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  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
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            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2017年01月15日

連載小説「龍の道」 第191回




第191回  P L O T (11)



「・・で、そのサーマルビジョンに対して、なにか打つ手はないの?」

 言葉こそ不安気に聞こえるが、宏隆の表情は至って平然としている。

「どんなものにも、メリットとデメリットがあるのよ」

「と、いうと・・?」

「サーマルビジョンは解像度がナイトビジョンには遥かに及ばないし、映像の距離感が掴みにくいという欠点もあるわ。それに保護レンズを装着できないから、光に弱い」

「なるほど。でもここは敵陣だから距離感は関係ないだろうね。キャンベル曹長ほどの腕なら目を瞑って撃っても中るかもしれないな」

「まあ、敵はまだ私たちを発見していないワケだし」

「それが使われないうちに、ひとまず撤退するってコト?」

「そう、もしテキがそうさせてくれたらの話だけどね」

「えっ・・?」

「どうやらキャンベルという男は、話に聞くよりも鋭い人間らしいわね。この敷地には警備する人間と幾つかのカメラはあっても、赤外線センサーがあるワケではない。私たちはカメラや人目を完全に避けていたので、それを感知できるのはいわゆる Sixth Sense(シックスセンス=第六感)、つまり通常誰もが持つ五感を超えたインスピレーションが非常に優れていると考えるべきね」

「なるほど、それでヤンの部屋をヘレンと監視していた時も、すぐに気付かれたのか・・」

「ここからは分かれて行動するわよ。集合場所は、さっき車を停めた所の北東約150メートルの森の中。私が攪乱している間にヒロタカはライトを破壊、どちらかが機を見てサーマルビジョンをつぶして、集合場所に走る─────」

「そこから先は?」

「そこからは・・まぁ、臨機応変ね!」

「オーケー、この場を切り抜けても、いきなり車には戻らないってコトだね」

「誰かが待ち伏せしているとも限らないから、安全には常に念を入れるのよ」

「しかし、また敵のライトを撃つことになったか・・」

「ああ、大武號*(たいぶごう) の襲撃事件では、ヒロタカがライフルで朝鮮の偽装船のサーチライトを破壊したんだったわね」

 【註*:大武號=「龍の道」第18回〜21回、澪標(みおつくし)1〜4参照】

「ライト破壊専門のスナイパーみたい・・」

「ところで、キャンベル曹長は右利き?」

「たぶん。訓練中に成績を書くのは右だし、紅茶のカップも右手で持ってたけど。そんなこと聞いてどうするの?」

「いいから、行くわよ。私は左、ヒロタカは右へ──────!」

「ラジャ・・!」

「・・Three,Two,One,GO !! 」

 突然雪の中から飛び出した兎のように、宗少尉が身を低くして走り始める。

「チューンッッッッ・・!!」

 その、わずか一歩前の足跡に、正確にライフルの弾がはじけた。

 ほぼ同時に、宏隆が反対の方向に走るが、2発目の銃弾はまだ自分を狙わず、宗少尉を追い続けている。

「よし、今だっ───────」

 宏隆が歩を止め、即座に屋根にあるふたつのライトを拳銃で狙う。

「ダンッ・・ダンッッ・・!!」

 大きなライトが音を立てて割れ、瞬時に辺りは元の暗闇となる。

「やったぁ、エライぞ、ベレッタ! ** 」

 そう言って、手にした銃を褒めてやるが──────

 【註**:ベレッタ=イタリア製の拳銃、ピエトロ・ベレッタM92。宏隆が台湾の射撃訓練で初めて使って以来、ずっと愛用している銃】

「ダンダンッ、ダンダンダンッ・・!!」

 間髪を入れず、ライフル弾が嵐のようにその木陰を襲ってくる。

「へへんっ、そんな所にいつまでも居るもんかいっ!」

 宏隆も反撃を予想して、疾(と)っくに別の木陰に身を移している。

 ライフルでプロに狙われて、そう簡単に避けられるものなのかと、読者は疑問に思われるかも知れない。実際に銃で標的を撃ってみると分かるが、ある程度の距離なら固定した的でもそう簡単に中るものではないし、Moving Target(動く標的)となれば、おいそれと命中するものではない。ましてや森の木立の中を動く人間、それも、どう動いていれば命中し難いかを熟知している相手に確実にヒットさせるのは、たとえ熟練者でもなかなか容易なことではない。

 ここでキャンベル曹長が用いている ”M16-A2(Model 645)” というライフルは、銃口速度が800〜900m/秒、有効射程は500m、現代でも通用する優れた米軍制式自動小銃だが、実際にはどんな銃でも一発ごとに速度や飛び方にバラつきがあり、気温や湿度、風速によっても変わってくるし、十分な殺傷能力を発揮できる距離はせいぜい200m程度までである。

 銃口初速というのは、弾丸が銃口を出て数メートル先の測定値であり、マニュアルの表示と10m/秒くらい違うのが普通で、弾丸自体は空気抵抗でどんどん速度が落ちてくる。
 800m/秒で発射された弾丸は、800m先の地点に1秒で到達するわけではなく、大体1.5秒以上は掛かる。加えて、銃の個体によっても各々クセがあり、普段使いこなしている愛用銃なら兎も角、この場合のように、セキュリティの武器庫にあった有り合わせの銃で動くターゲットに命中させるには、熟練者でも誤差の修正に相当時間がかかることになる。

 因みに一昨年、インターネットやGPSを開発したことで名高いDARPA(アメリカ国防高等研究計画局)で、EXACTO(Extreme Accuracy Tasked Ordnance)という、銃弾自体がターゲットを追跡するシステムの開発に成功したというニュースが流れた。
 それは熟練のスナイパーでなくとも、素人でも銃弾発射後に動き出した標的を確実に捉えることができる画期的なシステムであった。こうなったらもう、ウデも運も関係ない。
 その様子はYouTubeの『EXACTO Live-Fire Tests, February 2015』で確認できる。


「ダンッ!─────ダンダンッ───────!!」

 さらにライフルは宗少尉を狙うが、右に走っては左に少し戻るような、変則的な走り方をしているので当たらない。普通右利きの者は右へ移動するターゲットを捉えにくい。まして北半球では人は左回転の方が容易になる。この現象は銃撃戦に限らず、素手やナイフの白兵戦に於いても同じである。

