2009年02月

2009年02月17日

そむりえ・まっつの Weekend Dinner 「 す げ 天 」

      
 「師父に天麩羅を作って差し上げる、というお約束がありましたね・・!」

 双眸を爛々と輝かせ、意気軒昂と気勢を上げた一人の門人から、全てが始まりました。


  揚張 弘(あげはり ひろし)さん、48歳・・・


       


 飄々として、常に柔和な人柄ではありますが、
 稽古では、眼光鋭く師父の動静とチューニングを計り、
 先輩たちが驚くほどに、どんどん稽古の中身を取ってしまう、
 太極武藝館・一般武藝クラスの「昇り竜」にして、
 名店で修行を積んだ「板前さん」という、ユニークな経歴の持ち主です。

 自宅に居ながらにして、本職板前の手になる、揚げたての「天麩羅」を食す・・・
 こんなイキな話を前にして、黙っている武藝館ではありません。

  師父:「よし、さっそく武藝館天ぷらスペシャル、”すげ天” ディナーをやろう!!」

 心意気には、心意気で返す・・・
 こうして「すげ天」(すげー天麩羅プロジェクト)は音を立てて走り出したのでした。

 さぁ、今宵のウィークエンド・ディナーは、
 新たに揚張さんという「板さん」を迎えての、純和食・天ぷらディナーです!



さて、和食と言えば先ずは「お箸」ですが、


     


 今回使われた箸は、宮内庁御用達の名店「箸勝本店」謹製の、

  「吉野杉本柾赤染利休箸」です。

 赤杉の利休箸は、千利休が必ず茶事の度に自ら削ったという逸話があり、
 その色は「一期一会」の慶びを表すものと云います。

 淡い五色の箸袋には、師父が篆刻された朱印が押されています。
 師父の俳号や遊印の文字が箸袋の上で気儘に遊び、
 この日の宴の豊かさを予感させるものです。

 この御箸は、天皇陛下の日々の御膳にも供される品で、
 四方の柾目は一直線に伸び、輪郭は優美な流線を描き、驚くほど軽く手に馴染みます。

 一食毎に、真新しい一膳の箸を供する・・・

 伊勢神宮の式年遷宮然り、
 夏越し、年越しの大祓、茅の輪潜り、煤払い、
 松飾りや書き初めをどんど焼きで焚いてしまうことや、
 畳の表替え、障子の張替え、玄関先の打ち水、
 茶席の蹲踞手水、初座と後座の変化なども、また然り。
 常に新しく生まれ変わる意識宇宙・・・

 罪穢れを祓う・・・

 罪=つみ=包む身=本来の人間性が隠れてしまうこと
 穢れ=けかれ=氣枯れ=大自然の神々から戴いたエネルギーが枯渇すること
 祓い=はらひ=つみけがれを新しいエネルギーへと再誕生させること

 つみけがれを認識しては、また祓う。
 それを日々毎々繰り返して生きること・・・
 「Rebirthing=再誕生」こそが日本の文化なのだと、師父は語られます。

 金属製のナイフ、フォークとは違い、毎回使い捨ての木の箸など、
 西洋渡来の合理主義では、資源の無駄としか判じられませんが、
 万事に於いて大宇宙大自然との合一を尊ぶ文化を育んできた東洋の、
 瑞穂のクニの文化には、異なる観点があるのです。

 真っ新な一膳の箸の中に、大自然や食そのものへの敬虔が込められてあり、
 主客の関わりの中で、無言の内に交わされる心延えがあるのです。

 むぅ・・まことに奥が深いものです(汗)



今宵の口切りの御酒は、


         


 古の昔より、天下の美酒、幻の銘酒として謳われた、
 加賀の「菊酒」の伝統を今に伝える銘酒、「菊姫 山廃純米酒 鶴乃里」です。

 全国に二千社を数える白山神社の総本山、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の祭神、
 「菊理媛神(くくりひめのかみ)」に由来する酒名を持つこのお酒は、
 すっきりとフルーテイーな香りが広がり、濃醇ながらも、たいへん上品な飲み口。
 一口にして陶然とし、二口目には思わず笑みの眉開く如しとなります。

 菊理媛神は、その昔、イザナギ(死者)と
 イザナミ(生者)の仲を取り持った巫女の女神。
 陰陽を循環、昇華させて、罪穢れを祓わんとする
 神格の名を冠るに相応しく、八百万の神々を想う
 晩餐にはもってこいのお酒ではありませんか。

 酒器は、創業百七十年になる、京都・清課堂製の
 錫の銚釐(ちろり)と、見事な焼け具合が景色の
 備前・森丁斎作、手捻り灰被りぐい呑み。  

 加えて、地元森町にある、森山焼き・静邨陶房、
 鈴木静邨の秀作、紅焼ぐい呑みも登場です。
 
 食卓脇の、梅と菜の花が清楚に生けられた備前の
 一輪挿しにも目を奪われますが、
 こちらは師父お好みの、人間国宝・松井興之(まついともゆき)の作。
 これまた今宵の一会に相応しい、日本人の魂を奥底から揺さぶる逸品です。



本日のお造りは、


     


 「真鯛と菜の花の昆布締め」で、掛け酢を添えて戴きます。
 こちらは、シェフのお作です。

 新鮮な真鯛はよく締まって歯応えが良く、繊細な旨みが楽しめます。
 菜の花は、程好い苦味が春の息吹を思わせ、季節感のある嬉しい取り合わせです。


 師父:「巷の味は、化学調味料の味に染まっているから、
     近ごろの日本人は、季節感も旬も産地も無い・・
     食べ物の素材本来の味さえ、分からなくなってしまっているねぇ・・・
     何処へ行って食べても、和食も、洋食も、中華も、
     コンソメも吸い物も、みーんな同じ味がして、ホントに嘆かわしいな」

    「お箸なんぞも、種類だけは豊富に揃っているけれど、産地はみーんな彼の中国。
     それも、たっぷり漂白剤やら防カビ剤を含んだ、色だけ白い、アブナイ美人揃い。
     そんなモノを使わなきゃならんような、情けないクニになったのかねぇ・・」

    「君たち・・・この真鯛の淡い味わいの中にある ”旨み” が分かるかな?
     食を味わえることもまた、拳理拳学の深さを味わえることに通じるのだよ・・」


   太極一味・・・

  よくよく味わうべきお言葉であり、私も常々心に留め続けています。



お酢の物は、


     


 「蛸と胡瓜と若布の黄身酢和え」、器は「伊万里瓢箪紋六角小鉢」です。

 流石、本職の仕事・・と思わずにはいられません。
 美しい盛り合わせで、上品な味わいに仕上げられており、
 はっきりとした三種の素材の食感を、黄身酢が包み込んで更に豊かな風味となります。
 今朝取りたての地卵で作った黄身酢は、味が濃く、新鮮です。

