Welcome to Blog Tai-ji



  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
  ウェブ・ブラウザは「Safari」または「Firefox」をお勧めいたします。



            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2017年02月15日

連載小説「龍の道」 第193回




第193回  P L O T (13)



 ガサリ──────と薮を分ける音がして、雪に埋もれた森の中から、白いカムフラージュに身を包んだ男が静かに出てきた。
 たった今、館(やかた)から追って来た二人のセキュリティ・ガードが立ち去ったばかりの場所から、ほんの数メートルのところである。宏隆は彼らのすぐ傍に潜んでいた。

 三頭の番犬に後(おく)れてやって来た男たちは、催涙スプレーを受けて惨めに繋がれている犬たちを発見したが、森の向こうに走って行く車のヘッドライトを目撃し、さらにその方向へ向かう真新しい足跡を見つけて、侵入者は去ったものと思い込んで、行方不明の同僚を探しに出かけた。
 しかし実は、宏隆はその場から離れてはいなかった。立ち去ったと思えた足跡は、訓練で学んだとおりに、彼らの目に付きやすい所に、わざとそう見えるように付けたのである。


「・・さて、行くか、チャンスは今しかない」

 そう呟(つぶや)いて、宏隆は彼らとは反対の方向に歩き始めた。

 行方が判らなくなった仲間を探すため、警備の男たち二人が館を離れ、番犬も居ない。
しかも彼らは、宏隆たちがこれ以上襲ってくる事はないだろうと考えている。敵の本拠は人数も手薄で、気持ちも弛んでいる。館を探りに行くのに、これほどのチャンスは無い。

「宗少尉との待ち合わせまで、あと2時間か。Walmart(ウォルマート)まで、急いで行けば40分くらいだが、残された時間はわずかだ。急がなきゃ・・」
 
 凍てつく針葉樹の森を歩き、何の問題もなく館の前までやってきたが、何を思ったか、宏隆はふと、本館と少し離れた所にあるガレージに向かった。
 大きな倉庫のようなログキャビンのガレージには、もう警備の人影もない。監視カメラは表側の、車の出入り口にしか無いので、裏口の小さな扉の鍵を開けて、そっと中に忍び込んだ。

 鍵を用いずに錠を開ける行為をピッキングと呼ぶが、専用の道具を使って何度か練習をすれば、プロの泥棒でなくとも、一般的なピンタンブラー錠なら誰でも簡単に解錠できる。
 学生寮で宗少尉がやったようなピッキングは宏隆も訓練してきている。敵地で侵入や脱出をする際に、たった一枚のドアのカギが開かないために身動きが取れないのは哀しいからである。

 西欧のガレージは元は馬小屋や納屋からの転用で、一般家庭同様、ここも壁際の棚から収納庫、ロフトに至るまで、様々な工具から野球のバット、ロープやシート、バケツに壊れた椅子など、実にいろいろな物が雑然と置かれている。

 車は三台あるが、目に付くのはどの車にもナンバープレートの辺りに短いケーブルが付いていることだ。
 これはエンジンヒーターで、駐めている間にエンジンが凍結しないよう、電気でエンジンを温めておく装置だ。冬季はバナナで釘が打てるという、ー40°Cの極限の寒さが襲うアラスカでは、クルマを戸外に放置すると1時間もしないうちにエンジンが見事に凍りつく。
 アラスカやカナダのスーパーやレストランの駐車場には、どこでも駐車台数分のヒーターのコンセントを付けたポールが設置してあって訪問者を驚かせる。

「へえ・・アラスカで、緑のリンカーン・コンチネンタルか」

 フラッシュライトの光が外に漏れないよう気を遣いながら、一番奥にあった大型の高級セダンを照らし出した。

「まあ、排気量が7.5リットルもあるどデカいアメ車は、広大な大陸を走り回るのには、さぞ便利なんだろうな」

「こっちはジープ・チェロキーだ。こいつもV8で5.9リッターの大排気量。外見はのどかな大型ワゴンだが、中身はネコ科の動物のような高性能SUV(Sport Utility Vehicle)だ。きっとアラスカの原野をどこまでも走って行けるのだろうな・・で、残った奧のヤツは?」

 裏口から入って来た宏隆から見れば最も奧になるが、ガレージの出入り口に一番近いところに、背の高い箱型のクルマが置いてある。

「うぉお、こりゃランクルじゃないか!、それも3.9リッターのFJ40V、125馬力・29キロのトルクだ!、日本じゃ需要が無くて85馬力のディーゼルしかないが、こいつはチェロキーやランドローバーと並ぶ、世界で大人気の四駆だ。乗ってみたいなあ!!」

 クルマ好きの宏隆は、赤いフィルターのライトに浮かび上がった憧れのトヨタ・ランドクルーザー40(ヨンマル)に興奮して、思わず敵地に居ることを忘れそうになったが、

「おっと、いけない、いけない・・早いこと片付けなきゃ」

 自分にそう言い聞かせると、先ずリンカーンのドアを開け、大きなボンネットをそっと開けると、エンジンルームの中を覗き込んで、何やらゴソゴソといじり始めた。

 ドアの鍵は掛かっていないので、ボンネットは簡単に開けられる。
 ガレージに置かれた車は、大概はドアが開いているし、キーも付けっ放しか、近くの壁のキーボックスにまとめて置いてあるものだ。もしそこにも無ければ運転席のマットの下か、窓のサンバイザーの裏を覗けば必ずキーが見つかる。家の鍵でさえ、玄関マットの下かすぐ横の植木鉢に置いてあることが多いのである。ウェスタン(西洋人)は皆そうする、と宏隆はアラスカ大学の友人に教わっていた。

「さて、もう一台、っと・・」

 隣のチェロキーも、同じようにボンネットのフードを開けて覗き込み、何かをいじっていたが、ほどなく、音を立てぬようにそっとフードを閉めて、ガレージを出た。



「─────フレッドは、まだ見つからないのか?」

 いかにも苛立った顔で、その気持ちをぶつけるように、太い葉巻の頭をスパッと、まるでギロチンのようにシガーカッターで力強く切って落としたので、傍らで控えていた従者はビクリとした。シガーカッターの仕組みは、確かにギロチンを想わせる。

「イ、イエッサー・・先ほど、そのように無線の連絡がありました。三頭の番犬たちをあしらった侵入者は、こちらの警備が厳重になると察して、早々に車で引き揚げたようです」

 同じ従者の立場であり、カーネル(大佐)のボディガードでもあるフレッドは、キャンベル曹長のパートナーだったヤンという学生を始末しに外へ出たまま、未だ戻ってこない。
ちょうど侵入者の騒ぎがあったのとほぼ同時だったので、彼は同僚の安否を気遣っていた。

