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  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
  ウェブ・ブラウザは「Safari」または「Firefox」をお勧めいたします。



            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2017年07月15日

連載小説「龍の道」掲載延期のお知らせ

日頃より、連載小説「龍の道」をご愛読いただき、ありがとうございます。

7月1日に掲載の、記事の末尾でもお知らせをいたしましたが、
本日、7月15日(土)掲載予定の「龍の道・第200回」は、
著者がたいへん多忙のため、掲載を延期させていただきます。

楽しみにお待ち頂いている皆さまには誠に申し訳ありませんが、
何とぞご諒承くださいますようお願いいたします。


        太極武藝館 Official Blog ブログ・タイジィ 編集室


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2017年07月01日

連載小説「龍の道」 第199回




第199回  NEW YORK (1)


 ニューヨーク(New York Sity)はアメリカ最大の都市で、都市圏の人口は2,000万人、総生産は六千億ドル(50兆円)で、東京に次ぐ世界第2位の経済都市として知られる。
 1920年代初頭、ニューヨークはロンドンを抜いて世界最大の人口となり、1930年代には人口が1,000万人を超えて、人類史上初のメガシティとなった。

 因みに、ニューヨークの総生産は神戸や大阪とほぼ等しく、東京圏の総生産は1兆5,200億ドル(167兆円)でニューヨークの3倍以上、人口は3,700万人で、カナダの人口よりも多い。国連統計局によれば、1955年(昭和30年)に世界最大であったニューヨークを抜いて以来、60年以上も世界一の経済都市として君臨し続けているが、なぜか日本人にはあまり知られていない。

 ニューヨークを最初に発見したのは英国人のヘンリー・ハドソンで、大航海時代にオランダに雇われ、「大西洋からチャイナへ繫がる道」を探し求めて、現在のニューヨーク湾に辿り着いた。1609年9月2日のことである。
 ハドソンはニューヨーク湾を観て、それが千艘の船が安全に停泊できる天然の良港であることを確信し、さらに大きな川を遡って探検をしたが、それはチャイナと繫がっていなかった。後にその川はハドソン川と呼ばれた。

 その後、1614年にはオランダ人が毛皮貿易のために植民地支配を始め、その辺りで暮らしていたインディアンが「マナ・ハタ(丘の島)」と呼ぶ島を約600ドルで買い取った。これが今日のマンハッタン(Manhattan)である。オランダのユダヤ資本家たちは、アムステルダムを「新エルサレム」と呼び慣わす一大商業地へと発展させた勢いで、ユダヤが25%以上を持つ「東インド会社」がマンハッタン地区を買い取ったのだ。

 ハドソンが発見したその良港にオランダ船が戻ってきたのは1624年である。当時、東インド会社を南アジアに展開して巨大企業に成長していたオランダは、その成功を新大陸でも実現したいという想いで「西インド会社」を設立、ニューヨークは西インド会社のアメリカ本社を置く場所として期待された。
 その地は交易場として開かれ、ニュー・アムステルダムと呼ばれたが、やがて1664年にはイギリスの支配が始まり、当時のイングランド王、ヨーク・アルバニーの名にちなんでニューヨークと名を改めた。
 ニューヨークは現在でもユダヤ人(Jew)が多いことから、Jew York(ジュー・ヨーク)などと皮肉られる。


 New York City Never Sleeps──────眠らぬ都市ニューヨークでは、市内の交通機関が24時間運行し、人口密度は高く、人種も多様で170以上の言語が使われ、人口の36%がアメリカ以外に母国を持つ人たちである。
 かつて19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカに渡った何百万人もの移民を出迎えた自由の女神像は変わらずニューヨーク港のリバティ島に立ち、第二次大戦からつい最近まで世界金融の中心地であったウォール街も、地上39階・地下3階建ての国際連合本部ビルも国際政治の中心としてこの町に存在している。

