軍事的に極秘とされるものが多く含まれている。王くんの学生とはいえ、まだ正式な家族ではない者に、それらを明かすことは出来ない。それに、知ってしまったら、君はもう吾々と同じ立場になるしかない」

「では・・その“家族”というのは、何と言いますか・・・
 そういう秘密の・・・いや、政府登録の公然の結社が、違法の武器を取って戦うというのは、人としての道には背かないのでしょうか?」

「・・・先ず、私たちが戦っている相手は、吾々だけにとっての敵ではない。
 彼らは極めて危険な全体主義国家で、内にあっては暴力的独裁、外にあっては侵略主義を露わにしている。自国こそが世界の中心であり、世界を支配するべきだという思想を持ち、自分の民族以外の、異民族の独自性や文化的な価値を決して認めようとはしない。
 彼らは、その為には人類の偉大な文化や伝統を破壊することも何とも思わないし、人間の尊厳や誇りなども全く無視して、侵略や殺戮を繰り返している」

「彼らは自国が“世界の中心”となることを実現するための経済力と巨大な軍事力を備えることに躍起になっている。その為には、資本主義の真似さえすることだろう。
 彼らの最大の目的は、この“世界”を手中にすることなのだ。かつての大英帝国や、スパイ映画に出てくる悪者の組織のようにね。それを本気で、国家の方針として進めている。
 その思想は、やがて人類そのものさえ滅ぼしかねない、自己中心的なものだ」

「そう伺っても、それが現実のことだとは、にわかには信じがたいことですが・・・」

「信じようと、信じまいと、残念ながら、それは紛れもない現実なのだ。
 君に、ひとつの資料を見せてあげよう・・・」

 張大人は傍らに立っていた男を呼んで何かを告げると、すぐに別室から一冊のファイルが運ばれてきた。そのファイルには、地図が入っていた。

「・・まず、この地図を、よく見てごらん」

「アジアの地図ですね、色がついていますが・・・・」

「何のために、その色分けが為されていると思うかね?」

「分かりません・・・
 でも・・インド、東南アジア、日本、朝鮮半島、台湾が、中国と同じ色になっています」

「では、次のページの、日本が拡大された地図はどうかな・・?」

「あ・・・日本海が “東北海” という表記になっています・・・
 朝鮮半島も、南北の区別が無く、中国と同じ色で “朝鮮省” と書かれていますが・・?」

「日本の国土は、どうなっているかね?」

「・・えっ?・・・・ と、東海省・・・?
 日本の愛知県から北陸の辺りを境に、そこから西は沖縄まで “東海省” となっていて・・
 東日本と北海道は “日本自治区” となっています・・・・」

「そのとおりだ・・・さて、君は、これをどう思うかな?」

「・・誰かの、タチの悪い悪戯でしょう。
 強い反日感情を持つ人か何かが、嫌がらせに作ったとしか思えませんが」

「いや、残念ながら、これは中共政府の外交部、つまり中国の外務省に当たる国家機関が、将来の展望として作成した “将来予測図” という名称の、極秘とされている資料のひとつなのだ」

「まさか、そんな・・・」

「彼らの侵略計画は、日本の敗戦後すぐに始まり、まず百年先までの計画をした。
 これは、まさにその国家百年の大計・・西暦2050年までに日本と台湾と朝鮮半島を、すべて中華人民共和国に併合してしまう計画の、極秘の資料地図なのだよ。
 この地図に付随する、その計画を詳細に記した極秘文書も存在している」

「次のページから長々とファイルしてあるのは、その計画概要のコピーだ。
 もし興味があるなら見ても構わないよ。中国語だがね・・・」

「しかし・・・まさか、そんなことが・・・!!」

「いや、まさかではない。その計画は、すでにもう、着々と進行している。
 “遅くとも21世紀の半ばまでには、日本などという国は消えて無くなる” ・・というのは、もはや共産党幹部の間では常識であり、確実に起こる“現実”と見なされているのだ」

「近い将来・・・21世紀の初頭には、計画通り、まず日本で与野党の逆転劇が起こり、中国や朝鮮、韓国と非常に密接な関係にある野党が、日本の政権を取ることになるだろう。
 彼らは、そのための潤沢な資金を中共政府から提供され、日本のメディアの支配をはじめとした充分な準備を整えつつある。しかし、それは “日本国” を “日本省” にするための、ほんのささやかな始まりに過ぎない・・」

