Welcome to Blog Tai-ji



  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
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            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2017年03月15日

連載小説「龍の道」 第195回




第195回  P L O T (15)



「ああ、美味しい──────味オンチのアメリカの、それも最果ての地アラスカの、田舎町のカフェでこんな珈琲が飲めるのは奇跡的な贅沢よねぇ、まるで神戸にいるみたい!」

「ん・・・・」

 宏隆と宗少尉のコンビは敵の追撃を巧みに躱(かわ)し、あの館から無事に逃げ出して、Washilla(ワシラ)からハイウェイで 20kmほど東へ行った、Palmer(パーマー)という小さな田舎町に宿を取り、これまでの状況を振り返りながらひと息ついている。

 パーマーは、デナリの東南にある広大な自然保護区、ネルチナ・パブリックエリアの南を流れるマタヌスカ川の下流に位置する。かつての多くの入植者たちの出身地であったアメリカ中西部の雰囲気が色濃く残る素朴な町で、現在はアンカレッジのベッドタウンとして発展している。
 デナリから南にアンカレッジへと向かって流れるササイトナ川沿いとはまた違った趣きがあり、車で走っていると、まるで北海道の釧路や帯広の辺りかと錯覚するほど、風景がよく似ている。

「まあ珈琲でも飲みなさいよ、きっとオツムの回転がよくなるわヨ」

「あ・・・」

「この田舎町には、アラスカ・ステート・フェアという大収穫祭があって、毎年野菜の巨きさを比べて競うコンテストがあるんだって。ここで優勝した野菜は世界最大の野菜としてギネスブックに載るんだそうよ、面白いわね・・わぉっ、去年は何と一個 40kgのキャベツを出品した人が優勝して、2千ドルの償金を手にしたって、このパンフレットに書いてあるわ。
40キロ?!、普通のキャベツって、ひとつ1kg 程度だよね、すっごぉーいっ!!」

「ン・・・・」

「巨大な野菜が採れるのは、日照時間が一日に20時間もある、白夜のおかげでしょうね」

「ム・・・・」

「なーによ、さっきからアーとかウーとか上の空で!・・でも、そんなムツカシイ顔をしてるのは珍しいわね。ま、いいから珈琲でも飲みなさい。ね、美味しいから、ほらっ!」

「・・ん、コーシ?・・んまァ、そこそこ・・飲める」

「だから言ってるでしょ、まるで神戸のカフェみたいだって」

「ははは、台湾人はそう思うのかも知らンが・・味はまあまあだけど、神戸にしむらの豆のクオリティにはほど遠いね。多分ここのオーナーがフランス系の移民か、カナダから来てる人かも知れない」

「ふぅーん、なんでそんなコトが分かるのよ?」

「ま、フランボワーズのドーナツがあるし」

「甘ったるいドーナツなんか、アメリカ中どこにだって有るじゃない」

「カナダ人は甘い物とコーヒーに目がないんだ。フランスの影響なのかもね。フランスじゃプティ・デジュニ(朝食)は絶対に甘い物と決まってるし。カナダだと、そこに気の利いたスープやサンドウィッチが加わればもう最高ってコトになる。だから Tim Houtons(ティム・ホートンズ)が流行るんだろうね」

「あ、聞いたことあるワ、そのお店・・有名なダブル・ダブルってヤツよね!」

「そう、Double Double、砂糖とクリームを2杯ずつ!、カナダ人のお気に入り」

「レギュラー珈琲を注文すると、勝手に砂糖とミルクの入ったのが出てくる・・」

「そうそう、何も入ってないのが欲しかったら、Black Coffee か Black Original Coffee って、ちゃんと頼まなくちゃイケない。僕もつい何度か失敗しちゃった」

「あはは・・・」

「値段がウソみたいに安いのに、珈琲もサンドウィッチも、ティムビッツという小さなドーナツも美味しい。ドリンクにはカナダ産の蜂蜜を入れてもらったり、シュガーとクリームは半杯ずつ細かくオーダーできる。朝食も色々あって、アメリカ人観光客にも大人気」

「そっか、近ごろのアメリカン珈琲は、シアトルの眠れないコーヒーになったモンね」

「それって何よ?」

「コホン、何でもないわ──────それよりヒロタカ、さっきからずっと何を考えてるの?
カナダの話なんかして、拉致されたヘレンが気になって仕方がないんでしょうね」

「いや・・やっぱり変なんだよ・・何かがおかしい・・・」

「おかしいのはアナタでしょ、何がヘンなの?」

「あのとき・・宗少尉との約束どおり、館の外から様子だけ伺って、すぐに引き揚げようと思っていたんだけど」

「ふむ、スナオでよろしい」

「声が聞こえたんだよ、僕がよく知ってる人の声が・・・」

「知ってる人って、誰の声だったの?」

「そ、それが・・・」

「勿体ぶらなくても良いから、言いなさいよ」

「その声を聞いて、自分の耳を疑って、タクティカルミラーで窓の下から室内を覗いて確認しようとしたんだけど」

「どうだったの?」

「うん。部屋の照明に鏡が反射してしまったのか、見る間もなく気付かれて、すぐ護衛が窓を開けて拳銃を向けてきたので、それを叩き落として、そいつを外に放り投げて気絶させ、その勢いで思い切って部屋に飛び込んだんだけど・・」

「やっぱり無茶が始まったのね。それで、その声のヌシは誰だったの?」

「残念ながら、覆面を着けていて、おまけに声色(こわいろ)まで使われて、まったく正体不明のまま・・」

「それは、よっぽどヒロタカに正体を知られたくないってコトね」

「ぼくもそう思う」

「もしそれがヒロタカのよく知る人物だとしたら、作戦を練り直さなくちゃならないわね。声を聞いて、ヒロタカは誰だと思ったの?」

「いや、それを言ってしまって、もし違っていたら、自分たちが誤ったイメージで作戦を立てる事になるから・・」

「その反対もあるわよ。もしその人物を想定しておかなければ、もっとエラいことになるって場合もあるでしょ」

「そうか・・・」

「つまり、その人物だとは決して思えないような相手、ってコトね?」

「まあ、そうだけど・・」

「ふむ。それじゃ、私が当ててあげましょうか、その人の名前を」

「・・え、誰だか分かるの?」

「分かるわよ、その声の主は、おそらく────────」

「お、おそらく・・・」

「恐らくそれは──────────ヴィルヌーヴ中佐よ!!」

「・・ど、どうして・・どうしてそう思うのさ?」

「あの館から待避するときに、窓にヘレンの姿が見えたと言ってたでしょ?」

「そう、確かにヘレンが、あの窓に見えたような気がしたんだ」

「そのコト自体、すごくアヤシイのよ」

「怪しいって、なにが?」

「考えてもご覧なさい、そこに囚われている人間なら、窓から外なんか見せて貰えるワケがないわ・・・捕らえられた人間というのは、地下室や、窓もロクにない奥まった部屋に閉じ込められるのが普通で、明かり取りの窓にさえ鉄格子があって、部屋には監視カメラ、ドアの外には見張りが居て、本人がプロの工作員なら、さらに手足を壁や柱に繋いで拘束されるのが常識でしょ」

「そうだね・・・」

「ヘレンはカミーユ・ダリエというコードネームまで持つ情報員の卵なのよ。父親の助手として、玄洋會の准協力員としても活動をしているわけで、そんな立場の人間が誘拐されて、囚われの身となった所で、窓際から暢気に雪景色を眺めていられるワケがないでしょ!」

「・・た、確かに、そのとおりだ」

「そして父親のヴィルヌーヴ中佐は CIAや王立カナダ公安局の情報員であり、玄洋會の正式な協力員でもある。ヘレンは父親との繋がりで我々の信用を得ている、というわけよね」

「そういうことだね」

「だから、まず見方を変えましょう。つまり、言い換えればヘレンは正式な玄洋會の身内ではないということよ。そもそも准協力員のレベルでは、台湾や神戸の基地に呼ばれても殆どのゾーンに出入りできず、司令室はもちろん、訓練施設にも立ち入ることが許されないという事実を見ても分かるわ」