 世界恐慌の時代には、改革派のフィオレロ・ラガーディア(Fiorello LaGuardia)が中産階級のユダヤ系市民の大きな支持を取って市長となり、それまで市政を支配してきた民主党の利権団体・タマニー・ホールは、その80年間に及ぶ政治支配に終わりを告げた。
 この物語に登場するラガーディア空港は、1934年から1945年まで市長を三期務めた彼の名に由来するが、何故かイスラエルのテルアビブには、彼の名前を冠した大通りやホテルまでが存在している。

 ラガーディア空港は国際空港であるが、入国審査と税関検査は行われない。その為、この空港を利用できる国際線は、米国外の出発空港にて事前入国審査が行なわれる15の空港だけに限られている。
 ほとんどの主なフライトは国内線とカナダ線に限られ、騒音問題や環境保護の観点から、一部の例外を除いてボーイング767やエアバスA300等の大型機や、飛行距離が2,400km以上の路線の発着は行わないとされているが、日本の羽田空港やイスラエルのテルアビブ空港からラガーディアへのフライトは、その ”一部の例外” として常に運行されている。

 また、他のニューヨーク都市圏空港である、「ケネディ国際空港」「リバティ国際空港」と共に、その管理、運営、警備の全てはすべて同地域の地域開発公団である『ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社(The Port Authority of New York & New Jersey)』によって行われている。

 9.11テロ事件で崩壊した110階建てのWTC(ワールドトレードセンタービル)の建設、経営、管理をしていたのも同じ港湾公社だが、事件のわずか6週間前に突然その所有者が不動産業界の大物ユダヤ人、ラリー・シルバースタインに委譲された。彼はWTCの二つのビルに35億ドルの保険をかけ、事件後は推定90億ドルもの保険金が支払われた。
 このワールド・トレードセンターは、ロックフェラーの一族が理想として掲げているところの、「World Peace through Trade(貿易を通じた世界平和)」から命名され、9.11のテロ事件までは5万人の勤務者と毎日20万人の来館者を誇る、ニューヨーク最大の商業センターであった。

 2014年に 9.11の跡地に再建された新しいWTC(1−WTC)の土地も同様に、この港湾公社が管理している。”THE TOP OF AMERICA” と呼ばれる、世界第三位の高さを誇るこのビルは、あまり周りのビルとの調和も取れているとは思えず、地元の評判も今ひとつのようで ”不気味なデザイン” と評する人も多い。

 閑話休題───────



「うぅむ・・どこだ、ここは・・・?」

 どれほどの時間が経ったのか。ようやく目が覚めた宏隆の手には、もうプラスチックベルトの手錠は掛けられていない。
 辺りを見回せば、周りの壁も床も、すべて無機的なコンクリートの打ち放しの、ガランとだだっ広い部屋で、天井のライトが煌々として、やけに眩しい。
 ゆっくりと起き上がってみると、そこはベッドではなく、病院や美術館の休憩用に置かれてあるような類いの大きな固いソファだ。部屋にはその長椅子以外には何もない。

 当然の事だが、身体検査をされたのだろう。銃器などの武器はもちろん、装備の入っていたザックや腕時計、帽子やベルトなどもすべて取り上げられ、ご丁寧にブーツまで脱がされている。これでは何をすることも出来ない。

 少し頭痛がする。そう言えば機内で目が覚めた時に水のようなものを飲まされたが、またすぐに眠ってしまったところを見ると、睡眠薬でも入っていたのか。

「いまは昼か、それとも夜だろうか・・?」

 腕時計が無いので、今日が何日で何時なのかも分からない。たとえ時計があっても、敵が日付や時間を変更していれば錯覚をさせられてしまう。

「宗少尉は大丈夫かな───────」

 自分が生きているのだから、宗少尉も取り敢えずは無事なのだろうが、姿が見えないと、やはり安否が気になる。

「よっこらしょ、っと・・」

 起ち上がって、この部屋の様子を探る。
 窓は無く、入口には如何にも頑丈そうな分厚い鉄のドアがひとつ。高い天井には埋め込みのエアコンがあって、監視カメラがひとつ、その天井の隅に取り付けられている。
 試しにソファを動かしてみるが、床に固定されていてピクリともしない。