「そんな・・・本当に、日本はいつか、そのような状況になるのでしょうか・・・」

「残念ながら、相手の力はあまりにも巨きい・・・
 そして、日本の国民は、それに対してあまりにも無知のままに長い時間をかけて念入りにコントロールされ続けてきている。このまま放置すれば、やがて数十年後には、チベットやウイグルで起こっているのと同じ事が、日本全土を襲う事になるだろう。
 そうなって初めて、国民はようやく自分たちの選択が誤りであったことに気が付くことだろうが・・・しかし、その時にはすでに “国家” としては手遅れの状態だ」

「チベット・・? あのヒマラヤの麓にある仏教国のことですか?」

「・・・君は、今、チベットで起こっていることを、何も知らないのかね?この問題は、イギリスでは、既にテレビの特別番組で取り上げられているが・・・
 日本人には、1950年以降、四半世紀以上にも亘って、漢民族がチベットに対して行ってきた非道な侵略行為を、ニュースや学校で、未だに何も知らされていないのだろうか?」

「チベットへは、一度行ってみたいと思っていました。
 しかし、歴史の時間には何も教わっていません。
 近ごろNHKでも、平和な仏教国というイメージで番組が放送されていましたが・・・」

「日本の教育や報道は、噂どおりの、偏向したものであるらしい・・・・
 チベットは “歴史的に観て紛れもなく中国の不可分の一部である“ などという勝手な理屈で1951年に中国軍が占領し、’59年にはそれに反発したチベット人が武装蜂起したが、中国軍の猛反撃で容易に弾圧され、ダライラマ14世は多数の難民と共にインドに脱出し、亡命政府を立てた。
 その後、文化大革命からは更に弾圧が厳しくなり、チベット固有の民族性、文化、宗教などの独自性がどんどん奪われ、人権などが全く無視された極悪非道な行為が一般市民に対して繰り返され、加えて漢民族の大量移入によって、純粋なチベット人の血液まで根絶させようとしている・・・」

「恥ずかしいことですが・・・・
 僕は、そんなことが起こっていることを、全然知りませんでした」

「チベットへの侵略と弾圧は、今でも継続して、公然と行われている。
 チベットは、すでに “中華人民共和国チベット自治区” であり、ポタラ宮のあるチベットのラサ(Lhasa)も、今では “拉薩” と、漢字で書かれる。
 チベット僧が五体投地の行をする目前で、無礼にも中国人観光客が写真を撮りまくる。
 もし、他の僧がそれを咎めたら、すぐに中国の憲兵が来て、逮捕して連行されてしまう。
 ヒマラヤを越えて脱出しようとする者は、たとえ子供でも、国境警備隊がライフルで標的のように撃ち殺してしまう・・・」

「近頃は、チベットのすぐ下に位置するインド北部まで自分たちの領土だと言い始めたし、日本の沖縄も、元々は中国のものだった、などと言い張っている。
 チベットと同じことが、君の国で起こったら、どうするかね・・・?」

「そんなこと・・日本人として、絶対に許せません!!」

「では、実際にどうする? 独りで、武器を取って、闘うかね・・?」

「そうなったら・・・敵わぬまでも、一矢を報いるために、闘います。
 たとえそれが “犬死に” だと言われても・・・」

「そう、それは “犬死に” に過ぎない。君ひとりが死んでも、何も変わらない。
 しかし、だからといって、それに抵抗することを放棄してしまえば、そこには人間としてもっと悲惨で、もっと屈辱的な結果が待ち受けている・・・
 私たちは、それに対して、決して屈せず、戦い抜くことを選んだ。
 私たちの自由と尊厳は、私たちの手で守らなくてはならないし、たとえ小さな力であっても、決して屈服をしない意志を世界に示し続けることが大切なのだ」

「王先生は・・・王老師も、同じように戦ってこられたのでしょうか?」

「そうだ・・王くんは人間としても実に豊かで高潔な魂を持つ、私たちが誇る同志だ。
 王くんの家族の話は、すでに君も、聞いているはずだが・・・」

「いえ・・お訊きしても、あまり詳しく説明されようとはしませんでした」

「・・・文化大革命の時に、王くんは、ただ伝統武術を真摯に学んでいる、というだけで、考えられぬようなひどい目に逢わされた。
 彼だけではない、全ての武術家、文化人、知識人、科学者たちは、皆そのような目に逢わされたのだ。文革の難を逃れる為に、武術家を辞め、武術を学んだことを隠して、一般人を装って過ごす人間も多かった」

