Welcome to Blog Tai-ji



  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
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            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2020年09月17日

円山洋玄師父 特別寄稿(2)

 「弟子であること 〜Disciplehood〜 その2」

                   日本玄門太極宗師  円 山 洋 玄




  「他人よりも優れていることが尊いのではない
     過去の自分よりも優れていることこそが尊いのだ」
                  ───── アーネスト・ヘミングウェイ


 <男らしさ>

 『二つ星の料理人』という、私の好きな映画がある。
 あのクリント・イーストウッド監督の傑作「アメリカンスナイパー」で主役を務めたブラッドリー・クーパーがシェフ姿で演じる、何度見ても飽きない良い映画だ。

 パリで十年間修行に励んで新進気鋭の料理長となり、若くして見事ミシュランの二つ星を獲得した天才料理人が、すっかり舞い上がって天下を取ったような気分になり、調子に乗ってドラッグ三昧で身を持ち崩し、遂には幻覚症状で自分の店にネズミを放って保健所に通報し、全てを無に帰してしまう羽目になった。
 物語は、そんなダメな主人公が、バスの中で自分を回想するところから始まる。
 ルイジアナの港町でバスを降りた彼は、ちっぽけなオイスターバーの裏口でタイムカードを押して狭い厨房に入り、せっせと牡蠣の殻を剥き始める。
 傍らには手帳が置いてあり、中には几帳面に、細かい数字がギッシリと書かれていて、ほとんど数字だけでその手帳は埋めつくされている。

 800,000... 900,000... 996,696... 697... 699.... ...

 彼には、再起をかけて、もう一度やり直そう、という強い決意があった。
 その決意とは、至高の料理の世界に復帰し、自分がシェフとしてまだ成し遂げていない、「三つ星」を獲得すること────

 しかし、彼が起こした行動は、何処かのレストランで雇って貰うことでも無ければ、かつて迷惑をかけた仲間たちに謝罪することでもなく、落ち込んで世を捨て、ホームレスに身をやつす事でもなかった。
 彼がやったことは、唯ひたすらに、牡蠣の殻を剥き続けること。
 それも半端な量ではなく、何と“百万個“の牡蠣の殻を剥くこと───────
 もはや苦行とも言えるその行為を、彼は罰として自分に課していた。

 それをやり遂げるまでは、自分は決して料理人の世界には戻らない。それまでドップリと浸っていたドラッグも、サケも、オンナも、全てをキッパリと絶って、まるで禅の修行僧のように、三年間、来る日もくる日も、自分に課した百万個を達成する日まで、ひたすら牡蠣の殻剥きに専念したのである。
 やってみれば分かるが、牡蠣の殻は十個や二十個剥くのも中々面倒である。それを百個やれと言われたら、素人は唖然とするだろうし、千個だ一万個だと命じられたら逃げ出したくなるに違いない。だから百万個などという数字は、誰が見ても苦行としか言いようのない、とんでもない量だ。
 ここで映画の解説をするつもりはない。キャストも端役まで皆んな適役で、戦場のように厳しく、かつ創造的でデリケートな厨房の世界をよく演じている。
 興味があればぜひ観て頂きたいと思う。


 そして私は、この男の生き様に共感できる。どこか私にも、似たような馬鹿なところがあるからかも知れない。
 彼は散々バカをやらかして輝かしい自分の人生を棒に振ったが、それを取り戻すために、そしてさらに見果てぬ大きな夢を実現するために、とんでもない罰を、自らに課した。
 三年間で百万個の牡蠣を剥くには、一日に九百個以上を捌かなくてはならない。それは普通のシーフードの店の、一日の牡蠣の売り上げを超える量だ。手は傷だらけになり、磯の香りが体に染み込んで、手を洗ってもシャワーを浴びても臭いが落ちなくなる。百万個の牡蠣に埋もれて、もがき苦しむ夢を見てしまいそうだ。

 そして、彼はこれをやった。
 他人から罰せられたのではなく、自分で自分に罰を課したのだ。
 今後の人生をきちんとやり直し、さらに為し得なかった大きな目標に自分を向かわせるために、彼はそれを行ったのである。

 私は、その行為を「男らしい」と思う。
 だが、ふと思った─────────
 そんな事をやってのける正式弟子が、私には何人居るのだろう?
 男っぽい、昔の武士のような、大切なものを護るためには自分の命を懸け、信念のためならいつでも腹を切れるような・・そんな軸を持って、本気で後世への伝承を己のライフワークにできるような者が何人も出て来てくれるのだろうか。

 男らしい、なんて言葉は、もう疾っくの昔に死語になってしまったのかも知れない。
 だが、男が自分の人生を自分らしく歩む為に、男らしい情熱は要らないのか。
 正式弟子になれて、纏絲勁の秘伝を教わって、さて、それでどうするというのだろう?
 最も大切なことは、秘伝の纏絲勁をコレ幸いと教わるコトではなく、それを修得するために、自分がどれほどの情熱をもってそれに関われたのか、そのために自分をどれほど高められたか、ということではないのか。
 すごい物を欲しい、という気持ちは誰にでも有る。けれども、そのスゴいもの自体よりも、それを手に入れるためにどんな苦労も厭わず、精一杯に燃え尽きることができた自分自身の方が、よほどスゴく、尊いものだと、私には思えるのだが。

 そう言えば、この映画の原題は「BURNT」────────
 自分のバカさ加減に身を焦がし、そして、再起をかけた情熱に身を焦がしてゆく男の、美しい物語だ。


 <伝えるべき者>

 どのような伝承であっても、その真正な内容は伝えるべき者に伝えられるべきであり、伝えるべきではない者に、それを伝える事があってはならないのは明らかである。
 ではその「伝えるべき者」とは、どのような人間を指すのか。

 誰もが即座に思い浮かぶように、それは何よりも先ず「信頼できる人間」であるに違いない。だが、ひと口に信頼と言っても余りに漠然としていて、師弟関係に勝手に信頼が生じるわけでもなく、特に真伝の伝承という特殊な状況を想えば、人間性への信頼だけではなく、そこで伝えられる事をトータルに受容できるだけの、ある特別な感性が必要とされるわけであって、武藝修得に必要なそのような感性を併せ持つという事までが確認され、信頼されなくてはならない。
 そして、信頼が生じるには、まずそこに「信用」が存在していなければならない。信用なしには、信頼も生じないからである。
 信用とは、その人の過去の実績や成果への評価をもとに、物理的、実際的に本人の実質を評価する事で得られたものをいう。そしてその信用をもとに、本人の精神性や人間性など、目には見えない、数字にもデータにも表すことの出来ないものが高く評価され、その未来が大いに期待されて、ようやく真の意味での「信頼」となるわけである。