 宏隆は同じ部屋の中を、できるだけ動き回った。

「よし、腹は減っているが、何とか身体は動かせそうだぞ」

 ガランとした何もない部屋をウロウロして、歩いたりしゃがんだりしているのは、部屋の偵察というよりは、長い時間眠らされて使わずにいた身体を起こし、イザという時にすぐに動けるようにするための、言わば準備運動の意味合いが強い。
 事実、万一敵地に囚われた場合には、体力を落とさないために看守の目を盗んで効率的なトレーニングに励み、脱出は体力の有るうちに、できるだけ早く行わなくてはならないと、宏隆は教えられていた。特にインナーマッスルに関わる運動は、見た目には筋骨隆々にはならず、看守の目を誤魔化せるので推奨されている。

「ふむ、つまり、ただ鉄格子が無いだけの、バカでかい監禁室ってコトだな。ジタバタしても仕方がなさそうだ。これからが本番、というわけか・・」

 ジロリと、宏隆は監視カメラのレンズを見上げてつぶやいた。

 身ぐるみ剥がされ、何もない部屋に監禁され、カメラで監視されているのだから、目を覚ませば誰かがやって来るに決まっている。ならば、今さらジタバタしても始まらないではないか。儘(まま)よ、とばかりに、宏隆は再びソファに寝転がった。

 案の定、間もなくギィときしむ音を立てて、ぶ厚い扉が開いた。

「そら来た、いよいよ敵さんのご登場だ」

 暢気な顔をして、むくりと起き上がったが、

「ヘ、ヘレン────────!?」

 銃とバトン警棒を装備した、いかにも屈強そうな二人の男が入ってきて、扉の左右に立ったが、まるで彼らに守られるように現れたのは、誘拐されたまま行方が判らなかった、あのヘレンであった。

 予期せぬ出会いに唖然として言葉も出ないが、ヘレンも何も言わない。

「ヘレン、無事だったんだな、ずいぶん心配したんだぞ・・けれど、どうしてここに?」

 ようやく宏隆が口を開くが、

「ごめんなさい・・・」

 ヘレンはただ謝るだけで、俯(うつむ)いて目を潤ませている。

「Wasilla(ワシラ)の山荘を偵察しに行ったときに、窓のところにヘレンの姿を見たような気がしたんだ。あれは君だったのか?」

「ヒロタカ、ごめんなさい。わたし・・」

「そうか。考えたくは無いが、ただ謝るばかりということは、やはり君も中佐と同じ、敵側の人間だったと言うワケなのか?・・親子揃って玄洋會を欺いていたと・・」

「そのとおりだよ──────」

「ヴィルヌーヴ中佐!!」

 後ろから、ヴィルヌーヴ中佐が入って来た。

「まんまと私に欺かれて、身柄を拘束されてこんな所に居る。人生は勝ちか負けしかない。君たちは私に負けたから此処に居るのだ、それが現実だよ」

「くっ・・・」

「それより、気分はどうかね?」

「変なモノを飲まされたらしく、少し頭痛と胸やけがする」

「水分を摂ってもらうために飛行機の中でサービスしたのは、抱水クロラール入りの冷たい紅茶だ。溶けやすくする為にエタノールも少々含ませている。確かにあれは味が悪く、頭痛や胸やけの副作用もある。何よりも、ひどい悪臭を放つので、私はあまり機内では使いたくなかったのだが、薬がそれしか無かったのだ、悪く思わないで欲しい」