「王くんは、その不条理を前にして人間として当然の抵抗をしたが、そのために王くんの家族は、ご両親も、当時三歳になったばかりの息子も、美しい奥さんも、容赦なく公衆の面前で辱められた上で、皆殺しにされた・・・
 家族だけではない、王くんに老荘哲学や禅を教えていた教師も、ただそれだけの理由で同じように捕らえられ、如何なる人間としての権利も無視され、生き埋めにして殺された」

「そして、その後で、彼ら文革の独裁者たちが、何をしたと思うかね・・・?
 彼らは、弾圧への屈従と引き換えに生き延びた者たちに、その家族や友人たちに土をかけて生き埋めにすることを強い、更にその土地の上に自分たちの畑を作るように命じた・・・
 『人間の体は作物の肥やしに最も適している』と、毛沢東が言った言葉を、そのまま実行させたのだ・・」

「王くんは、殺された家族を弔うためにも、生命をかけて彼らに復讐し戦うことを決意し、同じ志を持つ人たちと共に抵抗運動をし、ある時、共産党幹部の命を狙ったが、どこから洩れたか、その計画が発覚して追われる身となってしまい、その追捕(ついぶ)の手を逃れながら必死に逃亡する最中に、偶然私たちの組織と縁を持つことになったのだ・・・」


 ・・・・宏隆は、言葉も出なかった。

 あまりにも、自分は何も知らない・・世間知らずも甚だしい、と思えた。
 生涯をかけて中国武術を学びたいと言っておきながら、その中国の現状について何も知らぬに等しい自分を、宏隆は恥じた。

 自分が想像していた王老師の過去も、いま、張大人の話を聞けば、まったくそのイメージが違っていた。

 それに、学校では、そんなことを何ひとつ教わったことが無い・・・・
 学校などに頼らず、もっときちんと歴史を勉強しなければならない、と思える。
 そして、何が人をそのように侵略や殺戮に駆り立て、また、それに対する復讐も重ねて行かねばならないのか・・・そのこともまた、学んでいかねばならない。

 ・・・そう思っていると、張大人が付け加えて、こう言った。

「文革のときの、王くんの話を聞いて、ずいぶん驚いているようだが・・
 君は、つい最近の、君が生まれた祖国の、日本国の歴史を理解しているだろうか?
 アメリカから日本が受けた被害は、かつて世界に例を見ないものだった・・・」

 張大人は、日本人である宏隆よりも、はるかに日本の歴史に詳しかった。
 それは、宏隆が学校の歴史の時間に学んだような、年代ごとのダイジェストではなく、まさに、激動の歴史の中で生き抜いてきた人の、歴史を体験した重みを持つ言葉であった。


                              (つづく)





  
 

2009年09月14日

練拳 Diary #21 「腰相撲(こしずもう) その3」

 腰相撲のひとつとして行われる稽古の中に、「壁抜け」というものがあります。
 数ある腰相撲の練習法の中でも、特にこの練功は日常や常識というものが一切通用しない、独特のスタイルを取るものであり、同時に太極拳や力というものに対する自分のイメージを、大きく根底から変えてくれるものだと思います。

 稽古方法は、まず、壁を背にして立ち、足を一足(つま先から踵までの幅)に開きます。
 壁を背にして立つと言っても、当然壁に寄り掛かるわけではなく、踵は壁から僅かに離しておき、膝はピンと伸ばしておき、背中は壁に触れる程度です。
 次に、その状態でパートナーに腰を押してもらいます。この時点で身体が正しく整えられていれば、押されていても身体はフリーな状態で、そこから相手を返すことができます。

 相手を返すときには、前傾したり相手に寄り掛かったりせず、真っ直ぐに立っているままで、基本功で教わる通りに身体を用いて返します。このときに働いている力が「開合勁」であると説明されます。正しく「勁力」が働いた場合には、返す方向への運動が見られず、返した後も最初の姿勢と何一つ変わらないのに対して、拙力で返そうとした場合には、押されていた腰を前へ押し出すような格好が見られるのが特徴です。