「でもヘレンは、僕に万一のことが有った場合には、身代わりになってでも護れと命じられている、と言っていた・・」

「それは玄洋會からの命令じゃないわ。たぶん父親からそう言われたんでしょうね」

「なるほど、中佐がヘレンに命じたのか」

「そしてそれは、協力員のヴィルヌーヴ中佐にしたって同じことよ。正式な身内でないということは、彼にしてみれば、命を懸けるほどの忠誠の義務はないと思えるはずだし」

「それじゃ、裏切って反対に我々を利用するような事も有り得ると?」

「そうね。だから、もしあの館に居たのがヴィルヌーヴ中佐だとしたら・・」

「僕らをワナに掛けて、どうにかするつもりだった───────」

「そうなるわね。そもそも、あの館の存在をヒロタカに教えたのはヴィルヌーヴ中佐よ。
 ヘレン拉致の捜査の進捗をヴィルヌーヴ中佐に訊ねたら、軍病院に出入りする廃棄物運搬業者のトラックの運転手を兼ねた一人の作業員が判明し、その男のカネの流れからキャンベル曹長と関わりのある人物が浮かび上がって、その山荘がワシラにあることを掴んだと言った。ヴィルヌーヴ中佐はそこへ向かおうとしていたが、同時に出た有力な情報を先に確認したいと言うので、それではと、私たちが調査に行く事になったのよね」

「それじゃ、中佐が僕らをおびき寄せたということ?」

「これまでの流れから見ると、そうなるわね」

「そうだとすると、ヘレンはあの館に囚われているんじゃなくて・・」

「もしそれがヘレンなら、間違いなく捕囚の身ではなく、父親とそこに滞在しているという事になるわ」

「うーん・・でもやっぱり、僕はそうは考えたくないな」

「ヒロタカ、こんな場合は冷静に、感情抜きでよく物事を見ないと・・」

「もしそうだとして、中佐は僕らを罠に掛けて、どうするつもりだったんだろう?」

「分からないわ。なぜ私たちをおびき寄せようとしたか、本人に訊くしかないわね」

「何だかショックだな。僕は中佐を尊敬していたし、中佐も僕のことを気にかけてくれていたから」

「分かるわよ、その気持ちは・・・」

「パッシィーンッッッ──────!!」

 突然、目の前の大きな窓ガラスが粉々に砕けた。

「危ないぃっっ──────────!!」

 その瞬間、二人はほぼ同時に床に身を投げながら、互いに分かれて左右に転がり、すでにもう部屋の隅で銃を構えている。

 幸い他に客が居ないので混乱はないが、従業員がふたり、オロオロしてカウンターの中で震えている。

「君たち、そこなら大丈夫だ、体を低くして奥のキッチンに行け!・・急ぐんだ!」

 外の様子を伺いながら、宏隆が怒鳴る。

 攻撃に対して、二人が左右の横方向に散らばり、部屋の隅まで転がって逃げたのは、次の攻撃に備えることは無論、跳弾(ちょうだん)を避けるためでもある。

 跳弾とは、発射された弾丸が地面や床などに当たって跳ね返ることを言うが、拳銃弾でもライフル弾でも、着弾面に対して浅い進入角度であるほど跳弾しやすくなる。また、着弾面が硬ければ跳弾しやすいとは限らず、たとえ水面でも進入角度次第で見事に跳弾する。

 この場合はカフェの店内であるから、遠くから狙撃された場合、床に当たれば弾丸の進行方向に跳弾しやすく、テーブルや椅子に当たればあらぬ方向にも跳ねることになる。
 部屋の奧に行けば跳弾を喰らうリスクが大きく、最も安全なのはコンクリートの壁に護られた表側の窓に近い、店の左右の隅ということになる。
 宏隆たちのようなプロは、たとえ一杯の珈琲を飲む時にも、周りの状況を全て把握する。近くの壁やテーブルの材質まで、ごく普通に確認する習慣がついているのである。

 因みに、よく映画やドラマで銃撃された時に咄嗟に床に伏せる、というシーンを見かけるが、実際は床に伏せてじっとするのは大変危険な行為で、狙撃する側にすれば伏せている人間ほど撃ちやすいターゲットは無い。原野など見通しが利く場所なら地面すれすれに伏せた方が命中しにくいが、わざわざそのような狙撃し難い場所で狙われることは珍しい。

 ついでながら、自分を狙ってくる銃弾に対処するには、カバー(Cover)と、コンシールメント(Concealment)の区別をよくわきまえておく必要がある。
 これらは軍事訓練における専門用語で、カバーとは「銃弾が貫通しない遮蔽物」を指し、厚さ2cm以上の鉄板、防弾ガラス、鉄骨、鉄筋コンクリート、打ちっ放しのコンクリート、土嚢、大きな樹の幹、自動車のエンジン、大きな岩などがそれに当たる。
 コンシールメントとは「貫通するが敵の視界から姿を隠せる遮蔽物」を指し、住宅の壁、合板、柱、コンクリートブロック、煉瓦、自動車のドア、タイヤ、家庭用冷蔵庫、洗濯機、ソファ、ベッド、テーブル、書棚、ドラム缶、空調のダクト、コルゲート鋼板コンテナなどが挙げられる。

 実際に銃で交戦する際には「カバー」を利用して敵よりも優位な状況に立つ必要があり、「コンシールメント」で交戦する場合は、敵から撃ち返された時に遮蔽物を貫通するため、敵に位置を悟られてしまうと被弾しやすくなるのは言うまでもない。


「何処だ──────どこから撃った?」

 宗少尉は窓の隅からそっと向こうを覗き、宏隆はバッグから小さな双眼鏡を取りだして敵の位置を確認しようとしている。敵が何処から、どのように攻撃しているかが判らなければ対処のしようがない。

「この威力はライフル弾ね、近くには誰も居ない・・角度からして多分むこうの森よ、距離は約150m・・私が飛び出て注意を引くから、ヒロタカは追いかけるクルマの準備っ!」

「ラジャッ──────!」

 広大なアラスカでは、都市部以外には全くと言って良いほど高いビルを見かけない。このパーマーの町も平屋建てがほとんどで、せいぜいが2階建て止まりである。
 都会のように、向かいのビルの屋上から狙撃するというわけには行かないが、その代わりに、どこも近くまで森が迫っているので、都会よりも狙撃には好都合かも知れない。

「ダンッ、ダンッ、ダンッ───────!!」

「うっ・・なかなか正確に撃ってくるじゃないの」

 一歩外に出た宗少尉に向けて、容赦なく銃弾を浴びせてくる。
 慌てて車の陰に隠れたが、フロントガラスが一瞬で砕け散った。
 宗少尉は急いでドアを開け、後部座席の足もとに体を低くした。

 普通の自動車はエンジン部分以外は銃弾が容易に貫通するので、映画のように車内で頭を低くしていれば助かる、というのは全く有り得ない。自動車を遮蔽物に使うにはエンジンを自分と敵との間に置くしかない。宗少尉は敵との角度を考え、それを守っているのだ。
 
「宗少尉っ、早く乗って────────!」

 宏隆が建物の裏から回してきたブレイザーに素早く乗り込んだが、

「ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ──────────!」

「くぅっ・・・派手に撃ってくれるなぁ!」

 あっという間にフロントガラスが破壊され、ボディが穴だらけになる。

「パシューッ・・・」

「くそっ、パンクさせられた。ブレイザーのタイヤはデカいから狙いやすいか」

「仕方ない、降りて他のクルマを探すわよ!」

「がってん・・」

「ダンッ、ダンッ、ダンッ・・ダンッ、ダンッ、ダンッ・・!!」

「うおおおぉっっ・・アブ、アブ、アブナイっっ──────!!」

 車の外に出て行くことが難しいほど、素早く連射してくる。

「ヒロタカ、次のリロード(マガジン交換)で、走るわよ!」

「ラジャッ・・・途切れた、今だっ!」

「ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ──────────!!」

「だめだっ、早いっ!・・かなり手慣れたリロードだ、これじゃ動けないぞ」

「少しでも動けば撃ってくる、絶対に仕留めるつもりね。こんな時にグレネード・ランチャーで狙われたら、それでアウトよ」

「そうだ、後ろの荷室に煙幕弾があったぞ」

「体を起こした途端に撃ってくるわよ、よしなさい!」

「ま、ちとやってみるかな・・」

「ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ──────────!!」

「うわあああっ・・て、手を出しただけなのに・・」

「ほーら、言わンこっちゃない!」

「むぅ、万事休す、か──────────」


 が、そう思えたとき・・

「ブォロロロロオオォーン・・・キィーッッッ!!」

 野太い排気音が聞こえ、大きな黒塗りのバンが敵の攻撃を遮るように止まった。

「カトー、急げっ、これに乗るんだっ!」

 クルマの中から、誰かがそう叫ぶ。

「ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ・・!!」

 黒いバンはボディに銃弾を受けても貫通せず、窓ガラスも割れない。

「いったい誰が・・タイミング良く、こんなところに?」

「すごいっ、完全防弾装備のクルマ!・・あなたの知り合い?」

「い、いや、まさか・・」

「早く乗れっ! この車もグレネード・ランチャーまでは防げないぞ!」

「ヴィ・・ヴィルヌーヴ中佐・・・?!」

「・・な、なんですって?!」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )






  *次回、連載小説「龍の道」 第196回の掲載は、4月1日(土)の予定です

2017年03月10日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その30

   「 カガクと技術」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



太極武藝館では、徹底して太極拳を「科学」として捉えた稽古が行われている。
そこには曖昧さは一切なく、奥深い原理が、シンプルかつ論理的な説明で教授されている。

もちろんそこには、矮小化された人間単位だけの解釈ではなく、もっと宇宙全体の活動原理を包括するような、懐の深い世界が広がっているのである。

科学的な解明であるとか、発展という言葉を聞くと、どうしても非人間的なイメージがついてくるかもしれない。
いつか人々は自分の力では何もしなくなり、科学技術という檻に囚われた生活を送り、人間として大切なものを永久に失ってしまうのではないか? という見方だ。

だが個人的には、それは限定的で偏った見方ではないか、と思うのだ。


なんとなしに「科学技術」という言葉を使ったが、厳密にいえば科学と技術は、非常に近い関係ではあるが、実際にはそれぞれ異なった概念を示す言葉であると言える。
この関係性は、太極拳においても同じことが言えるはずだ。


ふつうに思われていることとしては、科学の発展が新たな技術を生み出すというイメージがあるかもしれない。
ところが、本来の関係性としては、これはまったく逆であるらしい。

科学の歴史はまだ浅く、技術の発展こそが科学の発展を助けるものである。
人類は何万年も前から火を使っていたが、科学的に火を理解したのは、近代に至ってからである。

これは実際に歴史を紐解いてみれば簡単に説明がつく。

産業革命の時代、ジェームズ・ワットによって作られた蒸気機関が爆発的に普及した。
それによって、熱力学という新たな科学の分野が切り開かれ、経験則でしか知られていなかった知識が、体系的に説明されるようになった。
当然、ワット以前にも人類は火を使っており、また蒸気機関も存在していたし、熱力学の仕組みそのものは使われていたが、広く学問的に追求されるようになるのは、新たな技術=新型の蒸気機関の普及を待つ必要があったのだ。

ガリレオが天体の運動法則を発見できたのも、彼の熱意と取り組みはもちろんだが、天体望遠鏡を作る技術が世界にあったから、ともいえる。
ガラスを加工しレンズを作る技術、金属を加工する技術、それらの集大成として、天体望遠鏡は生まれた。
それによって、それまで神々の世界のワザとされてきた天体の動きを、人が理解し始めた。
科学の萌芽が芽吹きはじめたのだ。
それは、神々の権威を失墜させる、幕開けでもあったのだが・・・。

このように、科学が技術を生み出したのではなく、技術こそが、科学の母であった。

いずれにせよ、それらの出来事は時代の流れであり、必然であったのだと思う。

特に現代では、コンピュータやインターネットの急速な発展から、世界をとりまく環境の変化がどんどん加速していっている。
技術の発展自体は確かに人類が作り出しているものだが、その法則性を見てみると、時代という機が熟したことによってその技術があらわれてくるのは自然の現象であり、止めることのできない進化の力である、ということらしい。

たとえば、アインシュタインは相対性理論を発見したが、同時代に、彼以外にも相対性理論を発見していた科学者がいる。
電話の発明者はグラハム・ベルだが、エジソンもほぼ同時に電話を発明している。ただ特許を取るのがベルのほうが先だったというだけの話だ。

なぜかというと、それらの技術は、無から突然ぽんと生まれたわけではないからだ。
それぞれのものに、その前段階の積み重ねがあり、その先の一歩として、新たなモノが生まれてくるのだ。


太極拳に当てはめてみれば、おそらく、宇宙の原理なる深遠なものから太極拳を考え始めても机上の空論で終わってしまうのは、そういった進化・発展の本来の方向性からは、反対からアプローチしてしまっているからに違いない。

最初に、戦う必要性があり、戦うための技術が生まれた。

そこから、よりその技術を洗練していくために、体系的な解明、説明が行われるようになった。つまり、科学的解明が始まった。
太極拳が発展した時代の中国においては、その原理を説明するために太極思想や気という概念を用いるのが自然なことだったに違いない。
だがそれも、実際に使える技術がある上で、それを説明するために行われたのだということは間違いないだろう。そうでなければ現代にまで、この技術が残っているはずがないのだから。

だから、もし現代で太極拳を稽古するのであれば、この時代にあった言葉で説明することは不可能ではないし、自然なことなのだと思う。
それゆえに、師父の太極拳に対する取り組み方は、ごく自然なことであるし、また、非常に発展的な示唆を秘めたものだというように感じる。
そのことが太極武藝館を、ただ武術として稀有なチカラを持った太極拳を学習出来る場という限定されたものでなく、もっと人間として成長していける場として、人を引きつける魅力のある場所にしているのだと思う。
武術は個々の研鑽だというのは、否定できない事実だ。
だが、多くの仲間が集まることによって、それまでは気付けなかった可能性が開けるのかもしれない。
人は、そうして進歩してきたのだから。


太極拳も、最初は非常に素朴な拳法だったかもしれない。
そこから、時代の要請、自らの身を守るための必要性や、外部との交流によってどんどん新しい技術を取り込み、また自らが研鑽し、いまある太極拳の技術が形作られた。

その進化発展はいまもまだ続き、師父は「新しい発見があった」と仰り、より洗練された技術がこの世界に現れてくる。

それは太極拳が徹底して「敵にやられないための技術」であるためであり、もしそれがいかに技を魅せるか、採点されるかといった方向にでも向かったものなら、とたんに本質を失ってしまうだろう。
それは太極拳から生まれた、「別の何か」なのだ。

やられないための技術であるからこそ、技術は進歩し、それによって新たな考察を得る。
考察は科学的解明を促し、そして得られた理解は、また技術としての太極拳を進化発展させていく、というサイクルを続ける。
太極拳の本質を伝承していく人々がいる限り、それに終わりはない。


世界に目を向けてみると、近年になって過去に類を見ないほど人々の生活は変化している。
嫌でも技術は進歩し、この世界に起こっている変化は止めようがないが、100ある変化の中で、悪い変化が49だとして、良い変化が51あれば、少しずつであれ、世界は良くなっていくに違いない。

自然の中で、古くからある生活を送っていくことは実に魅力的だが、いまの科学と技術なくして、70億人もの人間が地球で生きていくことはもはや不可能になってしまっている。

古来からの狩猟採集民としての生活を人間がするためには、一人当たり数キロ四方の自然が必要になるという。
そんな余裕はこの地球にはない。もし本当にそれをするとなると、全人類のほとんどは生きていけなくなることになってしまう。
確かに技術の進歩の否定的側面はあるが、それによって世界に生きることが出来る70億人という人々が、いままでには存在しなかったあたらしい何かを生み出せる可能性が生まれているのだ。
それは否定されることではなく、素晴らしいことだと思う。

だがそれは、本来自然環境で生活するための体を持った人間だということを忘れて、現代的な生活のみに浸るということにはならない。
不可避な変化を受け入れながらも、それだけに甘んじることなく、自分で出来ることをやっていく必要があるということだ。
そして、そのための自由もまた、格段に増えているのではないだろうか。

過去の歴史を見てみれば、いまの人々の暮らしは間違いなく豊かになっていると言えるし、生き方を選択する自由も格段に増えている。
それに伴って裏側では、その豊かさの代償として多くの危険が生じてしまっているが、必要なのは、バランスを保って生きていくことなのではないか、と思う。
便利な世の中になったが、何もしなければ能力は衰えていく。
もしそれが嫌なら、自身で何かしらの努力をする必要がある。


情熱は、何もないところから生まれるわけではない。
自分が関わって、行ったことの結果として、熱が生まれ、それが自分の中に情熱として芽生えていくのだと、最近になってようやく知ることが出来た。
情熱があることを追求していくのではなく、自分が追求していくことの中にこそ、情熱が生まれてくるのだ。

そうと知ったからこそ、自分の目の前にいくつもの選択肢があることは、迷いを生み出すもとではなく、むしろ感謝するべきことなのだとわかった。
ただ流されるのではなく、自分で選び、勝ち取っていく。
それが自分の力になっていく。

それが出来ることが、人のもつ素晴らしい力だということを、理解した。
こうした考えが少しでも広まれば、ちょっとずつでも、世界はよくなっていくに違いない。
なによりも、少しずつでも変化していける自分自身を、楽しみ、そうできることの喜びを味わっていきたいと思う。