「ふん、農薬のDDTが原料の睡眠薬を飲ませたんだな、道理で頭痛がするはずだ。しかし、こんな事になるとは─────あなたを信頼していた僕が馬鹿だった」

「いや、やがて君は私に感謝することだろう、もっと私を信頼するがいい!」

「え・・・?」

 取り方によっては辛辣な皮肉にも聞こえないことはないが、ヴィルヌーヴ中佐の眼はじっと宏隆の瞳を見すえて、言葉には偽りが無いと思える。

 だが、本当は何を言いたいのか─────
 少なくとも、その言葉には、何らかの含みがあるように宏隆には思えた。

「君に新しい提案をしたくて、わざわざこんな手の込んだことをやったのだよ」

「何の事か全く分からない。あなたは誰に雇われているのか・・組織の正体は何だ?・・・
いや、それよりも宗少尉は無事か?、いったい僕たちをどうしようというんだ?!」


 ──────CIAによれば、敵に捕らえられた人間には8種類の性格類型があるという。
 だが、捕虜となった兵士の態度はだいたい決まっていて、笑顔をつくって好意的に敵に取り入ろうとするか、または不機嫌な顔で悪態をつき、敵意を露わにして反抗的な態度を取るか、大抵はそのふたつにひとつであるという。

 宏隆は、わざとムキになって、相手の反応を見ようとしていた。

「感情的になるのも無理はないが、まあ、落ち着いて話をしよう」

「ふざけるなっ!、父娘(おやこ)で人を欺いておいて、何処だか知らないがこんな所に監禁した挙げ句に、落ち着いて話をしろというのか!!」

「ならば、もっと居心地の悪い狭い部屋で、君の心が落ち着いてその気になるまで、ずっと何日でも過ごして貰うしかないが──────」

「むむ・・・」

「どうするかね?」

「分かった、話を聴こう。だが、先に宗少尉の安否を訊いておきたい」

「心配はいらない。宗少尉は別の部屋で、同じように大切に扱わせてもらっている」

「そうか──────」

「安心したかね。ここに着替えと靴がある。先ずはシャワーを浴びてほしい」

 部屋の外に控えていた部下が前に進み出て、一流ホテルのバトラーのように恭しく着替えと靴を差し出す。宏隆が武器にできないよう、それらは平らな紙の箱に入っている。

「シャワーを?、どこで浴びろというんだ・・」

「そこにバスルームがある」

 入口に立っている部下の一人に合図をすると、奥の壁が開いて、トイレ付のバスルームが出てくる。コンクリートの壁だと思えた所は、実は電動のドアであった。

「勝手にいろいろ動かれては困るので、この部屋の物は目立たないようにしてある」

「まるで陳腐なスパイ映画だな。どうも君たちはつまらない閑人の集団らしい」

「ははは、ある意味ではそうかも知れない。ともかく、旅の汚れを落として、着替えてもらいたい。終わったら迎えを寄越そう」

「シャワーを浴びさせて、迎えをよこして、それから何処へ連れて行くつもりだ?」

「この建物の、もっと景色の良い部屋だよ。君と話をしたい人が、そこで待っている」

「なるほど、やっとボスの登場か。この状況でそれを否定しても意味が無さそうだな・・・それでは礼儀正しく、身だしなみを整えて行くとしようか」

「分かってもらえて嬉しいよ。では、のちほど──────」

「ヒロタカ、私は・・」

 中佐と入れ換えに、後ろに居たヘレンが何か言いたげに近寄ろうとしたが、

「ヘレン、もう行くぞ!─────彼とは、またゆっくり話す機会もある」

「は、はい・・・」

 父親の言葉に、すぐに踵を返して部屋を出た。


 シャワーを済ませると、ほどなく迎えが来た。迎えの男は独りで、よく鍛えられた体に、きちんとダークスーツを着て、ネクタイまで締めている。

 用意された着替えは、長袖のTシャツにスウェットの上下。靴はヒモ無しのスニーカーという格好で、もし脱出できても、戸外(そと)が寒ければ行動が限られてくるはずだ。

「ご案内します、どうぞ──────」

 言葉は丁寧だが、スーツの下には拳銃がスタンバイしているに違いない。
 敵はたった一人なので何とかなるかも知れないが、建物の状況も、敵の様子も分からないまま、こんな所で闘っても仕方がない。ヴィルヌーヴ中佐も宏隆がそう考えると分かって、わざと迎えを一人で寄越したのだろう。