「ふむ、そうか・・・」

 憮然とした表情のまま、暖炉の前で長いマッチを擦り、太いシガーの先端を回しながら、その角を炙るようにゆっくりと火を着ける。

 如何にも屈強そうな従者は、直立したままじっとその作業を見ている。主人がそれを行う仕草は何度見ても美しく、自分には真似が出来ないと、彼は思う。愛著(あいじゃく)を持つ嗜好品への、それは厳粛で神聖な儀式のようなものであるのだと、彼には思えた。

「キャンベル君、逃がした侵入者たちは何者だったか、判ったかね?」

「おそらく・・」

 再びその部屋に戻ったキャンベル曹長が、直立したままで答える。

「ソルジャー・カトーと、台湾玄洋會の Secret Agent(特務工作員)と思われます」

「ふむ、予定どおりに出現した、ということだな」

「そのとおりですよ、大佐───────彼らは次の機会にこの館に忍び込んで、ヘレンが捕らわれて居るかどうかを、確かめようとするはずです」

 暖炉の前で葉巻を燻(くゆ)らせている大佐のすぐ隣のソファで、まるで客人のように、足を組んで寛いで座っている男が口を開いた。

「君の思惑どおりだな。だが、その際に君が居ては何もならないぞ。まだ君の正体を知られるわけには行かないからな。しかし、まさか今夜、再びここに現れるのではなかろうな」

「戸外(そと)はマイナス30℃もあります。訓練を積んだ人間でも、そう何時間も潜んでは居られません。それに、さっきキャンベル君に気付かれて撃ち合いになり、我々に追われる立場となったので、今夜のところは引き返すのが常道というものです」

「つまり、此処でこうして私と共に寛いで居ても、心配は無いと言うのだな」

「もしご心配なら他の部屋に隠れるか、ホテルに引き揚げますが、私が彼らの立場なら今夜は出直すところです─────そう思わないか、キャンベル曹長?」

「イエス、私も同じ意見です。侵入者が二人だけなら、多勢に無勢で、なおさらでしょう。さっきは単なる偵察に来ただけでしょうし」

「分かった─────だがこの館はいま、警備が手薄だ。キャンベル君は引き続き警戒の指揮に当たってくれたまえ」

「イエッサー、外の者と連絡を取りながら、館の警備を万全にします」

「ご苦労だな、交替しながら温かい食事を取るといい」

「サンキュー、サー!」

 そう答えながら、キャンベル曹長はチラと、大佐の隣に座っている男に視線を向けたが、すぐに踵を返して急ぎ足で部屋を出た。

「さて・・まあ飲みながら話そう。君はスコッチが好みか、それともコニャックかね?」

「コニャックを戴きます。この館のコニャックは、さぞかし極上でしょうから」

「それほどでも無いが、Daniel Bouju の Empereur XO、25年物で、こいつはやたらとシガーとの相性が良いので、切らさず置いてある」

「ほう、ダニエル・ブージュのエンペラーですか。近ごろ流行の、名ばかりのコニャックとは一線を画す、砂糖も色着けのカラメルも使わない、まだコニャックがコニャックらしかった頃の味わいを手間暇をかけて造り出した本物─────それを嗜まれる大佐は、まるでかつてのフレンチ・ブルジョワですな」

「酒にも詳しいな。ブルジョワを気取るつもりはないが、ソムリエに言わせると、シャトー・ラトゥールの '61年を供した食事の後に、このコニャックをディジェスティフ(食後酒)として飲むのがお勧めということだ。加えて、極上の葉巻があれば何も言うことがない・・」

「さすがに、銃撃戦の後の硝煙の臭いがまだ残る館で、'61年のシャトー・ラトゥールを飲むのは勿体ないでしょうから、フランス料理はまた次の機会として、今宵はカーネルに相応しい、エンペラーという名のコニャックを戴くことにしましょう」

「ははは、君はお世辞が上手だな・・さ、この中から、好きな葉巻を選ぶといい」

 大佐は起ち上がって、デスクの上からひと抱えもある箱を取り、その男に渡した。

「おお、流石は本物のシガー愛好家、立派なヒュミドール*ですな。蓋に日本の蒔絵のような細工で描かれているのは煙草の葉でしょうか。鍵まで付いているのですね」

「厳しい気候のアラスカでは、ニューヨークに増してこれが必要になってくる」

【註*:ヒュミドール(humidor)とは、葉巻煙草の乾燥を防ぐための保湿保存箱。持ち運び用は革製が多いが、室内用は分厚い木製の箱で機密性が高い。内部には湿度計と加湿装置が付き、優れた製品は半永久的にシガーを最良の状態に保つ。上質な葉巻が好む環境は、温度が18〜20℃、湿度は約70%で、空気がほんの少しだけ流れる場所とされる】


「そうだ、これを君にあげよう────────」

 その立派なヒュミドールが置かれていたデスクの上から、銀色のチューブのような物を取って、その男の前に置く。

「何でしょう・・?」

「一本用の、外出用のシガーケースだ。我々のシンボルが刻印されている」

「拝見します・・おお、ズシリと重い、銀製の見事な特注品ですな。あなた方のエンブレムが丁寧に刻まれていて・・しかし、こんな貴重な物を頂くわけには行きません」

「いいから取っておきなさい。私たちの良き協力者となってくれた記念だよ。今度はぜひ私の上座(じょうざ)の人間にも引き会わせよう。その時にそれを持ってくると良い。相手はそれだけで、きっと君への信頼が増すに違いない」

「ありがとうございます・・では、遠慮なく頂戴します」

「今日の記念に、そのヒュミドールの中から気に入ったシガーを選んで、そこに入れておきなさい」

「では、これを・・・」

「ほう、なかなか目が高いな。どうしてそれを選んだのだ?」

「私はシガーの素人ですから、ただの直感ですよ」

「ならば大した直感だ。君が手にしたのは Cohiba Siglo ll(コイーバ・シグロ・2)、それほど高価ではないが、豊かさと複雑な風味が交わり合い、珈琲や大地のフレーバーが感じられる、知る人ぞ知るトップクラスの葉巻だ」

「素晴らしいですね。しかしこの特別なシガーは、一体いつ吸えば良いのですか?」

「心から寛ぎたい時や、充分に満たされたとき、あるいは──────」

「・・あるいは?」

「明日は命懸けの戦場に出る、という夜に、独り喫するのだ」

「なるほど・・ならば私は、いつ吸っても良いと言うことになりますな」

「ん?、なぜかね」

「私の人生は絶え間なく、常に戦場に在るからです」

「ふむ、好い言葉だ。ますます頼りになる気がしてくるな、君は─────」

「畏れ入ります」

「わはははは・・」

「ははははは・・・」

「さあ、コニャックを開けようか」

「嬉しいですな、これで私も、にわかブルジョワジーです」

「それは良かったな、わはははは・・・」

「あははははは・・・」


「うぅむ・・寒冷地用の二重の窓だから、中の声が聴き取りにくくて、何を喋ってるのか、まるで分からないな」

 暖炉の火が揺れる光が窓から漏れるのを見て、宏隆はそこに集う人間たちを探るために、そっと近づいてきていた。この場所をチェックする見廻りの間隔は7分以上で、つい今しがた警備要員が寒そうに通り過ぎたばかりである。

