2009年03月

2009年03月14日

資料映像集 #4「ボール乗りの練習」

      
 


 一連の「ボール乗りの練習」でボールの上に立てるようになったら、立ったままスクワットをしたり、その場で足踏みをしたり、バウンディングが出来るように練習をします。また、立つことに慣れたら出来るだけ膝を伸ばして立ち、足幅を徐々に狭めていくようにします。

 ボールに立てるようになったら、次の課題は「手を使わずにボールに立つ」ことです。
初めは片足をボールに掛け、そのまま手を着けずにもう片方の足を上げ、ボールに立ちます。
それが出来たら、この映像のように「歩いて来てボールに飛び乗る」ことも練習してみます。

 ボールには様々な材質のものがあり、物によって立ちやすさも様々です。
 ボールの大きさは各自の好みとなりますが、材質による乗り易さについては意見が一致し、乗り易いものばかりで練習していると、たとえ立てるようになっても、乗り難いボールには中々立てないようなことも起こります。
 ボールの材質は、初めからある程度の硬さを持つものを用いる方が良いようです。
 柔らかすぎるもの(立つと大きく窪んでしまう物)では、まるで大きな座布団の上に立っているような感覚なので、たとえ乗り易くとも、あまり効果が期待できません。
 また、材質が粗悪であったり極端に廉価な物の中には、小さな傷でも一気に破裂してしまうものもあるので、入手の際には安全性を考慮する必要があります。

 ボール乗りは、誰にでも「非日常」が体験できる、とても楽しい練習法です。
 太極武藝館では10年ほど前から師父が逸早くこれを太極拳の補助練習に取り入れて以来、多くの人がボールに立てるようになり、身体を開発するために大いに役立っています。

 この練習は年齢にもあまり制限を感じません。50歳を過ぎてからこの練習を始めた人たちが短期間でどんどんボールに立てるようになってくることには私たちも大変驚かされます。
 また、60歳を過ぎてからボールの練習を始めた人でも、「狛犬」と呼ばれる、両手両脚を着けて乗る段階までは容易にこなしています。

 ボール乗りは、太極拳の補助練功として工夫をすればその効果が高いものですが、太極拳として誤った身体の使い方を行えば、それなりに誤った身体が養われてしまいます。
 太極拳の身体の在り方をよく知る指導者の許でこのような正しい訓練を積めば、より高度な身体構造を手に入れる為の大きな手掛かりとなることでしょう。

                                 (了)

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2009年03月11日

Gallery Tai-ji「 Lutterr・闘士」

                          by ブログ編集室

     

      


  
 
            

【 Lutterr(闘士)】 フランス・ルーヴル美術館蔵 / 高さ27.3cm

  ・仏語名:Lutterr(闘士)
  ・英語名:Pankration Fighter(パンクラティオンの闘士)


 フランス東部にあるブルゴーニュ地域圏(Bourgogne Région )、ソーヌ・エ・ロワール県(Saône-et-Loire)にあるオータン(Autun)で1869年に発見された空洞式鋳造のブロンズ像です。紀元1世紀に、ガロ・ロマンの工房で作られたものと推測されています。

 当時のオータンの地名は、Augustodunum(アウグストドゥヌム=アウグストゥスの砦の意)で、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの勅許によって建設された都市であり、現在の Autun(オータン)という地名はこれが転訛したものです。


 ルーヴル美術館では、この「闘士」像について以下のような解説をしています。


 この小さなブロンズ像は、古代ローマに於いて、レスリングとボクシングを合わせたような、パンクラティオンと呼ばれる素手の荒々しい闘技が、当時盛んに行われたことを示している。

 この像の闘士は、右足に重心を置きながら激しい蹴りを相手に与えると同時に、バランスを取るため上半身を後ろに反らし、腕を広げている。
 このアクロバティックな姿勢は、闘士の活力あふれる表情、筋肉の収縮、勝利への意欲、また既に追撃の準備ができている彼の握り締めた拳など、微妙な細部の表現を堪能するために、作品の周囲を巡って眺めて観たいと鑑賞者に思わせることだろう。