「こちらへ──────」

 男は部屋を出て、長い廊下を先に立ってどんどん歩く。
 廊下には窓もなく、ほかに部屋が無いのか、扉のひとつも見当たらない。

 ひたすら細長い灰色の通路を進んで行くと、突き当たりにエレベーターの扉が見えた。
 階数の表示は無く、しばらくすると壁のランプが点き、扉が開いた。

「どうぞ、こちらへ・・」

 先に中へ入って、宏隆を促す。

 エレベーターの中には、目的フロアを指定する階床ボタンは四つしかない。
 意外と小さなビルだったか、と宏隆は思ったが、男が一番上のボタンを押すと、その小さな空間はすごいスピードで上り始めた。

「む・・長いな、こいつは相当な高さのビルだ」

 気圧の影響があるので、宏隆は耳抜きをした。通常、ビルの1階から30階までは高さにして約100mで、およそ12hPa(ヘクトパスカル)ほどの気圧低下が起こる。
 一般的な住居マンションのエレベーターは分速30〜60mだが、これは明らかにその何倍ものスピードで、これから向かう所がかなりの高層階なのだろうと思えた。


                    ( Stay tuned, to the next episode !! )




  *次回、連載小説「龍の道」 第200回の掲載は、8月1日(火)の予定です


2017年06月15日

連載小説「龍の道」掲載延期のお知らせ

日頃より、連載小説「龍の道」をご愛読頂き、ありがとうございます。

誠に勝手ながら、本日 6月15日(木)掲載予定の「龍の道・第199回」は、
著者が引き続き大変ご多忙のため、掲載を延期させて頂くことになりました。

掲載を楽しみにして頂いている愛読者の皆さまには大変申し訳ありませんが、
何とぞご諒承くださいますようお願いいたします。


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2017年06月01日

連載小説「龍の道」掲載延期のお知らせ

日頃より「連載小説・龍の道」をご愛読頂き、誠にありがとうございます。

大変勝手ながら、本日 6月1日(木)掲載予定の「龍の道・第199回」は、
前回に引き続いて著者が大変ご多忙のため、掲載を延期させて頂くことになりました。

掲載を楽しみにお待ち頂いている読者の皆さまには大変申し訳ありませんが、
何とぞご諒承くださいますようお願いいたします。


        太極武藝館 Official Blog ブログ・タイジィ 編集室

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2017年05月22日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その31

   「 くう ねる いきる」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



何気ない日常生活を送っていると、ふと気がつくと、自分が生きている実感がほとんど伴っていない、ということがあります。
 
武術とは非日常の世界であり、生き残るための技法である…。
 
そういう気持ちで取り組んでいるはずの、高度な武術の稽古の裏側で、実際に多くの時間を過ごしているのはふだんの生活です。
仕事をし、家に帰り、稽古に行き、また帰ってくる。
もう何年も続いている、日常生活の中で、なぜ生きている実感を感じられない瞬間があるのでしょうか。
 
それは単に寝不足で疲れていたり、なにか悩みがあったりとか、そういった些細なことの積み重ねで、ほんの少しずつ歯車がずれてしまっていると感じている、そういうことでしかないのかもしれません。
 
けど、自分に限らず多くの現代人の生活を見てみると、生きることとは一見無関係にも思えるような仕事に取り組み、生活の糧を得ているはずです。
必要なものがあればコンビニやスーパーで買いそろえ、インターネットで注文すればたいていのものが手に入る時代です。
もちろん、それは否定しません。
ですが自分自身のこととして、生きるために何が必要なのか、そこのところがまったくわからなくなってしまっているようでした。
 