 包丁一本、手練の早業で胡瓜を1ミリ以下の蛇腹に切る手際は、正に職人の技。
 スタッフ一同、ひとえに尊敬の眼差しとなります。

 板さん曰く:「こんなの慣れですヨ〜、太極拳よりずっと簡単ですヨ〜・・(笑)」


 ・・・さて、すでに準備は万端に整ったようです。


 いつものディナーで使う厨房に据え付けられた「特設天麩羅台」は、
 業務用の強力なコンロと、直径40センチ、深さ11センチ、厚さ3ミリの鉄製の鍋。
 専門店並みの、本格的な設備がセットされました。

 材料に使われる海山の幸の仕込みも万全です。

  「車海老」「細魚(さより)」「烏賊」
  「蓮根」「椎茸」「アスパラ」「獅子唐」「薩摩芋」「大葉」・・・

 板さんが、朝五時から市場に入って目利きをしてきた、
 何れも純然たる国産の、新鮮な魚介と蔬菜(そさい)です。

 季節でないものは仕入れない・・
 手間暇かけて作られたもの以外は求めない・・

 今はちょうど、あまり食材に恵まれない季節ですが、
 板さんと師父の意見が一致して、仕入れには妥協なく、気合いが入りました。

 今回の揚げ油は、大豆100%の白絞油(しらしめゆ)。
 こちらは師父が自ら市場を巡って購入された、一斗缶入りの極上品です。

 開けたての油は、大きな天ぷら鍋にトクトクと注がれ、
 熱を加えるにしたがって大豆油の香りが室内に広がり始めますが、
 十分に熱を孕むまで・・・
 単なる食材が料理として開花するのに相応しい刻を待ちます。



さて、天麩羅のツレなる銘酒は、


         


 智恵子の ”ほんとの空” のもと、花の百名山にも選ばれる安達太良山を望む、
 福島二本松が誇る銘酒、「大七 生酛(きもと)純米大吟醸 箕輪門」です。

 繊細、優美で、薫り高く、懐深く包み込むような優しさに満ちた極上のお酒で、
 大吟醸ながら吟醸香に嫌味無く、食中酒としても第一級です。



  そして・・ついに嚆矢は放たれます。


     


 生身の手指で触れて、ちょいと油の温度を測って・・
 颯颯と、鮮やかな手際で、油の中に滑るようにタネが投入されていきます。

 しかし、家庭では有り得ぬ、並々と油の張られたその大鍋には、
 油の温度を一定に保つため、ごく僅かな量のタネしか泳がせません。

 ぱっと、華が広がるように、衣が爆ぜて泡立つその瞬間には、
 普段は温和で物静かな揚張さんの眼光が、まるで武術家のように鋭さを増します。

 次々と衣を纏わせては熱い油へと放つ動きには、
 とても素人には真似の出来ぬ、小気味良い独自の調子が躍ります。

 そして、しばし何かに耳を澄ませる容子が見えたかと思えば・・・

 転瞬、飛燕の波を掠めるが如く・・
 ネタを引き上げ、油を切り、手早く皿の上にその装いを了えます。


         




これぞ、待ち焦がれた瞬間・・


     


 先ずは「車海老と細魚(さより)の天麩羅」が勧められます。

 関西風の、色淡く揚がった綺麗な仕上がり。
 宮古島産の、まるで小麦粉のような細かさの「雪塩」か「天つゆ」で頂きます。
 薬味には、大根おろしと生柚子をお好みで・・・

 揚げたての熱々を頬張るや否や、忽ちの内に喚声が湧き上がります。


 「おお・・なんという美味さだ!!」

 「うーむ、こんな事があって良いのだろうか!!」

 「嗚呼、幸せ・・・!」

 「・・う、旨いっすねー!」 (あっ、もぐもぐのS先輩も叫んでいる!)


 あまりの美味さに、一同しばし忘我の境に入り、やがて欣喜して雀躍の呈となり・・・


 噛めば旨味がほとばしる車海老の醇なる味境・・・

 細魚(さより)の、何と瑞々しく、ホロリと崩れる身の甘さよ・・


 素材は熱い油を潜ることで旬が封じ込められ、ひときわ光彩を増しています。

 そうか・・・熱は調味料なのだと、あらためて覚ります。

 熱々を頬張っては「大七」を舌に転がし、ふうわりと広がる余韻を楽しみます。



  師父:「うーん・・よくぞ日本人に生まれけり、だねぇ!!」

  一同:「然り!」


         


 板さんは益々調子を捉えて軒昂とした意気を示し、
 出番を待っていたかのように、蔬菜たちが次々に揚げ上がってきます。


  頬が落ちるほどにホクホク甘い、太切りの「蓮根」

  香り高く、この上なくジューシーな「椎茸」

  歯応えも鮮やかに、土の香りのする「アスパラ」

  ほんのりと春の苦味のある「獅子唐」

  などなど ・・


     


  確かに吟味された素材の数々ではあるけれど、
  頬張って広がるその旨さは、既知のイメージの遙か上を行きます。

  ・・そう、熱で高められた持ち味は、ひときわ鮮やかに開花するのです。


     


 「素材は、まだこんな旨さを秘めていたのか・・!」

 それは新鮮な驚きであり、喜びでもあります。

 しかし、それもこれも、職人の手練れの ”腕” があってこそ。


  そむりえ:「揚げ時というのは、目で見て測るものなのですか?」

  板さん:「うーん、なんか、此処で揚げてくれ、っていうのが分かるンですヨ・・」

  師 父:「天麩羅は耳も大事だね。音でも揚げ具合を見極めるから、耳が利かないとね」

  板さん:「名人でも納得が行く仕上がりは生涯に数度ってことです。難しいんですヨ・・」

  ・・・ふっ、深い(汗)



 さて、こちらの「天つゆ」も、普通の家庭のソレとは、ひと味もふた味も違います。


     



 澄んだ出汁の旨みが際立つ、関西風の上品な天つゆで、
 そのまま「酒肴」として頂けそうな、見事な味わいです。
 器は、「時代有田宝紋鉢」と「有田茄子形手塩皿」です。

 日頃は脇役の大根おろしですが、これはありきたりの大根おろしではありません。
 今朝引き抜いたばかりの大根は、卸す人の手練の技によって驚くほどキメが細かく、
 仄かに甘みを湛えた繊細な味が見事に大根から引き出されて、
 道具は同じ「有次」の卸し金なのに、やっぱり全然味が違うのです・・