 このブロンズを製作した鋳金師は、長い期間に渡って厳しい鍛錬が為された跡が見られるこの男性の堂々たる筋肉を、独自の創造性で表現した。
 頭は身体の他の部分に比べて、比較的小さく見える。その突き出た大きな耳が付いた顔には、多くの戦いの傷跡がある。髪型は、髪を引きつめ頭の上に一束にまとめた、東方又はエジプト出身のプロの闘士のものである。この髪束はキルスと呼ばれるが、この小像を吊り下げて使うためであったのか、輪の形に変形されている。
                          < 解説:ルーブル美術館 >




 この像を目にした誰もがそう感じるように、これは端的に力強く、そして美しい作品です。
 髷(まげ)を結った頭は、それがアジア人であることを物語っており、撫で肩で、金剛力士のような見事な筋肉を持つこの闘士が、どのような武術を修行した人であったのか、たいへん興味をそそられます。

 この像を「キルギスの闘士」というタイトルで紹介している文献も存在しています。
 キルギスは中央アジア五ヶ国のひとつで、旧ソビエト連邦の共和国です。ルーヴル美術館の解説にも「東方又はエジプト出身の」とあるので、この闘士はキルギスの出身者である可能性もあります。
 また、キルギス共和国は中国の新疆ウイグル自治区とも国境を接しているので、この闘士は、陳氏拳術のルーツとなるような高度な武術を修得した、名の知られた使い手だったのかもしれません。


 『 *Geschichte der Olympischen Spiele(オリンピック競技の歴史)』(*註)
という本には、この像の写真が紹介されており、同じページの下欄には、

  『特殊な攻撃方法として、いわゆる「踵(かかと)蹴り」がある。
   この技法の発明者は、キルギスのパンクラティオン競技者である。
   身体が小さいので Halter という仇名が付いていた。各地にこの人物の像がある』
 

という添え書きが為されています。


 陳氏太極拳には「蹬脚 (deng-jiao)」と呼ばれる、この像と酷似した蹴りの技法が存在しています。「蹬脚」は臍より下の低い位置を蹴る技法ですが、これは、その陳氏拳術の強烈な蹴りの動作とほとんど同じポーズに見えます。

 蹴り上げた足は、特に足首から下が力強く表現されており、大きく開いた足指の先まで、明確な意識とチカラが働いていることが分かります。
 また、この像を反対側から観れば、わずかに踵が浮かされ、グイと大地を指で掴んだ軸足は、見るからに外筋に頼らない立ち方であり、勇敢な古代ローマの闘士たちも大いに途惑ったであろう、高度な身体の使い方を追求した武術であることが想像されます。

 上述の著書に”特殊な攻撃法”として紹介されたこの「踵蹴り」は、実は陳氏太極拳では特に単式の練法として詳細に訓練されるたいへん意味深い技法であり、この技法の中には学習者が高度な原理を理解するための構造が多く秘められています。

 このようなブロンズ像を多く造ってまで、その姿を残そうとしたこの「闘士」の姿は、数ある古代ローマのパンクラティオンの闘いの中でも、幾歳月を経ても、後々の世まで深く人々の印象に残り、何世代にも亘って語り継がれた、非常に強力な技法を持つ、優れた武術であったに違いありません。
 

 
 註 * Geschichte der Olympischen Spiele / Dr. Ferenc Mezö / 1390
   (オリンピック競技の歴史・フェレンス・メゾー著・1930年)

  日本では「古代オリンピックの歴史・フェレンス・メゾー著・大島鎌吉 訳」として、
  1973年にベースボールマガジン社より出版されています。



              

          「Lutterr」の像が発見された、オータンの風景

 
                    

2009年03月08日

連載小説「龍の道」 第8回




 第8回 南京町(3) 