 「壁抜け」は、これまでに述べてきた2つの腰相撲に比べて、架式の整え方が大きく変化します。
 最初の腰相撲では、前後に足を開いて弓歩の架式を取り、次の馬歩の腰相撲では足を左右に開いて深く腰掛けました。ところが、今回の「壁抜け」では、足をたった一足ほどに開いただけで、腰を深く落として構えるような動作が何も無く、足を並行に開いて立っているだけです。
 その、ただ立っているだけで相手が押せないときの姿勢と、相手を飛ばし返しても乱れない姿は、どこから見ても「站椿」の状態に相違なく、日常では到底有り得ないように思われる現象を目の当たりにすることで、站椿と基本功で養われる内容の重要性に、誰もが認識を新たにすることになります。

 ところで、”足を軽く左右に開く”という動作は、套路で学習する一番最初の動作であり、そこのところが分からなければ、先の動作に進んでも何の意味も無いと言われ、ある時にはその日の稽古の套路の時間は、”足を左右に開く”という、ただその一動作だけが指導されたこともあるほど、奥の深い重要なものとされています。
 足を左右に開くということが、なぜそれほど重要視されるのかと言えば、これは、私たちにとっては歩法の一歩に相当するものであり、何によって身体が動き、足が開かれ、如何にして身体に「歩法」というものが生じるのか、その仕組みと過程を発見する為の、実に大切な一動作なのです。
 站椿でも、歩法でも、基本功や套路であっても、凡そ「型」として用意されている練功は、その殆どが”足を横に開く”という動作から始められます。当然のことながら、足を開くという身体操作を行う為には、先ずは正しく立つこと、即ち「站椿」が十分に理解されている必要がありますが、站椿の意味するところを理解するためにも、正しく足を開くというところから目を向ける必要があるのだと思います。
 ただ単純に、普通に足を開くだけなら、誰にでも、一般人にでもできるのです。
 そのような、誰にでも出来ることであれば、ことさら取り出して修練を重ねる必要もなく、誰にでも出来るようなことではない故に、それ故に高度な武術原理として、六百年もの長い年月を掛けて研究され続けてきたのだと、私たちがそのような動作を一般日常的に、軽率に動いてしまったようなときには、必ず厳しく注意されます。

 今回の「壁抜け」で最もユニークなところは、「立つ」ことが理解されていれば、たとえ棒立ちであっても、相手に「押せない」状態が起こることでしょうか。
 壁を背にして、足を僅かに一足ほど開いただけの棒立ちの人間を、壁に押し込めて封じることが出来ないのです。身体の大きな人が押したり、2〜3人で押していくと、道場の壁がミシミシと音を立てますから、当然押している力は前へ伝わっているはずであり、その分相手は壁に固定されているはずだと思えるものです。
 ところが、師父や上級者のように、立ち方を繊細に訓練してきた人たちは、押されているところから軽く足踏みをしたり、押してきた人と容易に場所を入れ替えて、反対に相手を壁に押して行くようなことさえ見せて下さったりします。つまり、懸命に壁に封じたつもりが、実は相手は完全に自由な状態であったと言うことになります。
  
 例えばこれが、普通の人を押していった場合にはどうなるのでしょうか。
 かつて師父が、ある大学の新入学生オリエンテーリングの「太極拳体験クラス」に、特別講師として招かれたことがありましたが、その時にレッスンのひとつとしてこの「壁抜け」が行われました。
 大きな大学生を相手に、彼らの腰を壁に向かって押していくと、私のようにか弱く小さな身体と華奢な両腕で押しているにも拘わらず、彼らは自分の腰を動かすことも、前に出ることも出来ません。さらに師父に、「それでは、どんなことをしても良いから、頑張って前に出てみましょう」と言われると、上半身を最大に前傾させて、重心を少しでも前に出そうとしたり、壁の反動や床の蹴りなどの勢いを使って工夫する人も居ましたが、何をやっても前には出られず、結果は同じでした。

 ここでひとつ、面白いことに気がつきました。
 それは、壁を背にして直立し、腰を押さえて固定されている状況では、「足の蹴り」が使えないということです。
 歩き出すために片足を振り出しても腰が移動できないので、出した足は虚しく、元の身体の真下の位置に戻ってくるのです。反対の軸足で蹴ろうとした場合には、今度は前ではなく、上向きに力が働いてしまって、やはり前に出ることが出来ません。
 彼らは私よりも遙かに太くて立派な足の筋肉を持っていましたが、そのような折角の筋力も”使える環境”、つまりその人にとって「日常」の状態にしないと、なかなかその力を発揮できないのだと、感心してしまいました。また、加えて、ヒトは身体の中心である「腰」を押さえられると、ずいぶん不自由になってしまうものなのだと、改めて感じられました。