「・・オマケに壁はぶっとい丸太ときてる、こりゃぁ集音器が必要だな」

 だが、その窓から漏れる高らかに笑う声を聞いて、宏隆は驚いた────────

「えっ・・いまの声は?・・・ま、まさか?!」

 聞き覚えのある声であった。宏隆は急いで腰からタクティカル・バトンを抜き、そこに丸いミラーを装着した。窓から部屋の中を見るためである。

 タクティカル・バトンとは日本で言う特殊警棒のことであり、宏隆は拳銃やナイフと共に、FBIや警察官が用いているASP製のバトンを装備している。バトンの先端には、隠れたまま敵の状況を確認するための、直径7.6cm、重さ18gのプラスチック製のミラーがワンタッチで装着できる。

 そのバトンの先端のミラーを、そっと窓のところまで持ち上げて、談笑する声の主を確認しようとしたが────────

「むっ・・何だ、いまの光は?!・・だれか窓の外に居るぞ!!」

 大佐と親しげに話をしていた男が、険しい表情で叫んだ。

「・・な、何だと?」

 思わず、大佐も起ち上がろうとしたが、男に制されて、

「大佐っ、椅子の陰に隠れて!・・ガード(護衛)っ、その窓を開けて外を確認しろ!!、無線でキャンベルを呼べっ!!」

「はっ─────!!」

 立ったまま控えていた従者が、腰の銃を抜いて窓際へ走る。

「し、しまった、光が反射したか・・?!」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第194回の掲載は、3月1日(水)の予定です

2017年02月01日

連載小説「龍の道」 第192回




第192回  P L O T (12)



 複数の犬の吠える声が、だんだん近づいて来ている。

「イヌか・・ちょっと厄介だな」
 
 歩みを止めて、宏隆はちょっと顔をしかめた。一匹ならともかく、何匹もの犬に襲われたら厄介に決まっているし、銃を撃てばこちらの居所が敵に知られてしまい、宗少尉と分かれて独りで屋敷を探ろうとする意味がなくなる。

 小型犬の人気や手軽な防犯設備が普及されたゆえか、近ごろはめっきり”番犬”という言葉を聞かなくなったが、訓練された犬は非常に勇敢で、なまじのボディガードなどよりも遥かに頼りになる存在である。
 訓練された犬は敵味方を見分け、武器の所持まで判断してしまう。ゴツい体の格闘家だろうがプロレスラーだろうが、体重40キロ程度の軍用犬(MWD=Millitary Working Dogs)が牙を向き出して襲い掛かってきたら迎え撃つのは容易ではない。下手をすると首や鼠蹊部を噛まれて死に至ることも有り得るし、銃でもあれば兎も角、ナイフや棍棒などの武器を持っていても、あまり役に立たないはずである。

 警察犬や盲導犬、麻薬探知犬や災害救助犬などは有名だが、一般人にあまり知られていない軍用犬は、特別な訓練を受けた頼れる兵士の一員として、千年もの昔からあらゆる戦闘地域で重宝されてきた。
 特殊部隊に抱えられて共にパラシュート降下をし、ヘリコプターで吊り下ろされ、時には眼にゴーグル、顔にはガスマスクを装着し、敵地にあっては偵察、襲撃、追跡、98%の成功率を誇る地雷や爆弾の探査、前戦キャンプの見張り番から、過酷な環境を強いられる兵士の良き友人としてセラピー役までこなす軍用犬は、誠実で有能な相棒なのである。

 軍用犬の歴史は米国より日本の方が古いが、第二次大戦中のハワイでは、日本やドイツの工作員上陸に備え、五千頭もの軍用犬が海岸線の夜間パトロールに充てられた。
 湾岸戦争、ソマリア、イラク、アフガニスタン戦争など、現代の戦争に於いても多くの軍用犬が投入されており、どこの国でも軍用犬の訓練には力を入れている。また、特殊部隊のでは敵地で軍用犬と遭遇することを想定に入れた訓練も行われる。


「犬が居たとは思わなかったな。しかし、今ごろノコノコ登場してくるのは、軍用犬の払い下げじゃない証拠だ。民間の警備犬なら、複数でも何とかなるか・・」

 何かを思いついたようにそうつぶやき、来たルートを少し戻って、剥き出しの岩が壁のように立ち塞がった場所まで来て、その岩の前の10畳ほどの広さに開けた地面を、しばらく行ったり来たりしていたが、やがて立ち止まって、

「よし、これくらいで良いだろう──────」

 そう呟(つぶや)いて岩場の裾に腰掛け、何のつもりか、片方の足だけ靴紐をほどいて靴下を脱ぐと、素足のまま靴を履き直し、そこらにあった長さ1.5メートルほどの木切れを旗竿のように雪の地面に突き刺して立て、まるで何かのマジナイのように、脱いだ靴下をその先端に被せた。

 激しく吠える声が、さらに近づいてくる。

「あと2分もすれば、此処にやって来るな」

 傍で見ていたら、誰もがその奇妙な行動に首を傾げるに違いない。
 だが、宏隆は掲げた靴下をそのままにして、ファーストエイドのポーチからアルコールの消毒液を出し、靴と手袋の全体によくスプレーすると、後ろの岩壁を2メートルほどよじ上って反対側に身を隠し、近づいてくる鳴き声を待った。
 
「ワンワン、ワンワンワンワン・・・!!」

 ついに三匹の犬が宏隆の足跡を追ってやって来た。ツヤの良い黒いボディは90センチ、体の高さは70センチ近くもありそうな大型犬だ。

 鼻を地面に擦りつけるようにして、臭いを嗅ぎ分けながら、どんどん近づいてくる。
 犬の嗅覚の能力は、動物性の臭いと危険を感じ取るために最も多く使われている。犬たちは宏隆が潜んでいた森に遺された足跡の臭いを元に、宏隆を追跡してきたのだ。

 犬たちはしばらくの間、岩の向こう側で宏隆の足跡を散々嗅ぎ廻っていたが、やがて木切れの先に着けた靴下にも自分たちが追いかけてきた臭いがあるのを発見して、三匹ともぐるりとそれを取り囲むようにして見上げ、各々に鼻を上に向けて臭いをかぎ始めた。

 だが、そのとき・・・

「それっ────────!!」

 その大きな岩の上から宏隆の右手が伸びたと同時に、強力な霧のスプレーが勢いよく犬たちの鼻先に向けて発射された。

「キャーン!!・・キャイン、キャイン・・・・!!」

 前足で鼻や目を擦ったり、そこらの雪に頭を突っ込んだりして、例外なく泣き叫びながら激しくのたうち回っている。宏隆が発したのは強力な催涙スプレーであった。

 犬の目は構造的に人間よりも異物が入りやすい。そして宏隆が用いた催涙スプレーは唐辛子の成分を主とするため眼と鼻に利きやすく、鼻腔の嗅細胞が人間の4倍もある犬にとっては、催涙スプレーの強烈な臭いも刺激も4倍となるに違いなかった。