                                 (了)

2017年03月01日

連載小説「龍の道」 第194回




第194回  P L O T (14)



 護衛が窓ぎわに飛んできて、ガラリと窓を開き、銃を向けて下を覗いたが、

「うわぁあっっっ・・!!」

 途端に、叫びながら窓の外へ放り出された。

 宏隆によって、まずは強力なフラッシュライトの光で視力を奪われ、タクティカルバトンで強く手首を打たれて拳銃を弾き飛ばされ、さらに痛みで反射的に押さえた手首を取られて外に放り投げられ、とどめの蹴りを喰らって悶絶したのである。
 時間にして十秒も経っていない、迅速な対応であった。

「ちいっ・・護衛のくせに、役立たずめ!!」

 男は、もうそこには居ない護衛を罵ると、ソファの裏へ隠れた大佐に、

「キャンベルが来るまで、どうかそのまま動かず───────」

 そう念を押しながら、素早くポケットから覆面を出して被った。

 覆面は人相を隠すものだが、特殊部隊では暗闇で目立つ顔の白さを隠すのに使われ、加えてスモークの掛かった戦闘用のゴーグルやサングラスを着用すれば、夜間は非常に認識し難くなる。また、眉毛を隠すように深々とニット帽を目深(まぶか)に被るだけでも、人相は容易に認識できなくなる。


 だが、そのとき────────

「動くなっ・・ 両手を上に挙げろ!!」

 窓枠をひらりと飛び越えて、宏隆が室内に躍り込んだ。
 ピタリと、拳銃を男に向けている。

「聞こえないのか、両手を上に挙げるんだ!」

 仕方なさそうに、男は言われるまま手を上に挙げた。だが、その仕草には、間近から銃を向けられているような緊迫感がなく、どこかまだ余裕が見られる。

「そのままこっちを向け・・そう、ゆっくりと、だ・・」

 宏隆は、その余裕を察知して、用心をした。振り返った男は、背の高い堂々とした偉丈夫で、フィルソン製の、ゆったりとした赤いウールのジャケットを羽織っている。

「左手でジャケットのボタンを外せ、右手は挙げたままだ・・」

 男は言うとおりにしている。左手を使わせるのは勿論、銃を抜かせないためだ。

「ゆっくりとジャケットの前を開いて、腋の下を見せろ」

 ふっ、と少し鼻で笑い、苦笑するような仕草をして、言われたとおりにする。

「OK、次はジャケットを片方ずつ持ち上げて、腰の後ろを見せろ」

「・・・・・・」

「銃は持っていないようだな。だが、暖炉の火を囲んでコニャックを楽しむのに覆面姿とは随分ミスマッチなことだ。それを外してもらおうか」

「・・・・・・」

「覆面は顔を隠すためだろうが、何も喋らないのは、声を聞かれたくないからか?」

「・・・・・・」

「お前は何者だ? 覆面を外して顔を見せろ、この銃は脅しじゃないぞ!」

「フ・・オマエニ、ヒトヲ撃ツ度胸ガアルノカ?」

 初めて口を開いた男は、巧みな声色(こわいろ)を使った。

「ヒトを撃てるのかと、以前にも敵からそんな事を聞かれた事がある。無益な殺生はしないが、生死を懸けた闘いなら容赦はしない。大切な人を守るためなら尚のこと、その覚悟は出来ている・・・だが、そんな声色を使うとは、よほど声を聞かれたくないらしいな」

「・・・・・・」

「では、その覆面を外してやろう。その床に俯(うつぶ)せになれ!」

「・・・・・・」

「早くしろっ!」

 男はゆっくりと、暖炉の前の床に俯せになる。

「両手を後ろに回すんだ」

 このスタイルは逮捕や拘束をする際の手段として知られているが、俯せにさせられて両腕を後ろに回されると、人は全く身動きが取れなくなってしまう。

 宏隆は素早く、床に伏せた男の腿の裏を片膝で拘束し、さらに片膝で片方の腕を拘束しながら、ポケットからハンドカフ(ナイロンベルト型の手錠)を取り出し、男の手に掛けようとしたが、そのとき、

「バンッ──────────!!」

「うわっ・・・」

 小さな銃弾がすぐ後ろの暖炉に弾け、その機を逃さず、間髪を入れずに、

「ターンッッ!!」

 男が宏隆を跳ね飛ばし、宏隆の手首を蹴って銃を弾き落とした。

「くっ、もう一人隠れて居たのか、不覚・・・」

 急いで部屋の隅に飛ばされた銃を拾いに行こうとしたが、男がさらにジャケットの後ろに手を回そうとしたので、

「ええい・・喰らええっっ・・!!」

 体当たりをするように素早く組み付き、瞬時に崩して投げ、蹴りで決めようとしたが、

「ダァーン・・!!」

 その片足を挙げた途端に、反対に軸足を払われて転がされ、相手が起ち上がった。

「くっ・・・」

「ソコマデダ!・・ソノママ、動クナ────────」

 どこから出したか、男はすでに、小さな銃を手にして宏隆に向けている。

「ううむ・・その身の熟(こな)しは一般兵士のレベルではない。様々なところで、かなりの場数を踏んでいるな?」

「大佐、ココハ危険デス、部屋ノ外へ・・」

「・・よ、よし、分かった。すぐにセキュリティを呼ぶ」

 男は、まだ銃を構えている大佐にそう言った。相変わらず無味乾燥な声色を使っている。

「後ろのポケットに銃を隠していたな。SIG SAUER(シグ・ザウエル)P230、あのワルサーPPKより軽い、わずか500グラムの小型拳銃か・・確かに、フィルソンの分厚いウールジャケットなら、入っているか入っていないか分からない程度の大きさだ」

 仰向けに床に転がった姿のまま、男に向かって言う。

「・・・・・・・」

「そろそろセキュリティが来る頃だな・・だが、僕を捕らえてどうする? ヘレンもここに捕らわれて居るのか?」

「・・・・・・・」

「相変わらず無口だな。それほど顔を見られたくない、声も聞かれたくないのは────────実はボクをよく知っている、ごく身近な人間だからか?!」

「フフ・・ソウトハ限ラナイサ」

「お前たちの目的は何だ? ボクをつけ狙い、ヘレンを誘拐して、いったい何の目的で、何をやろうというのだ?」

 ドカドカと、木の廊下を軍靴(ぐんか)で荒々しく走ってくる足音が聞こえる。

「急げ、まだリビングに居るぞ!」

「キャンベル曹長の声だな。少なくとも、彼は僕の敵だという事がハッキリした」

「・・・・・・・」

「コンフェラ、お待たせしました!」

 キャンベル曹長がセキュリティを数名連れて部屋に入って来た。男と同じように覆面をつけて、夜でも見える軍用のサングラスをしている。

「あはは・・キャンベル曹長、頭隠して尻隠さずだ。その男みたいに声色でも使わなきゃ、正体が丸分かりですよ!」

「う・・くっ・・・」

 宏隆にそんな口を利かれ、キャンベル曹長は動揺した。

「それに、”コンフェラ” ってのは暗号名だな。お前を知る手掛かりになりそうだ、後でじっくり解読してやろう」

「ム・・・・」

 男は、暗号名を解読すると宏隆に言われ、少し焦ったように呻った。

「口ノ減ラナイヤツ・・マアイイ、起キ上ガッテ、後ロヲ向クンダ」

 ちらりと、蹴って飛ばされた自分の銃が部屋の隅に見える。こうして話している間にも、宏隆は頭の中で細かく計算をしていた────────

(ベレッタまでの距離は約4メートル。身を躍らせてそれを手にできたとして、構えて撃つまでに7秒、いや6秒。そして・・)

「オイ・・妙ナ考エヲ起コスナヨ、マダオ前ヲ撃チタクハナイカラナ」

 強かな相手は、その考えを見抜いている。
 宏隆は囚われの身となった際の対処法も、さらには脱出する方法も詳しく学んできているが、やはり捕らわれてしまっては、無事に脱出できるかどうかは分からない。

(よし、イチかバチか・・)

「サア、起チアガッテ、言ウトオリニスルンダ」

(これしかない・・)

 しぶしぶ起ち上がりながら、パタパタと、ズボンの埃を払うと見せかけた、

 その瞬間─────────

 暖炉のそばのティーテーブルに向かって、まるで目眩(めまい)でもしたようにフゥーッと柔らかく倒れ込みつつ・・左手でテーブルの上の銀のシガーケースを掴んで覆面の男の顔に投げつけながら、右手でコニャックの瓶を取り、暖炉の中へ勢いよく投げ込んだ。