 
今年に入り、研究会では特別稽古として、数回の野外訓練を行いました。
研究会の野外訓練! というと一般門人の方の中には、
「相当特別なすごいことをやっているに違いない…!」
と、内容を聞いてこられた方もいますが、実際には、まだふつうのキャンプを行いながら、野外での活動に慣れるといったことと、それにプラスして少しずつ課題が増やされ、野外での体の使い方を学習していくといったものです。
野外での体の使い方とは、師父から教示される軍隊の訓練に準じたものや、太極武藝館独自の学習体系に沿った訓練などです。
 
野外での訓練といっても、そこは太極武藝館の稽古ですから、食事まで徹底的に抜かりなく、素晴らしいものをいただくことになるわけです。
前回の訓練では、師父お手製の特製カレーをふるまっていただき、おいしく味わわせていただきました。
特別に参加していた一般門人のI(アイ)くんは、
「普段の食事より豪華な物を食べている」「こんな御馳走は味わったことがない」
と言い、何回もおかわりをもらっていました。
本当においしかったです。
 
 
しかし、研究会のメンバーはただ食事にありつけるということはなく、ちゃんと課題を与えられていました。
それは、カレーは師父の御好意で用意していただけるので、ご飯は自分で炊く、というものでした。
いくつか条件があり、
 
 1、使って良い火は焚火のみ
 
 2、火口(ほくち)は現地調達出来るものだけ
 
 3、着火具はメタルマッチ(ファイヤースターター)で
 
あとから知ったところでは、ウッドストーブ(註:ガスやアルコールなどの燃料を使わず、小枝などを燃やして使うキャンプ用コンロ)は使用可能だったそうですが、自分は持っていなかったので関係がなかったのでした…。
 
とにかく、そういった条件が出揃い、脳裏をよぎったのは数年前に行われた最初の野外訓練での課題でした。
 
雨が降ったあと、新聞紙とマッチだけで焚火をするというものです。
それはもう、いまだに語り草になるほど散々な結果でした…。
条件がそれほど悪かったわけではありません。ただ、自分のスキルのなさが痛感させられたのです。
 
火をおこし、ご飯が炊けなければ食べるものはない。
昔だったら、ごく当たり前の話だったはずです。ただ、現代ではそれ以外の手段がいくらでもとれるため、たったそれだけのことで食事にありつけないということがないわけです。
 
今回のキャンプ事前の天気予報では、その日は雨が降るかもしれない、ということでした。
これは非常にまずいです。慣れた人からすれば「なんだそんなことくらいで」と思うかもしれません。
そうなのです。自分が「なんだそんなことくらい」と思えるようになる為の訓練なのです。その時の自分にとっては、一大事だったのでした。
 
 
幸いにも(不幸にもというべきでしょうか)、キャンプ当日は雨も降らず、焚火を行うためのコンディションは悪くない状態でした。
やらなければならないことは、テント・タープの設営、メインとなる焚火・かまどの設営、そこで使うための薪集め、それから自分用の焚火と薪の用意でした。
 
もたもたしていては日が暮れてしまいます。
効率よく動くためにはどうしたらいいか、自分だけでなくまわりの人の状況もみながら動く必要があります。
何回かキャンプをしてきたぶんは、どうしたらいいかが分かってきているようにも感じました。
反省点はまだまだあるので、次回以降に生かしていきたいと思います。
 
 
焚火をするうえで一番の課題だったのが、一番最初に火をつける火口がないというところでした。麻紐をほぐしたものを試してみよう!とお気楽に考えていた自分が本当に憎らしいものです。
 
道具は現地で調達出来るものだけ、あと頼れるのは自分のみ、です。
落ちていた木を細かく削ってみるものの、先日までの雨で木は湿っており、簡単には火がついてくれません。
そうしているうちにあたりは暗くなり始め、何かを探しに行く時間もなくなっていきます。
どうにかしないとご飯が食べられません。
ささいなことですが、目の前に差し迫った危機のひとつではあります。
 