 犬の嗅覚は人間の百万倍から一億倍と言われているが、全ての臭いに対してその働きがあるわけではなく、発汗時に発生した揮発性脂肪酸に対して最も良く働く。それゆえに警察犬は犯人の汗の臭いを元にしてその足取りを追い、居場所を突き止めたり犯人を特定したりすることが可能となるのである。

 足から出る汗はエクリン腺という汗腺から分泌されるが、汗臭いと言っても汗自体は無色無臭で、99%が水分、残り1%は塩分であり、汗そのものに臭いがあるわけではない。
 臭いの原因は、汗と共に流れ出た古い皮質や角質を皮膚の常在菌がエサにするためで、それが極端になれば、誰でも足許から熟したブルーチーズや納豆、生ゴミのような臭いを発することになる。

 わざわざその辺りを歩き回り、さらに靴下を脱いで立てた木切れの先に被せたのは、犬たちの意識を一点に集中させる工夫であり、さらに靴や手袋にアルコールをかけて消臭することで、犬が追跡してきた臭いを消し、岩の裏側に身を潜めた宏隆の所在を容易に辿れないようにしたわけである。

 では、建物からわずか100mほどの所に潜んでいた宏隆たちが、嗅覚を誇る番犬たちに気付かれなかったのは何故だろうか。
 犬にとって嗅覚とは、獲物を探したり物を識別するための重要な感覚で、軍用犬一頭の警備範囲は半径3〜4kmとも言われているが、実は犬の嗅覚は遠くまで感知できるわけではなく、実際にはわずか1メートルから3メートルの範囲でしか対象を嗅ぎ分けられない。

 さらに、優れた嗅覚を実践できるようになるには相応のトレーニングが必要であり、7ヶ月の訓練を受けた軍用犬でも、3歳を過ぎた頃からはめっきり能力の衰えが目立ち、9歳からは聴力も弱ってくる。この場合の民間の警備犬たちが現役として十分使えるかどうか、どれほどの訓練を受けてきたかどうか、宏隆には少々疑問に思えたのだった。


「勘弁しろよ、欺(だま)して悪かったな。3時間も経てば楽になるからな・・」

 岩の上からその様子を見下ろしていた宏隆が、ちょっと済まなさそうに言った。

 が、その途端────────

「ガォオッッッ!!」

 しきりに前足で目鼻を拭っていた一頭の犬が、大きくジャンプをして岩に飛び上がり、宏隆に襲いかかった。

「うわぁあっっっ・・・!」

 思わず宏隆は岩の上から転げ落ちたが、犬も同時にそれを追いかけて襲ってくる。

 犬は通常、高いところに向かって攻撃をすることはない。もし襲われたら、先ずは車の屋根でも、塀の上でも、何でも良いから高いところに逃げるという事を覚えておくべきだ。
 しかし、軍事訓練をされた大型犬は150〜170cmの高さの障害物を難なく飛び越えてしまうし、自分より高い所にいる敵の腕にもジャンプして噛みついてゆく。

 あまり催涙スプレーの被害を受けていなかったのか、あるいは嗅覚に次ぐ優れた聴覚で、岩の上に居る宏隆を見つけたのか──────犬の聴覚は人間の4倍、視覚はあまり発達していないが、動体視力は抜群で、視野も250度と人間よりはるかに広く、このような暗闇でもわずかな光で活動ができる器官が備わっている。

 この場合、彼ら番犬にとっては、主人の命令で足跡の臭いを追跡してきた途中で、思わぬ邪魔をしてきた外敵に出合った、という感覚だろうか。
 ともかく、宏隆を外敵として認識した犬は、猛烈な反撃を返してきた。

「くぅうっ・・な、なんて強いチカラなんだ!!」

 襲ってくる首を押さえつけようとしても犬は攻撃をやめず、地面に寝転がったままの宏隆を起ち上がらせることなく、さらに噛みつこうとして襲い続けてくる。

 体重が40キロを超える軍用犬の主流、真っ黒なジャーマン・シェパードである。
 普通の人が襲われたら、ひとたまりも無いだろう。

 片方の目は催涙スプレーの所為でひどく涙が出ている。若くはないが、にも拘わらず牙を向き出して宏隆を襲い続けるのは、かつて厳しい訓練を受けた犬かも知れない。

「ガウゥウウ・・ガゥルルルル・・・!!」 

 争って揉み合い、ついにその大きな口に備わった牙が、ガブリと宏隆の左腕を捉えて噛みつき、頭部を強く振り回そうとしながら、そのまま離そうとしない。
 だが、宏隆は落ち着いて右手を腰に伸ばした。

 犬の筋肉は人間が想像するよりも遥かに強く、体力も持久力が発達していて疲れにくい性質を持っている。猫族のチーターが瞬発力を活かして素早く走って獲物を狩るスプリンターだとすれば、オオカミから分かれた犬はマラソンランナーのように長い時間を掛けて獲物を追い、相手が疲れて逃げられなくなったところを捕らえる。狩猟方法の違いは筋肉の組成が異なるからである。

「ガツンッッ──────────!!」

「キャイーン・・・!!」

 だが、大きく悲鳴を上げながら、ようやく噛んでいたその牙を離した。
 宏隆が腰のベレッタを抜いて、銃床で犬の鼻筋を強かに殴ったのだ。


 万一、犬と闘う羽目になった時の為によく理解しておかなくてはならないのは、犬の武器は牙しかないという事実だ。犬に襲われたら噛みに来た牙を避けるか、何かを噛ませておいて反撃するしかない。襲われても防御に専念しているだけだと、さらに興奮して必ず首を噛みに来る。
 また、複数の犬に襲われたときは、一頭に噛みつかれて怯んでしまうと、これ幸いと他の犬もどんどん襲ってくる。これはオオカミと同じ習性である。
 そして犬自身も、相手に喉元を噛まれたり喉を強く掴まれたりすると、自分の負けだと認識する習性があるらしく、喉への強い攻撃や急所である鼻筋への打撃を非常に嫌がる。

 今は宏隆が、重さ1kgの鉄の塊・愛用の銃 M92で殴ったのだから、犬もたまらない。
 動物は相手に敵わないと認識すると逃げに入るもので、案の定、宏隆に殴られた犬もそのまま何処かへ走り去った。