「うっ・・」

「バァーン────────!!」

「うわああっっ・・!!」

 絶妙のタイミングである。ズシリと重い銀のシガーケースが男の顔に飛び、ほとんど同時にコニャックの瓶が暖炉で割れて中身が飛び散り、濃度の高いアルコールが火に引火し、まるで即席の爆弾のように、意外なほど大きな炎が部屋の中ほどまで上がり、暖炉の灰が部屋中にたちこめて舞った。

 宏隆はもう既に、部屋の隅で自分の銃を手にしている。
 敵はこの予想もしない出来事にうろたえ、舞う灰で一瞬、宏隆の所在もわからない。

「ふっ・・忍法火炎の術、&忍法灰神楽(はいかぐら)、ってヤツだな!」

「つ、捕まえろ─────いや、銃だ、きっと銃を取ったぞ、気をつけろ!!」

「へん、遅いやいっ・・・バン、バン、バン、バンッッ!!」

「ぐわぁっ・・! 、うぐっっ・・!!」

 ドアから入ったばかりの護衛が二人、その場に蹲(うずくま)った。
 拳銃を取った宏隆が、奧のソファの陰に隠れて、そのまま起き上がらず、床スレスレに相手の脚を撃ったのだ。

「ダン、ダン、ダァーン!!」

「馬鹿者ッ!無暗ニ撃ツナッ、撃ツンジャナイ!、殺シタラ何モナラナイ!!」

 思わず護衛が撃ったのを、男がそう窘(たしな)めて射撃が止んだが、

 そのとき──────────

「ビビイィーッッ!!・・ヒロタカ、伏せてっ!」

 宏隆の胸の小型無線器から、呼び出し音に次いで日本語の声がし、同時に、

「ヒュゥーウ・・・ボムッ!!」

 何かが遠くから発射されるような音が聞こえ、その直後に煙が部屋の中で弾けた。

「うわああっ───────!!」

「さ、催涙ガスだ、部屋を出てドアを閉めろ、大佐を守れ!!」

「お、もっけの幸い・・宗少尉!」

 もともと自分がそこから入って来た、開いたままの窓である。宏隆は素早く身を翻して外へ飛び出し、そのままガレージへと走った。

「ヒロタカ、大丈夫?・・状況は?」

 無線から宗少尉の声がする。

「無事です。ガレージでアシを確保、すぐ脱出の予定!」

「Roger、途中で私を拾って」

「Copy that ・・!」

 ガレージの、表の大きな出入り口を軽々と蹴破って扉を開ける。
 さっきここに侵入した際に、そっと内側のカンヌキを外し、代わりに細い木切れを嵌めておいたので、蹴破るのはわけもない。

 扉から最も近い所に置いてあるランクルのパーキングヒーターを外し、素早く運転席に乗り込んでエンジンを掛ける。さっきガレージに侵入したときから、宏隆はこのような状況を想定してたのだろう、手回し良く、すでにキーまで挿し込んである。

「おお、流石はFJ40、すごいエグゾーストノート(排気音)だ。よっしゃ、行くぞ!!」

「ダンッ、ダンッ、ダァーン──────!!」

「おっとぉ・・・!」

 ガレージから飛び出したランドクルーザーに、すぐ追っ手が迫り、タイヤを撃とうとして狙うが、

「グォーッッッッ!!」

「うわぁっっ・・・」

 宏隆の容赦ない運転に、簡単に蹴散らされてしまう。

「に、逃がすなっ、生け捕りにしろ!」

「はははは、鬼サンこちら、ってか・・・ニッポンが誇るランドクルーザーに付いて来られるかな?」

「手分けして追うぞっ、全員、クルマに乗り込めぇっ!!」

「イエッサー!」

 セキュリティたちが2台のクルマに素早く分乗したが、

「カチッ・・カチ、カチッ・・・」

「あ・・あれっ・・?」

「なんだ、モタモタするな、早く行け!」

「お、おかしいな・・・」

「何をやっている? 逃げられてしまうぞ、エンジンを掛けるんだ!」

「それが、ウンともスンとも・・ちっとも掛かりません」

「ええい、なぜだっ? 原因は分からんのかっ!」

「はっ・・すぐボンネットを開けてみます」

「ええい、バカめっ!・・な、何だ、そっちのクルマも動かんのかっ?」

 降りてきて、もう一台の車の方に行くが、

「動きません、ヘンだな・・・」

「キャンベル曹長、エンジンルームの中も、特に異常ありませんが」

「そんなバカな事があるか、動かないのは何か原因があるからだっ!」

「燃料もあるし、バッテリー容量も充分だが・・」

「そうだな、コードも切られていないし・・」

「く、くそぉ・・まんまと、あの小僧にしてやられたな!」

 悔し紛れに、キャンベル曹長は傍のドラム缶を思い切り蹴っ飛ばした。

「ええい、原因が分かる者はいないのか、大至急メカを呼べ、メカニックだ!!」


 密かにガレージに侵入した宏隆がボンネットを開けて細工をしたのは、ディストリビューター(配電分配器)という装置である。
 ディストリビューター(distributor)は自動車の点火装置で、エンジンの各気筒の点火プラグに電流を分配する役割を持つ。装置のキャップを開けるのは容易で、中にはローターと呼ばれる、イグニッションコイルで発生した電圧パルスを、エンジンの回転と連動して分配する回転子が入っている。

 宏隆はガレージの作業で、ランクル以外の車のディストリビューターのキャップを外し、中のローターを取り払ってしまったので、どうやってもエンジンは掛からない。
 そしてそれを外されても、ただ単にエンジンルームを見渡しても、わざわざディストリビューターのキャップを外して見なければローターの不在には気付かないし、そもそも、そんな細工をされているとは、想像すらつかないのが普通であろう。
 そして言うまでもなく、ランクルFJ40にだけ細工をしなかったのは、それを自分の脱出用に使うつもりであった故である。

 宏隆は玄洋會の訓練で、そのような知識を得ていた。至って簡単なその作業は、驚くほど短時間で出来てしまうので、敵地から脱出の際には大変有効であることは、この場合の敵の狼狽ぶりを見てもよく分かる。このテクニックは、異国で予めクルマを盗まれないようにする事にも使えて便利である。


「はははは!・・追ってこないところを見ると、誰もあのマジックが見破れないらしいな。銃だけじゃなく、もっとよくクルマの構造を識らないとダメだよね、ほんと・・」

「ヒロタカ、ここよ!」

「宗少尉────────!!」

 しばらく走った処で、雪の中から白いカムフラージュを着た宗少尉が手を振る。

「ありがとう、おかげで脱出できました」

「お礼はあとよ、無鉄砲さん。何となく胸騒ぎがしたから来たけど、来なかったらどうするつもりヨ、もう!・・・まあ小言は後にして、先ずはクルマに行って乗り替えましょう」

「アシがつかないように?」

「そういうコト」

「勿体ないなぁ、やっと憧れのランクルに乗れたのに」

「ダァーン、ダァーン・・・・!!」

「うぉっとっと、やばい、やばいぞ・・・」

 フロントガラスのすぐ前に被弾し、慌ててステアリングを切ったので、クルマは少し横滑りをした。

 館を出て外の広い通りに出るには、森をグルリと迂回して行く一本道しかない。
 そのためには一度だけ、まるで逆戻りをするように、館にほど近い辺りを通過することになる。敵はそれを見越して、宏隆たちが来るのを待って、撃ってきたのだ。