 今年の正月からずっと、拝師弟子たちに多くの課題を出し、長い時間をかけて各自にどの真伝教授のレベルを認可できるかを細かく審査してきたのは、ひとえに真正な伝承者を後世に遺すために、そのような本当の信頼を寄せられる人間を正しく見極めたい、という切実な想いからのことである。
 だが、課題と言ってもそれほど大層なものではない。普段の稽古なども、それ自体が細かな課題の集大成なのだから。そして、それらの課題をきちんとやり遂げることは、弟子として本来当り前のことであるし、それをきちんと熟(こな)すことは勿論大切なことなのだが、むしろそれらをどう捉え、どのように熟して行ったか、その過程に於いて、彼らがそれについてどのように向かい合い、対処したかという、個々の弟子の「在り方」こそが最も重要な事なのであって、そこにこそ、その弟子の本当の人間性や実力が現れてくる。
 ごく当たり前の事を、当たり前にやる事も、非常に重要な課題である。
 稽古が19時の開始なら、その時までには着替えを終え、カバンを整えて、身体をほぐしながら待つ。ギリギリに走ってきて滑り込みセーフ、息を切らしながら慌てて蹲踞の姿勢を取る、なんて事をやると思い切りドヤされ、バーピーを百回やらされる。
 また、礼をする時の姿勢はこう、話を聴く時の姿勢はこう、返答をする時にはこの様に行う。道場通学のバックパックはこの様に整え、研究会門人であれば最低限このような中身を入れ、この様に緩みなく正しく背負う。靴は常にピカピカに手入れをして揃え、靴紐はこのように正しく結ぶ。道場、便所、階段の掃除はこのようにする。月謝はきちんと期日までに納める。メイルが来たらきちんと返信をする・・等々
 こう書き並べると、どれも皆とても容易(たやす)く、当たり前のことに思える。
 ところが、これらを初めからきちんと出来ていた人は殆どいない。簡単な当たり前の事ほど、何故か人はタカを括ってキチンとやろうとしない。やむなく指導者は本人の在り方について厳しく注意を促し、徐々に意識を高めて行くしかない。

 そもそも稽古で同じことを注意され続けたり、同じ誤りを繰り返し、叱られ怒鳴られているような人間は話にならない。
 それは軍隊で言えば 坊主に頭を刈ったばかりの教育訓練中の新兵や、ブートキャンプを卒業したての新米兵士の話であり、軍隊の特殊部隊に匹敵する高度な訓練が行われる玄門の伝承者には、あるレベル以上の人間性と精神性が絶対的に必要とされる。事実、特殊部隊の訓練では、教官に怒鳴られるようなレベルの者は一人も居ないし、それは世界中のどこの部隊でも同じはずである。
 武術的才能がどうの、という話ではない。コツコツと正しい稽古を続けてさえ居れば、武術的なセンスに目覚めてくる者は幾らでも居るが、それ以前に自己管理がきっちりと出来ていて、常に自己の人間性や内省を大切にしている者でなければ、与えられたことを深く理解し、正しく身に付けていく事などは絶対に出来ない。
 だが非常に残念なことに、拝師弟子の中にさえ、与えられた課題を自分なりに解釈して、その範疇で「良い子」にして努力さえしていれば、高度な原理構造を教えてもらえ、理解させて貰えるのだと、本気でそう信じているような者も居る。もしそのような低次元の、自分本位の考え方でそれを掴んで行けるのなら、誰がわざわざ何十年もかけて艱難辛苦の修練に励むだろうか。


 そして、伝承にはさらに、「教外別伝」「不立文字」と呼ばれる、伝えられることの真理を掴む為に、眼には見えず、文字にも表せない、心から心へと伝えられるものを受容できるチカラが必要となる。技藝の体系はもちろん科学的なものであり、よってある程度までは言葉や文字、図などで説明する事も可能となるが、それとは別に、従前の教学体系やドグマなどにも依らない、「以心伝心」で伝えられることが可能となる、師弟間の高度で繊細な関係性が必要となるのである。

 ────『授(じゅ)トハ傳(でん)ナリ、傳トハ覚(かく)ナリ』という言葉がある。
 師から弟子に何かを授け渡す、という事について語られたもので、インドから支那に渡って禅を伝え、かの少林寺を開いたとされる達磨大師の言葉だが、これは一体どういう意味であるのか。

 傳(でん=伝の正字)とは、ニンベンに専(せん)と書く。
 専とは「もっぱら、一筋、独占、専門、専心、専念」などという意味で、これにニンベンが付くのだから、人がそのような状態にあることを表している。
 後半の「傳トハ覚ナリ」というのは、その「傳」が「覚」、すなわち「気付くこと、悟ること、道理を深く知ること」にあることを指している。
 つまり「授け伝えること」とは、その内容に対して一筋に、ひた向きに修行に専念して、それを正しく行った結果、正しい気付きが生じ、その道の何たるかを悟り、道理を知るに到る、という事であり、その過程こそが真の「授=伝え授けること」であると、そのような意味で達磨は語ったのだと思える。
 それでは、その「伝え授けるべき者」を、選ぶ側は一体どのようにして選ぶべきなのだろうか。それを正しく選ばなくては、未来に正統な伝承は遺されて行かない。


 たとえ技法をどれほど綺麗に再現しようと、套路や散手にどれ程の小器用さが観られようと、人間性が貧弱で、傲慢で自己本位な者に、どうして安心して、この類い稀な宝物の未来を託せるだろうか。
 この道の厳しさを知らぬ素人たちから、その技芸や表面的な人柄などをどれほど信頼されようと、そのようなものと、真の伝承者の中身とは何の関係も無い。幾多の武術を渉猟し、度々高名な老師にも就いて学び、どれほど珍しい套路や基本功を習って来ようとも、また、それで得られた功夫が一般の人間に師範として認められるレベルであろうと無かろうと、そんな事は全く、私たちの伝承者として評価の対象にはならない。
 必要なことは、ただひたすら、真正な門に正しく弟子として入門し、「自己という怪物」を相手に、最も苦しい闘いを余儀なくされつつ、それに対して歯を食いしばって自問自答しつつ、不撓不屈に立ち向かいながら、さらなる訓練修行に励む、という状況を師から与えられる環境の中で、それを超えて行くだけの熱意と努力が無ければ、この道の本当の中身は理解できないのである。


後世へと繋いで遺すべき伝承を本気で考えるとき、私はいつも、ある物語を思い出す。
些(いささ)か長くなるが、弟子たちの「考え方」の助けとなるよう、紹介しておきたい。