 開かれた扉の向こうには、さっきこの部屋に自分たちを案内した、あの、如何にも屈強そうな大男の中国人の顔があった。
 男は、一歩部屋に入ると、そのまま入り口を塞ぐように立ち止まり、何かを確認するかのように、少しのあいだ部屋の中を隅々まで見回していたが、すぐに歩を横に移して、塞いでいた路を開けた。

 大男の後ろには、黒い長袍(チャンパオ)という裾の長い中国服に身を包んだ、五十絡みの男性が立っていた。

 K先生がその人を目にした途端にスッと席を立ったので、宏隆は慌てて飲みかけの茶碗を卓上に置いて起ち上がった。
 K先生はその人と親しげに握手をし、中国語で二言三言、何やら簡単な話をしていたが、すぐに宏隆の方を向いて、中国語と日本語でそれぞれに紹介した。
 「王 (wang) 」という名前であるというその人は、身長は宏隆よりもやや低いが、スラリと細身の、穏やかそうな感じがする人であった。

 宏隆が姿勢をあらため、深くお辞儀をして日本語できちんと挨拶をすると、その人は笑顔で彼にも椅子を勧め、自分も席に着いて、親しげに流暢な中国語でK先生と話をし始めた。
 K先生がこれほど中国語に堪能であるとは全く知らなかったので、宏隆はちょっと驚いたが、K先生の父が特務機関員として中国大陸で活躍していたという事を思い出し、おそらく「東亜塾」は、未だに大陸と大きな関わりを持っているのだろうと想像した。

 王先生という、その武術家は、見かけはごく普通の人と何も変わらないように思える。
 長袍の服は神戸ではそれほど珍しくはない。南京町の料理店で食事をすると、近くの席にそのような服に身を包んだ中国人たちが円卓を囲んでいるのも、よく見られる光景である。
 この人は長袍がとても似合っているが、きっと三揃えのスーツを着せても、中国服に負けないくらいよく似合うだろうと思える。そんなモダンな感じのする紳士である。

 K先生と話をしている様子からは、この人が穏やかで温かな人であることがありありと分かるし、その話しぶりも、中国語で何を話しているのかは解らないのだが、多く教養を積んできた知的な人であるということが感じられる。また、表情や仕草にも品格があって、よく南京町で見かける中国人の顔とは、ちょっと雰囲気が違っている。
 そして、よく見れば、その彫りの深い顔に光っている眼差しは奥底が深く、眼光の片隅には鋭い輝きが時折り見え隠れする。それはK先生が言うように、決してこの人が平凡な歳月を無為に生きて来た人ではない、優れた武術家であることを想わせた。

 ただ、宏隆が先刻(さっき)から気になってならないことがある。
わが目を疑いたくなるような、何とも奇妙な感覚が、そこにあった・・・
 何故だろうか、椅子に座っているその人の姿が、何だかまるで宙に浮いているような気がしてならないのである。果たして、普通に、きちんと腰掛けているのかどうか・・・?
 話をしている二人を邪魔せぬように、そして、それに気付かれないように気を遣いながら、その人の着座している辺りを、ちらちらと、何度となく眺めてみるのだが・・・
 そんな馬鹿なことが、と思いながらも、見れば見るほど宙に浮いているように見える。
宙に浮いているような、水に何かを浮かべて、その上に座っているような・・・
 しかし・・そう感じられはしても、やはり、どう見てもきちんと腰掛けているのである。
普通に考えれば、椅子に座っている人が宙に浮いている訳はないのだが、何故かそう見えてしまうことの何かが、宏隆には不思議でならなかった。


 K先生はしばらくの間、その人と談笑していたが、やがて、宏隆に向かって、

「君はとてもケンカが強いそうだね・・・と、王先生は仰っているが・・・」

 K先生が通訳をして、いきなりこう言ったので、宏隆はその突然の言葉に、ちょっと面喰らってしまった。初対面の者に対する最初の言葉にしては、いかにも唐突である。しかし、その中国人の先生の言葉遣いや態度はとても丁寧で礼儀正しかったので、ごく自然に、