幸い、杉の木や枝はそこらじゅうに転がっており、おもな燃料として集めてありました。
なので、事前に勉強してあった方法を試してみることにしました。
 
「備えよ常に!」
 
まさにサバイバルとは知識ですね。
知識だけではダメですが、それを使えるようになっていれば、実に役に立つものです。
 
まず、出来るだけ乾いている杉の枝から皮をナイフではぎ取ります。
皮がある程度集まったら、それを手のひらでひたすら揉みます。
しばらく揉んでいると、杉の皮が繊維状にばらばらになり、ふわふわした綿状になってきたら火口の完成です。
試そうと思っていた麻紐ほどではありませんが、それでも十分に使えそうな状態にはなりました。
 
かまどは事前に、石を積み上げて作っておきました。
ご飯を炊き始めたら、火力が調整出来るように動かせる…というふうに作った(つもりの)ものです。
 
そこに薪、小枝、焚き付け、それからいま作った火口を用意し、火をつけます。
 
一発で点火!となったらよかったのですが、なかなかうまくいきません。
「やばーい! 火がつかない!」
などと散々騒いでいた記憶があります。それも野外の楽しみです(?)。
火口の状態がよくなかったようで、新たに作り直します。
手のひらいっぱいくらいの量で、最初よりももっとこまかくほぐします。
最終的に、それでうまくいってくれました。
 
メタルマッチから飛び出した火花が火口につき、そこから火が燃え上がります。
あわてて消してしまわないように、少しずつ小枝から大きな木へと火を移していきます。
火の状態を見ながら対話していきます。稽古と同じです。
 
ようやく焚火が安定してきたら、本題である炊飯へとうつります。
事前に水に浸してあった米を火にかけ、調理開始です。
 
少しアクシデントはあったものの(ふつうのクッカーでは蓋が吹っ飛びました…)、上手に炊き上げることができました。
家でガスの火で試したときよりも上手においしく炊けたのには驚きでした。
 
自分で焚火で炊いたご飯で、師父の手作りカレーをいただく。
なんという贅沢な時間でしょうか。
 
 
翌日の朝食と昼食も、研究会は自分で焚火を起こして調理をしました。
自分は簡単なコンソメスープと、パスタをつくりました。
 
師父のカレーのことを思うと、次回はもう少し、料理のバリエーションを増やさないといけないな、と思いました。何事も勉強です。
 
 
キャンプでは新調した一人用のテントを使ったのですが、もうテント泊はおしまいです。
「一回しか使ってないのに?」
とツッコまれながらも、次はタープ泊だ、とかたく心に決めたのです。
 
男は、つねにワイルドに生きなければならない生き物なのです。
 
そういうわけで、ゴールデンウィーク中の某日、稽古はお休みだったので個人的に、ゲリラキャンプもしくは野営というと聞こえはいいですが、いうなれば野宿へと強行スケジュールで出かけました。
場所は事前に決めてあったダム湖に隣接された公園です。
用意していったのはグリーンシート(ODカラーのブルーシート)とポンチョ(これは簡易タープにもなる便利なものです)、それからシュラフです。
 
休日が取れなかったので、夕方まで仕事をしてから、夜に出掛けるというスケジュールになってしまいました。なので、本当に寝て帰るだけとなりました。
 
バイクで走ること数十分、目的地に到着です。
 
心配していた雨も降りそうになく、最終的にはタープを張る手間もはぶいてしまい、グリーンシートを簡易シェルター代わりにして眠りました。
さえぎるものが何もなく、天上に広がる星が良く見えて綺麗でした。
 
もはやタープ泊でもなんでもありません。
ただ、緑のシートにくるまった人間が寝てるだけです。
気温は暖かく快適に眠れました。
ただ、明け方になると自分から出た水分でシート内が結露し、シュラフが濡れてきてしまいました。改善の余地ありです。
 