  師 父:「ホラ、良い機会だから、たくさん頂いて、味わってごらん!」

  一 同:「うーん・・こんな大根おろし、食べたことがないです〜・・・」


 師父と板さんは、食の話題に華を咲かせておられます。

  師 父:「クルマ海老は伊勢辺りのですか? 尾っぽの中まで旨かったね・・」

  板さん:「頭も美味いんですが、油が濁るからヤメときました。
       次は春が好いでしょうか?・・・ 鰆や山菜、野生のタラの芽とか・・
       そのうち、蕎麦も打ちたいですねぇ・・・」

  一 同:「・・えっ、次・・? 次もあるんですか!!(ワ〜イ!)」

  師 父:「蕎麦のときは是非、翠緑鮮やかな新そばを打って欲しいな・・
       蕎麦粉は? ・・ああ、石臼引きが良いんですか? 
       じゃ、さっそく探しましょう。確か北海道にも良いものがありましたね」

  板さん:「私はホントは蕎麦屋になりたかったんですヨ。
       そのために、無給であちこちで修行させてもらいました。
       でも、挽きぐるみの蕎麦は、本当に旨いです・・・」

  師 父:「夏には、鱧なんかも良いねぇ、鮎は旅をさせるわけに行かないけれど・・
       今年はどこの鮎だろうか・・高津川あたりかな?」

  板さん:「骨切りは友達に習って、修行しておきます。
       鮎はやっぱり、現地で取れたてを食べるに限りますね。
       何処か今年の中り所を探して、食べに行きましょうか・・(笑)」



今宵の名残りの佳酒は、


         


 出雲杜氏の心技と霊峰大山の伏流水が醸す日本酒、
 「鷹勇(たかいさみ) 純米大吟醸 吟麗(しずく)」です。
 
 もろみを袋吊りにし、自然に滴り落ちる最良の部分だけを斗瓶に受けた逸品。
 凛と立つ香り、辛口にして存在感もあるしっかりした飲み口、余韻は綺麗に伸びます。
 仄かに香る林檎を思わせる吟醸香も、中々心地好しです。



強肴は、


     


 シェフお手製の「飛龍頭の炊き物」です。
 盛りつけます器は、「瀬戸壽文字八角平鉢」です。

 しっとりと出汁を煮含み、ホッとする優しい味です。
 端然とした外観からは見て取れませんが、はじめから仕込むのは大変な手間暇でしょう。
 さらりと供される呼吸が、心憎い限りです。



ご飯物と汁碗は、


     

     


 「小天丼」と「卵豆腐の吸物」です。
 強肴には「菠薐草の胡麻和え」、香の物は「自家製糠漬け」です。

 ・・一見質朴ながらも、師父のお宅の食事は、ジツに中身がスゴイのです。

 艶やかに炊き上がったご飯は、信州の農家から無農薬の玄米で直送されるもの。
 小半日前に精米したばかりで、新米同然の香りと色艶の美しいこと。
 瑞々しい飯粒が極上の天つゆと相まって、えも言われぬ旨さです。

 吸い物の吸地は、利尻の天然昆布と、枕崎の雄節で出汁を引いています。
 昆布はじっくり一晩かけて水に戻し、
 削りたての極上の「本枯れ節」を惜しげも無く、信じられぬほどたっぷりと使います。

 椀ダネには、自家製の卵豆腐。
 お味のほどは言うに及ばず、実に贅沢至極の一椀です。

 胡麻和えのほうれん草は、朝採りの土つきを本邦産の胡麻で和えたもの。
 糠漬けも、やはり只者ではありません。
 一から丁寧に創り上げた糠床で、この日に合わせて漬けた、自家製の糠漬けです。
 自然な酸味と秘められた甘みが、舌を清々しく洗ってくれます。


 この、手間隙を惜しまない心尽くしこそが、
 「もてなしの為に奔走すること」を本義とする「ご馳走」に他なりません。

 一朝一夕には為しえない、スタッフの功夫の積み重ねが、沁み沁みと心に響きます・・・



食後のお茶とお菓子は、

     


 当地掛川の老舗、「伊藤菓子舗製 葛餅」に、
 お茶は「天竜手詰み緑茶」です。

 かつて東海道掛川宿は葛布(くずふ)、葛粉(くずこ)の特産で名を馳せていました。
 葛布は縦糸に麻、綿、絹などを用い、横糸に葛の繊維を用いて織った布です。
 丈夫で耐水性に優れるので雨具や袴作りに珍重され、襖や屏風にも用いられたそうです。

 こちらの葛菓子の味わいも、ぷるぷるとした食感と、清々として雅味の漂う、
 控えめな甘さが好ましい、中々のものです。
 
 古くから「暴れ天竜」として知られる、天竜川沿いの、
 切り立った急峻な斜面の茶畑で、手間暇をかけて作られた手詰みのお茶は、
 深山の香気も力強く、濃い川霧によって育まれたな独自の味わいがあり、
 山のお茶らしい風趣に溢れて、揚げ物を食した後に好く合います。
 こちらも、もちろん無農薬です。



 豊かな晩餐を終え、心の底から寛いだ気分に浸ると、、
 嗚呼、やっぱり吾々は日本人なのだなぁ、と改めて想わずにいられません。

 豊穣なる山河大地を有し、四季折々の移ろいを愛で、
 大自然に見る神々を尊崇しながら営まれてきた日本人の文化・・・

 それは、幾百幾千の歳月を経てもなお、生き生きと脈打ちながら、
 移ろう「刻」そのものを噛み締め、味わい、愉しみ、悦び、感謝する魂を育み・・・
 一期一会に真心を尽くす文化にまで高められてきました。

 今宵ここで、その精魂の一端を味わう機会を得て、
 日本人とは本当に凄いものだと、つくづく敬嘆せざるを得ません。

 そんな日本人の気骨と、
 今宵の宴を発案し、呼応し、企画をされ、
 その「ご馳走」の為に文字通り奔走して頂いた皆さまに、
 心からの感謝を奉げたいと思います。

2009年02月13日

練拳 Diary #8 「ボール乗り・その2」

 ある日の、ボールを使った稽古中でのことです。
師父が、ボールの上に立つときの「足幅」について指導されました。

 ボールのように不安定な物に乗ろうとするときには、誰でも初めは足幅を広く取りたがる傾向にあります。身体を安定させるためだと思いますが、人によっては、足でボールを挟むように固定したり、自分が乗りやすいように大きく「ハの字」に開いていたりします。

 それを見た師父が、足幅をいつもよりもっと狭くしてみるように仰いました。
 そして更に、「そうすることで、自分が何に頼りたがっていたのかが分かる」と、付け加えられました。

 この「足幅」については、私にとってもひとつの課題となっていて、ボールに立つときには、自分の感覚としては比較的狭い幅で立っているようなつもりでも、実際は広くなっていることが多かったのです。
 また、狭くしてみようとしていても、なかなか「何に頼りたがっているのか」という意識にまでは至らなかったので、さっそく「狛犬」を使って確認してみることにしました。