「こりゃあ、怒り狂ってるな。車に細工されたことへの腹癒せもアルな」

 館の二階の窓からライフルで撃ってくるが、宏隆たちを殺さずに威嚇して捕らえる、という気持ちがあるのか、狙っているのはタイヤの辺りで、なかなか中らない。

「すぐに追っ手が来るわ、急いで!」

「大丈夫、クルマはそう簡単に動かせませんよ」

「ローターを外したのね」

「ご名答。しかしまあ、何度もこの辺りを逃げるコトばかりだね・・」

「バカ言ってないで急ぎなさい、追いかけてくるのは車とは限らないわよ!」

「ダンッ、ダァーン、ダァーン!!」

「うわっ、こんなに離れてるのに!・・良い腕だな、誰だろう?」

 正確に、タイヤを狙って、すぐそばに弾丸がはじける。宏隆は凍て付いた雪の路でステアリングの切り方や速度を一定にしないよう、巧みに運転をしている。

「ダンッ、ダンッ、ダンッ・・!!」

 宗少尉が負けずに右側の窓からライフルで撃ち返し、館の窓ガラスが割れる音がするが、すでに敵の姿はない。

「ああっ・・・?」

 何を思ったか、突然宏隆がスピードを緩めた。

「どうしたの? 止まらずに急ぎなさいっ!」

「ヘレンが・・・」

「ヘレン?」

「ヘレンが、あそこの・・キャンベルの居た隣の窓に、見えたような・・」

「ダンッ、ダンッ、ダァーン──────!!」

「わわっ・・また撃ってきた」

「今度はライフルじゃないわ、4時の方向、スノーモビルの新手(あらて)よ!、ヘレンを確認しているヒマなんかないわよ!」

「よ、よっしゃ・・」

「ダメ、少しスピードを落として!」

「え・・急げって言ったばかりでしょ」

「いいから、あのスノーモビルに追い付かせるのよ」

「OK、このくらいかな・・・お、だんだん追い付けてきた」

「こっちの思うツボよ・・それっ!」

 宗少尉は胸に提げた黒い塊を外し、ピンを抜いて窓から後ろにポイと投げ捨てた。

「ドオォーンッッ────────!!」

「うわあああっっ・・・!!」

 ルームミラーに大きな雪煙が見える。

「はい、片付いたわよ」

 手榴弾は、昔も今も、軍隊に於いては最も基本的な歩兵の武器であり、どのような国の歩兵もライフルと投擲弾の訓練は念入りに学ぶことになる。

「え・・死んだワケじゃないよね?」

「やれやれ、相変わらず敵を心配してあげるのね。大丈夫よ、スタングレネードだから爆音と閃光で運転不能になってひっくり返っただけ」

「だって、僕らを殺そうとしているワケじゃないし」

「今のところはね・・だけど、捕らえられて、何処かへ連れて行かれてからは、どうなるか分かったモンじゃないわ。お優しい心だけだと、いつか敵に酷い目に遭わされるワよ」

「・・・・・・・」

「ストーップ!・・ここよ、すぐクルマを乗り換えて」

「ここって・・クルマなんか何処にもないけど?」

「よく見て。ほら、すぐそこ。ヒロタカの目の前にあるわ」

「あっ・・」

 宗少尉が乗ってきたフォード・ブロンコ・レンジャーには、真っ白なカムフラージュのシートが掛けられ、さらにその辺りの草木を所々に被せて擬装している。
 タイヤの跡は、再び降ってきた雪に消され、そこに駐めた事が容易には分からない。




                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第195回の掲載は、3月15日(水)の予定です

2017年02月24日

練拳Diary #77「教示されていること その2」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 私たちが学んでいる太極拳は、大きく分けると基本功と套路と推手、そして散手に分けられます。稽古では、ある時にはグローブを着けてミットを打ったり、キックミットを構える相手に蹴っていくことも行われますが、稽古全体に見られる最大の特徴は、それがどのような稽古でも「物事を理解するための稽古」になっていることです。

 たとえば「拳打」についても、打ち方を覚えたら後はひたすら打つ練習をする様な稽古ではなく、先ず拳を打つということの考え方を学び、それが戦闘に際してどのように理に適っているかを体験し、それから実際に動く練習に入ります。
 特に「考え方」の勉強では、自分の中にある程度出来上がっていた「拳打」というものが引っ繰り返され、映画やマンガなどに観られる戦闘中の拳打の用い方などとは全く異なることが分かります。
 拳打とは何かを解った上で稽古をすると、無闇に拳の威力や速さを鍛える必要がないことが分かりますし、さらにそこで得られた理解を次の稽古に繋げていくことができるのです。

 私が太極拳の稽古を始めた頃は、なぜもっと拳打の稽古をしてサンドバッグなどを打つ練習をしないのか疑問でしたが、やがて「勁力」や「纏絲勁」ということを知り、それを手に入れるためにはサンドバッグを殴るよりも他にやることが山ほどあることを認識すると同時に、太極拳では「打つ」ことも「勁力」でなければ意味がないことに気がつきました。
 他所の格闘家が練習しているように、拳を鍛えてミットやサンドバッグをバシバシ叩く方がよほど充実感を得られる気がするし、自分が成果を上げていることも実感しやすいだろうと思えます。けれども、それを私たちがやったらわざわざ太極拳を学んでいる意味が失われてしまうことでしょう。

 拳打について、じっくりと時間を掛けて身体と拳打の動作が一致することを稽古したら、実際に相手に触れてその力がどのように伝わるのかを見ていきますが、もちろんそこでも等速・等力の要求は守られ、一切の力みを持ち込まずに行います。
 その練習過程は、拳を鍛えるというよりは拳を打つ自分の意識を変えて鍛えていく稽古だと言えますし、それは他のどのような練功にも共通していることです。それはまさしく、太極拳の要である『用意不用力』を理解するための稽古であり、そのお陰でミットを使用する稽古でも、力や勢いに任せた拙力の稽古にならずにすむのです。

 先日行われた、拘束の稽古でもそのことが顕著に見られました。
 それは、片腕を相手の両手でしっかりと拘束された状態から、それを解いていくという稽古で、普通は腕一本に対して二本の腕で拘束されると腕に自信のある人でも容易には外せません。多少心得のある人なら、腕を動かす方向や角度の工夫で外すことは出来ますが、拘束を解くまでに時間が掛かることと、その間相手が大した影響を受けずに自由に動ける状態であること、つまり反撃可能であることが問題となります。
 そこで指導されたことは、拘束の外し方ではなく相手との関わり方でした。
 そもそも拘束とは、お互いにどのような状態なのかを認識することから始まり、結果的に拘束が解かれてしまうような、相手が腕を掴んでいられずに崩れて倒れてしまうような状態を作り出すのです。しかも、そこには一切の抵抗力もなければ、反対側の手を使う必要さえありません。
 指導され、自分の考え方では拘束を解けなかった人がいとも簡単にそれを出来るようになると、皆さん一様に不思議そうな顔をします。

 その稽古は、一般護身術的な “こうされた(されそうになった)ら、こうする” というものではないので、腕を掴まれたときにしか使えないということもなく、そこで学んだ相手との関わり方は広く散手にまで通用させることが出来ます。
 シンプルで、誰にでも理解できるその考え方を教われば、たとえその時に相手を崩せず拘束を解けなかったとしても、それこそ繰り返し稽古を重ねていくことでやがては出来るようになると確信できます。
 しかし、そのような考え方や関わり方の学習なしに、ただ腕の拘束を外すために力の強弱や速さの緩急をつけたり、空いているもう一方の手や身体を使ってテコの原理で外すなど様々に工夫してみても、相手によっては困難な状況が生じると思えますし、ましてや単に套路で身体の動きを覚えて、推手の中で相手との攻防を繰り返している中からそこに繋げていくのはとても難しいと思えます。
 正しい考え方と身体の用い方、そして相手との関わり方。その理解のために歩法や套路が用意されていると思うと、その緻密な学習システムを残してくれた先人たちに頭が下がる思いです。

 稽古で行われている「物事を理解し、考え方を学ぶ学習方法」は、キャンプなどの野外訓練でも生きてきますし、むしろそれがなければ、ただ街から山に道具を持って移動しただけの “野外ごっこ” にしかならないことでしょう。
 野外とは、普段身の回りに当たり前のようにある物がなくなる不便な状況です。寝床を自分で拵え、燃料となる薪を集めてかまどを作り、その日の疲れを取って明日に備えるために食事を準備する。何てことのない日常の所作は、家という覆いを取り外した途端に戦闘状態へと変化します。火が熾きない、タープが張れない、食材を忘れた、気がついたら身体が冷えていたなどなど、それはそれはたくさんの問題が生じます。
 だったら、不便な野外でも便利に過ごせるように沢山の道具を持って行けば良い・・というわけではないと、師父は言われます。普段身近にあった便利な物が無いとき、初めてそこに工夫が生まれ、本当の実力が養われるのだと。
 確かに、火が熾きなかったら雨の日でも使える着火剤と最新ハイテクのターボライターがあれば良いという考え方では、結局その道具がなければ火が熾せないのです。それは道具が火を着けたのであって、自分が熾したとは言えません。たいそうな武器を持っていてもそれを奪われたらお手上げになってしまうようなものです。
 私たちは、野外訓練で「火が熾きる法則」を学びます。木ぎれに火を着けることは子どもでも出来ますが、それでは火遊びと大差ありません。そこから暖を取ったり調理が出来るようにするには、「やり方」ではなく「考え方」を学ぶ必要があります。