「はい・・まあ、そうですが・・・」

 などと、つい、そんな風に答えてしまったのだが・・・
 そう言ってから、すぐに後悔した。

「君は武術が好きかね・・?」

 しかし、後悔する暇もなく、続けて問いかけてくる。

「はい、とても好きです」

 今度は迷わず、ハッキリと答えた。

「では、なぜ、それほど武術が好きなのだろう? ・・ケンカに勝つためかね?」

 少し微笑んで、その人が訊ねてくる。

「はい・・あ、いえ、それも少しありますが、本当はもっともっと強くなりたいからです」

「そんなに強くなって、いったいどうするつもりなのだろう?」

「・・・わかりません。ですが、自分の弱さがよく分かるからです」

「自分が弱いから、だから強くなりたい、ということかな?」

「・・はい、ケンカには少しばかり自信がありますが、自分の心はとても弱いものです。
いつも何かに怖れを抱いたり、いろいろなことに挫けそうになったりもします。
 武術をやっているときにも、そんな自分がたくさん出てきますが、稽古をしている時には冷静にそれに向かっていられます。そこでなら負けないようにしていられるし、もっと違う何かが得られていくような気がするのです・・・」

 K先生が通訳をし易いように、宏隆はできるだけ簡単な言葉を選んで話した。
 
 その人は・・・王先生は、何も表情を変えず、椅子に座った姿勢にも全く乱れがないまま、続けて宏隆に問いかけてくる。

「弱い自分に負けたくないから、ケンカ三昧をするのかね?」

「そうかもしれません・・・でも、戦うのは好きです。
戦っているときの自分は、他のどんな時よりも、充実しているように感じられます」

「戦った後は、気分が良いかね・・?」

「いえ・・・なぜか、いつも空しくなります。
勝ったこと自体は気分が良いですが、なぜ自分がそのような、戦うことを選んだのか、何故そうせざるを得なかったのか、相手を傷つけない、もっと違う方法がなかったのか・・いつも振り返っては、後悔することばかりが多いです」

「ふむ・・・・
ところで、君は本当の武術を見たことがあるかな?」

「K先生のところで、いつも素晴らしい居合いの技を拝見していますが・・?」

 すると、初めて、その人は少し笑って、

「ハハハ・・K先生の居合いは素晴らしいものだが、今の時代の日本で刀をぶら下げて歩くわけにはいかないし、刀で斬り合いをするわけにもいかないだろう・・・
サムライではない・・・私が訊ねているのは、武器を持たなくとも戦える武術のことだよ」 

 ・・と言った。

「K先生に柔術を教えて頂いていますし、少しですが、空手を学んだこともあります」
 
「カラテは好きかね・・・?」

「空手も嫌いではありませんが、沖縄の伝統のものと違って、流行りのキックボクシングのような感じで・・・練習は筋肉の強化や試合用の組手ばかりで・・・入門早々、初心者の僕でも黒帯を何人も倒せてしまったので、先輩方にも煙たがられて、自分も嫌になって辞めてしまいました」