「どら、こっちからもお見舞いするか・・!」

 宏隆がライトを破壊したので、反対に建物の中の明かりが彼ら自身の在処(ありか)をくっきりと映し出してしまっている。外から反撃をするには好都合だ。

「ダン、ダン、ダンッ──────!!」

「ううっ・・く、くそっ!」

 正確に、自分のすぐ足許に着弾し、慌ててキャンベル曹長が身を伏せた。

「・・だ、誰か、屋敷の灯りを消せっ!、ブレイカーを落とすんだ!!」

 自分たちの優勢を信じている者ほど、それが覆された時には非常に脆いものになる。
 追う者が、常に追われる側にならないとは限らないのだ。
 
「サーマルビジョンを持って来ました!」

 腰を低くして物陰に寄り添いながら、一人の男がキャンベル曹長の傍まで来た。

「よしっ、10時から12時の方向*** だ、探せ──────!」

 【註***:移動中の場所の正面を12時として、方位を時計の文字盤に見立てる方位の表現法。クロック・ポジションという。10時から12時とは、進行方向や正面が南だとすれば、東南東付近から南までの角度になる。なお、戦闘機などでは水平方向をクロックポジションで表し、垂直方向は上方をHigh、下方をLowとして、背面上方のことは「6 o'clock high」と表現する。
 日本でも船舶において古くから面舵(おもかじ)、取舵(とりかじ)の表現があるが、面舵は方位を干支で分けた ”卯(う)” の方位(東/右)の事で、”卯の舵” が徐々に ”おもかじ” へと訛っていったもの。取舵は発音どおり酉(とり)の方位(西/左)のことである。現在でも漁船から商船、自衛隊まで広く使われ続けている】


「イエッサー!!」

「どうだ、何か見えるか?」

「はい、木立の中に、ひとり──────」

「よし、オレが撃つから誘導しろ!」

「イエッサー!」

 だが、そう答えた直後に、

「バァーンッッッ──────!!」

「・・う、うわぁあっっ!!」

 サーマルビジョンを覗いていた男が接眼鏡から目を背け、思わず装置を手から落とした。
 スコープを覗いて人影を認識した途端、スタングレネード(stun grenade=閃光弾)による強力な閃光が、すぐ目の前で炸裂したのである。

 現代の最新式の機械では、一定値以上は光を増幅しないように安全回路が組み込まれるようになり、まずそのような心配はないが、この時代にようやく小型化され始めたばかりの熱赤外線暗視装置は、暗闇で密かに熱感知を行う事は出来ても、反対に相手側から強い光を照射されると、対象の認識が非常に困難となるものであった。
 
「くそっ、やってくれるな・・・」

 キャンベル曹長が、その光量に目を背けながら、苦い顔をした。

 スタングレネードは、100万カンデラ以上の閃光を発する非致死性の手榴弾である。
 100万カンデラとは国際的な光度の単位で、ロウソク一本は約1カンデラの光度で光を発する。つまり100万カンデラとはロウソク百万本分の明るさである。
 日本では乗用車のヘッドライトが一灯に付き1万5千カンデラ以上の規定があり、潮岬の灯台が97万カンデラの明るさで40kmほど先の海上を照らし出すことを想えば、スタングレネードの明るさが尋常ではないことが分かる。灯台の巨大なライトが突然光を発したような明るさが目の前で起こるのだから、これはたまらない。

 さらにスタングレネードは15m以内で170db(デシベル)の爆発音を伴う。
 ジェットエンジンの音が100db、1.6kmの先まで音が届く災害レスキュー用のホイッスルが100〜120dbで、ライフルの発射時には耳元で160〜170dbの爆発音が発生する。
 ライフルや拳銃を撃つ時にはイアプラグ(耳栓)やイアマフ(ヘッドフォン型の耳覆い)の着用が必至で、着用しなければしばらく耳が聞こえない。映画などでは非着用のままで撃ちまくっているが、実弾では当分の間ひどい耳鳴りに悩まされることになる。
 ハワイなどの観光射撃では、素人用に火薬を三分の一くらいに減量しているので、爆発音はそれほど大きくない。なお、プロ仕様の戦闘用の耳栓は、銃声を大幅に軽減しながら仲間の声は聞き取れるような設計になっている。

 ─────そして、鍛え上げた軍人であるキャンベル曹長は、当然この銃撃の最中もイアプラグを着用していたので、スタングレネードの爆発音は回避できたが、サングラスの用意もない夜間の大閃光に、しばらくは光の残像しか見えない。


「ホォーッ・・・ホゥーッ・・・」

 Snowy Owl(雪のように白いフクロウ)と呼ばれる、シロフクロウの寂しげな鳴き声が、雪に覆われた森の中に響く。
 日本でも北海道で希に見かけるシロフクロウは北極圏に広く生息しているが、アラスカのそれは白夜の環境のため、フクロウにしては珍しく日中でも活動する特徴がある。

「チカ・・チカ・・・」

 小さな赤いライトが、そのフクロウの鳴き声の方に向かって、そっと何度か点滅した。

「ヒロタカ、ここよ─────」

「宗少尉、よかった、やっぱり無事でしたね」

 フクロウの鳴き声は宗少尉の、ライトの点滅は宏隆の、互いに確認をし合うための合図であった。赤いフィルターを着けたライトは白色や黄色よりも外部から認識されにくく、自分の眼も痛めにくいため、夜間の歩行時は無論、地図を読む時にも用いられる。

「ヒロタカがライトを破壊して、タイミングよくスタングレネードを投げてくれたからよ」

「何とか上手く行きました。しかし、よくライフル弾の嵐の中を走れますね」

「あら、自分だって銃弾の雨の中を平気で撃ち合うじゃないの」

「それに、宗少尉は走り方がまるでクノイチみたいで─────」

「Oh!、女忍者のクノイチね、憧れるわぁ!」

「いや、手裏剣のウデと言い、すでに十分過ぎるくらいクノイチですが」

「それより、サッサとこの森を出ましょう、下手をすると追っ手が来るわ」

「待った────────」

「どうしたの?」

「そこに、誰か倒れています」

「えっ・・?」

 よく見ると、すぐそこの木立の裏側にある窪みに、ひとりの男が倒れている。周りには争ったような、多くの足跡も雪の上に残っている。宗少尉が倒れている男に注意深く近寄ってみるが、何の反応もない。

 のど元に指を当てて、脈を確認しながら、

「もう息がないわ・・だけど体がまだ温かいから、殺(や)られたばかりね。クビを折られているわ」

 そう言うので、銃を構えていた宏隆も、その手を下ろした。

「誰だろう、やはりあの屋敷の人間かな?」

「無線器にフラッシュライト、ポケットのナイフはボーカーのマグナム、ヒットマンね」

「ヒットマン(殺し屋)?、包丁のゾーリンゲン製にしちゃ物騒な名前だけど、それなら警備の人間だね、体格もいいし。なぜこんな所に連れて来られて、殺されたのかな・・」

「連れてこられた、とは限らないわ」

「どうして?」

「手のところを見てごらん」

「・・こ、これは!?」

 男の手には、ピアノ線のように細い、見えにくいワイヤーが巻き付いている。

「恐らく、誰かを殺すためにここに連れてきて、反対に返り討ちに遭ったのよ」

「いったい誰が、こんなことを・・・」

「さあね、でも首を絞めるつもりが、反対に首を折られるとは、皮肉よね」

「あっ、クルマだ───────!」

 突然エンジン音が聞こえたのと同時に、二人は反射的にその場に身を伏せたが、森の向こう側へ、あっという間にヘッドライトの光が遠ざかって行く。

「あのクルマに乗っているヤツが、殺ったのかもしれないわね」

「この男が戻らないと仲間が探しに来るだろうし、僕らにもすぐ追っ手が来ますね・・」

「よし、サッサと退散しましょう、また出直せばいいわ!」

「いや─────宗少尉だけで行ってください」

「・・ヒロタカ、何を言いだすの?!」

「ヘレンが、あの屋敷に捕らわれているかも知れないから、自分は残ってもう少し様子を探ってみます。宗少尉は派手なエンジン音を立てて、僕らがこの場から立ち去ったように装ってください」