 「狛犬」では、慣れない人は先ず身体を緩めて、ボールに寄り掛かるように乗ろうとしてしまいますが、それでは身体がトータルに使えない、と注意されます。
 また、そのような場合には、やはり脚が乱れて「ハの字」に開きやすく、膝は力なく弛んで曲がり、お尻がボールに着くほどに低くなってしまうのが特徴です。このような「休憩中の狛犬」の恰好では、ボールにしがみつくのが精々で、とても武術的とは言えません。
 正しい身体の状態では、足腰が正しく使われて、見た目にも弛みや寄り掛かりが見られず、
そうなると一般門人といえども、ちょっと迂闊には近寄りがたいものさえ感じられます。

 その「狛犬」で、いつもより足幅を狭くしてみると、急に不安定になります。
足幅の狭さに直ぐに身体が反応して、左右に足でバランスを取ろうとし始めたのです。
 以前に比べれば、かなり軽く乗れているつもりでいたのに、知らない間に足を使って左右への安定を求め、その結果足が居着いていたとは・・・
 これぞ「日常」という考え方に他ならないと思いました。

 床の上で狛犬や蹲踞の形を取ったとしても、ボールから落ちるような心配はなく、その状態で足幅を狭くしてもそれほど大きな変化はないので、ボールの上でなければこのようなことに気が付けなかったかもしれません。

 ・・その発見があってからは、「狛犬が必死に玉と戯れるの図」よろしく、ボールの上で七転八倒しながらの悪戦苦闘が始まりました。
 しかし、丁度都合よく、基本功で足が居着かない感覚が生じ始めていたところだったので、そのことにも助けられ、以前よりは狭い足幅で「汗をかきつつ玉の上に落ち着いた狛犬」のような状態が、何とか取れるようになりました。

 そのときの感覚は、それまでに味わったことの無いもので、足元はまるで雲に乗っているように軽く感じられ、かと言って、決して浮ついているような感じではなく、腹や腰の辺りにはかつて無い充実感があります。
 また、その状態から立ち上がろうとした際には、そこにはすでに「立ち上がる」ために必要な足の感覚などなく、上でも下でも、前でも後ろでも、右でも左でも、まるで無重力空間に居るかのように、行きたいところに好きなだけ、思うままに動けそうな気さえするのです。

 完全に立ち上がってみても、その状態はまったく変わらず、不安定だった足元は、遠くで勝手にゆらゆらと動いているのを感じるだけです。
 ・・なるほど、ボールの練習段階は数あれど、理解したい身体の状態は「ひとつ」であると、常日頃の稽古で言われている理由が、少し解かったような気がしました。
 そして、今までとは一味変わった「ボール乗り」の感覚に、これなら師父が言われた、ボールからボールへと「渡り歩く」ことも出来るのではないか・・・などと、調子の良い夢を見られたのも束の間、不意に大きく揺らいだ足元にハッと我に返り、慌ててボールから跳び下りたことでした。


 さて、ボールの訓練のなかでも、この「ボールに立つ」ということは、一般門人にとっては、ある一線を越えた「特殊な状態」として捉えられているようです。
 ある人は「狛犬」や「狛犬の前足上げ」まで軽々と出来ているのに、さていよいよ立ち上がるという段になると、身体の状態は急変して固く緊張したものとなり、それに対してボールは先ほどまでよりもずいぶん軟らかく、急に頼りない質の物に変化したように感じられ、その不安定な接地感覚に、足はますます固くなってくる・・というのです。
そうなると、もうアタマはすっかり恐怖心で一杯になり、何やら目眩までしてくる、と。

 「どのような訓練でも、まず、アタマが疲れてくるのが正しいのですよ。
   真っ先にカラダが疲れるようでは、まだまだ正しい練功とは言い難いですね・・」

 そんな師父の言葉を聞いているときは、「ふむ、なるほど・・」と納得できても、ボールから下りたときには、腿もスネも、足の裏までもがパンパンに張っていて、おまけに背筋まで固めていたのか、身体も思うように動かない、などという声もよく聞かれます。

 ・・・かくいう私も、そのひとりでした。
 ボール乗りの訓練を始めた頃、先輩たちが、ひとり、ふたりとボールに立ち始めているのに、自分は出来たとしても、精々が「不格好な狛犬」まで・・・
 勇気を振り絞って腰を持ち上げようとしても、握ってもいない掌にはジットリと脂汗が滲み、足元はすっかり固まってしまい、安物のマッサージ器の如く、ダダダダッと細かく震えだし、
やむなくお尻をボールにつけては、前方に転がって降りることの繰り返しでした。
 たとえ偶然に巧い具合に立つことができても、その時それを維持するのが精一杯で、次にもう一度立とうとすると、決して同じようには立てないのです。
 それは、「何ゆえに立てた」のかが分からないまま、立ってしまったからだと思います。
 つまり、太極拳の理論に照らしたときに、ボールに「立てる」ということが、どのような拳理と符合するのかが見えていなかったのです。

 そんな、自他共に認める ”スーパー運動神経音痴” な私が、曲がり形にもボールに立てるようになったのは、ただひたすらに「馬歩」のお陰であると思えます。

 馬歩には深遠な原理があります。見た目には脚を並行にして腰を下ろし、馬歩の要求を守っているつもりでその姿勢を維持していても、そこに「馬歩」の玄妙なる「はたらき」は生じていませんし、そのような身体の状態では、自分にとって都合の良い安易な足の形で乗ることと、何も変わらないものになってしまうのです。

 「馬歩」は、太極拳の原理は無論、発想の持ちようから考え方、更には戦い方までもを示してくれている、とてもありがたい架式です。ただしそれは、馬歩で立てば誰にでも理解できるなどといった単純なものではなく、太極拳という巨大なパズル・・「タイジィ・コード」の謎を解く大きなヒントとして存在しているのです。

 そして、それは何も太極拳の馬歩だけが特別なのではなく、中国武術をはじめ、唐手や古武術など、およそ「武術」と名の付くものであれば何処にでも存在するはずの、最も普遍的で基本的な立ち方のひとつではないかとも思え、あとは、示されたヒントを元に、それをどこまで深く掘り下げていけるのかが、私たち修行者に問われているような気がするのです。

 ボール乗りという「非日常」に取り組むことで、自分の中の「日常性」が見えてくるということは、日頃から指導されているとおり、「陰の中に陽が存在し、陽の中に陰が存在している」という太極原理そのもののように感じられます。

 「非日常」だけを追求して、そこに生じている自分の馴染み深い「日常性」が見えなければ、ただ単にボールに立つということは出来ても、太極拳という高度な武術が有する身体構造の真髄には、その片鱗にさえ触れることも叶わないのだと、つくづく思い知らされます。

                                 (了)