 ────ある国の王が、自分が引退したときの王位継承者を選ぶために、三人の息子のうちの誰にすれば良いか、とても迷っていた。息子たちは年齢も近く、それぞれが聡明で、とても勇敢だったので、選ぶのに困った王は、国で一番の賢者を呼んで相談をした。
 賢者はしばらく考えていたが、やがてある方法を提案した。
 王はそれを大変気に入り、さっそく三人の息子たちを呼び集めた。
王はまず、幾種類もの花の種が一杯に詰まった大きな袋を三人の息子に与え、おもむろにこう言った。
 『私はこれから数年間、王国の未来を祈念する巡礼の旅に出て王宮を留守にする。お前たち三人は、この袋に入った種を大切にして、旅から帰った時には、この種を無事に私に返さなくてはならない。これは王位を継承するための、私の真の跡継ぎを選ぶためのテストだ。三人のうち、誰が最もこの種を大切に守れるか、それを私は確かめたい。そしてそれを最も適切にできた者を、私は後継者に選ぶことにする────』
 王はそう言い遺して、翌朝から長い巡礼の旅に出た。
 
 長男は、一体どうすれば良いのかと悩みに悩んだが、遂に決心して、その種を袋ごと分厚い金庫に収うとガチャリと鍵をかけた。こうしておけば、父が帰ってきたときに、種は無事に、渡された時のままの形で返すことができる。こんな簡単で良い方法は他に無い。彼はそう信じた。

 次男は、兄がその種を金庫に入れているのを知って、『あんな事をしたら種が死んでしまう』と思った。『父が帰った時には、既にそれはきっと種のミイラになっているだろう。それではもう用を為さない。もっと良い方法があるはずだ。そうだ、これを市場に持って行って売り、お金に換えて取っておき、父が帰ってきたら新しく同じ種を買って、それを返せばいい。これはとても良い考えだ。少なくとも兄の金庫よりは、よっぽど良い考えだぞ!』
彼は市場でその種を売り、幾ばくかの金銭を手に入れて大切に持ち帰った。

 三男は、兄たちのやり方など全く気にも留めずに、早々とある事を思いついた。彼は王宮の庭師に命じて広い庭園を耕やさせ、そこに袋の中のすべての種を躊躇なく播いたのだ。

 数年が経ち、王が巡礼の旅から戻ってきた。
 長男は王に金庫を見せ、自信たっぷりに、『私はここで安全に、大切に保管しました』と言い、取り出して王に渡した。けれどもそれは、すでに異臭を放っていた。王は呆れてこう言った。
 『これはどういう事だ? 種はもう死んでしまっているではないか。私がお前に託した種ではない。生きている種を金庫の中で腐らせてしまうとは! お前の考えはまるで物質主義者のように思える』

 次男は、王が帰ってくると大急ぎで市場に駆けつけ、同じ種を買い求めて王宮に戻り、それを父王に返した。その説明を聞いて王は言った。
 『なるほど、長男よりは少しマシなようだな。だがこれは私が託した種と同じものではない。これは別の種だ。このやり方はまるでマジシャンのやり方のようだ。お前は小賢しい心理学者のように見える』

 三男は、では案内しますから此方に来てくださいと、宮殿の外に王を連れて行った。王は二人の兄たちが後継者として相応しいものではなかったので、三男に従(つ)いて歩きながらも、心は大きな期待と怖れに満ちていた。

 『さあ、どうぞこれをご覧ください────』やがて三男が、目の前に広がる庭園を指差して言った。そこには何千という花々が咲き乱れていた。
『おお、これは見事な!・・だがこの花園がどうしたというのだ?』
王が問うと、三男は言った。
 『これは貴方が私に託した種が花開いたものです。わずか数年の間にそれらは多くの種を生み、ご覧のように、この広い庭園を埋め尽くすほど咲き乱れる、立派な花園となりました。私はここから、あなたに預かった種から生まれた、同じ花を咲かせる、溢れるほどの種をお返しすることが出来ます』
 王は目頭を熱くしながら、たいへん喜び、
 『よくやった。私の種は死んでもいないし、異なる種でもない。同じ種が美しく花開き、さらなる幾千万の同じ種を生んだのだ。息子よ、これが私の望んでいたことだ。お前こそは私の真の後継者になるべき人間に違いない。この国の未来と繁栄は、安心してお前に託すことができるだろう』


 如何だっただろうか。本当の伝承とは、このようなものであると言うことを、その意味するところを弟子たちに分かって貰えれば、これほど嬉しいことはない。

 私達の伝承で言えば、種を金庫に蔵(しま)い込んだ長男の行為は、秘伝書や秘伝の覚え書き、身体構造の仕組みや動き方の秘密を全て書き表わし、映像にも出来る限りまとめて、金庫の奥深くに、パソコンの秘密ファイルに大事に保管するようなものだが、それではまるで、売れ残りの骨董品のように、誰の手にも渡らず、埃にまみれて使われず、取り出して研究もされないままで、決して活きた伝承にはなり得ない。
 それは所有する事だけで既に伝承の務めを成し得ているような、気分だけの、ただの自己満足の錯覚に過ぎない。言わば、拝師式を終えれば天下を取ったような気になり、金バッヂを胸に着ければ一般門人よりも偉いような気分になれる、という類いだろうか。

 託された種を市場で売って金銭に替え、王が戻って来たら似たような種を買い求めるという、まるでマジシャンの様だと形容された次男の方法は、真の伝承の習得が余りにも難しいと判断した弟子が、勝手にそれを解りやすく、遣り易いものにアレンジして作り変え、伝承の本質自体を大きく貶めてしまうような内容となった状況と似ている。凡庸なマインドは、自分のやり易いように物事を作り変え、元の姿かたちの意味を深く味わおうとはしない。そこに見えているものは自我の投影であり、その物事自体の本質ではないのである。

 三男のとった行為は王の心を打った。王から託された護るべきものの意味は、「活きた種の存在、種のいのち」であった。そして、種はそれに相応しい土壌に撒かれることで、初めてそこに命を与えられ、活き活きと生き始めることができる。相応しい土壌が無ければ、種はただのちっぽけな粒子に留まるだけで、他との関わりを絶ってそのままにして居れば、やがて腐敗し塵と消えてしまうのだ。
 三男は、その託された種が、どうすれば永遠に生き続けるのかを知って、保存保管する方法ではなく、それ自体が活きて存在し続けられる方法を取った。
 それは最も正しい方法であり、どのような伝承に於いても同じである。それは、常に活きて在る状態、生き生きとした活力に満ち、たとえ厳しい風雨に晒され、日照りに萎(しお)れることがあっても、常に進歩し、成長し、進化し、昇華し続けている状態になくてはならない。