「ほう・・近ごろのカラテは、そんなものかね・・・」

「・・・ですから、結局は自己流の戦い方です。でも、まだ負けたことはありません」

 自信ありげに・・・最後につい、胸を張ってそう言ってしまったことを、またしても、宏隆は後悔したが、

その人は、静かに微笑みながら、

「君はなかなか元気がある。 父君のお噂も以前から聞いているが・・どうやら君は、お兄さんの隆範くんよりも、ずっとお父さんに似ているようだね」

「父のうわさを・・・?」

 宏隆は、父や兄の事をどうしてこの中国人が知っているのか、とても不思議に思ったが、
そんな想いも、次のひと言でどこかへ消し飛んでしまった。


「・・ちょっと、私を打ってみないか? 打つなり、蹴るなり、好きなように・・・
 それとも、君には、私を打つ勇気がないかな・・・?」

 微笑んで、そう言いながら・・・

 その人は、すでに音もなく席を離れて、部屋の広いところに立っていた。


2009年03月04日

練拳 Diary #10「ボール乗り番外編 ”なんちゃって太極拳発見器”」

 ある日の稽古で、套路を練っていた時のこと・・・

 その日もまた、身体の使い方が細部に渡って比較、検証され、腰勁のはたらきはどうか、胯の要求はどうか、その動きは基本功の原理と異なるから、太極拳にならない・・・等々、門人同士で疑問や問題点を出しては、ひとつひとつを掘り下げていく稽古が行われていました。

 しかし、どれほど原理を見直しても、基本功と照らし合わせてみても、どうしても師父のような套路の動きにならないところがある・・というのです。
 もちろん、師父の動き ”そのもの” になど、そう簡単になれるわけがないのですが、基本原理として見て、あまりにもそれが違和感をもって感じられるので、皆がそう言い始めたのです。

 それは、師父の足がフッと浮くように揚がるところで、未だ足が上がる状態になっていなかったり、大きく足を横に踏み出して靠(カオ)の姿勢で入るような時のタイミングが、どうしても遅くなってしまう、というものでした。

 しかし、足を上げようとしてもその構造にならなければ決して上がるものではありませんし、動きが遅いからといって、その動作を速くすれば良いわけでもありません。
 そもそも、「身体の使われ方」が違うために生じている、各個人の身体に染みついてしまった「間違った構造」が問題なのであって、表面的に足を上げ、素早く動いたとしても、それでは太極拳になるはずもありません。
 また、当然ながら、その状態では「勁力」も生じるわけがないので、試しにそのスタイルで誰かに「靠」を受けてもらえば一目瞭然、相手には何の作用も生じないことが確認できます。

 ・・やはり身体の使い方、いや、使い方に対する認識自体が間違っているのではないか?

 各自がそんなことを考え始めた頃、師父が套路の練習を途中で止められ、
突然、「ボールを持ってきなさい」と、仰いました。

 一体何が始まるのだろうと思っていると、ボールに腰掛けてバウンドするように言われます。
 「腰掛けバウンディング」は「ボール乗り」の第一段階で、バウンドしてボールから離れていく時には足が床から離れ、お尻がボールに着いていく時には足も着地するという、お馴染みの
シンプルな練習法です。

 さて、皆がボールに腰掛け、ボーン、ボーン、ポーンと軽快にバウンドを始めると・・・

 「うーん、やっぱり違っているね・・それこそが、套路で動けない原因ですよ。
  身体の動かない原因というか、身体が動く必要のない構造でやってしまっているね・・」

 と、師父が言われました。

 よく見れば、その運動には身体の状態が太極拳としては有り得ないような違和感が感じられ、身体は高くバウンドしているのに、足が床からあまり上がっておらず、むしろ身体が上に行く時に足が下がりたがっている、という誤りが目に付きました。
 また、バウンドする度に空中で馬歩の姿勢が崩れ、腰掛けていた膝の角度がグンと伸び、股関節は蹴り上げる方向にはたらき、上体は後方へ仰けに反るような格好になってしまいます。
 これは、站椿で云えば、足で蹴って立ち上がってしまい、腰が落ちていない、という初歩的な誤りの状態です。床の上では、見かけで正しい馬歩のスタイルが取れているように思えた人も、ちょっとボールに腰掛けてバウンドしただけで、その構造の誤りが如実に現れてしまう、ということになります。

 「もっと、身体と一緒に、膝が高く上がるようにして・・・」

 しかし、そう言われると、今度はなおさら足を蹴ってから膝を上げようとしてしまい、膝を上げようとすればするほどお尻だけが高く弾み、膝はますます上がらず、むしろだんだん膝が下がるような動きになってしまうのです。・・これには皆さんも四苦八苦でした。