 野外訓練をするようになってからのことですが、火が熾きる条件を知ることはそのまま相手に拳が当たる条件を見出すことと同じであることに気がつきました。これは、相手に拳を当てる小手先の工夫をしていても当たらないはずです。
 自分が火を着けるのではなく、火が熾きる条件を整えるのと同様に、相手に拳を当てるのではなく、相手に拳が当たる条件を整えるのです。なるほどこの状態なら、散手の稽古中に師父の動きがゆっくりなのに拳が見えないとか、殴られる気がしないのにいつの間にか大きくヒットしているということも、納得できます。

 「考え方」の稽古がもたらすものは野外訓練だけに留まらず、普段の生活そのものが変わってくるとは、門人から聞こえてくる言葉です。
 彼らは言います。
 『普段の生活は、家族との関わり、仕事との関わりと、対象が変わっても全てが自分とそれ以外との関係性の問題であることが分かる。そうすると、まず最初に意識的に関わろうとすることができるので、自分の言いたいことやりたいことの主張ではなく、相手や仕事を含めてどのように物事を進めていったら良いかが見えてくる。もちろん人間だからぶつかることもあるけれど、今までだったらそこで話が拗れてしまったり、それ以上進まなくてどちらかが諦めたりしていたことが、川に岩があっても水は流れていくように、流れる方向が分かるようになってきた。それが太極武藝館で学んでいることだと気がついたのです』と。

 「やり方」ではなく「考え方」を変えるようにとは、ずいぶん昔から師父が仰っていたことです。
 当時は “一体太極拳をどう考えたら良いのか” ということで悩んでいましたが、今ようやく言われていたことの全体が見えてきた気がします。
 まだまだ五里霧中であるようには感じられますが、少なくとも真っ暗闇の暗中模索ではなく、遠くに小さな灯りを見つけた思いです。

                                 (了)


2017年02月15日

連載小説「龍の道」 第193回




第193回  P L O T (13)



 ガサリ──────と薮を分ける音がして、雪に埋もれた森の中から、白いカムフラージュに身を包んだ男が静かに出てきた。
 たった今、館(やかた)から追って来た二人のセキュリティ・ガードが立ち去ったばかりの場所から、ほんの数メートルのところである。宏隆は彼らのすぐ傍に潜んでいた。

 三頭の番犬に後(おく)れてやって来た男たちは、催涙スプレーを受けて惨めに繋がれている犬たちを発見したが、森の向こうに走って行く車のヘッドライトを目撃し、さらにその方向へ向かう真新しい足跡を見つけて、侵入者は去ったものと思い込んで、行方不明の同僚を探しに出かけた。
 しかし実は、宏隆はその場から離れてはいなかった。立ち去ったと思えた足跡は、訓練で学んだとおりに、彼らの目に付きやすい所に、わざとそう見えるように付けたのだ。


「・・さて、行くか、チャンスは今しかない」

 そう呟(つぶや)いて、宏隆は彼らとは反対の方向に歩き始めた。

 行方が判らなくなった仲間を探すため、警備の男たち二人が館を離れ、番犬も居ない。
しかも彼らは、宏隆たちがこれ以上襲ってくる事はないだろうと考えている。敵の本拠は人数も手薄で、気持ちも弛んでいる。館を探りに行くのに、これほどのチャンスは無い。

「宗少尉との待ち合わせまで、あと2時間か。Walmart(ウォルマート)まで、急いで行けば40分くらいだが、残された時間はわずかだ。急がなきゃ・・」
 
 凍てつく針葉樹の森を歩き、何の問題もなく館の前までやってきたが、何を思ったか、宏隆はふと、本館と少し離れた所にあるガレージに向かった。
 大きな倉庫のようなログキャビンのガレージには、もう警備の人影もない。監視カメラは表側の、車の出入り口にしか無いので、裏口の小さな扉の鍵を開けて、そっと中に忍び込んだ。

 鍵を用いずに錠を開ける行為をピッキングと呼ぶが、専用の道具を使って何度か練習をすれば、プロの泥棒でなくとも、一般的なピンタンブラー錠なら誰でも簡単に解錠できる。
 学生寮で宗少尉がやったようなピッキングは宏隆も訓練してきている。敵地で侵入や脱出をする際に、たった一枚のドアのカギが開かないために身動きが取れないのでは哀しいからである。

 西欧のガレージは元は馬小屋や納屋からの転用で、一般家庭同様、ここも壁際の棚から収納庫、ロフトに至るまで、様々な工具から野球のバット、ロープやシート、バケツに壊れた椅子など、実にいろいろな物が雑然と置かれている。

 車は三台あるが、目に付くのはどの車にもナンバープレートの辺りに短いケーブルが付いていることだ。
 これはエンジンヒーターで、駐めている間にエンジンが凍結しないよう、電気でエンジンを温めておく装置だ。冬季はバナナで釘が打てるという、ー40°Cの極限の寒さが襲うアラスカでは、クルマを戸外に放置すると1時間もしないうちにエンジンが見事に凍りつく。
 アラスカやカナダのスーパーやレストランの駐車場には、どこでも駐車台数分のヒーターのコンセントを付けたポールが設置してあって訪問者を驚かせる。

「へえ・・アラスカで、緑のリンカーン・コンチネンタルか」

 フラッシュライトの光が外に漏れないよう気を遣いながら、一番奥にあった大型の高級セダンを照らし出した。

「まあ、排気量が7.5リットルもあるどデカいアメ車は、広大な大陸を走り回るのには便利なんだろうな・・お、こっちはジープ・チェロキーか。こいつもV8・5.9リッターの大排気量。外見はのどかな大型ワゴンだが、中身はネコ科の動物のような高性能SUVだ。きっとアラスカの原野をどこまでも走って行けるんだろうな・・さて、残った奧のヤツは?」

 裏口から入って来た宏隆から見れば最も奧になるが、ガレージの出入り口に一番近いところに、背の高い箱型のクルマが置いてある。

「うぉお、こりゃランクルじゃないか!、それも3.9リッターのFJ40V、125馬力・29キロのトルクだ!、あまり需要のない日本じゃ85馬力のディーゼルしか無いが、こいつはチェロキーやランドローバーと並ぶ、世界に名高い四駆だ。乗ってみたいなあ!!」

 クルマ好きの宏隆は、赤いフィルターのライトに浮かび上がった憧れのトヨタ・ランドクルーザー40(ヨンマル)に興奮して、思わず敵地に居ることを忘れそうになったが、

「おっと、いけない、いけない・・早いこと片付けなきゃ」

 自分にそう言い聞かせると、先ずリンカーンのドアを開け、大きなボンネットをそっと開けると、エンジンルームの中を覗き込んで、何やらゴソゴソといじり始めた。

 ドアの鍵は掛かっていないので、ボンネットは簡単に開けられる。
 ガレージに置かれた車は、大概はドアが開いているし、キーも付けっ放しか、近くの壁のキーボックスにまとめて置いてあるものだ。もしそこにも無ければ運転席のマットの下か、窓のサンバイザーの裏を覗けば必ずキーが見つかる。家の鍵でさえ、玄関マットの下かすぐ横の植木鉢に置いてあることが多いのである。ウェスタン(西洋人)は皆そうする、と宏隆はアラスカ大学の友人に教わっていた。

「さて、もう一台、っと・・」

 隣のチェロキーも、同じようにボンネットのフードを開けて覗き込み、何かをいじっていたが、ほどなく、音を立てぬようにそっとフードを閉めて、ガレージを出た。



「─────フレッドは、まだ見つからないのか?」

 いかにも苛立った顔で、その気持ちをぶつけるように、太い葉巻の頭をスパッと、まるでギロチンのようにシガーカッターで力強く切って落としたので、傍らで控えていた従者はビクリとした。シガーカッターの仕組みは、確かにギロチンを想わせる。

「イ、イエッサー・・先ほど、そのように無線の連絡がありました。三頭の番犬たちをあしらった侵入者は、こちらの警備が厳重になると察して、早々に車で引き揚げたようです」

 同じ従者の立場であり、カーネル(大佐)のボディガードでもあるフレッドは、キャンベル曹長のパートナーだったヤンという学生を始末しに外へ出たまま、未だ戻ってこない。
ちょうど侵入者の騒ぎがあったのとほぼ同時だったので、彼は同僚の安否を気遣っていた。