「・・だ、ダメよ、独りでなんて・・とても行かせられない!」

「だけど、クルマが見つかったら二人ともアウトですよ。クルマが去れば、二人で立ち去ったように想うのが自然です。そうなったら警備にも油断が出てくる」

「それは、確かにそうだろうけど・・」

「大丈夫、無茶はしないから。ただ様子を探ってみるだけで、すぐに帰ってきます」

「ふぅ・・オーケー、どうせ言い出したら聞かないだろうから行きなさい。けれど、絶対に無理をしないこと。屋敷内には潜入せず、外側から探るだけ!・・分かった?、それを約束するんなら、行ってもいいわ!」

「約束します─────次に落ち合う時間と場所は?」

「ワシラ湖の東南東、約3kmのところに 24時間営業の Walmart(ウォルマート:世界最大のスーパーマーケットチェーン)があるわ。給油ついでに色々仕入れてるから、そこで3時間後に!」

「Copy that.(了解)─────」

 そう言って宏隆は、さっき来た方向とは反対に足早に歩き始めた。

 番犬を離したのだろう。遠くから、複数の犬の吠える声が聞こえる。
 


                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第192回の掲載は、2月1日(水)の予定です

2017年01月01日

謹 賀 新 年

  明けましておめでとうございます
  本年もどうぞよろしくお願いいたします 



日頃よりブログタイジィをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
昨年は、師父が予告された通り新たな訓練方法が導入され、参加者の皆さんは危機管理についての高度な認識が養われ、指導される近接格闘技術の確かな実戦性に目を見張り、同時にそこに貫かれる太極拳の原理法則の深遠さが身に染みて感じられた特別な一年であったと思います。

また、昨年秋には本部の有志を募って札幌へ赴き、札幌稽古会 佐藤会長の御還暦と稽古会設立三周年を記念する祝賀会が盛大に開催されました。翌日の合同稽古では、三年の歳月を経て、なお大きな成長を遂げつつある札幌稽古会の皆さまの軸の通った姿勢が印象的でした。その様子は、本年のカレンダーにも掲載されています。

太極武藝館が常に前向きに歩み続ける中、「ブログタイジィ」も門人の皆さまの成長に負けないよう、益々内容を充実させて行きたいと思っております。
本年も「ブログタイジィ」を、どうぞよろしくお願いいたします。


     平成二十九年  元旦


                  太極武藝館 オフィシャルブログ
                 「Blog Tai-ji 編集室」スタッフ一同



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2016年12月15日

連載小説「龍の道」 第190回




第190回  P L O T (10)



「そちらから依頼された仕事はもう十分でしょう。これ以上関わっていると俺たちが危うくなってくる。今ならまだ何とか、様々な状況への言い訳もできそうなので、そろそろ残りのカネを貰って、終わりにしたいと思いますが────────」

 暖炉の前に置かれた、背もたれの高い重厚な革張りの椅子に、深く腰を掛けた初老の男に向かって、ひとりの男が直立したまま、緊張気味の顔でそう言った。

「そうか・・・だが、殺さない程度に何度も彼を痛めつけた、その実行犯が三号庁舎* の命令を受けてのことなのだと、ミスター・カトーは思い込んだかな?」

 男は、ゆったりと葉巻をくわえると、美味そうに紫煙を燻(くゆ)らせた。

 佳い香りが部屋中に漂う──────もし年季の入った葉巻の愛好家が居れば、それが1966年の創立以来、国家元首や外交官など、キューバ政府の国賓しか味わう事ができない、最高の土壌で育った最高級の煙草の葉だけを用い、トルセドールと呼ばれる最高の腕を持つ職人だけが巻くことを許されている、COHIBA(コイーバ)という名のプレミアム・シガーであることがすぐに分かるはずであった。

【註*:三号庁舎】
 朝鮮労働党の情報機関・作戦部の通称。2009年まで機能し、現在は朝鮮人民軍偵察総局として再編成された。各国の情報機関は、ラングレー(CIA)、ザ・リバーハウス(MI-6)、芝山莊(TMIB/中華民国情報局)などのように、所在地や建物の名前で隠語として呼ばれることが多い。


「そう思っているはずです、おそらくは─────」

「おそらく、では困るな。カトー君にそう思わせるからこそ、仕事になるのだ」

「大丈夫さ、アイツはきっとそう思い込んでるよ!」

 男の隣に立っている若い男が、いかにも疎略(ぞんざい)に口を利いた。

「オレのJUNG(ヤン)という名前が、アジア系では珍しいが、心理学のカール・ユングと同じかと訊くので、そのとおりだ、ドイツ語ではユング、英語読みではヤンになる、と答えると、朝鮮語だとチョン(Cheong=鄭)になるな、と言いやがった──────ヤンは在米コリアンに多い名前だが、朝鮮語の発音ではチョンになる。チョンをヤンと読ませるにはかなり無理がある・・なんぞと、涼しい顔をして言われたんだ。そのとき、カトーは本人であることを隠し、LEE(リー)というチームメイトの振りをしながら、このオレにそう言ったんだ、くそっ、まったくムカつく野郎だぜっ!!」

「ふむ、すっかりコケにされたようだが、我々の調査では、カトーは何に於いてもお前より遥かに優秀のようだ。ムカついたところで、どうなるものでもないな」

「へっ!、敵も味方もオレのことを馬鹿にしやがる。だが射撃の腕なら俺の方が上に決まっている─────オレはもう降りさせてもらうぜ。ただジャップを脅かすだけのこんなハンパな仕事、いつまでもチンタラやってらんねぇ。そもそもカトーはウリドゥンポォ、つまり 朝鮮同胞の仇敵(かたき)でもあるんだ。俺はオレで、個人的にヤツを狙ってやる!」

「・・だが、そうなると残りの報酬は支払われなくなるぞ」

「構うもんか、あの前金だってオレには十分な金額さ。あれだけ有ればこの国じゃ3年や5年は優雅に遊んで暮らせるからな」

「あの金(カネ)は指示どおり、ちゃんと金庫に入れておいたか?」

「ああ、持ち歩くわけには行かないからな。それにしても、ご丁寧にどデカい金庫まで用意してくれて、ありがとうよ」

「そうか、よく分かった──────」

「それじゃ、これでめでたくオサラバしても良い、ってわけだな」

「うむ、やる気のない者に大事な仕事を託すことは出来ないからね。君の役目は今日でお終いにしよう・・・ミスター・ヤン、今日までよく働いてくれたお礼に、心ばかりのボーナスを出そう。その男に案内させるから、別室に行って受け取るといい」