夜が明けると即座に片付けをし、簡単な朝食を食べて撤収しました。
 
季節が季節なので、寒くて命を落とすということはないですが、もっと事前に準備をしないといけない、と痛感しました。
 
 
今年になってから特に、野外で宿泊するという機会が増えました。
時間で言えばわずかなものですが、その一回一回が、大きな学びの機会となっているように思います。
 
今も、次にいつキャンプに行こうか、そこでは何をしようか、そのために何が必要か、と着実に準備を行っています。
言ってみれば、ハマってしまったわけですが、それまでの自分には考えられなかったことだと思います。
野外で活動することの楽しさにはまってしまうと、家の中でゆっくりしているのがだんだんともどかしく感じられ、どこでもいいから出掛けたくなってきます。
 
それはおそらく、キャンプでも焚火でもなんでもいいですが、それらがすべて、代わりの利かない本番だからではないか、と思うようになりました。
そしてそれらは、食べること、眠ることなど、生きていくことの本質に直接的に関わってきます。
ただ一晩眠れない、一食食べられないというだけでは、危機は命にまでは及びませんが、自分が不利になることだけは確かです。
ちょっとした判断ミスのひとつ、失敗のひとつが自身の能力をそこなう可能性を秘めているので、そういった気持ちを持って物事に取り組む必要が必然的に出てきます。
 
まわりの状況を見て、手元にあるものを最大限使い、自分の出来ることをフルに行わなければなりません。
その上で、十分な休息をとり、また次に備えなければなりません。
一回一回がリハーサルのない本番だからこそ、そこで得られたものは、成功であれ、失敗であれ、確実に次につながっていく糧として、自分の中に残っていきます。
 
生きることと自分の間に余計なことがない。
そのことが、楽しいことなのだと思いますし、そこに充実感があります。
 
野外でシートに包まって一回寝るだけで、屋根のあるところは、たとえテントでも贅沢なのだなと思い知ることが出来ました。本当に大したことではありません。ただどこにでもあるシートと寝袋を引っ張り出して外に出ただけで、そういう経験をすることが出来ました。
次はどうしようか考えるだけで、楽しくてしかたありませんね。
一応、良い子は真似しないでね、と言っておきますが。
 
翻って、それまでの普段の生活のことを考えてみると自分はどうだったでしょうか。
衣食住の心配もなく、それらがあることが当たり前であるという上で、他のことにかかずらって思い悩んでいたように感じます。
 
稽古をしていても、はっとさせられました。
果たして自分がどれだけ、一回の稽古を本番として取り組めていただろうか、ということにです。
毎回毎回真剣に行っていたつもりでも、どこかでは「これは練習だ」と思っていたのではないだろうかと。
稽古を本当の危機だと思えていたかというと、全く自信が持てません。
それほどまでに、感覚が鈍ってしまっていたのだと思います。
 
その点、師父に相手をしていただくと、一回の対練が代用の利かない本番であるという実感がはっきりと感じられます。それは、師父がそのように取り組んでいることの証だと思います。
それを自分はその瞬間、味わわせてもらっているのだと感じます。
 
それは言われて頭で分かるものでなければ、技術や体力をどれだけ向上させても、決して理解できる質のものではないように感じます。
 
 
それが分かっただけでも、自分には大きな収穫です。
 
もちろん、それで全てが一度に変化するわけではないとしても、自分の中に付いた火種は、最初はなかなか燃え上がらなくても、適切に育てていけば、きっと大きな炎になるはずです。
 
それがどうなるかはわかりませんが、自分の中に生まれた感覚を、大切にしていきたいと思います。
 

                                (了)




*次回、「今日も稽古で日が暮れる(その32)」の掲載は、7月22日(土)の予定です



 北朝鮮の拉致を許すな!



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