* 以下は一般クラスでの「ボール乗り」の練習風景です *


     


     


     



2009年02月11日

門人随想 「ボール乗りの練習」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 ボール乗りの写真を撮っていると、自分が練習している時とは違って、それまでに見えなかったことがいろいろと分かってきて、とても勉強になった。

 たとえば「膝立ち」という、膝だけを使ってボールの上に立つ練習では、上手く立てない人はまず、股関節のところを ”くの字” に曲げ、身体を縮めるように使いながら、膝と脛と足首を巧みにボールに接して、サーフィンでもしているような恰好でバランスをとって立とうとするか、或いはまた腰を反り、鼠蹊部を伸ばすようにして、ボールの前や後ろに転がり落ちていく・・・
 それはおそらく、一般の人が普段の生活の中で行っている、ごく普通の、日常的な身体の在り方なのだろうと思える。

 ・・いや、実際に、私もそうであった。
 単にボールに「乗る」とか「立つ」と言っても、実に様々なアプローチがあり、完成の度合いも色々であろう。しかし、私たちは武術的にボールに乗り、太極拳的に立とうとしているのだから、巷で見るボール・エクササイズのように、単に弾んだり、乗ったり、立てれば良い、というワケにはいかなかった。

 この、何処にでも勝手気儘に転がろうとする、極めて不安定なボールの上に、そこに膝だけで立とうというのだから、よく考えてみれば、これは大変なことである。
そんな身体の状態が必要となる状況は、普段の生活の中には、たぶん存在しないだろう。

 もし要求どおりに、ボールの上で上半身を立て、膝を真っ直ぐに伸ばそうとすれば、私たちはヤジロベエのようには手が長くないので、安定できるところなど、何処にも在りそうにない。
 その恰好でボールから転げ落ちないようにするには、腿の力を弛め、膝を伸ばさず、腰を折って、上半身を出来るだけボールに近づけるようにしながら、転がろうとする反対の方に巧くバランスを取るしかないように思える。
 もちろんそれは、太極拳の要求とは大違いなのだが、いつしかその誤りに慣れ、それを続けながら、ついつい何となく乗れているような、立てているような気持ちになってしまうのだ。

 ところが、ウチの道場で指導されている「ボールの乗り方」は全く違っている。
 膝で立つときには、脛を使わず、膝から頭までを一直線に真っ直ぐ立てて、自分が吊り下げられているかのように立つことが求められ、膝とボールの接点などは「あるか無いかの如く軽く」造られなければならない、とされる。

 そこで、私たちは文字通り悪戦苦闘しながら、一体どのようにすれば拳学研究会の先輩たちのような、見とれてしまうほど綺麗に、ほとんど揺れもせず膝だけで乗れるのか、なぜボールの上にあのような狭い歩幅で立てるのか、そして、まるで奇跡のような・・動いているボールに飛び乗ったり、その上でバウンディングをすることがなぜ出来るのかと、全く不思議に思えてしまうのである。


 それは、ひたすら「武術的な」身体の構造ゆえであるという。
では、「武術的に」乗れる、立てる、というのはどういう事なのだろうか・・・

 ひと言で云うなら、それは「構造が変わる」ということである。
つまり、日常生活に馴染んだカラダの構造が、非日常的に、劇的に変化をし始めるのだ。
・・・それも、ある日、ある時、勝手に・・・それが起こるのである。

 それを「やる」ことはできない、と師父は仰った。
それは「起こる」ことであって、自分で「起こす」ことはできないのだ、と。

 この、武術的に裏付けられた、優れた学習体系だけが導き得るところの「非日常性」こそが、まさしく「武術的な身体」に他ならない。
 「日常性」ではダメなのである。そんなものでいくら頑張っても、それで乗れたり立てたりしても、高度な太極拳の身体を得る訓練としての「ボール乗り」には程遠い、とされる。

 それは、何もボール乗りに限ったことではない。
 早い話が、ちょっとその辺りを数歩ばかり歩いてもらっても、その人の武術性、武術度?、
武術率?・・が判明してしまう。階段を昇降したり、プールで水中を歩いてみれば、もっと容易にそれが見えるかもしれない。

 そもそも、正しい武術を何十年も、正しい練習方法でこなしてきた人は、決して日常的に動いているようには見えない。歩く姿も、椅子に座る姿も、食事をしている恰好も、靴を脱ぎ履きする姿勢も、クルマを運転している姿勢も、そして、そのドライビング自体も・・・
何もかもが、吾々のような一般人の日常性で出来てはいない。

 つまり、よく観れば、変な恰好をしているし、有り得ないような構造で立っているのだ。
 少々武術の心得がある者から観れば、本物のマスターたちは皆、変な恰好で立ち、変な恰好で動き、歩いていることが分かる。
 しかし、私たちは、どうやってもそのような「変な恰好」にはならない。
まさにそれが「日常」のまま生活をしているとされる所以であるが、反対にズブの素人から観れば、マスターたちは普通のオジサンと何も変わらないように見えるのだろう。


 此処での指導を受け続けていると、日常の固まりだった私たちにも、やがて発見が始まる。
いや、発見と言うよりも「新しい考え方」が生まれる、という表現の方が的確かも知れない。

 その「新しい考え方」とは、取りも直さず、ようやく常識で固められた私たちのアタマの片隅にも芽生え始めた「未知なるもの=非日常性」と遭遇できたことに他ならないのだが、さらにその活動が盛んになるにつれて、それまでに何の反応もせず、まるで動かなかったカラダが、ある日突然、奇跡のように動き始めるようになってくる。
 つまり、長い時間をかけて様々な「太極拳の基本」を叩き込まれ続けてきたカラダが、ボール乗りという非日常の状況に触れて、ようやく目覚めようとしているのだ。

 先日も、ひとりの一般門人が、見事に「武術的に」ボールに立つことが出来た。
 それは、武術的にほとんど完璧な立ち方と言うことであって、日常の観点から見れば、何やら頼りなさげに、未完成に見えるかも知れないが、観る人が観れば、それが高度な立ち方であることが分かるのだ。

 ともあれ、それまで全く乗れなかった人が、基本の稽古で「正しい構造」を指導され続けて来た故にその構造が実際にはたらき始める場面を目撃するのは、本当に感動的である。
 もう、その人は「日常的に」乗ろうとはしていない・・・
 いや、日常的には乗れないのである。そして、普通の考え方なら、そのようなやり方ではとても乗れないと思えるようなアプローチで、ヒョイと乗り始める。
 そうなったら、もうボールはフラフラ動かないし、その人の足がブルブルと力みで震えることもない。何より、ボールを制御しようという意志が、そこには微塵も見られない。