「ふう、やれやれ・・向かって来たのが一頭だけで良かった」

 腕に巻いたタオルを解いてみると、その下の上着には牙の穴が空いている。

 犬に襲われるのを想定して、近づくのを待ちながら、予め左の前腕にタオルを巻き付けておいたのは正解である。着用した軍用グローブは勿論だが、腕にもケブラー繊維でできた防刃プロテクターを着けているので、牙は皮膚まで通ってはいない。

「そろそろ屋敷の人間たちがやって来る頃だ、あまり時間が無いな」

 目と鼻をやられて、まだ苦しんでいる2頭の犬の首輪に素早くロープを通し、立木に括り付ける。これで犬が回復しても、取りあえず自分が追われることはない。
 だが、早く屋敷の様子を探らなくてはならない。さてどうしたものかと、宏隆は少し思案していたが、すぐに人間の声が聞こえてきたので、行く先を悟られないような歩き方で、わざと足跡を遺しながら、そっとその場を離れた。


「・・おいっ、犬たちがやられているぞ!!」

「やはりあの鳴き声はそうだったか。銃で撃たれたか?」

「いや、目や鼻を雪に擦りつけて苦しんでいる。これは催涙スプレーだ」

「当分使い物にならんな。おまけに樹に括られて・・ええい、番犬のくせに!」

「もう一頭はどうした?」

「恐らく、どこかに斃(たお)されているか、逃げて行ったか・・」

「相手は相当腕が立つ者たちのようだな。オレなら敵地でこんな見事に犬をあしらうことは出来ない。向かってきたら思わず銃で撃ちたくなるところだ」

「確かにそうだ。だが奴らはいったい何処へ消えた?」

「さっき森の向こうにヘッドライトが見えた。此処にまだ新しい足跡があるが、こいつもその方向に向かっている。そのまま立ち去ったのかも知れないな」

「この騒ぎになる前に外へ行ったフレッドも、まだ戻ってこないぞ」

「ああ、ヤンとか言う小僧の始末をしに出たまま、無線にも出ない──────」

「これだけ犬が騒いだあとだ、我々が警備を固める事は分かりきっているから、敢えてこれ以上襲ってくる事はないだろう。先にフレッドを探しに行くか?」

「それがいい、館(やかた)に無線で報告しておいてくれ」

「OK、この犬どもはどうする?」

「どうせ時間が経たないと治らない、しばらくこのままにしておくさ」

 そう言い合うと、二人の男は再びライフルを構え直して、森の雪道を歩き始めた。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )






  *次回、連載小説「龍の道」 第193回の掲載は、2月15日(水)の予定です


2017年01月26日

練拳Diary #76「教示されていること」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 私たちはよく、稽古時間が長いことについて驚かれることがあります。
 自分たちでははそれほど気にしていませんでしたが、確かに一般武藝クラスでは1回4時間強、健康を目的とする人が集まる健康クラスでも2時間から2時間半程度行われ、研究会ともなると1日10時間前後に及ぶ稽古が行われています。
 もちろん、稽古時間は長ければ良いということではなく、そのクオリティが問題であるということは、常日頃より師父からご指導を戴いているところです。

 トップアスリートのトレーニング方法にしても、巷では「長時間の練習は身体を壊す」とか「一流と二流の違いは、練習と休息のスケジューリングの違いにある」など、様々なことが言われていますが、彼らの普段の練習量と生活スタイルを見てみれば一概に長いとダメだというわけでもなく、まさに三人三様であることが分かりますし、結局のところ成績を残しているプロの人たちは、ジャンルを問わず食事と練習量と身体の回復に重点を置きつつ、自分に合ったトレーニング方法を確立しているわけです。そして、それは国を守る任務にある軍人であっても同様です。

 さて、今回私が述べたいのは稽古時間の長さの話ではなく、その長い稽古で行われている中身についてです。
 稽古では、歩くことだけで2時間が過ぎるということも珍しくありません。それも、ただ延々と同じことを繰り返すのではなく、太極拳という武術に必要とされる歩法とは一体どのようなものであるのか、その歩法が戦闘時にどのような役割を持つのか、正しく歩くために身体をどのように整える必要があるのか、という説明に始まり、そのためのトレーニングを入れながら、日常生活ではさほど気にしていなかった「歩く」ということについて、じっくりと取り組み、学んでゆくのです。
 ときには師父と一緒に歩いて動きを比べ、ときには障害物を設けて歩くなど、様々な方向から歩法を検証する中では、私たちはその人間の理に適った歩法のシステムに驚き、感動させられます。更にはそれが歩法だけに留まらず、基本功や対練へと繋げていけることに、太極拳の学習体系の大きさと厚みを感じずにはいられません。
 最も驚くべきことは、その歩法の集大成が直接戦闘技術に結びついている点です。
 いきなり「散手」とはいかなくとも、対練で相手が攻撃してくるものはもちろん、組みついて倒しに来るものまで、その歩法の理論を知っているのと知らないのとでは、結果に雲泥の差が出てきます。それこそ、勁力と拙力の違いと言いましょうか、相手への影響の現れ方やチカラの種類が明らかに異なってくるのです。
 つまり、私たちが教わる「歩法」とは、単なる一般的な歩き方や足の使い方とは異なり、太極拳の構造から生じる高度な身体操作そのものであり、それが相手にとっては非常に戦いにくく、制しにくい状態を生み出します。

 ところが、私たち門人にとっては無論のこと、太極学を学問として研究するための材料としてみてもたいへん貴重なその指導内容は、師父から見ればご自身が学び修得され、さらに長い年月を掛けて研究発展させてきた全伝の内容からみて、僅か5%にも満たないものだと言われます。
 私たちが普段の稽古で教示され、これこそが太極拳の深奥であると歓喜し感動しているものが、実はわずかに5%であったとは誰が推測できたでしょうか。
 そして、その5%からは、とても全体の100%を想像することはできません。一体どのような内容がそこに内包されているのか、どれほど考えてみても、すでに我々の想像の範疇を遥かに超えてしまっているように感じられます。

 しかし、幸いにも私は、普段教示されている5%以外のほんのささやかな数%を指導されたことがあります。ひとつは対練に於ける要点について。もうひとつは、この新年早々に行われた、正式弟子特別稽古でのことです。
 当然ながら、その稽古内容について此処で書くことは許されておりませんが、普段から一般門人とは異なる高度な内容を教わっている彼らが何に驚き、感動したかということについて、書いてみることにします。

 特別稽古は、普通なら誰もが期待するような派手な吹っ飛ばし方や、高度な纏絲勁理論の教授、套路の第何段階目を稽古する・・といった内容ではありませんでした。むしろ地味で静かな感覚を覚えるような、じっくりと太極拳そのものに自分を浸して染め上げていくような稽古であると言えます。
 稽古が進められる中で何度となく繰り返し聞こえてくるのは、彼らの「すごい!」という言葉でした。何がそんなに凄いのかと言えば、その指導の仕方が通常の稽古とは異なり、ある練功では先ず示されたことをその通りに行い、その中で新たな感覚が生じてきたときに、初めてその感覚が何であるのか、その時に生じた現象が太極拳での何にあたるのかを説明されます。
 それは最初から説明されるものではなく、恐らくそれが稽古中に生じることがなければ、その後も一切説明されなかったのではないかと思われます。つまり、取るも逃すも自分次第だという緊張感をリアルに感じさせるものだったのです。その点だけを取り出しても、まさに「生きた稽古」と言える、伝承というものが決して紙に書かれた秘伝書の受け渡しなどでは為し得ないことを感じました。