 <スピード>

 研究会の門人たちに、「スピード」という課題を与えて久しい。
 スピードの課題というのは、何も武術として素早く突けとか動けという意味ではなく、簡単に言えば、身の回りに起こるあらゆる物事に対して「後回し」にせず即刻執り行い、何事に対しても決して「延期をしない」姿勢を貫く、ということである。
 たとえば、5日間の提出期限を与えられた課題は、その目安として、全期間の2割に当たる第1日目に提出内容の約8割に当たるものを目途を付けてカタチにしてしまい、翌日の第2日目には見直しを図って残りの2割を加えながら完成させる。
 もしASAP(出来るだけ早く)の指定が無く、素早く提出する必要が無い場合は、残った3日間の時間をたっぷりと使ってその内容の充実にあてる。急ぎの指示があれば、その2日目の時点で提出をする、というものである。
 言ってしまえばただこれだけのことだが、拳学研究会ではその意味の深さを伝えるために5時間に渡ってわざわざ座学を行ったほどで、話は心理学から一流のビジネス現場の例にまで及んだ。

 小学校の頃、夏休みの宿題をギリギリの8月下旬まで放ったらかしにして、土壇場になって大慌てで、それを夜中まで眠い目を擦りながら頑張ることになり、果ては親や兄弟にまで手伝って貰ってなんとか間に合わせた、などという経験のある人も居られる思う。私にもそんな経験があったが、ある時、父から上記のような方法を諭され、ショックを受けて少し考えを改めた。もし初めからその宿題を「スピードの原理」でやっていれば、何を気に病むこともなく、海へ山へ、有り余る時間をたっぷりと夏の遊びに使えたのにと悔やまれる。
 これを様々な場面で、研究会や正式弟子の者たちに与え、現在では大きな成果を上げつつある。

 「後回しにしたい・延期したい」という想いは誰にでもあるが、それは「今すぐそれをやる」 という事から逃れたいという意思の表れに違いない。
 弟子をよく観察していると、両親や祖父母に期待され、大切に育てられ、甘やかされた者ほどその傾向が強いことがよく判る。或いはまた、たとえ若年から苦労し自立し独立独歩でやって来ている者でも、内面に潜む自我を省みず、きちんと内省をして来なかった者は、やはり同じように自分勝手に延期して憚らない。
 彼らは皆一様に、生じた物事をその場ですぐに完結させる事を極端に嫌う。共通するセリフは「今度やってみます」「改めてじっくり考えてみます」「こんど時間のある時に調べてみます」「今日はもう遅いので明日やります」、果ては「昨夜は殆ど寝ていないので、明日お詫びのご連絡をします」などというものまであって、いやはや本当に驚かされるが、精神に染み込んだ「延期グセ」は、指導する側がどれほど躍起になろうと、そう簡単には修正されて行かない。
 自分は滅多に延期などしない、と他人事のように思い込んでいても、何かあるとすぐに馬脚を現してしまう。つまりヒトは、自分の都合を優先したくなるようなストレスを感じたときには、体の良い言い訳をズラリと並べ、それがたとえ非礼を謝罪するメイルでさえ、平気でそれを「まあ明日でもいいか」と都合よく延期してしまえるのである。

 玄門の正式弟子たちは、様々なメイルの返信も、受信後16時間以内、遅くとも24時間以内と定(き)められているが、やはり速い者は何をやっても速いし、遅い者は何をやっても遅い。日常の仕事の多忙さや環境などは「スピード」にあまり関係がなく、仕事がら時間が最も取れそうもない者があっという間にレスポンスして来たり、反対に時間に余裕のありそうな者が、のらりくらりと一番遅かったりする。

 だいぶ前の話だが、かつて掛川道場で、突きの稽古中にある弟子が彼一人だけ他とテンポが合わず、余りにユックリと突いているので、「それでは遅すぎる、もっと速く突くように」と注意をしたところ、「これ以上は速く突けません。これ以上速く突いたら太極拳になりませんから」と真顔で答えられたことがある。
 私はちょっと驚いて、「もし自分で ”太極拳の速さ” を決められるのなら、すぐにでも一流一派を開ける事だろう。それが間違いだと思えるなら、先ずはきちんと指導に従いなさい」と諭した。
 勿論、これは単純な「突きの速度」のことなどではなく、身体構造が導くところの正しい速さという意味だが、いずれにせよ本人の根底には「自分のルールで速さを決めても良い」という手前勝手な考え方が確立されているのが明らかだった。その元になっている原因が何処にあるにせよ、彼は十数年を経た現在もなお、未だにその「自分の問題」に正面からきちんと向かい合えず、それを解決できないまま、注意や処罰を与えられ続けている。


 <明日の命は兎にも角にも>

 「後回しにする事」については、有名な逸話がある。

 千利休の孫である宗旦(そうたん)が三男の宗左(そうさ・現在の表千家不審庵の始祖)に家督を譲って隠居する際、新しく工夫を凝らした一畳台目(いちじょうだいめ/わずか一畳と四分の三畳の広さ)の詫びた茶室を作ったが、その庵の名前を付けて貰おうと、宗旦の禅の師である、大徳寺の高僧、清巌宗渭(せいがん・そうい)を招いて待っていた。
 ところが、清巌は何かの都合で約束の時間を過ぎても全く来る気配がない。そうしているうちに宗旦にも別の急用ができてしまい、仕方なく弟子に「もし清巌和尚が来られたら、明日もう一度来て頂くようお願い申し上げてくれ」と言い遺して外出をした。
 やがて暫くしてやってきた清巌和尚は、弟子から言づてを聞くと、完成したばかりの茶室に入って、腰張り(茶を点てる亭主の後ろの壁の下部に張られた紙)に、
「懈怠比丘不期明日(けだいのびく、みょうにちをごせず/私は怠け者の坊主だから明日の事などわからない)」とサラサラと書き遺し、帰って行った。
 帰宅してこれを見た宗旦は非常に驚き、すぐにその足で大徳寺の清巌のもとに走り、丁寧に非礼を詫び、その場で『今日今日と云いてその日を暮らしぬる、明日の命はとにもかくにも』という歌を詠んで、明日の命も分からぬ人生であるというのに、大切な今日を疎かにしていた自分は誠に愚かでした、と心から反省をして師に詫びた。そして、その教訓を無駄にせぬよう、新しい茶室の名前は「今日庵(こんにちあん)」と名付けられた。
 その茶室こそは、現在でも京都小川通りに存在する裏千家の「今日庵」であり、裏千家自体の正式な呼び名にもなっている。


 延期することについては、もうひとつ有名なエピソードがある。

 ある日、ギリシャの哲学者ディオゲネスが河原の砂の上に寝転んで、気持ちよく日光浴をしていた。そこにかのアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)がやってきた。彼はさらに世界を征服するためにインドに向かう途中だったが、ソクラテスの孫弟子に当たる、ディオゲネスという高名な賢者の噂を聞いて、ひとつ会ってみてやろうと思い、立ち寄ったのである。