「ボーナスか、そいつはありがたい、流石に大物は気前がいいな」

「おい、ミスター・ヤンをご案内するんだ」

 おそらく軍隊上がりであろう、すぐ傍に不動の姿勢のまま立っている、いかにも彼のボディーガードらしい立派な体格の男に静かにそう命じると、消えかかっていたシガーの先に、独特の長いマッチで火を着け直した。

「かしこまりました」

「ヤン、おまえ・・・考え直して、もう少し働く気はないのか?」

「キャンベルさん、いろいろ世話ンなったな。まあ、あんたもカトーには十分気をつけるこったぜ、せいぜい返り討ちになんねぇようにな」

「私よりも・・お前、自分のことを・・・」

「キャンベル君、もう決まったことだ、好きにさせてやるといい」

「イ、イエス・・イエス、サー」

「ミスター・ヤン、それでは此方へどうぞ」

「おう、しかしボーナスってのはいつ貰っても気持ちの良いもんだな、あはは・・」

 屈強なボディーガードがヤンを先に廊下へと促し、扉を半分閉めながら、何かを確かめるように暖炉の前の男をちらりと見て、無言で頷き、外へと出て行った。

「カーネル(Colonel=大佐)・・ヤンをどうするおつもりですか?!」

「彼を助手に選んだのは君だが、そもそも人選が間違っていたようだな」

 キャンベル曹長が大佐と呼ぶその初老の男は頬に大きな傷があり、髪も短く刈り上げて、まるで歴戦の勇士を彷彿とさせるような眼光の鋭さがある。

「彼は朝鮮から移住したコリアンアメリカンの家で育ち、小さい頃から日本やアメリカに敵意を持っていましたが、自分が強くなるために敢えてROTC(予備役将校訓練課程)を選んだのだそうです。やがて私がカトーの台湾での事件を説明すると、非常に強い反応を示したので、これは使えると思い、助手に選んだのですが・・」

「だが実際には、君たちの正体を見破られてしまうほど、カトー君は手強かったわけだ」

「お恥ずかしい限りですが、そのとおりです」

「ならば、今のヤンだけではなく、君にも責任を取って貰わなくてはいけないな」

「・・イ、イエス・サー・・先ほど申し上げたことは撤回いたします」

「それが良い、共に扶(たす)け合うからこそ、大きな仕事ができるのだ」

「肝に銘じておきます」

「ははは、ヤン君と違って、君は長生きができそうだな、キャンベル曹長──────」

 大佐と呼ばれた男は、そう言って、咥(くわ)えていた葉巻を古風なサイドテーブルにある灰皿に載せて、火搔き棒で暖炉の薪を整え直し、炎を大きくした。

「面白いものだな・・・」

「・・・は?」

「火だよ──────火というものは、それを扱う人間次第で、どのようにでも表情を変える。そう思わないかね?」

「そのとおりです」

「世界が燻(くすぶ)っているなら、こうしてチョイと薪(まき)の向きを変えてやれば良いのだ。そして反対に、燃えすぎている時にも、少しばかり薪の向きを変える・・」

「・・・・・・」

「火をコントロールするのではない。強い火を造ったり、弱い火に油を注いだりするのではない。火を造る元となっている焚き木を、動かすのだ」

「それは政治のお話ですか?」

「政治というよりは、Supremacy、Control(覇権、支配)と言った方が正しいかもしれないな、そもそも─────」

「カーネル(大佐)、ちょっとお静かに・・・」

「ん・・どうした?」

「シーッ・・・屋敷の外に、誰かが居るような気配があります」

「本当かね?、私には何も感じられないが・・外には見張りも立たせてあるし」

「見張りの有無よりも、それがどれほど優秀かが問題です。それに私は以前にもこんな気配を感じたことがある。私が正しければ、相当な腕を持つ相手が、それも複数の人間が、すぐ近くまで来ているはず────────至急セキュリティに連絡を取ってください、私も彼らと一緒に確認します」

「よし、わかった」

 キャンベル曹長は静かに部屋を出ると、足音も立てずに走ってセキュリティ室に行き、警護の者たちと素早く打ち合わせをしながら、自らも武器庫のライフルを手にした。


「むぅ・・まずいな・・・」

「急に動きが出てきたわね。見つかるはずは無いのに、おかしいな・・」

「あの時も・・ヘレンと一緒にヤンの部屋を監視していた時にも、同じように見破られて、キャンベルがライフルを出してきたんですよ」

「今も、キャンベルが気付いたのかしら」

「おそらく、ね・・」

「さて、どうするかな?」

「せっかく中佐が情報をくれて、ここまで来られたんだから、このまま引き下がっちゃ勿体ないね」


 キャンベル曹長が感じた外の気配とは、宏隆と宗少尉の二人であった。

 あれから──────アラスカ大学にはキャンベル曹長やヤンの姿が見あたらないので、ヘレンの拉致事件の進捗状況を聞こうと、ヴィルヌーヴ中佐に連絡を取ってみたところ、軍病院に出入りする医療廃棄物の運搬業者から、不審な動きのあったトラックが浮かび上がった。
 中佐がその運搬業者を訪ねて責任者に詳しく話を聞くと、運転手を兼ねるひとりの作業員が事件の翌日から出社していない事が分かった。さらにその男の金の流れを調べて行くと、関係している複数の組織のうち、キャンベル曹長とも関わりのある人物が浮かび上がってきて、その山荘が Anchorage(アンカレジ)の北にある Wasilla**(ワシラ)にあることが分かったという。
 さっそくヴィルヌーヴ中佐がそこへ向かうつもりだったが、同時にもうひとつ有力な情報が出てきて、中佐は先にそれを確認するところだと言うので、それではと、宏隆たちがその山荘の調査にやってきたのである。

 屋敷の周りの、雪に覆われた林の中から観察していると、案に違(たが)わず、キャンベル曹長やマイケル・ヤンが現れた。明らかに彼らよりも強い立場で何かを喋っている葉巻の老人も、この事件のカギを握っているのだと思われた。

【註**:WASILLA(ワシラ)】
 ワシラはアラスカ州、マタヌスカ・スシトナ郡の最大の町。デナリ国立公園の南と言うよりは、州都アンカレジのすぐ北側、わずか100kmほどの距離に位置する。
 町の名は先住民デナイナ族の酋長の名に因み、部族の言葉で「そよぐ風」を意味する。毎年2月には最も過酷と言われる1,049マイル(1,688km)の「IDITAROD TRAIL RACE」(アイディタロッド犬ぞりレース)のヘッドクオーターとして活躍する。
 ちなみに1,688kmは、ほぼ青森〜鹿児島間の距離(歩行経路)に等しい。