 また、太極拳の学習に必要なひとつのことを理解するために、様々な方向からアプローチをしていくことは一般の稽古でも行われていますが、そのひとつひとつが普段とは比べものにならないほど細かいものでした。
 その中には、

 『なぜ站椿で立つ必要があるのか』
 
 『太極拳に必要な身体とはどのようなものか』
 
 『套路とは、何を練るものなのか』

 ということも含まれていました。

 対練でも、最初の対練から次の対練、そしてまたもうひとつの対練へと、架式やスタイルを変えて行われる稽古は、全て段階的に繋がったものとして実感することができます。そのために、相手を如何に遠くまで飛ばすか、などということではなく、なぜ「四両撥千斤」が可能になるのか、なぜ「用意不用力」を理解しなくてはならないのか、その大元を辿ることができるのです。

 特別稽古で行われた稽古内容が、全伝の何パーセントにあたるのかは皆目見当がつきませんが、その日の稽古の始めと終わりとでは彼らの立ち姿も変わり、軸は強くしなやかなものに変容したと感じられました。そして何より、各自の太極拳に対する考え方がより鮮明になってきたと感じられたことが、印象的でした。
 ──────これは、教わらなければ絶対に分からない。套路の形を覚え、推手の数をこなすようになっても、太極拳を教わったことにはならないし、ましてや太極拳を知ったことにはならない。そんな感想を覚えました。


 今年に入ってから、稽古の指導内容がより繊細に、よりダイナミックにパワーアップしているように感じられます。
 それは、一般武藝クラスで指導されていることが研究会レベルに近いものだったりすることが多々見受けられ、その度に研究会に所属する門人は目を丸くして話を聴いていますし、平日の稽古で行われたことを正式弟子に伝えると、その内容の高度さに仰天するのです。
 師父が凄いことを仰ったときには、決してその場で騒がない。それは私たちの中でいつしか秘密を守るためのルールとして根付いたようですが、それでもやはり隠しきれずに、表情や仕草に動揺が現れてしまいます。

 太極武藝館では「健康太極拳クラス」の高齢者でも二十代の若者を軽々と飛ばしてしまいますが、太極拳のすごさは、誰もが容易に相手を飛ばせるようになることではなく、その戦闘方法をトータルに理解するための学習システムが精密に整備されていることにあると、私は思います。
 確かに、その詳細は師父について順序よく教わらなければ理解できませんし、伝承の性質上、正式弟子のための特別稽古と一般門人のクラスを同じ内容で行うことは出来ません。
 けれども、示される形も質も、説明される言葉さえも一切そのシステムを外れたものではなく、それは正に太極拳そのものなのです。つまり、私たちが注意深く耳を傾け、示されることを正しく観ることができれば、それは初めからすでに目の前に在ったということが分かるはずです。

 新年も早くもひと月が過ぎようとしていますが、一段と高度になった稽古内容や、それに伴う門下生の成長の様子を見ても、今年は色々な意味でとても楽しみな年となりそうです。

 皆様にとって、実り多き良い年となりますように。

                                 (了)


2017年01月15日

連載小説「龍の道」 第191回




第191回  P L O T (11)



「・・で、そのサーマルビジョンに対して、なにか打つ手はないの?」

 言葉こそ不安気に聞こえるが、宏隆の表情は至って平然としている。

「どんなものにも、メリットとデメリットがあるのよ」

「と、いうと・・?」

「サーマルビジョンは解像度がナイトビジョンには遥かに及ばないし、映像の距離感が掴みにくいという欠点もあるわ。それに保護レンズを装着できないから、光に弱い」

「なるほど。でもここは敵陣だから距離感は関係ないだろうね。キャンベル曹長ほどの腕なら目を瞑って撃っても中るかもしれないな」

「まあ、敵はまだ私たちを発見していないワケだし」

「それが使われないうちに、ひとまず撤退するってコト?」

「そう、もしテキがそうさせてくれたらの話だけどね」

「えっ・・?」

「どうやらキャンベルという男は、話に聞くよりも鋭い人間らしいわね。この敷地には警備する人間と幾つかのカメラはあっても、赤外線センサーがあるワケではない。私たちはカメラや人目を完全に避けていたので、それを感知できるのはいわゆる Sixth Sense(シックスセンス=第六感)、つまり通常誰もが持つ五感を超えたインスピレーションが非常に優れていると考えるべきね」

「なるほど、それでヤンの部屋をヘレンと監視していた時も、すぐに気付かれたのか・・」

「ここからは分かれて行動するわよ。集合場所は、さっき車を停めた所の北東約150メートルの森の中。私が攪乱している間にヒロタカはライトを破壊、どちらかが機を見てサーマルビジョンをつぶして、集合場所に走る─────」

「そこから先は?」

「そこからは・・まぁ、臨機応変ね!」

「オーケー、この場を切り抜けても、いきなり車には戻らないってコトだね」

「誰かが待ち伏せしているとも限らないから、安全には常に念を入れるのよ」

「しかし、また敵のライトを撃つことになったか・・」

「ああ、大武號*(たいぶごう) の襲撃事件では、ヒロタカがライフルで朝鮮の偽装船のサーチライトを破壊したんだったわね」

 【註*:大武號=「龍の道」第18回〜21回、澪標(みおつくし)1〜4参照】

「ライト破壊専門のスナイパーみたい・・」

「ところで、キャンベル曹長は右利き?」

「たぶん。訓練中に成績を書くのは右だし、紅茶のカップも右手で持ってたけど。そんなこと聞いてどうするの?」

「いいから、行くわよ。私は左、ヒロタカは右へ──────!」

「ラジャ・・!」

「・・Three,Two,One,GO !! 」

 突然雪の中から飛び出した兎のように、宗少尉が身を低くして走り始める。

「チューンッッッッ・・!!」

 その、わずか一歩前の足跡に、正確にライフルの弾がはじけた。

 ほぼ同時に、宏隆が反対の方向に走るが、2発目の銃弾はまだ自分を狙わず、宗少尉を追い続けている。

「よし、今だっ───────」

 宏隆が歩を止め、即座に屋根にあるふたつのライトを拳銃で狙う。

「ダンッ・・ダンッッ・・!!」

 大きなライトが音を立てて割れ、瞬時に辺りは元の暗闇となる。

「やったぁ、エライぞ、ベレッタ! ** 」

 そう言って、手にした銃を褒めてやるが──────

 【註**:ベレッタ=イタリア製の拳銃、ピエトロ・ベレッタM92。宏隆が台湾の射撃訓練で初めて使って以来、ずっと愛用している銃】

「ダンダンッ、ダンダンダンッ・・!!」

 間髪を入れず、ライフル弾が嵐のようにその木陰を襲ってくる。

「へへんっ、そんな所にいつまでも居るもんかいっ!」

 宏隆も反撃を予想して、疾(と)っくに別の木陰に身を移している。

 ライフルでプロに狙われて、そう簡単に避けられるものなのかと、読者は疑問に思われるかも知れない。実際に銃で標的を撃ってみると分かるが、ある程度の距離なら固定した的でもそう簡単に中るものではないし、Moving Target(動く標的)となれば、おいそれと命中するものではない。ましてや森の木立の中を動く人間、それも、どう動いていれば命中し難いかを熟知している相手に確実にヒットさせるのは、たとえ熟練者でもなかなか容易なことではない。