 ディオゲネスは数々の奇行で知られ、まるで犬のように酒樽を家代わりにして住み、裸で毎日を過ごしていた。人々は彼を「犬のディオゲネス」と呼んだ。
 ハンバーガーも屋台のホットドッグも無い古代ギリシアで、ある日、ディオゲネスが広場の真ん中で食い物を手にムシャムシャ食べていると、人々が珍しそうに集まってきて、『見ろよ、こんな所で食事をしているぞ、やっぱりアイツは噂どおり狂っているな、まるで犬のようだ!』と言って、嘲笑って騒いだ。
 ディオゲネスは笑って、『なにを言う、人間がメシを喰っている所に群がって、ヤイノヤイノと吠え立てている自分たちこそ、まるでイヌのようだとは思わないのか?』群衆はそれを聞くと、口をつぐんでそそくさと退散して行った。
 ディオゲネスの言動はユーモアに溢れながらも、無意識的で凡俗な人間の営みを辛辣に批判して覚醒を促すものが多く、その生き様はどこか、「風狂」で知られたかの一休禅師と共通したものが感じられる。

 さて、そのディオゲネスを初めて間近に見たアレキサンダーは、世間一般の評判とは全く違う、見るからに閑かで穏やかで純粋な、何事にも囚われずに、ありのままに生きている美しい姿に強く心を打たれ、畏怖の念にかられてこう言った。

 『サー(Sir)・・』

 そもそも、アレキサンダーのような人間は普通、滅多な事で人を「サー」などと尊称で呼ばない。生まれも育ちも文句なしの超一流、16歳までアリストテレスから直接学問を学び、20歳で王位を継承、30歳迄にギリシャから北アフリカ、インド北西部に至る東方遠征で大帝国を築き上げ、いずれの戦いも負け知らずの、今や世界を征服しつつある、名実ともに大王と呼ばれるこの男が、いったい誰をサーと呼ぶ必要があるだろうか。

 しかし、この時ばかりは心からそう呼ばざるを得なかった。この酒樽に住む乞食のような裸の男は、大王であり勇猛な征服者である自分とは、明らかに種類や次元の全く異なった、とんでもなく崇高な輝きを有り余るほど持っている、と直感したのだ。

 『サー、たった今、私は貴方の存在に、その途方もない閑けさと巨きさに心から感銘を受けました。どんな事でも結構です、私は貴方のために、何かできる事をして差し上げたい。何なりとお望みのことを仰ってください。私は大王です、私に出来ない事は何ひとつありません』

 すると、ディオゲネスは寝転んだまま、ニコリと微笑んでこう答えた。
 『ほう、そうか。それじゃ済まないが、もう少しどっちかに移動してくれんか? お前さんがそこに立っていると、せっかくの日光を遮ってしまうんだ』

 アレキサンダー大王は、心の底から驚いた。
 なんという男だろう、自分は小さな国のひとつやふたつ、立派な宮殿を付けて、喜んで与えてやれるというのに、この男は私が日光浴の邪魔をしているから、光を遮っているから、ちょっと退(ど)いてくれないかと言う、それが世界を征服しつつある大王への、唯一の望みだと言うのか?!

 アレキサンダーは感動して、あらためて言った。
 『もし神が私に別の生を与えてくれたなら、アレキサンダーではなく、ディオゲネスになりたいと、今は心からそう思います』

 ディオゲネスは笑ってこう答えた。
 『だったらお前さんも、裸になって日向ぼっこすれば良い。実に簡単な事だ。たった今、ただそうするだけで、お前さんはディオゲネスになれる』

 アレキサンダーは少し深刻そうな顔をしてこう言った。
 『けれども私は、これから世界を征服しに行かなくてはなりません。ですから無事にそれを成し終えて帰国したら、そのとき改めて貴方のような豊かな人生を送ることにします』

 『ははは、私は別に世界を征服などしなくとも、すでにもう豊かな人生を楽しんでいるがね。お前さんは世界が手に入らないとそれが出来ないらしい。それは実に幼稚で馬鹿げたことだ。それに・・』
 ディオゲネスは、ちょっと眉をしかめて言った。
 『それに、お前さんにはきっと、こんな人生は手に入らない』

 『どうしてですか?』と、アレキサンダー。

 『たった今、お前さんの望みがここにあって、しかもそれがすぐに手に入るというのに、お前さんは、世界を征服してからでないとそれが出来ないという。あははは、そんな事はいつまで経ってもやって来ない』

『それは、どうしてでしょうか?』

『分からないかね? 延期してしまった物事は常に、その時、その場で、終わってしまうからだ。延期してしまった物事の中には、もうすでに初めの情熱や内容は存在しない。この世のすべての存在は、“今ここ“だけの、その瞬間、その瞬間だけを生きている。過去も未来も無い、“今ここ“しか無いのだ。そして、それは紛れもない事実だ。だから、今ここでそれを選び、すぐに実行しないのなら、それは二度とやってこない。お前さんは決してディオゲネスにはなれない────』

 しかし、アレキサンダーはその言葉を噛みしめながらも、翌朝、東方へと遠征の旅に発った。そしてディオゲネスの言葉どおり、アレキサンダーはその遠征の途中、メソポタミアのバビロンで原因不明の熱病に冒され、再び自らの大帝国の土を踏むことはなかった。
 因みに、この二人が出会ったエピソードは世界中に語り継がれ、その場面が多くの絵画にも描かれている。また、ラファエロの大作『アテナイの学堂』をはじめ、多くの著名な画家がディオゲネスの生き様を題材にした作品を描き遺している。


 <できる人と、できない人>

 長年指導に携わっていると、面白いことに気づく。それは、「できる人」というのは、最初から「できていくこと」をやっていて、それゆえに段々と出来て行くのだが、「できない人」というのは始めから「できていかないこと」をやり続けているので、いつまで経っても出来ないままで居る、という単純な事実である。
 そこには能力や経験の差などは殆ど感じられない。言ってみれば、目の前の一本の道が二股に分かれていて、片方は「できる道」、もう片方は「できない道」と書かれており、できる人は「できる道」の方を選んだので、どんどん出来てゆく。    
 そして、できない人はなぜか、わざわざ出来ない方の道を選んで歩いて行くので、いつまで経っても何も出来てはゆかない、というわけだ。
 つまりこれは、単なる「選択の問題」なのだと言える。

 では、できる人というのは、なぜそこで「できる方の道」を選んだのか?
 大勢の弟子たちに幾度となく確認をしてきたが、彼らは皆一様に「そうすればできると教えられたからです」とサラリと答える。そして反対に、できない人に同じことを聞いてみると「こうすればできると思えたからです」と答える。
 たったひと言の違いだが、その違いは大きい。
 つまり、できる人というのは、「これをやって行けばできる」と提示された、課題としてやるべき事をごく普通に守ろうとするから出来て行くのであり、反対に、できない人というのは、そもそも示されたことをやるべき課題として尊重せず、「こうすればできると思える事」を自分のイメージで勝手に創り上げて変えてしまい、さらにそれに対して、マイペースで独りよがりの努力をして行くのである。