「だけど、向こうはキャンベルを入れて総勢約6名よ、さすがにグレネード・ランチャーは無いだろうけど、ライフルやサブマシンガンなんかは普通に持ってるでしょうからね」

「ハンド・グレネード(手榴弾)は有るかも」

「まあ、そうね・・」

「となると、見つかってから二人で攻め入るのはキツいだろうね」

「よし、いったん撤退するわよ・・」

「Roger!(了解)」

 だが、そう言ったのと同時に──────────

「うっ・・!!」

「ま、まずいっ・・・」

 二人が動こうとした途端に、突然強力なライトが点灯し、屋敷の周り中を真昼のように照らし出した。

「大丈夫、慌てずにジッとして。敵はまだ私たちが何処に居るか、あるいは実際に居るのかどうかも確信がないはずだから、まずは静かに様子を見るのよ」

「ラジャ・・・しかし、よくもまあ、こんなに沢山のライトを・・」

「アラスカは電気代が安いからね」

「冗談を言ってる場合じゃないでしょ」

「あら、だってホントの話なのよ」

 宏隆と宗少尉は、二人とも真っ白なカムフラージュの防寒コートを着ている。辺り一面の雪に溶け込んで、さらには眩いばかりのライトがその雪を照らすおかげで、乱反射と樹々がつくる影の重なりとで、人間の居場所はなかなか分かりにくい。

「ば、馬鹿なことを・・ええい、余分なライトを消して、すぐにサーマルビジョン*** を持って来るんだ!!」

 キャンベル曹長の怒鳴り声が、すぐ其処のように聞こえた。

「イエッサー!!」

 ひとりの隊員が、急いで屋敷に走って行く。

【註***:サーマルビジョン】
 サーマルビジョンとは熱感応式スコープのこと。光ではなく熱を感知して映像化する。
 普通の暗視装置であるナイトビジョンは光を増幅して可視化するが、その元となる僅かな光量がなくてはならず、例えば夜戦で煙幕を張られては全く役に立たないが、サーマルビジョンであればその状況でも人間の動きが感知できる。
 現在ではGM、トヨタ、BMWなどの高級乗用車にもこのような遠赤外線タイプのナイトビジョンが搭載され、運転席のディスプレイにその映像を映し出し、夜間走行の安全に寄与するようになった。


「サーマルって言ったわね・・まずいわよ、それは!」

「こんなに身体が冷えていてもダメなの?」

「バカね、気温と体温の差が大きいアラスカの真冬に使われたら、あっという間に感知されてしまうでしょ!、ナイトビジョンと違って真っ昼間だって簡単に察知されるのよ」

「そ、そいつは、ちとマズいな・・・」


                     ( Stay tuned, to the next episode !! )






  *次回、連載小説「龍の道」 第191回の掲載は、1月15日(木)の予定です

2016年12月08日

練拳Diary #75「武術的な強さとは その19」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 『太極拳は、それほど難しい武術ではない』──────────とは、師父が稽古中に度々仰る言葉です。師父が “それほど” と仰るのは、私たちがあまりにも難しいことに向き合っているように見えるからかも知れません。
 確かに、太極拳は簡単かと問われれば、私は難しいと答えます。なぜなら、示される太極拳のメカニズムが、自分が知る範疇を遥かに越えているからです。

 太極拳のメカニズム。それは学習を深めるほどに、日常で見慣れたシステムとはあまりにも掛け離れたものであるように思えますが、しかし科学的に説明できないことはひとつもなく、条件を満たせば誰でもそのメカニズムを実感し、体験することが出来ます。
 太極拳のメカニズムについては、少々タイトルから外れてしまうので、また改めて思うところを書いていきたいと思いますが、今回はその条件を満たすために必要な『自己修正』について考えてみます。

 人が何かを学ぼうとする時というのは、新しい発想や考え方を養いたいときや、自分の知らない技術を身につけたいときだと思いますが、正しいことを身につけるためには必ず修正が必要になるということを、誰もが認識しているはずです。
 そして、人が何かを学ぼうとする行為は、我が身を正しく立てて行きたいという気持ちの表れでもあり、それが潜在的であるか顕在的であるかは取り敢えず置いておいても、人としての成長を望み、向上心を持って自らの人生に向き合おうとしている状態だと言えるのではないでしょうか。
 だからこそ、成長のシステムを知る人たちは、他人に本を読んで世界を広げることや趣味を持つことを勧めるのだと思います。

 何かを学び始めたときには、目の前に広がる未知の世界に感動し、ささやかな発見にも喜びを覚え、更なる勉強意欲が湧いてくるものです。それは、何かを与えられていたのでは分からなかった素晴らしい体験であり、目に映る全てのものが輝いているとさえ思えるような気持ちにさせてくれます。
 しかし、その勢いもそう長くは続かず、行く手を壁に阻まれたと感じられるような、どのようにも進めない時期が訪れます。私はその原因を「物事と自分の都合との相違」と考え、自己修正の時期として取り組むようにしています。

 人間は、物事に対して自分の都合の良いように思い込み、その思い込みをさらに正当化することが出来る生き物です。自分が好きで学びたいと思ったことに対してさえ、そうなのです。ましてや自分の嫌いなことや苦手なことに対しては、思い込みとさえ気がつかないことが山ほどあるに違いありません。
 自分の学びたいことが、趣味の領域を越えて芸術の世界にまで入っているなら、それはとても幸せなことだと言えると思います。なぜなら、壁に行き当たった場合に、それを誤魔化すことも出来なければ、自分の都合を正当化するということも出来ないからです。
 武術の世界ももちろんそうです。なにしろ、自分の命が掛かっているわけです。やられてしまったらどのような言い訳も誤魔化しも意味を成さず、そこでお終いなのです。壁に行き当たったからといって、さっさとやめて次に行けるようなら、残念ながら武術の世界が命懸けの世界だと思えていなかったか、趣味に向かう心構えでも通用すると思い込んでいた可能性が大いに疑われることでしょう。

 そもそも、行き当たった「壁」を何であると捉えているのか、そこが問題です。
 自分の実力が及ばないのか、それともその物事が難しすぎるのか。私はそれについて呆れるくらい悩みましたが、出てきた答えはそのどちらでもなく、先ほども述べた自分の都合との相違であったのです。
 自分の都合とは、簡単に言えば、自分がやりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやることです。拳打の場合には、自分が打ちたいタイミングで打ちたいように打つということになりますが、それでは実戦どころか稽古の約束組手でも相手に当てることは難しいでしょう。武術でなくても、例えばただご飯を炊くということでも、自分の都合では上手に炊けないのです。
 最近、研究会の稽古の休憩時間には、各自が持参していたお弁当の代わりにお米とキャンプ用のガスストーブを道場に持ち込み、自分でご飯を炊いて、汁物やおかずを作る光景が見られます。そのご飯も、お米の量と水加減、火加減、そして炊く時間に蒸らす時間と、美味しく炊くためには自分の都合をやめて、それらのこと全てに耳を傾ける必要があります。
 僅かに20分前後の短い時間で結果が出ます。生煮えでもなければ酷い焦げにもならない程度の、ホカホカでふっくらとした美味しいご飯を炊くために、誰でも少しずつ修正を重ねるのです。適確にやっても適当でも、それ相応の結果が出るのです。
 自炊で考えてみると、自己修正とはそれほど大変なことではなく、ひとつの物事を完成させるために必要な、単なる「過程」であることが分かります。
 それでは、ご飯を炊くことに何度失敗しても「壁」とは感じられないのに、練拳など自分が学びたいことに関しては「壁」と感じられるのはなぜでしょうか。