 このレベルは高い・・・
 果たしてこれが一般の人、一般門人クラスのレベルなのだろうか、とさえ思える。

 そして、さらによく観れば・・・
 それまで胯(クワ)が開かなかった人が緩やかに開き、お尻の小さかった人が大きく見え・・
股関節がまるで動かなかった人がユルユルに動き、膝に力みがなく、脚がきちんと使われ、
胸や背中の硬かった人が球状に動くのが見え、外三合がものの見事に、自然に一致している・・

 それは、普段から私たちが学んでいる太極拳の要訣の、その内容が、ありありと見えるようなものばかりであり、日頃から指導され続けている「踏まない・蹴らない・落下しない」という、太極拳の高度な身体の使い方そのものであった。

                                 (了)



* 一般クラスでの「ボール乗り・膝立ち」の練習風景です *


     



     
   


     
 

2009年02月08日

連載小説「龍の道」 第5回




 第5回 兄 弟(5) 


 異国情緒あふれる、ハイカラな街として知られる神戸の歴史は古い。
 昭和42年(1967年)には「神戸開港100年」の記念式典が行われたが、
それは鎖国が解けた後の、近代になってからの話で、実際にはもっと遥か以前・・・

 かつて平安の昔から、この地は京の都から瀬戸内海と九州を結ぶ海上交通の要衝として栄えており、それを重視した平清盛が、今の神戸港の一部である「大輪田の泊(おおわだのとまり)」を改修して中国・宋との貿易を行い、中国大陸や朝鮮半島との交流の港として存在し続けてきたのであった。

 また、神戸の福原という土地には、一時は京都から首都が移転されたこともある。
つまり、かつて神戸はこの国の「都」であった時期さえある、ということになる。
 この地の歴史の深さや、開放的な文化が育まれてきた背景が窺える話であるが、やがて江戸時代の長い鎖国政策を経て、開港後には外国人居留地が設けられ、あらゆる面で欧米の文化や生活がこの地に持ち込まれ、いちはやく文明開化の洗礼を受けることになった。

 現在でも、世界中のありとあらゆる文化や人種を見ることが出来るこの街の風土は、
実は、清盛の時代から、すでに始まっていたと言って良い。


 ・・・そんな街で、宏隆は生まれ、育った。

 住居は、神戸の街と港を見下ろす、山の手の高台にあった。

 華厳の滝や、那智の滝といった、よく知られる名瀑布と並んで、「日本三大神滝」と称される「布引の滝」の東麓に位置するこの屋敷は、この辺りの高級住宅地の中にあっても少々格の違う豪邸で、表通りからは中の建物の屋根さえ見えず、地図を見ると、道を挟んだ隣りにある高等学校の校庭を含めた広さと、ほぼ同じくらいの広大な敷地を有していた。

 家は坂道の途中にあるので、敷地を平らにするために、その長く急な坂道の傾斜の分を城のように高く石垣を積み上げてあり、初めてそれを目にすると、一体こんな大きな石を何処から運んできたのだろうかと思える。

 この家を訪う人は、門柱に「通用口」と達筆に墨書された木の札が掛けられているにも係わらず、大方は入口を間違えて、ご用聞きが出入りするその入口で呼び鈴を鳴らすことが多かった。
 もっとも、普通の人なら、まず正門にしか思えないほどの、立派な屋根まで付いた通用口なのだから、無理もないことかもしれない。

 正門はずっと離れた坂道の上の方にあり、なるほどこれが正門かと、改めて頷けるような、
厳かではあっても何の傲慢さも感じられない、穏やかな屋根が載った大きな門が見える。
 そして、ひとたびその門を潜ると、それまでの市井の喧噪から完全に隔絶された、嘘のように閑静な世界の広がりに、誰もが心を洗われるような気分を味うことになった。

 門を過ぎて、心地よいカーブのつけられた、よく手入れの行き届いた疎竹の林間を縫うように砂利の小道を抜け、さらに散策でもするように、緩い石畳の坂道を歩いていくと、やがて幾つかの大きめの飛び石が、苔生す緑の中に美しく配置されている。
 さらにその向こうには、清々しく水の打たれた霰崩し(あられくずし)の敷石が現れ、緑錆に彩られた銅の深い庇の下に、黒瓦が整然と敷かれた、侘びた趣の玄関がその奥にひっそりと待ち受けている・・・

・・そういった風情に、細やかに設計されてあった。

 そして、その、まるで京都の茶匠宅を想わせるような、畳敷きの清々しい玄関を上がると、
凡そこれが山の手の豪邸などとは微塵にも思えぬ、清楚な佇まいがそこかしこに感じられる。

 戸外から見る他人の興味勝手な予想とは裏腹に、この家には華美に過ぎるものや、その財力を誇示主張するようなものは何ひとつ見あたらず、瀟洒で開放的な異国情緒の街にあっても、ともすれば戦後の経済復興の中で忘れられそうになっている、日本人の魂や美意識の原点が巧みに調和している家であることが感じられ、何やら心の故郷に還ってきたような安心感に包まれるのであった。


 夜ともなれば、ほんのりと雅やかにライトアップされた日本庭園越しに、一千万ドルの夜景と讃えられる、神戸の美しい街が眼下に広がりを見せる。

 別棟には家族が普段生活をする、英国式に建てられた洋館があり、その前には西洋庭園が広がっていたが、宏隆はよく、好んでこの純日本建築の広々とした畳敷きの縁側に座って、何をするでもなく、この街の夜景を飽きることなく眺め続けた。


 ・・・その加藤邸に、兄弟して、こっそりと帰ってきた日の夜。

 兄が、宏隆の部屋の扉を、辺りを憚るように声を潜めて、そっとノックした。

「・・宏隆・・・おい、居るか?」

 返事を返すより先に、すぐにドアを開けた宏隆は、
兄の顔がまだ腫れ上がったままになっているのを見て、心配顔で訊いた。

「大丈夫かい? 夕食の時より、ずいぶん腫れてきた・・」

「なあに、これくらい・・・ 
 僕だって、ケンカのひとつやふたつ、したことはあるよ」

 そう言いながら、傍らの大きな皮のソファにドッカリと腰を下ろして、

「・・おお、やっぱりジムランは良いなぁ・・うむ、音楽は、こうでなくちゃいかん!」

 ジムランとは、JBLという米国製スピーカーの創業者である天才エンジニアの名前、
“James B. Lansing” をもじった、マニアックな呼び名である。
 その宏隆自慢のJBL4320という、直径が38センチもある大きなウーファーを備えたスピーカーから、彼の好きなバラードがやや音量を上げ気味に流れていたが、すぐにボリュームを落として針を下ろし、兄の好みのコルトレーンのジャズに盤を替えながら、こう言った。