 稽古では、ひとつの課題を熟(こな)すために、「このような考え方で、このように身体を使って、このように動けるようにしなさい」と示され、さらにそこで必要となる様々な要因を詳しく解きながら指導される。
 「できる人」は、それをその通りにやろうとしつつ、自分のアタマとカラダを調整して修正を続けながら、指示されたとおりの状態に近づけて行こうとするのだが、「できない人」は、まずそれを自分のイメージでやりたいように遣りながら、「もっとこうした方がやり易い、こんな風にやっても出来るはずだ、この方が速いし威力もある、当てられはしても、こんなパンチでは効かない、自分を倒せない相手は自分以上の実力ではない」などと、どんどん自分なりにアレンジや屁理屈を重ねて行き、その結果、提示された状態とは大きくかけ離れて行く。
 やりたいようにやるのは単なるワガママであり、勝手なアレンジは傲慢さなのだから、そもそもそんな人間にマトモなことが出来るわけがない。たかがメイルの返事ひとつまともに出せない人間に、高度な真伝の内容が取れるわけがないではないか。

 稽古は「課題」の集大成である、と先にに書いた。
 課題というのは「何かを学ぶための方法」として弟子に与えられるわけだが、やはりそれらの課題を尊重してきちんと熟そうとしない者は、どれほど分かり易い課題を与えても、たとえ「ブログ記事のコメントをいつまでに書きなさい」とか「メイルは素早く返信をしなさい」という単純な課題を与えられても、そこからその「何か」を学ぶという事がなかなか起こってこない。
 「できない人」に共通する大きな特徴は、努力や熱意の欠如ではなく、「自己を修正すること」を嫌い、またそれが何よりも苦手である、ということだ。
 彼らは「こうすれば理解できる」と明示された事をコツコツと丁寧にやりたがらない。あくまでも自分の解釈、自分のペース、独りよがりで、自分なりにしかやろうとしない。自分が最もラクな、安心できる精神状態で居られるところを絶対に外さないのだ。
 世の中にはそんな状態で修得できる「マトモなこと」は何ひとつ無いのだが。

 「誰もが容易には出来ないこと」を敢えてやらせてみると、その傾向はすぐに判明する。
 例えばアイススケート、ヨット、カヌー、クルマでサーキットを走る、等々。
 それらにはすべて厳しい「習得のためのルール」があり、それをキチンと守らなければ絶対に正しいカタチにはなって行かない。要領よく部分的なコツを掴んで出来たような気になっていても、結局ひどい目に遭うのは必至だ。
 生まれて初めて立ったスケートリンクで、いきなり颯爽と滑れる人は居ないし、ヨットやカヌーを勝手な思い込みで操作しても、思うように前に進んではくれない。スケートでは立つことさえおぼつかず、歩けば転ぶし、ヨットは巧く風を掴んで走らず、すぐに転覆する。
 カヌーはガムシャラにパドルを漕いでも進まず、濡れ鼠になって大笑いされる。サーキットでは、結構速いと思っているのは自分だけで、趣味で週末に走りに来る、ごく普通のサラリーマンにアッという間に追い抜かされてしまう。独りよがりの「峠のセナ」たちは、コツコツと基本を学び、活かし、日々努力研究を怠らない人には決して太刀打ちできないのである。
 もしそれがパラシュート降下だったら、日ごろ自分勝手な人は一体どうするのだろうか? 流石にそれを独りヨガリで強引にやる人を私は見たことがない。但し、大きな口を叩いておいて、いざ飛び降りるという時に、尻込みしてどうしても飛び出せず、結局飛行機に残ったヤツは何人か居たが。

 私たちの道場でも、同じことを目の当たりにする事ができる。
 かれこれ二十年近く遠方から通って稽古して来た S や、格闘技でそれなりの成績も収め、この道場の技藝に感動して長年稽古してきた M が、なぜか真伝に関わる原理構造を本格的に教え始めた途端、一向に進歩が見られなくなり、競技武術のような単純な動きに留まり、足は重く、身体は固く、秘伝の構造は使えず、基本も歩法もロクに出来なくなってしまった。
 それとは反対に、見た目にも体が虚弱そうで、武術とは全く縁がなかった A は、拳学研究会に席を置いた途端に、高度なシステムをどんどん理解し吸収し始め、ほんのわずかな期間で、先の二人に比べて、習得できる内容レベルが二段階も三段階も違ってきてしまい、真伝の構造さえ見え始めている、という現象が起こっている。まるでウサギとカメの物語そのものである。

 では、進境の著しい A は、S や M とは何が違っているのだろうか?
 先ずは何よりも、物事に対する「考え方」が違っているのが明らかに分かる。
 稽古では必ず「考え方を変えなさい」と門人たちに口を酸っぱくして教え続けてきたが、A はそれを大切にしてきちんと実践している。
 例えば「課題」という物事が生じた時に、S や M はそのモノゴトを「一体コレをどうすれば良いのか」と、まるでカタキでも相手にするように考えてしまうのに対し、A は常に「これはどうなっているのだろう?」という興味から始まっている。

 「ロープワーク」のような課題を与えてみると、それがとてもよく分かる。降下訓練に用いる支点の結び方や、激流で自分が救助される場合にロープを体に巻きつける方法、何にでも使えるフィギュアエイト、もやい結びなど、基本のロープワークをあれこれ教えてみると、S や M はこちらが示した「やり方」を、始めからあまり丁寧に見ようとはせず、「大体こんな感じかな」と言わんばかりに、勝手にいろいろやり始めたがる。
 当然それでは出来ないので、いつまでも悪戦苦闘するわけだが、それでもなお、示されている事をじっくり正しく見て取ろうとはしない。そして間違えると、まるで自分の誤りを黒板消しで一気に消してしまうように、あっという間にロープを解いてしまい、またイチからやり直したがる。
 かたや A は、始めから、こちらが示範している事をイメージしながら、落ち着いてじっくりと観ている。ロープの元と先端は常にどこにあるのか、どちらの手で元を掴み、どちらの手をどのように動かしてそのカタチに持って行くのか、それらの注意事項を大切にし、ロープの有り様をつぶさに観察して、間違えたらその場で手を止めて、どこで間違えたか、なぜ間違えたのか、自分に対してそれらが明確になるようにフィードバックしながら、どうすれば正しく結べるのかをじっくりと丁寧に考えようとしている。