 私の場合には、まず自分の「都合」が分からなかったということが挙げられます。
 例えば、普段歩く時に大腿四頭筋の蹴りを使った方が都合が良いと考えて歩く人がいないように、物事の修得を阻む自分の都合を認識できていなかったのです。その状態で何回その事を指摘されようとも、認識できていないものは修正しようがなく、ただ “できない” ということだけが残ります。
 認識するためには、誰かに指摘してもらう程度ではダメなようで、自分で徹底的に自分のことを追究するしかないと思います。自己認識は簡単ではありませんが、自分勝手を戒め、自分のささやかな考え方をもしっかりとキャッチしていくことで、ずいぶん多くのことが見えてきます。そして、ここが一番肝心なところだと思うのですが、そこで見えてきた自分に対して、自分が嫌になっているかどうかです。「これではいけない!」「このままではダメだ!!」という想いの強さに比例して修正が可能になると、私は思います。
 これが、先ほど述べたように誰かに指摘してもらうだけだと、やはり他人の意見として聞いてしまうのです。所詮は自分のことを分かっていない他人の言葉だと。本当は、他人の言うことに耳を傾ける余裕さえ無くなっているのですが、そのような自分の事さえよく分からなくなってしまうのです。
 こうなると、向上心に満ち溢れていた自分はどこへやら、前向きだった自分はいつしか後ろ向きになり、「壁」と面と向かわないことで心の安定を図ろうとします。そして、一度逃げてしまうと、その一時の心の安寧がクセになり、やがて逃げ癖がついてしまいます。

 きっと、誰でもそのような状況に陥ったことがあるのではないでしょうか。そして、そのような負の連鎖からの脱却方法は、人それぞれに自分で導き出してきたはずです。
 私は、弱い自分、情けない自分がほとほと嫌になったことがあります。もちろん1回ではありませんが、一番最初に心底嫌になったときに、それまでは自分を嫌だと思ったことがなかったことに気がついたのです。なんとも衝撃的な発見だったことを今でも覚えています。
 誰でも、ご飯は美味しい方が嬉しいし、きれいな車に乗りたいと思うことでしょう。けれども、まずいご飯が嫌でなければ美味しいご飯は作れません。汚い車が嫌にならなければ、車を洗う気にはならないのです。それが出来ないどのような立派な理由を持ってきてもダメなのです。自分がそれを選んでいるし、決定しているからです。
 生活の中で様々なことと上手に折り合いをつけているつもりが、いつの間にか自分の都合を優先することとすり替わっていないかどうかが、自己修正の鍵となるでしょうか。人間は簡単に自分を正当化できてしまいます。

 自己認識の作業はずっと終わりがないような気がしますが、私は太極拳という大きな存在があることで、とても役に立っています。太極拳と係わっていると自分勝手にも気儘にも出来ませんが、代わりに、そんなことはほんの一時の表面的な安らぎに過ぎないことを教えてくれました。

 いつだったか、師父が天ぷら職人の話をしてくださいました。
 一流の天ぷら職人は、自分で満足のいく天ぷらを揚げられるのは、年に2回あるかどうかだそうです。それはきっと、それ以外の364日間の修正の結果なのでしょう。


                                 (つづく)


2016年12月01日

連載小説「龍の道」 第189回




第189回  P L O T (9)



「いきなり曹長の部屋に行くよりも、先に執務室へ寄ったほうが近いですよ」

 キャンベル曹長の居室は、いつかヴィルヌーヴ中佐が訪れた時に用意された来客用の部屋がある棟と同じ、学生たちにヴィラ(Villa=郊外や田舎の邸宅・別荘)と呼ばれる、教職員専用の居住棟にある。執務室は職員の棟にあるので、学生棟のヤンの部屋からはほど近いのである。

「それじゃそうしましょう、何処へだって行くわよ・・」

 アッサリそう言う宗少尉は、行く先が何処であろうと、この機会に決着をつける気で居るのが有り有りと見て取れる。宗少尉にしてみれば、この遠く離れたアラスカで、弟のように可愛がっている宏隆を危険な目に遭わせている奴らが、どうあっても許せないのだ。

 これまで宏隆に降り掛かった数々の災難は、宏隆やヘレンの報告から察するには、すべてはこのキャンベル曹長絡みであるに違いないと、宗少尉には思える。

 一番初めは射撃訓練場で、射撃後のターゲットを確認している最中にライフル弾が足許に跳ねた事件であった。無論普通はそんな事は有り得ない。民間射撃場でもターゲット用紙の着け外しをする際にはサイレンを鳴らし、場内全ての人間が銃を置いてブースから離れるというルールがある。その絶対のルールが破られ、ジャミング(弾丸詰まり)を直しながら、あろう事か暴発して宏隆のすぐ足許にその銃弾が飛んで来た。幸い被弾こそしなかったものの、教官を含め居合わせた全員が肝を冷やした。

 二度目は雨の山中行軍訓練のときだ。渡河の下見で、滝口(滝に水が落下し始める所)に立って下を覗いていると、何者かが自分を狙っている気配を感じ、それを最も強く感じた瞬間に、自分の居る所も忘れるほど身体が勝手に反応して飛び跳ね、そのまま滝壺へ30フィート(約9m)も落下した。
 ライフルで狙撃された事を識った宏隆はそのまま水に潜って下流へ行き、対岸の薮に隠れる怪しい二つの人影を見つけた。そしてしばらくの間自分も捜索に加わる振りをしながら、自分をリーと思わせてヤンに鎌を掛けて話をし、ヤンが犯人の一人である事を確信した。
 訓練を終え、宿舎へ帰って早々に、宏隆はヤンを詳しく調査しようとしたが、そこでヘレンと出合い、キャンベル曹長とヤンの会話を盗聴して、彼らの犯行である確信を深めた。

 そして三度目の正直となったのは、今回の雪中オリエンテーリング訓練である。
 凍て付いた 50mも幅がある河を渡っている最中に、鈍い爆発音がして氷が割れ、宏隆とバディのアルバがマイナス20度の冷水に落水し、アルバを助けるために独り氷の下を流されながらも、玄洋會での訓練を活かした落ち着いた行動で九死に一生を得たのである。

 念入りにそれらを仕組んでは宏隆を脅かし続けている敵の真意は未だ分からないが、その度に本人が生命に関わる危機に晒され、放置しておけばますます危険の度合いが高まるはずだ。それに、宏隆に降り掛かっている問題を解決しなければ、ヘレンの誘拐事件の調査も進まないことを、宗少尉は直感していた。