「・・そうか、でも、父さんが帰ってきたら、心配するだろうな」

「いや、何も言わんだろう・・あの人は、そういう人だよ。
 ・・それよりも、昼間のことを、早く教えてくれないか?
 何だか気になって、ロクにメシも喉を通らない感じなんだ。
 もっとも、口の中をそこらじゅう切って、痛い所為でもあるけどな! ハハハ・・」

 ・・そう言って笑う兄に、

「今日のエビフライは、思ったほど不味くはなかったけどね・・」

 宏隆は、軽い冗談のつもりで言ったのだが、
兄は、昼間の話題に繋がらないので、ちょっと真面目な顔になって、

「そうじゃなくって・・・
 お前が習っているのは中国産のアヤシイ武道で、
 師匠はとても危険そうな人間だ、という話の、続きをしに来たんだよ。
 ・・いつから習ってる? その、中国の・・タイキョクとか、何とかいうヤツを・・・」

「もう、ちょうど一年くらいになるかなぁ・・」

 アーチ型の出窓に寄り添うようにして置かれた、古風なランプが灯る瀟洒なカフェテーブルの椅子に腰掛けながら、暢気な声で、弟が言う。
「父さんの勧めで、僕が高校に入る前から通い始めた “日本文化研究会” っていう団体が
あるんだけど・・」

「・・ああ、あのノーベル文学賞候補の天才作家、平岡威夫が主宰しているやつか。
ウチの大学も講演に招いたが、作家にしてはなかなかホネのある人物だったな・・
 東大の講演じゃ、全共闘たちを前にして、
“私は生まれてから一度も暴力を否定したことはない” なんて言ったそうだが・・」

「そうそう・・で、そこの常任講師の、
“東亜塾” のK先生が、居合をされていてね。
すごい武道の達人で、塾生たちに居合いや
柔術を教えているって・・・」

「居合いってのは、日本刀を振り回すアレ
だろ? エイ、ヤァーッ!って・・」

 兄の隆範は、ソファに座ったまま、大袈裟に刀を振る真似をする。
「まあ・・そうだね。その研究会でお会いしてあれこれお話ししているうちに、K先生の道場に招かれて、僕も居合道を学ぶようになったんだ」

「・・ああ、覚えているよ。お前、よく庭先で真剣を振り回していたよな。
ハハ・・危険なヤツだ。しかし、カタナはやはり、日本人の魂だよな。
妖しく光る白刃を見ていると、こう、何というか、魂のいちばん奥の方がムズムズしてくる。
・・・そう、それで?」

「そのK先生が、去年の夏休みの前に、面白い人物を紹介しようかって仰ったんだ」

「・・おっ、それが、そのアブナイ人物だったってコトか?!」

「まあ、慌てずに聞いてよ・・
 ・・で、面白い人って、どういう人なんですか、ってお訊きしたら、
君の人生をガラッと変えてしまうかもしれない、とても怖ろしい人だ・・って」

「そーらみろ! やっぱり、怖ろしい人物なんじゃないか!」

「お願いだから、最後まで聞いてくれないかなぁ、もう・・
・・それで、僕はその、自分の人生を変えるかもしれない、と言うことと、
その人が怖ろしい人だということに、とっても興味を持ったんだよ」

「うーん・・お前はやっぱり、父さんの血をたっぷり濃く受け継いでいるんだな。
オレだったら、怖ろしければ、そんなヤツには絶対に近寄らないところだが・・・
 うん、それで?・・それで、どうしたんだ?」

「・・とにかく、お会いすることになったんだ。
初めてお会いしたのは、南京町の “祥龍菜館” だった・・・」

「ほう・・? あの有名な、高級中華飯店で会食か。
広東料理だったかな? 広東料理は野菜がウマイ、っていうが・・・
しかし、逃亡中の人物にしては、ずいぶん目立つ店に来るものだなぁ・・」


 ・・兄の隆範には、話しても差し障りのないことだけを選んで、簡単に語ることにしよう、
と宏隆は思った。

 コトは、図らずも自分が関係してしまった特別な社会に通じていることであり、もしも口外すれば多くの人に迷惑が掛かり、自分や家族もただでは済まないことは、高校生の宏隆にも十分理解できていたからである。

 しかし、この物語を進めるためには、そこで宏隆が体験したことのすべてを、読者にお話しておかねばならない・・・

2009年02月06日

練拳 Diary #7 「ボール乗り・その1」

 武術的な身体を整え、養っていく訓練のひとつに、「ボール乗り」があります。
 これは、ボール・エクササイズやリハビリなどに使われている、直径55〜75センチほどの張りの強い硬めのゴムボールを用いて行われるもので、基礎訓練の補助として稽古します。

 「ボール乗り」と聞くと、いったい太極拳と何の関係があるのだろうか、そもそも伝統太極拳の練功法にそんなモノはない、と思われるかもしれません。
 確かに、昔の陳家溝に大きなゴムのボールがあったとは思えませんし、実際に太極拳の訓練に「ボール乗り」を取り入れたのは、おそらく円山洋玄師父が初めてだと思います。

 「ボール乗り」と言っても、私たちはサーカスのような曲乗りをすることを目的としているわけではありません。この練習の最も重要な目的のひとつは、ボールを用いることによって「非日常」を体験するということ、そして太極拳を習得していく上で必要な、放鬆を始めとする様々な要訣を理解することにあるのです。

 単にボールに立つだけなら、ちょっとバランス感覚の優れた人なら、それほど難しいことではないかもしれません。しかし、それが稽古として行われるからには、我武者羅にボールを制覇するのではなく、正しく太極拳の要求に沿ったものでなければ意味がありません。そうであるからこそ、ボールを用いることによって、太極拳の要求が自分の身体で体験され、理解されていくことになるのです。

 ただし、それはあくまでも「疑似体験」に過ぎない・・と師父に言われました。
 確かに、ボールに立てたからといって放鬆が習得できるわけではなく、虚領頂勁が身につくわけでもありません。それは、ボールの上に立つという非日常的な状況に身を置いたときに、徐々に整えられてくる身体の状態が、放鬆や虚領頂勁などの内容や感覚に類似している、という程度のものに過ぎないのでしょう。
 しかし、同時にそれは、放鬆や虚領頂勁などの要訣がどれほど研究され修練されようとも、
「日常性」という環境の中では決して理解され得る筈もない、ということでもあります。
 武術原理が取りも直さず「非日常性」であるというところから観れば、「ボール乗り」は実に容易に、そのような世界へ私たちを誘う契機となるものに違いありません。