 これは散手をやらせても全く同じことで、S や M はいくら注意を与えても、まるで試合や勝負のように、相手に「当てられたくない」こと、「当てたい」「崩したい」ことを止められず、本来の構造を無視して雑に動いてしまう。相手に「やられないこと」を前提に、散手の技術を取ろうとしたがる訳である。
 一方 A は、それとは反対に、自分が当てられたり、崩されたりすることなど全くお構い無しに、武術的な構造の在りかや、その高度な動きを取ろうとして、ただひたすら柔らかく、基本に忠実に「どう動けるか」「どう取れるか」という事を自分の稽古にして楽しんでいる。自分がどの様な時に動けて、どの様な時にやられてしまうのか、じっくり自分を観察して、修正を重ねて行こうとしているのだ。ここで出てくる差は、とても大きい。

 「できない人」は「自己修正」の習慣がなく、あまりそれを必要とした事がない人、つまり、大人になっても子供染みたワガママが通用してきたり、傲慢さを押し通せてしまってきた人が多い。
 物事を深く理解し修得するには、自己を玉葱のようにひと皮ずつ剥いていく作業が必要となる。ブッダ釈尊は、それを「ネティ、ネティ(否定、否定)」と表現した。自我という“夢“の中で彷徨う自己を否定し、また否定し、さらに否定することを延々と繰り返しながら、モノゴトの核心へと一歩一歩近づいて行くのである。
 これを「ネガティブ・フィードバック」と呼ぶ。
 私たちは普段の稽古でも、ごく普通にそれを指導するが、「修行=自己成長の為に、敢えて自我にとって厳しい環境に身を置き、その方法を受容して修める」という概念が特別なものとして捉えられてしまいがちなこの一般社会では、あまり良い言葉としては受け容れられていない。相手のプライドを頭から否定するような上司のオヤジは、平凡で生っチョロいモヤシ社員には大いにウケが悪いのだろう。そしてワガママで傲慢でプライドの高い人間は、この自己否定フィードバックのシステムを、とても嫌うのである。


 <自尊心と、プライドと>

 日本人は「自尊心」と「プライド」の意味を、明確に分けて使うのが苦手なようだ。どこかでゴッチャになったり、意味の違いを分からないまま、何となく適当に使っていたりしてしまっているように思える。
 確かに、国語辞典を見ても、その二つの言葉の意味が明確に分かれているわけではなく、ほぼ同じ意味として扱われているが、心理学の分野では意味を明確に分けて使われている。

 英語では自尊心は「Self-esteem(自己尊重=自尊感情)」と呼ぶが、自分の存在自体の価値を大切にし、自己への信頼をもとに、自分の長所も短所も両方受け容れ、何事も失敗を気にせず挑戦していける、自分の人格を大切にする肯定的な感情で、本当の「自信」が養われていく精神の状態をいう。
 一方「Pride」は、日本語で言うところの「プライド」と同じく、傲慢、自惚れ、驕りなどという意味で、自尊心の本質が「自信」に基づいているのに対し、プライドは、自己不信の「劣等感」に由来しており、他の人と比較して、他を否定することで自分の方が上だと思い込み、他人より優位に立つことによって自己の人格を確保する。反対に自分が他人より下だと思い込みたがる場合もある。
 また、基本的に自分の欠点を許容できず、常に無意識的にも自分を責めているので、失敗を怖れて防衛的になり、保守的になってどんどん守りを堅くする。
 いわゆる「プライドの高さ」というのは、その人の自信の無さの裏返しであり、自信のなさを他人に隠すための、相手にナメられたくない、自分を大きく見せたい、という自己防衛の感情なのである。それは自己否定や自己嫌悪の裏返しでもある。

 本物の「自尊心」を持つ人は傲慢さとは無縁である。アイデンティティが確立されている人は他人に認められたい為に自分を大きく見せる必要がないので、自己の存在を大切に出来るように、他者や物事も大切にできる。自分は自分以上でも自分以下でもない、その自覚があるから、自然体で全てを学んで行こうとする事ができる。そこには先に定義したプライドが入り込んでくる余地はない。
 「戦友」が、肉親よりも絆が深いと言われるのは、同じ釜の飯を喰いながら、共に厳しい訓練を乗り越えた兵士の一人一人が、最終目的を「戦地」という非日常の場に出て行って、愛する人、愛する民族同朋、愛する国家を命を懸けて護ることに置いているからであって、そこにはそもそも、安っぽいプライドなど存在する余地が無い。
 訓練を積んで死さえ覚悟した兵士たちは、自分の存在とその尊さを認識するのに他者を介する必要がない。「自己の存在の原点」から訓練が始められ、散々自分を見つめざるを得ない状況を体験し、否応なしに自分を見つめることのできる状態、第三者として観照できる状態がとても起こり易いのである。

 自尊心に基づく精神状態は、自己が発展途上であることを受け容れ、完璧ではない自分を許容することができるので、他者にも完璧性を求めたりせず、むしろ欠点のある他者を広い心で受け容れることができる。部下が少々ミスをしたからと言って、すぐに大声で感情的になって怒鳴り散らすような上司や上官は、自尊心がまだ成長しておらず、プライドに浸っている幼稚な精神状態だと言える。
 プライドに基づく精神状態の人は、元々が自分に短所欠点があることに強い劣等感、コンプレックスを感じており、自分の欠点を受け容れられず、その状態の自分を許せていないので、他者から自分の欠点を指摘されると極端に焦りや怖れ、怒りを感じてしまう。完璧ではない自分、何かに対して通用しない自分が許せず、不安で落ちつかず、欠点を隠そうとするために傲慢になる。
 また、自分の欠点に敏感であると同じように他者の欠点にも敏感で、他人にも極端に完璧性を求め、相手の些細なミスを許せず、基準の枠に当て嵌めて矯正しようとする。

 上述したような自尊心に基づく精神性で自分が物事に向かっているか、それともプライドに基づいて処理しようとしているか、まずはそれを自己に問いかけてみると良い。
 傲慢さのボリュームの大きさを自己の成長だと思ったり、それが他人よりも秀でている事と錯覚できたりするのは、弟子としては全く失格である。      
 本物の自尊心を養って行くようにできれば、それまですぐ側にあっても見えなかった、より多くのことが学べるようになり、自分の問題が明確になり、それに対しても真っ直ぐに立ち向かって行けるようになる。

 大切なことは、甘えないこと。自分自身を甘やかさないことだ。
 生き生きと、晴れ晴れと、堂々と物事に立ち向かって行きながら、そこで起こることをきちんと受容する。受容性こそは成長の鍵であり、自らに七難八苦を与え、仇敵のように己を否定し、自己を鍛えてくれるものこそ、何かを極めようとする修行者にとっては己の宝とすべきものなのである。