「ふむ、そうか・・・」

 憮然とした表情のまま、暖炉の前で長いマッチを擦り、太いシガーの先端を回しながら、その角を炙るようにゆっくりと火を着ける。

 如何にも屈強そうな従者は、直立したままじっとその作業を見ている。主人がそれを行う仕草は何度見ても美しく、自分には真似が出来ないと、彼は思う。愛著(あいじゃく)を持つ嗜好品への、それは厳粛で神聖な儀式のようなものであるのだと、彼には思えた。

「キャンベル君、逃がした侵入者たちは何者だったか、判ったかね?」

「おそらく・・」

 再びその部屋に戻ったキャンベル曹長が、直立したままで答える。

「ソルジャー・カトーと、台湾玄洋會の Secret Agent(特務工作員)と思われます」

「ふむ、予定どおりに出現した、ということだな」

「そのとおりですよ、大佐───────彼らは次の機会にこの館に忍び込んで、ヘレンが捕らわれて居るかどうかを、確かめようとするはずです」

 暖炉の前で葉巻を燻(くゆ)らせている大佐のすぐ隣のソファで、まるで客人のように、足を組んで寛いで座っている男が口を開いた。

「君の思惑どおりだな。だが、その際に君が居ては何もならないぞ。まだ君の正体を知られるわけには行かないからな。しかし、まさか今夜、再びここに現れるのではなかろうな」

「戸外(そと)はマイナス30℃もあります。訓練を積んだ人間でも、そう何時間も潜んでは居られません。それに、さっきキャンベル君に気付かれて撃ち合いになり、我々に追われる立場となったので、今夜のところは引き返すのが常道というものです」

「つまり、此処でこうして私と共に寛いで居ても、心配は無いと言うのだな」

「もしご心配なら他の部屋に隠れるか、ホテルに引き揚げますが、私が彼らの立場なら今夜は出直すところです─────そう思わないか、キャンベル曹長?」

「イエス、私も同じ意見です。侵入者が二人だけなら、多勢に無勢で、なおさらでしょう。さっきは単なる偵察に来ただけでしょうし」

「分かった─────だがこの館はいま、警備が手薄だ。キャンベル君は引き続き警戒の指揮に当たってくれたまえ」

「イエッサー、外の者と連絡を取りながら、館の警備を万全にします」

「ご苦労だな、交替しながら温かい食事を取るといい」

「サンキュー、サー!」

 そう答えながら、キャンベル曹長はチラと、大佐の隣に座っている男に視線を向けたが、すぐに踵を返して急ぎ足で部屋を出た。

「さて・・まあ飲みながら話そう。君はスコッチが好みか、それともコニャックかね?」

「コニャックを戴きます。この館のコニャックは、さぞかし極上でしょうから」

「それほどでも無いが、Daniel Bouju の Empereur XO、25年物で、こいつはやたらとシガーとの相性が良いので、切らさず置いてある」

「ほう、ダニエル・ブージュのエンペラーですか。近ごろ流行の、名ばかりのコニャックとは一線を画す、砂糖も色着けのカラメルも使わない、まだコニャックがコニャックらしかった頃の味わいを手間暇をかけて造り出した本物─────それを嗜まれる大佐は、まるでかつてのフレンチ・ブルジョワですな」

「酒にも詳しいな。ブルジョワを気取るつもりはないが、ソムリエに言わせると、シャトー・ラトゥールの '61年を供した食事の後に、このコニャックをディジェスティフ(食後酒)として飲むのがお勧めということだ。加えて、極上の葉巻があれば何も言うことがない・・」

「さすがに、銃撃戦の後の硝煙の臭いがまだ残る館で、'61年のシャトー・ラトゥールを飲むのは勿体ないでしょうから、フランス料理はまた次の機会として、今宵はカーネルに相応しい、エンペラーという名のコニャックを戴くことにしましょう」

「ははは、君はお世辞が上手だな・・さ、この中から、好きな葉巻を選ぶといい」

 大佐は起ち上がって、デスクの上からひと抱えもある箱を取り、その男に渡した。

「おお、流石は本物のシガー愛好家、立派なヒュミドール*ですな。蓋に日本の蒔絵のような細工で描かれているのは煙草の葉でしょうか。鍵まで付いているのですね」

「厳しい気候のアラスカでは、ニューヨークに増してこれが必要になってくる」

【註*:ヒュミドール(humidor)とは、葉巻煙草の乾燥を防ぐための保湿保存箱。持ち運び用は革製が多いが、室内用は分厚い木製の箱で機密性が高い。内部には湿度計と加湿装置が付き、優れた製品は半永久的にシガーを最良の状態に保つ。上質な葉巻が好む環境は、温度が18〜20℃、湿度は約70%で、空気がほんの少しだけ流れる場所とされる】


「そうだ、これを君にあげよう────────」

 その立派なヒュミドールが置かれていたデスクの上から、銀色のチューブのような物を取って、その男の前に置く。

「何でしょう・・?」

「一本用の、外出用のシガーケースだ。我々のシンボルが刻印されている」

「拝見します・・おお、ズシリと重い、銀製の見事な特注品ですな。あなた方のエンブレムが丁寧に刻まれていて・・しかし、こんな貴重な物を頂くわけには行きません」

「いいから取っておきなさい。私たちの良き協力者となってくれた記念だよ。今度はぜひ私の上座(じょうざ)の人間にも引き会わせよう。その時にそれを持ってくると良い。相手はそれだけで、きっと君への信頼が増すに違いない」

「ありがとうございます・・では、遠慮なく頂戴します」

「今日の記念に、そのヒュミドールの中から気に入ったシガーを選んで、そこに入れておきなさい」

「では、これを・・・」

「ほう、なかなか目が高いな。どうしてそれを選んだのだ?」

「私はシガーの素人ですから、ただの直感ですよ」

「ならば大した直感だ。君が手にしたのは Cohiba Siglo ll(コイーバ・シグロ・2)、それほど高価ではないが、豊かさと複雑な風味が交わり合い、珈琲や大地のフレーバーが感じられる、知る人ぞ知るトップクラスの葉巻だ」

「素晴らしいですね。しかしこの特別なシガーは、一体いつ吸えば良いのですか?」

「心から寛ぎたい時や、充分に満たされたとき、あるいは──────」

「・・あるいは?」

「明日は命懸けの戦場に出る、という夜に、独り喫するのだ」

「なるほど・・ならば私は、いつ吸っても良いと言うことになりますな」

「ん?、なぜかね」

「私の人生は絶え間なく、常に戦場に在るからです」

「ふむ、好い言葉だ。ますます頼りになる気がしてくるな、君は─────」

「畏れ入ります」

「わはははは・・」

「ははははは・・・」

「さあ、コニャックを開けようか」

「嬉しいですな、これで私も、にわかブルジョワジーです」

「それは良かったな、わはははは・・・」

「あははははは・・・」



「───────うぅむ、寒冷地用の二重の窓だから、中の声が聴き取りにくくて、何を喋ってるのか、まるで分からないな」

 暖炉の火が揺れる光が窓から漏れるのを見て、宏隆はそこに集う人間たちを探るために、そっと近づいてきていた。この場所をチェックする見廻りの間隔は7分以上で、つい今しがた警備要員が寒そうに通り過ぎたばかりである。

「・・オマケに壁はぶっとい丸太ときてる、こりゃぁ集音器が必要だな」

 だが、その窓から漏れる高らかに笑う声を聞いて、宏隆は驚いた────────

「えっ・・いまの声は?・・・ま、まさか?!」

 聞き覚えのある声であった。宏隆は急いで腰からタクティカル・バトンを抜き、そこに丸いミラーを装着した。窓から部屋の中を見るためである。

 タクティカル・バトンとは日本で言う特殊警棒のことであり、宏隆は拳銃やナイフと共に、FBIや警察官が用いているASP製のバトンを装備している。バトンの先端には、隠れたまま敵の状況を確認するための、直径7.6cm、重さ18gのプラスチック製のミラーがワンタッチで装着できる。

 そのバトンの先端のミラーを、そっと窓のところまで持ち上げて、談笑する声の主を確認しようとしたが────────

「むっ・・何だ、いまの光は?!・・だれか窓の外に居るぞ!!」

 大佐と親しげに話をしていた男が、険しい表情で叫んだ。

「・・な、何だと?」

 思わず、大佐も起ち上がろうとしたが、男に制されて、

「大佐っ、椅子の陰に隠れて!・・ガード(護衛)っ、その窓を開けて外を確認しろ!!、無線でキャンベルを呼べっ!!」

「はっ─────!!」

 立って控えていた従者が、腰の銃を抜いて窓際へ走る。

「し、しまった、光が反射したか・・?!」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第194回の掲載は、3月1日(水)の予定です


 北朝鮮の拉致を許すな!



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