 套路などで、一見よく動けていても、ちょっとボールでバウンドするだけで、その人の体の使い方と、此処で要求されている身体の在り方を比較することができ、オマケにまだ整えられていない身体の中身が簡単に発見できることから、この練習法はその場でさっそく、
「なんちゃって太極拳発見器」 ・・と命名されました(笑)


 師父がボールに腰掛けて、示範をされ始めました。
 実にゆったりとした動きで、馬歩の形のまま上下に高く弾んでいき、小さな動きでも、大きな動きでも、身体の状態は全く変わらず、完全に足が離れ、浮き上がって降りてくるまでの間に、「馬歩」の姿勢がそのまま変わりません。
 そして、時には、空中に浮いている間に、床と身体の間でボールが何度かドリブルされてしまうほど、ゆっくりと、高く、大きくバウンドしておられるのです。

 門人たちの動きと比べてみれば、一見、同じように弾んでいると見えるものが、よく見れば、そのリズムも、弾むタイミングも、速さも、すべてが違っているのが分かります。
 特にボールから離れて戻るまでの滞空時間は、比べものにならないほど長いものです。

 門人たちは、師父と同じサイズのボールで弾んでも、倍くらいの速さで小刻みにしかバウンドできなかったり、初めのうちは同じテンポで出来ても、どうしても徐々に速くなってしまうような現象が起こります。これでは套路で速さが違ってくるのは無理もない事かもしれません。

 ゆったりと弾んでいるように見えても、その動きを捉え難い、テンポを合わせ難い・・・
それは、ふと、対練で相対したときの師父の動きを連想させました。
 周りで見ているだけなら何でもない、スローテンポにさえ思える動きが、目前に相対している者にとってはこの上なく速く、非常に危険なものに感じられる動きなのです。

 今回のような、ボールでバウンドするという単純な運動であっても、武術的な身体を得ていれば、その動きは武術的な速さとなり、反対に身体が一般日常的であればあるほど、やはり、生じる速さは日常的なものにしかならないのだと、改めて思えました。
 
 そういえばスポーツの分野でも、その走り方ひとつを取って見れば、金メダリストと最下位の人とでは、金メダリストの方がよりゆったりとした動きに見えますし、クルマのレースでも峠のドライブでも、何故か速い人の方がゆったりとスムーズな動きに見えるから不思議です。
 武術に限らず、どのような分野でも「絶対的な速さ」の見え方には共通点があるような気がしました。

 「なんちゃって太極拳発見器」は、シンプルながらも実に様々なことを私たちに教えてくれています。中にはこの腰掛けバウンディングが「膝立ち」や「狛犬」よりも難しいと言う人も居ますが、それでもこの練習を地道に続けているうちに、少しずつ身体が武術的に整えられてくるのが分かります。

 そして皆さんの動きは、「正しいイメージ」を持つことで、さらに大きく変わってきました。
 ボールに対して上手に弾もうとするのではなく、自分がボールそのものになったようなイメージで行うことや、足の「蹴り」を使ってタイミングを合わせるのではなく、身体が「ひとつ」の状態になって動かざるを得ないように、自分の中心を整えていく方法が細かく指導され、さらに実際にそのイメージを目の前で見せられることによって、皆さんの動きが大きく変容し始めたのです。この練習をする前と後とでは、全員、套路での身体の動きが大きく違っていました。

 ボールの上に立つことは、誰もが怖れを抱きながらも憧れてしまう「非日常」の状態です。
 しかし立つだけであれば、武術的に間違った在り方を用いても、何とか無理矢理立ってしまうことも出来なくはありません。しかし稽古ではその反対に「出来なくても良いから、解る稽古をしなさい」と、毎回のように繰り返して注意されます。

 私たち門人は「出来ること」を求めて原理から外れてしまうことを怖れ、「解ること」を求めて行こうとします。けれども、その「解ること」の、何と繊細で、何と難しく、何と強靭な意志が必要とされることでしょうか。
 全ての運動神経を動員して、自分なりに、勝手に立つ練習をする方がどれほど楽なことだろうか、と思えなくもありませんが、高度な武術を修得するには、その優れた学習体系に身を委ねなければ完成するはずもありません。