 ・・さて、実際にボールを使った訓練では、いきなりヒョイと飛び乗るようなことはせず、
いくつかの段階に分けて稽古が行われます。

 師父が考案された主な練習段階には、

 (1)ボールに座って足を着けたままバウンディングする
 (2)ボールに座って足を離す(「腰掛け」と呼びます)
 (3)足を離したままバウンディングする
 (4)正座して乗る
 (5)膝立ちで直立して乗る
 (6)膝立ちでバウンディングする
 (7)狛犬(両足裏と両手を着けて乗った形の呼称)で立つ
 (8)狛犬で前足を挙げる(両手を離す)
 (9)ボールに真っ直ぐに立つ
 (10)立ったままスクワットをする
 (11)立ったままバウンディングをする
 (12)手を使わずにボールに立つ
 (13)走ってきてボールに飛び乗る

 ・・などがあります。

 今回の一般クラスの稽古では、ボールに座って足を離す「腰掛け」と、その状態でのバウンディング。そして「正座」と「膝立ち」が行われました。

 初めての人にとっては、ボールに座って足を離すことだけでも、想像よりも難しいものです。
足を離した瞬間に全身に伝わってくる不安定な感覚と、動きを止めようとしても決して止められない非日常的な構造に、初めは誰もが新鮮な驚きを覚えることになります。

 初心者さんは、腰掛けたところからほんの少し床から足を離しては、ボールが動くたびに、すぐに足を床に着けたがる傾向があります。
 また、予め姿勢を整えてパッと足を床から離し、そのままじっと直立不動・・いや、座位不動のままで、ひたすらじっとしていれば何とかなる・・という考え方も見られます。
 ボールは意に反して好き勝手な方に転がっていこうとするので、ボールの上では何もしなければそのまま起上がり小法師の如く倒れるしかないのですが、ダルマさんと違うところは、そのまま戻って来ないことでしょうか。

 初めてボールに乗ろうとする様子を観ていると、不安定な環境に於いては、ヒトが如何に「固定すること」や「安定感」を求めるかということ、また、その中で安定を得るためには「力んで静止する」ことでバランスを保ちたがる、つまり安定する位置にしがみつくような傾向や考え方があることが明らかになってきました。

 実は、これはたいへん重要なことで、ボール乗りの訓練のみならず、まず「立つこと」に対する根本的な考え方が間違っている、ということになります。
 なぜなら、「立つこと」とは「静止すること」ではなく、それとは反対に、非常に繊細な微調整の運動が絶えず行われている「不安定」な状態であるからです。
 訓練を段階的に積んでいけば誰もが次第に体験することですが、ボールに立つためには自由に身体が動けなければ、全く立つことができません。
 ボールのような、極めて不安定なものに限らず、ちょっと高めの台に乗ったときや、レンガの上に立ったときなども同様で、見た目には静止していても、実は身体は、立つために微細な運動を休むことなく精一杯行っているのです。

 そして、そのような体験をした後に、静かに、注意深く、まるでボールの上に乗っているかのように床の上に立ってみると・・・何と、先ほどのボールの上での出来事とまったく同じことが身体に起こっているのがありありと分かります。
 私がこのことを体験したのは、まだ巷にバランスボールという道具が無かった中学生の頃ですが、ものすごく感動したことを覚えています。
 それまで自分は、当然のことのように、二本の足でしっかり立てているような気がしていたのですが、実際には、立つことのために身体中が繊細に動き続けていたのです。そして、そのことが体験される前と後とでは、自分の立つこと、即ち站椿の訓練が、飛躍的に変わったことを記憶しています。
 ボールに腰掛けて足を離すという、単純極まりない訓練は、まず初めにそのことを教えてくれる、たいへん有意義な訓練だと思えます。


 ・・さて、ボールに腰掛けて、足を離す身体の感覚が取れてきたら、次は「正座」をします。
 これがまた、予想以上に味わい深いものでした。

 ボールの上で正座をすると、まず顕著に表れてくるのが「足の蹴り」です。
 スネをボールに乗せ、お尻を足に近づけて正座しようとすると、意に反して立ち上がる方向にチカラが働き、座ろうとしてはピクッと立ち上がる、また座ろうとしては、ピクピクッと足がボールに反発してしまい、ボールは手前に転がろうとします。
 歩法や套路でどれほど正しく身体が使われていたかが、これによって明らかになります。

 基本功で正しく身体が使われていた人は、ボールの上でも至って足が軽く、ヒョイと正座をすることができます。そのような人は、足がピクピク反発したり、立ち上がる方向に入力したりすることが一切なく、身体中がユラユラと柔らかく動き続けている様子が明らかに見られます。
 さらによく見ると、最もよく動いているのはボール自体と、ボールに近い身体の部分、つまり腰の辺りで、頭部などはまるで糸で吊されているように、ほとんど動いていません。


 正座で、楽に感覚が取れるようになったら、次は「膝立ち」にトライします。
実は、この「膝立ち」は、ボールの訓練では最も重要な段階です。

 これが最も重要であるという理由は、この「膝立ち」を行わずに「狛犬」の訓練に入ってしまうと、肝心な「自分の中心とボールの中心が合う感覚」や「足の力みを用いずに身体が動ける状態」などを感じることが疎かになり、「狛犬」になると脚の力でボールを押さえつけたり、身体をガチガチに固めたまま立つことになってしまうからです。

 「膝立ち」での典型的な誤りは、まず、身体が真っ直ぐに立っていないことです。
 ほとんどの人は、ちょうど股関節の辺りで体が少し折れ曲がり、大腿四頭筋や腹筋、背筋などを優位に用いてバランスを取りたがる傾向があります。
 それに対して、正しく立てている人は頭頂部から膝の中心まで身体が真っ直ぐに伸び、さらにその先にボールの中心があり、膝から下は放鬆され、先ほどの「正座」と同様に頭はほとんど動かず、膝とボールが僅かに動いているだけです。

 「狛犬」が比較的楽に出来る人でも、その前段階である「膝立ち」が思うように出来ないという状況がしばしば見られますが、それは単に「狛犬」が四点支持で「膝立ち」が二点支持だというような問題ではなく、いずれも「馬歩」が理解されているかどうかの問題です。

 狛犬までの段階で「馬歩」が理解できていれば、ボールに立つときにも足の踏ん張りや支えを一切必要とせず、たとえ足下が揺れ動いていても、身体にはなんの影響もなく立ち上がることができます。

 今回の稽古でも、既に容易にボールに立つことの出来る上級者たちは、何も指示が無くとも、いきなりボールには立とうとせず、まず「膝立ち」と「狛犬」をじっくりと行ってから、完全に立つ状態までを段階的に訓練していました。

 ボールの訓練を終えた後は、皆さん一様に、身体が一回り大きくなったように見えます。
 最も著しい変化を遂げたと思えるところは、やはり「足」でしょうか。

 正しい練習の後は、誰の目にも、足もとが信じられないほど軽やかで、身体の中心がとても
充実しているように見えるのが不思議ですね。

                                 (了)



* 以下は一般クラスでの「ボール乗り」の練習風景です *


     

     

     

     


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