 さて、壁抜けで師父や上級者を押していった門人は、口々に「押せない」感覚を訴えます。そのうちの幾つかを挙げますと、
 
 「何を押しているのか分からない」

 「押しても、相手の足腰が床や壁に付いているという気がしない」

 「押す力が増すほどに、反対に自分の足が浮かされてくる気がして、押せなくなる」

 「前に押しているのに、同時に、同じ力で後ろから引かれているようだ」

・・などです。


 相手に腰を押させてそれを返していくという、極めてシンプルな対練でも、ここで生じているお互いの関係性を、推手や散手のような相手と向かい合ったときの状況に当てはめて、押していく力を自分からの攻撃として考えてみると、ちょっと恐いような気がしました。
 それは例えば、このように言い換えられるでしょうか。
 
 「どこを打っているのか分からない」
  
 「打っていっても、相手の足が床に付いている気がしない」

 「こちらのパンチ力が増すほどに、自分の足が浮かされる気がして打てなくなる」
 
 「前に突いているのに、同時に後ろから引かれているようだ」


 もし、稽古でなく、普段の生活で誰かと向かい合い、このような状況が自分に生じたとしたら、私だったらすぐにその相手と向かい合うことを止めるでしょう。
 なぜならば、そのような状況では、こちらが相手の実態を掴めていないことは明白であり、それは同時に、相手には自分の実態を、その全体を取られていることを意味するからです。
 それは、例えば戦闘機のシューティングゲームで言うと、相手は此方を完全にロックできていて、いつでも撃てる状態と同じことのように思えるのです。
 実際に、相手との関係性で押している側に「押せない」状況が生じたときには、押している方は押すことだけに限定されてしまい、逆に押されている方は自由度が大きく、そこから十分に、じっくりと動くことが可能になり、相手を軽く返していくことが出来ます。
 押す側が動きを限定されているのに対して、押される相手が自由であることほど、避けるべき危険な状況は無いように思えます。

 もちろんこの「壁抜け」は戦闘技法の訓練ではなく、太極拳の原理を理解するための練功であり、ましてや発勁技法の稽古ではありません。ただひたすらに、自分の身体の構造に目覚め、示されている構造を手に入れて、その精度を高めていくなかで、「勁力」という太極拳特有の力を、基本功と照らし合わせて学習していくことが目的です。

 しかし、そうは言っても、原理の理解・習得のための稽古で、これほど具体的に相手との関係性が浮かび上がってくるのは、やはり凄いことだと思います。
 それは、太極拳の原理が即ち「戦闘方法」を示すものでありながら、同時に、単にその「方法」からのアプローチだけでは原理を導き出せないということの表れであり、原理を理解するために”足を開く”という単純な動作の研究をしたり、「站椿」を練り込むことが必要なのだと言えるでしょう。
 「腰相撲」のバリエーションのひとつである「壁抜け」は、そのことを私たちに教えてくれているのだと思いました。

                                 (了)




  【 参考写真 】

        

        
    
  *押す側も、押される側も、丁寧に身体を整えようとしています。
   押されている側には、押されているときと返した後の姿勢に変化が無く、
   相手を前方に返そうとしていないことが分かります。




        
  
  *一枚目の写真では、やや相手に押さえ込まれていることが見られます。
   その結果、相手を返したときには僅かに前傾姿勢となります。
   稽古中には、このように、相手を飛ばし返せたかどうかが問題とされるのではなく、
   どのようにして自分の身体を整えたか、ということが最も重要であると指導されます。




        
  
  *お互いに姿勢をチェックしながら、押した感触や身体の状態を確認します。
   正しく立てていれば、何のアクションも必要とせずに相手を返すことが出来ます。




        
  
  *入門してから、わずか数日しか経っていない新入門人の「壁抜け」です。
   当然のことながら、正しい軸や架式は身に付いていないのですが、それでも立ち方を
   修正し、基本功で学んだことを丁寧に再現できれば、このように相手には「押せない」
   状態が生じ、力まずに返すことが可能になります。
   本人の感性もさることながら、指導される要求や要訣の偉大さに驚かされた一枚です。

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