 「ボール乗り」を太極拳の練習に役立てるためには、正しい基礎の在り方の上に、自分の身体構造を確かめながら、バウンディング、腰掛け、正座、膝立ち、狛犬・・・と、ひとつひとつのパートを確実に身に付けていくことが大切なのだと、つくづく思えました。

                                 (了)



*門人にお願いして、正しいものと間違いとをやって貰いました*


    

    ↑ これは誤りの例。
     バウンドをすると腿が伸びてしまい、足もあまり床から離れていません。



    

    ↑ 誤りを横から見たところ。身体が後方に反っているのがわかります。
     また、頭の高さの変化ほどには、脚が上がっていません。



    
        
    ↑ バウンドすると、後ろにのけ反ったり、お尻だけが後ろに引かれたり・・・



       

       ↑ 比較的良くできている例です。
        身体の中心とボールの中心が合い、膝も引かれています。



    

    ↑ 良い例の連続写真。なかなか綺麗にバウンドできています。
     膝がもっと上に引かれれば、かなり上級レベル。



       

       ↑ まずまずの模範例です。
        腿と膝の角度がこのくらいでバウンドできるようにします。
        つま先がもっと引かれ、脚(ジャオ)が水平になればパーフェクト。

2009年03月02日

門人随想 「最近の稽古」

                     by トヨ(一般・武藝クラス所属)


最近の稽古では、ボール乗りと、歩くことが徹底的に行われています。
稽古のおおよその流れとしては、まず柔功が行われ、次にボール乗りの練習をし、
それから歩きます。

ボール乗りに関してはすでにブログでも紹介されているので、詳細は省きます。
さて、歩くという練習です。全体的に問題は山積みなのですが、歩くこともまた問題ばかりで
困ってしまいます。

稽古や練習となると、なにか特別なことをするように思われるかもしれませんけど、
歩く練習はごくごくシンプルに、すたこらさと歩くだけです。
少なくとも、「普通に歩く」のだと師父はおっしゃります。
いや、どォ〜見ても普通ではないんですけども。

師父を先頭に、何人かのグループが後ろについて道場の中をぐるぐる回ります。
それを他のグループが、師父と他の人の歩き方に真剣に見入り、見比べます。
後ろを歩く人も、自分と師父の動きがどう違うのかを見極めようと必死な形相です。
たまに、親のカタキでも見つけたかのごとく、すごい顔をしている人もいます。

そんなことなどつゆ知らず先頭を歩く師父は、悠々と軽々とごく普通に、
時には楽しくおしゃべりなどされながら歩かれているわけです。
時にはその話がとても面白く、稽古の時間だということを忘れて楽しい散歩のひと時に・・・
なったらダメなんですけどですね。

いずれにせよ、風変わりな光景です。

ボールに乗ったり、ただ歩いたりする。
ともすれば、武術の稽古をしているとは、とても思われないかもしれません。
しかし、これらを整備することに、武術の構造とチカラのヒミツが隠されている!
・・ということらしいのです。

このことは、ごく簡単な対練で如実に現れてきます。

前回の稽古で腰相撲の対練が行われたのですが、師父がボールに座っているところを押す、
というものがありました。
師父は50センチほどのボールに普通に座っているので、当然、押されても脚で体を支えることなど出来ない状態です。
しかし、そのような状況にも関わらず、押されている師父は平然としています。
そして、押していたYさんを弾き飛ばしてしまいます。
Yさんは、「え、え、え〜〜!?」と驚きの声を出しながら飛ばされていました。
さらに、「・・お、良いところに居たな」ということで、師父が研究会所属の、自称天才Kさんに同じことを試してみるように言うのですが、やはり師父のようにはいきません。