 ここでキャンベル曹長が用いている ”M16-A2(Model 645)” というライフルは、銃口速度が800〜900m/秒、有効射程は500m、現代でも通用する優れた米軍制式自動小銃だが、実際にはどんな銃でも一発ごとに速度や飛び方にバラつきがあり、気温や湿度、風速によっても変わってくるし、十分な殺傷能力を発揮できる距離はせいぜい200m程度までである。

 銃口初速というのは、弾丸が銃口を出て数メートル先の測定値であり、マニュアルの表示と10m/秒くらい違うのが普通で、弾丸自体は空気抵抗でどんどん速度が落ちてくる。
 800m/秒で発射された弾丸は、800m先の地点に1秒で到達するわけではなく、大体1.5秒以上は掛かる。加えて、銃の個体によっても各々クセがあり、普段使いこなしている愛用銃なら兎も角、この場合のように、セキュリティの武器庫にあった有り合わせの銃で動くターゲットに命中させるには、熟練者でも誤差の修正に相当時間がかかることになる。

 因みに一昨年、インターネットやGPSを開発したことで名高いDARPA(アメリカ国防高等研究計画局)で、EXACTO(Extreme Accuracy Tasked Ordnance)という、銃弾自体がターゲットを追跡するシステムの開発に成功したというニュースが流れた。
 それは熟練のスナイパーでなくとも、素人でも銃弾発射後に動き出した標的を確実に捉えることができる画期的なシステムであった。こうなったらもう、ウデも運も関係ない。
 その様子はYouTubeの『EXACTO Live-Fire Tests, February 2015』で確認できる。


「ダンッ!─────ダンダンッ───────!!」

 さらにライフルは宗少尉を狙うが、右に走っては左に少し戻るような、変則的な走り方をしているので当たらない。普通右利きの者は右へ移動するターゲットを捉えにくい。まして北半球では人は左回転の方が容易になる。この現象は銃撃戦に限らず、素手やナイフの白兵戦に於いても同じである。

「どら、こっちからもお見舞いするか・・!」

 宏隆がライトを破壊したので、反対に建物の中の明かりが彼ら自身の在処(ありか)をくっきりと映し出してしまっている。外から反撃をするには好都合だ。

「ダン、ダン、ダンッ──────!!」

「ううっ・・く、くそっ!」

 正確に、自分のすぐ足許に着弾し、慌ててキャンベル曹長が身を伏せた。

「・・だ、誰か、屋敷の灯りを消せっ!、ブレイカーを落とすんだ!!」

 自分たちの優勢を信じている者ほど、それが覆された時には非常に脆いものになる。
 追う者が、常に追われる側にならないとは限らないのだ。
 
「サーマルビジョンを持って来ました!」

 腰を低くして物陰に寄り添いながら、一人の男がキャンベル曹長の傍まで来た。

「よしっ、10時から12時の方向*** だ、探せ──────!」

 【註***:移動中の場所の正面を12時として、方位を時計の文字盤に見立てる方位の表現法。クロック・ポジションという。10時から12時とは、進行方向や正面が南だとすれば、東南東付近から南までの角度になる。なお、戦闘機などでは水平方向をクロックポジションで表し、垂直方向は上方をHigh、下方をLowとして、背面上方のことは「6 o'clock high」と表現する。
 日本でも船舶において古くから面舵(おもかじ)、取舵(とりかじ)の表現があるが、面舵は方位を干支で分けた ”卯(う)” の方位(東/右)の事で、”卯の舵” が徐々に ”おもかじ” へと訛っていったもの。取舵は発音どおり酉(とり)の方位(西/左)のことである。現在でも漁船から商船、自衛隊まで広く使われ続けている】


「イエッサー!!」

「どうだ、何か見えるか?」

「はい、木立の中に、ひとり──────」

「よし、オレが撃つから誘導しろ!」

「イエッサー!」

 だが、そう答えた直後に、

「バァーンッッッ──────!!」

「・・う、うわぁあっっ!!」

 サーマルビジョンを覗いていた男が接眼鏡から目を背け、思わず装置を手から落とした。
 スコープを覗いて人影を認識した途端、スタングレネード(stun grenade=閃光弾)による強力な閃光が、すぐ目の前で炸裂したのである。

 現代の最新式の機械では、一定値以上は光を増幅しないように安全回路が組み込まれるようになり、まずそのような心配はないが、この時代にようやく小型化され始めたばかりの熱赤外線暗視装置は、暗闇で密かに熱感知を行う事は出来ても、反対に相手側から強い光を照射されると、対象の認識が非常に困難となるものであった。
 
「くそっ、やってくれるな・・・」

 キャンベル曹長が、その光量に目を背けながら、苦い顔をした。

 スタングレネードは、100万カンデラ以上の閃光を発する非致死性の手榴弾である。
 100万カンデラとは国際的な光度の単位で、ロウソク一本は約1カンデラの光度で光を発する。つまり100万カンデラとはロウソク百万本分の明るさである。
 日本では乗用車のヘッドライトが一灯に付き1万5千カンデラ以上の規定があり、潮岬の灯台が97万カンデラの明るさで40kmほど先の海上を照らし出すことを想えば、スタングレネードの明るさが尋常ではないことが分かる。灯台の巨大なライトが突然光を発したような明るさが目の前で起こるのだから、これはたまらない。

 さらにスタングレネードは15m以内で170db(デシベル)の爆発音を伴う。
 ジェットエンジンの音が100db、1.6kmの先まで音が届く災害レスキュー用のホイッスルが100〜120dbで、ライフルの発射時には耳元で160〜170dbの爆発音が発生する。
 ライフルや拳銃を撃つ時にはイアプラグ(耳栓)やイアマフ(ヘッドフォン型の耳覆い)の着用が必至で、着用しなければしばらく耳が聞こえない。映画などでは非着用のままで撃ちまくっているが、実弾では当分の間ひどい耳鳴りに悩まされることになる。
 ハワイなどの観光射撃では、素人用に火薬を三分の一くらいに減量しているので、爆発音はそれほど大きくない。なお、プロ仕様の戦闘用の耳栓は、銃声を大幅に軽減しながら仲間の声は聞き取れるような設計になっている。