「ここです─────ノックしますよ」

 宏隆は以前、キャンベル曹長に呼ばれてここに来たことがある。
 ”MSG(Master Sergeant=曹長)・CAMPBELL” と刻まれた、よく磨かれた真鍮の名札が掲げられている厚い扉がスーッと開かれた。

「あら、カトーさん、お珍しいですね!」

「ミス・スーザン、お久しぶりです。いつぞやは美味しい紅茶をご馳走さま。キャンベル曹長はまだこちらにいらっしゃいますか?」

「曹長は休暇でご不在です。秘書の私は相変わらず仕事に追われていますが」

「何処に行かれたか、分かるでしょうか?」

「お仲間と狩猟に行くと仰っていましたが、行く先は不明です」

「そうでしたか。それじゃ仕方ないな、また出直します」

「・・おお、やはりソルジャー・カトーだったか!」

 宏隆の声を聞きつけて、見覚えのある教官が奥の部屋から出てきた。

「あ、エヴァンス少尉!、お久しぶりです」

 落水した河から無事に帰還した時に、焚き火で暖を取る宏隆に向かって、皆の前でその勇気と能力を讃えた、教官の Arthur Evans(アーサー・エヴァンス)少尉である。

「カトー、身体の方はもういいのか?」

「サンキュー・サー、お陰さまでこのとおりです。その節はご心配をおかけしました」

「それは良かったな。失礼だが、こちらの女性は?」

「ご紹介します。台湾海軍の宗麗華少尉です。宗少尉、こちらはかつてベトナム戦争で、 ヘリボーン特殊部隊としてAp-Bac(アプバク)の戦闘に赴いた歴戦の勇者、アーサー・エヴァンス少尉です」

「はじめまして」

「ははは、歴戦の勇者は大袈裟だが、ようこそ、アラスカへ。しかし、わざわざ台湾海軍の少尉がお見えとは─────しかもキャンベル君の部屋を訪ねて?」

「はい、少し確かめたいことがあって」

 宗少尉の顔を見ながら、宏隆がそう答えた。

「ふむ、何やら理由(わけ)がありそうだな。実は私もキャンベルの秘書に確認したいことがあって来たのだ。案外同じ目的かも知れない、もし良ければ少し話をしたいが」

「宗少尉、どうしますか?」

「エヴァンス少尉、ぜひお話を伺いたいですわ」

「ここでは話せないので、一階の応接室に行きましょう」
 
 中の声が漏れない分厚い扉の応接室に場所を移し、エヴァンス少尉が言うには───────なぜ氷結した渡河の訓練中に突然ぶ厚い氷が割れたのかを疑問に思い、翌日からその原因を NWTC(Northern Warfare Training Center:米陸軍北方軍事行動訓練センター)で調査をし始めたところ、氷が割れた場所からすぐ近くの河岸に火薬による爆発の痕跡が見つかった。間もなく宏隆からも事情聴取をするところだったという。

「そうでしたか、やはり火薬が・・・」

「やはり、と言うからには、あれが事故ではなく、自分を狙う意図を以て行われた事だと、君も思っているんだな?──────私もあのとき何かが爆発するような鈍い音を聞いた。確信は無かったが、自然に氷が割れたようには思えなかったのだ」

「あれほどの規模で自然に亀裂が起こるなら、もっと不規則に、それなりに時間も掛かって割れそうなものですが、まるで工事現場のように綺麗に一直線に割れていました。水中から聞こえた爆発音のような鈍い音と言い、あまりに不自然です」

「雨の中で行軍中に起こった滝壺への落下についてはどうだ?、君は単に自分の不注意だったと言っているが」

「本当は、突然足もとに銃弾がはじけて、その拍子に落ちてしまったのです」

「やはり、そうだったか・・・」

「差し支えなければ、曹長の秘書に確認した内容を聞かせて頂けませんか?」

「秘書に尋ねたのはキャンベルの細かい行動スケジュールについてだが、曹長の事はこちらから君に聞きたいくらいだ。君はすでにキャンベルが怪しいと思い、さらにある程度その証拠も掴んでいるからこそ、今日ここへ来たのだろう?、それに、失礼ながらこちらの宗少尉も、どう見てもただの台湾海軍の軍人だとは思えないが」

「恐れ入ります───────」

 そう言って、ニコリと宗少尉が微笑んだ。

「エヴァンス少尉は、どうしてキャンベル曹長が怪しいとお思いなのですか?」

「実は、落水したカトーをヘリで病院に運ぶ途中、パイロットがあの河にほど近いところの訓練区域内に、不審な人影を見かけて基地に報告してきたのです」

「河の近くに、不審な人影が?」

「そうだ、君が落水した河の反対側の山陰に、白いカムフラージュを着た二人組が歩いているのを見つけ、報告を受けて基地からすぐに別のヘリが飛んだ。訓練区域は基地に準じるものとして、一般人の立入を規制している所だからな」

「渡河を始めたとき、誰かに見られているような気がしていたのですが、やはり・・」

「近くの雪原を走る二人乗りのスノーモビルをヘリが発見し、強制停止させ、アイディーを確認すると、乗員はキャンベル曹長と、士官候補生のマイケル・ヤンだった」

「それで、二人はどうなりましたか?」

「どうにもならんさ。キャンベルはただ休暇を利用して、ハンティングがてら生徒に射撃を教えていたと言ったそうだ。訓練区域の表示はうっかり見逃したそうで、スノーモビルには獲物のウサギも積まれていた。何の不審さも証拠も見当たらず、そのまま帰したよ」

「ううむ・・・」

「だが、その時からだ、私たちがキャンベル曹長を調査し始めたのは」

「何か他にも不審な点があったのですか?」

「射撃訓練の時に、ターゲットの所で命中を確認していたら、君の足許に銃弾が飛んで来たことがあっただろう?、私たちの調査では、そのときライフルを手にしていたのはそのマイケル・ヤンだ。ジャミング(弾丸詰まり)になったと言って、ガチャガチャやっているうちに暴発したらしい。その場の指導教官はキャンベルと同期の昔からの友人だった」

「キャンベル曹長の執務室へ呼び出されて、そのときの暴発を謝罪されたことがあります。父がこのUAF(アラスカ大学フェアバンクス校)に多額の寄付をしているので、ぼくに怪我でもさせたら自分の首が飛ぶ、申し訳なかった、と言って笑っていました」

「他に何か言っていなかったか?」

「ライフルの暴発事故を起こした学生の名前を訊ねると、すぐには答えず、ぼくの居た所からは本人の顔が見えなかったかとか、教官の顔は見えたかなどと言って、本人の名前を聞き出して文句を言いに行くのではないだろうな、と散々念を押した上でヤンの名前を明かしました」