それから師父は、ボールに乗ってバウンディングをしながら同じことをやったのですが、やはりYさんが驚きの声を上げながら飛ばされていきます。
これまた「お、良いところに居た・・」ということで、今度は僕がそれを試したのですが、押された状態ではうまくバウンディングすることも出来ず、返そうとすると後ろに自分が転げ落ちるように崩れてしまいました。
常識的に考えれば、足を前後に開いてシッカリ立っている人に対して、不安定なボールに座っている人間が何かしようとするわけですから、当然の結果です。

ですが、太極拳では、その常識をくるっとひっくり返さなければいけないのですね。
そこが難しいところです。

短いスティックを持って、面と向かって真っ直ぐ歩いていってお互いに斬り合うという、ごくごくシンプルな練習もあります。
同程度に歩ける人が相手だと何となく拮抗した状態が続くのですが、師父に相手をして頂くと、本当に驚きます。
こちらの攻撃は全く当たらないどころか、まともに歩くことすら困難な状況になるわけです。
隙あらば勢いよく斬り付けるとか、「崩れないと破門にするゾ♪」などと、無言のプレッシャーをかけてくるといった、特別なことを師父がしているわけではないのです。
あくまで、太極拳の構造でしっかりと歩いてくるだけ。
それに対して僕は崩れてしまうのですが、まるで自分自身の体が「あ、ダメだ」と言っているように感じるのです。

このような稽古が様々なバリエーションで行われ、武術的な構造から生み出される力を目の当たりにして、我々門人は武術としての太極拳を追及する限り、立つこと・歩くこと・・・
ひいては自分の考え方、在り方を見直さざるを得なくなるのです。

入門してまだ日の浅い自分としては、毎回の稽古で行われることが驚きの連続なのですが、その中でも特に自分が文字通り吹き飛んでしまうような経験だったのは、やっぱり纏絲勁を受けたときでしょうか。

普通に崩されたり発勁を受けたときでも(いや、全く普通の出来事ではないわけですが)、
80kgオーバーの自分の体がいとも軽々と飛ばされてしまいます。

それが、纏絲勁を強調されると、さらに上を行く、想像を絶するような状態になるのです。

僕が両手を前に出して重ね、僕の掌にちょんと触れている状態から
師父「軽くね・・」と、纏絲勁。
すると僕の体には、中心から四方に爆発するような衝撃が通ります。
衝撃は手足の指先から頭まで、あますところなく全身を貫き、
体は勝手に「うわぁぁぁぁあ!」と声をあげ、吹き飛ばされ、道場内を走り回ります。
動き回り走り回っても、それでも体の中には先ほどのエネルギーが残っている感覚があります。

拳で、というと、いかにも何か強い衝撃を打ち込んでいるとイメージされるかもしれませんが、
それは驚くほど軽いものです。
また、拳ではなく、スティックで行われたこともあります。 
40センチほどの長さの木製のスティックを、お互いに軽くつまむほどに持った状態でも、拳のときと同様のことが起こりました。
強く打ち込む、スティックを強く握る、というような拙力は、全く用いられていないということなのでしょう。

・・・もう本当に、なんなのでしょうねコレ。笑うしかありません。

しかしこれは、笑って済ませられることではありません。
チープなトリックやちょっとしたコツで簡単に出来てしまうことだったら、笑って済ませることも出来るのですけどね・・・。

門人の方や見学にこられた方ならわかると思いますが、師父は僕のような入門して日の浅い門人にも、ポンポンとシンプルな発勁や、さらには纏絲勁などをかけられたりするのですが、これは本当に、有り得ない事なのではと思うのです。

場所や時代が異なれば、生涯をかけても得ることの出来ないような、貴重な体験をさせて頂いているのではないでしょうか。

そして、高いレベルに至るために整備された高度な練習体系を実際に学ぶなどということは、
人生を何回か生きても、そう簡単には得られる機会ではないと思います。

そのようなものと縁を結ぶことが出来たことに感謝しつつ・・
明日もまた稽古に通わせていただきます。

                                 (了)



* 写真は一般クラスでの練習風景です *


     



     
  


        


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