 ─────そして、鍛え上げた軍人であるキャンベル曹長は、当然この銃撃の最中もイアプラグを着用していたので、スタングレネードの爆発音は回避できたが、サングラスの用意もない夜間の大閃光に、しばらくは光の残像しか見えない。


「ホォーッ・・・ホゥーッ・・・」

 Snowy Owl(雪のように白いフクロウ)と呼ばれる、シロフクロウの寂しげな鳴き声が、雪に覆われた森の中に響く。
 日本でも北海道で希に見かけるシロフクロウは北極圏に広く生息しているが、アラスカのそれは白夜の環境のため、フクロウにしては珍しく日中でも活動する特徴がある。

「チカ・・チカ・・・」

 小さな赤いライトが、そのフクロウの鳴き声の方に向かって、そっと何度か点滅した。

「ヒロタカ、ここよ─────」

「宗少尉、よかった、やっぱり無事でしたね」

 フクロウの鳴き声は宗少尉の、ライトの点滅は宏隆の、互いに確認をし合うための合図であった。赤いフィルターを着けたライトは白色や黄色よりも外部から認識されにくく、自分の眼も痛めにくいため、夜間の歩行時は無論、地図を読む時にも用いられる。

「ヒロタカがライトを破壊して、タイミングよくスタングレネードを投げてくれたからよ」

「何とか上手く行きました。しかし、よくライフル弾の嵐の中を走れますね」

「あら、自分だって銃弾の雨の中を平気で撃ち合うじゃないの」

「それに、宗少尉は走り方がまるでクノイチみたいで─────」

「Oh!、女忍者のクノイチね、憧れるわぁ!」

「いや、手裏剣のウデと言い、すでに十分過ぎるくらいクノイチですが」

「それより、サッサとこの森を出ましょう、下手をすると追っ手が来るわ」

「待った────────」

「どうしたの?」

「そこに、誰か倒れています」

「えっ・・?」

 よく見ると、すぐそこの木立の裏側にある窪みに、ひとりの男が倒れている。周りには争ったような、多くの足跡も雪の上に残っている。宗少尉が倒れている男に注意深く近寄ってみるが、何の反応もない。

 のど元に指を当てて、脈を確認しながら、

「もう息がないわ・・だけど体がまだ温かいから、殺(や)られたばかりね。クビを折られているわ」

 そう言うので、銃を構えていた宏隆も、その手を下ろした。

「誰だろう、やはりあの屋敷の人間かな?」

「無線器にフラッシュライト、ポケットのナイフはボーカーのマグナム、ヒットマンね」

「ヒットマン(殺し屋)?、包丁のゾーリンゲン製にしちゃ物騒な名前だけど、それなら警備の人間だね、体格もいいし。なぜこんな所に連れて来られて、殺されたのかな・・」

「連れてこられた、とは限らないわ」

「どうして?」

「手のところを見てごらん」

「・・こ、これは!?」

 男の手には、ピアノ線のように細い、見えにくいワイヤーが巻き付いている。

「恐らく、誰かを殺すためにここに連れてきて、反対に返り討ちに遭ったのよ」

「いったい誰が、こんなことを・・・」

「さあね、でも首を絞めるつもりが、反対に首を折られるとは、皮肉よね」

「あっ、クルマだ───────!」

 突然エンジン音が聞こえたのと同時に、二人は反射的にその場に身を伏せたが、森の向こう側へ、あっという間にヘッドライトの光が遠ざかって行く。

「あのクルマに乗っているヤツが、殺ったのかもしれないわね」

「この男が戻らないと仲間が探しに来るだろうし、僕らにもすぐ追っ手が来ますね・・」

「よし、サッサと退散しましょう、また出直せばいいわ!」

「いや─────宗少尉だけで行ってください」

「・・ヒロタカ、何を言いだすの?!」

「ヘレンが、あの屋敷に捕らわれているかも知れないから、自分は残ってもう少し様子を探ってみます。宗少尉は派手なエンジン音を立てて、僕らがこの場から立ち去ったように装ってください」

「・・だ、ダメよ、独りでなんて・・とても行かせられない!」

「だけど、クルマが見つかったら二人ともアウトですよ。クルマが去れば、二人で立ち去ったように想うのが自然です。そうなったら警備にも油断が出てくる」

「それは、確かにそうだろうけど・・」

「大丈夫、無茶はしないから。ただ様子を探ってみるだけで、すぐに帰ってきます」

「ふぅ・・オーケー、どうせ言い出したら聞かないだろうから行きなさい。けれど、絶対に無理をしないこと。屋敷内には潜入せず、外側から探るだけ!・・分かった?、それを約束するんなら、行ってもいいわ!」

「約束します─────次に落ち合う時間と場所は?」

「ワシラ湖の東南東、約3kmのところに 24時間営業の Walmart(ウォルマート:世界最大のスーパーマーケットチェーン)があるわ。給油ついでに色々仕入れてるから、そこで3時間後に!」

「Copy that.(了解)─────」

 そう言って宏隆は、さっき来た方向とは反対に足早に歩き始めた。

 番犬を離したのだろう。遠くから、複数の犬の吠える声が聞こえる。
 


                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第192回の掲載は、2月1日(水)の予定です

2017年01月01日

謹 賀 新 年

  明けましておめでとうございます
  本年もどうぞよろしくお願いいたします 



日頃よりブログタイジィをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
昨年は、師父が予告された通り新たな訓練方法が導入され、参加者の皆さんは危機管理についての高度な認識が養われ、指導される近接格闘技術の確かな実戦性に目を見張り、同時にそこに貫かれる太極拳の原理法則の深遠さが身に染みて感じられた特別な一年であったと思います。

また、昨年秋には本部の有志を募って札幌へ赴き、札幌稽古会 佐藤会長の御還暦と稽古会設立三周年を記念する祝賀会が盛大に開催されました。翌日の合同稽古では、三年の歳月を経て、なお大きな成長を遂げつつある札幌稽古会の皆さまの軸の通った姿勢が印象的でした。その様子は、本年のカレンダーにも掲載されています。

太極武藝館が常に前向きに歩み続ける中、「ブログタイジィ」も門人の皆さまの成長に負けないよう、益々内容を充実させて行きたいと思っております。
本年も「ブログタイジィ」を、どうぞよろしくお願いいたします。


     平成二十九年  元旦


                  太極武藝館 オフィシャルブログ
                 「Blog Tai-ji 編集室」スタッフ一同



tai_ji_office at 00:14コメント(11)お知らせ この記事をクリップ!

 北朝鮮の拉致を許すな!



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