「ふむ、なるほど・・」

「ついでに、滝に落ちた行軍訓練の際に、曹長を何処かでお見かけした気がすると言って、その時キャンベル曹長がどこに居たかも訊ねてみました」

「ほう、それは何と答えたのだ?」

「ほとんど三班と共に居た、と言われるので、それはマイケル・ヤンがいる第五班のすぐ前ですねと返すと、露骨に嫌な顔をされました」

「ははは、君もなかなか言うじゃないか!」

「さらに曹長の、かつて右に出る者が居なかったライフルの腕前についても話題にすると、現役以降はロクに射撃訓練をしていないと言うので、最近射撃をしたかどうかを訊ねてみると、少し表情を曇らせて、近ごろはずっと撃っていないと言われました」

「なるほどな、だがそれは明らかなウソだ。キャンベルの狩猟好きは一部の間では有名で、毎週の休みには必ずハンティングに出かけているそうだ。腕に覚えのある者は、滅多にそれを錆びつかせたりはしないものだ。まして何か目的のある者なら尚のこと─────」

(註:これら宏隆とキャンベル曹長の遣り取りは、第166回・BOOT CAMP(15)を参照)


「エヴァンス少尉、これは本来申し上げるのが憚られることですが・・」

「何だね?、この際だ、遠慮なく何なりと言いたまえ」

「曹長とヤンに関することですが、自分だけの問題ではないので、何を聞いても不問にするとお約束頂けますか?」

「ふむ、君ほどの男がそう言うのだ、君を信じて、軍人として約束しよう」

「ありがとうございます──────実は今回、基地の病院から拉致されたヘレンと共に、寮の向かいの丘からヤンの部屋を見張り、観察したことがあるのです」

「ほう、スパイ大作戦(Mission Impossible)というワケだな」

「すると、キャンベル曹長が現れて、とんでもない会話が交わされました」

「会話って・・どうして丘の上からその部屋の会話が聴けるんだ?」

「それは、ちょっと申し上げられません」

「何を聞いても不問にすると約束したんだ、他言はしないから、何でも教えてくれ」

「つまり・・ヘレンが、あらかじめヤンの部屋に盗聴器を仕掛けていたのです」

「な、何だって!────────それで、話の内容は?」

「ぼくが滝に落ちたときの話で、”奴はもう、あれが俺たちの仕業だと気付いている” と言っていました」

「それから・・それ以外には何か言っていなかったか?」

「狙撃に関する重要な事はそれだけですが、僕たちの気配に気付いて、こちらに窓からライフルを向けて狙ってきました」

「ライフルだと?、そんな物がヤンの部屋にあるのか・・いや、それより実際に撃ってきたのか、キャンベルの奴は?」

「いえ、その日は闇夜でしたが、どうも暗視スコープつきの物らしかったので危険を感じ、素早く茂みの陰に伏せて、Gillie Veil(ギリー・ヴェール)を被って遣り過ごし、どうにかその場は難を逃れることができました」

「・・ふう、聞いているだけで冷や汗が出るな。だがこれは大問題だぞ、こんな事が未来の将校たちを育成する大学の構内で有って良いわけがない──────」

「エヴァンス少尉、私たちは・・・」

「いや、言わなくても良い。聞けば私も徹底して詮索したくなる。おそらく君たちは、ただの士官候補生や軍人ではないのだろう。拉致されたヘレンや父親のヴィルヌーブ中佐も同じように、人に知られてはならない立場を併せ持つ人たちなのだと思うが、違うかな?」

「そのとおりです、お心遣いを感謝します」

 宗少尉が丁寧に頭を下げた。

「いいえ宗少尉、言わばこれは、私自身がその立場以上に巻き込まれないための用心です。私に心遣いをしてくれたのはカトーの方ですよ。彼は話の中でも、私が知らない方が良い事には意図的に触れていないはずです。若いのに、大したものだな、カトーは・・」

「恐れ入ります─────」

「さて、今後はどうして行くかな?」

「エヴァンス少尉のお立場からは、どうされますか」

「私はキャンベル曹長を糾明して、きちんと責任を取らせるつもりだ。UAFの教官として有ってはならない行為だからね。もちろん結託したマイケル・ヤンも処罰を与える」

「しかし、証拠は何ひとつありません。ヘレンが盗聴した会話も録音したわけではありませんから。犯罪として立証するには無理があります」

「河を爆破した爆薬なら、ある程度は入手経路を追えるはずだ。定規で線を引いたように氷を割るには、C4(プラスチック爆弾* )やTC4(テープ型のC4)が必要になる。キャンベルなら入手もそう困難ではないだろう」

「Bangalore Torpedo**(バンガロール・トルピードゥ)かも知れませんね」

 宗少尉がそれにつけ加えて言った。

「なるほど、それなら誰でもすぐに造れるし、連結して長くすることもできる・・」

「其処らの竹でも作れますし──────」

「なかなかお詳しいですな、宗少尉は!!」

「そうです、趣味であらゆるウエポン(戦闘器材)に通じていますからね」

「ヒロタカ、よけいなコト言わないの!!」


【註* : プラスチック爆弾】
 第二次大戦以降、軍用爆薬として多用される、ニトロトルエンやテトリル等の爆薬にワックスや油脂などの可塑剤を加えて棒状に加工した物。可塑剤の添加により安定しており、ハンマーで叩いても爆発せず、千切ったり潰して塊にするなど自由に変形でき、爆発には起爆衝撃を起こす点火装置の信管(ヒューズ)が必要となる。1960年代から米軍が使用する Composition-4(C4)は通常白色粘土状の棒状箱型に成形され、プラスチック(ポリエチレン)のカバーで覆われている。全長約28cm、縦横約5cm、重量約1,1kg。

【註**:Bangalore Torpedo】
 バンガロール・トルピードゥは、戦場で地雷や鉄条網を爆破撤去するため、主として工兵が装備する 1.5mほどの細長い筒状の爆弾。英語圏の軍隊では Banngalore と呼ばれ、日本の自衛隊ではバンガローと称される。旧日本陸軍では破壊筒と呼ばれていた。上海事変では爆弾三勇士の逸話を生み、ノルマンディー上陸作戦でも重用され、プライベート・ライアンなど映画でも多く用いられた。名称はインドのバンガロールに駐留した英陸軍大尉が考案したことに由来する。


「ヘレンの拉致事件からも、キャンベルたちが浮上してくるかも知れない。何か分かったら私にも報せてもらえると嬉しい。もちろん秘密は守る」

「必ずお知らせしますわ、エヴァンス少尉」

「君たちは、これからどうするかな?」

 宏隆と宗少尉は一瞬顔を見合わせたが、

「このままキャンベルとヤンを追います────────」

 何の迷いもなく、宗少尉が言った。

「・・何となく、もうその二人が戻って来ないような気がするので」

「そうか、だが彼らも自分たちが疑われていると薄々気付いているだろう、相手は優れた射撃の腕前もある、十分に気をつけてください」

「ありがとうございます」


                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第190回の掲載は、12月15日(木)の予定です


 北朝鮮の拉致を許すな!



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