 < 風 >

 「徒長(とちょう)」という言葉がある。
 農業従事者とまで行かなくとも、家庭菜園を作っている人なら知っているかもしれない。
 早い話が、カイワレ大根やブロッコリースプラウトなど、日頃のサラダやおかずのトッピングでお馴染みの、あのヒョロ長いヤツ、そのヒョロ長く伸びてしまった状態を「徒長」という。つまり、文字通り「徒(いたず)らに長くなったもの」という意味だ。

 では、何が徒らに長いのかというと、本来あるべき茎の長さが違っている。
 ブロッコリーであれば、小さな種から出て来た双葉の芽が1センチほど伸びて、そこからあのブロッコリー独自の形がムクムクと大きくなってくるのが正しいのだが、徒長というのは、茎だけが徒らにグングン伸びてしまった状態で、もうそうなると、決してブロッコリーのカタチに実を結ぶことはない。
 要するにスプラウトというのは、その本来の種子から生じた野菜の姿カタチには絶対に成長することのない、徒長してしまった “出来損ない“ の野菜なのである。

 勿論、私たちの知る市販のスプラウトとは、穀類、豆類、野菜の種子を人為的に発芽させて、“徒らに“ではなく、敢えて茎を長く伸ばし、発芽した芽と茎をサラダや飾りにして食用するための洒落た商品として開発されたものだが、面白いのは、たとえば普通にブロッコリーを作ろうとする時になぜ徒長してしまうのか、どうすれば徒長せずに正しく実を結ぶことができるのか、という事である。

 当たり前のことだが、作物は発芽に適した温度、日光、水の加減、根の付近の水分の状態(乾く時がないとしっかりと根を張らない)、それらの条件がうまく揃わないと、きちんと実を結ばない。
 そしてもう一つ、そこでとても重要になるポイントは「風」であるという。
 信州大学で作物の発芽育成を研究している或る教授は、風はすなわち“振動“であり、その作物が風の抵抗に負けず、しっかり根を張ろうとする為には、その揺さぶられる振動が不可欠の条件であると断言する。風によって起こされる上下左右への不本意な、ランダムな振動という、作物にとっての大きなプレッシャーが無ければ、茎を短く太くしようとする、葉を立派に広げて張ろうとする、しっかり根を下ろして張ろうとする、という作物本来のチカラが非常に弱くなってしまうというのだ。
 病気にも強い、立派な作物が誕生するためには、呆れるほどちっぽけな一粒の種から出てきた、ほんの数ミリの茎でけなげに立っている芽を、可愛がるのではなく、反対に、敢えてそれ自体が倒れてしまうと思えるような「風」を当ててやることで、負けるものかと強い根を張り、立派な太い茎を形成するようになる、と言うのである。

 ヒトの世でも「風当たりが強い」「逆風に晒される」などという言葉があるが、あんなちっぽけなブロッコリーの芽ひとつでさえ、風に晒されず、揺さぶられず、甘やかされたものは、本来あるべきブロッコリーとしてはマトモに実を結ばず、ヒョロヒョロと、日陰のモヤシのような細い一本のスプラウトになってしまうしかない、というところが非常に興味深い。
 この宇宙では、少なくともこの惑星では、ありとあらゆる生命は皆、そのようにして、逆境に晒されてこそ、初めてあたり前に、その存在に与えられた有り様のままに、立派に育って行く事ができる、という法則があるのだと思える。

 では、徒長してしまったら、どうすればよいのか?
 まともな稽古が出来なくなった、もう決して実を結ぶこともない「徒長ブロッコリー」の正式弟子は、歌を忘れたカナリヤのように、後ろの山に捨てるか、背戸の小籔に埋(い)けるか、柳の鞭で打(ぶ)てば良いのか・・いやいや、この不気味な歌はあまりに古いか。


 ────────やるべきことはひとつ。
 もういちど、己という種を大地に撒き、正しく発芽させ、成長させるのである。
 道場とはそれを行うところであり、日に新たに、日々に新たに、また日に新たに、毎瞬毎瞬、油断なく、自分を誤魔化すことなく、正しく向かい合い、繰り返してそれをやって行くのである。
 誰のためでもない、自分自身のために、自分の存在を大切にして成長させるために、それをやるのだ。その結果、そこで得られた精神の基盤によって、このような優れた武術が身につけられるようになり、それをひた向きに追求する事によってさらに大きな自己成長が起こる。
 その「道」を往けば、道自体が「それ」を与えてくれるが、自分のやりたいように勝手に道を外れてしまっていては何も起こらない。
 冒頭のヘミングウエイの言葉のように、他人と比較してではなく、過去の自分と決別し、自己の問題に晴れ晴れと立ち向かって、自己成長を遂げた者こそが、ヒトとして尊いのである。稽古修練、修行とは、正に自分との闘いなのだ。

 その闘うべき「自己」から目を背け、教えて貰えることの安心や、表面的な技巧を身に付ける事ばかりを追いかけていれば、やがて惨めな状態がやってくる。自分自身の問題から逃げずに、晴れ晴れと立ち向かって成長の基盤を養い、この深遠な武藝の道を邁進して頂きたいと思う。
 特に正式弟子諸君は、既にそれを義務として持っているのだから、呑気なことは言っていられない。真伝の修得は大いなる自己成長なしには有り得ず、ましてそれを伝承する事ともなれば、生半可な自分自身への向かい方では絶対に為し得ることなど出来ない。その事を肝に銘じて、あらためて己に厳しく、なお一層の稽古修練に励んでいただきたいと心から願うものである。

                                  (了)

noriko630 at 04:44コメント(14) この記事をクリップ!

2020年08月28日

門人随想「女性天皇と女系天皇について」


                  by 田舎の神主
(拳学研究会所属)


 「女性天皇と女系天皇の違いを知ることは、これからの日本にとって大切な事であり、太極武藝館門人は知っていた方が良い」と師父からお話があり、大変僭越ですが私が知り得た事を書こうと思います。

 昨今の世論調査では、約8割弱の人が女性天皇や女系天皇を支持のようです。
保守政党といわれる自民党の二階俊博幹事長も、4年程前から女性天皇を容認する考えを公の場で示し、波紋を呼んでもその考えは今以って変えていません。

 小泉内閣は平成16、17年に、高い見識を有する人達を集め、「皇室典範に関する有識者会議」を17回開催し、その報告書を提出しました。

 報告書の主な内容は、

  〇女性天皇及び女系天皇(母系天皇)を認める。
  〇皇位継承順位は、男女を問わず第一子を優先する。
  〇女性天皇及び女性皇族の配偶者になる男性も皇族とする(女性宮家の設立を認める)

 等です。・・・すごい時代になったなと感じました。

 1776年5月1日に創立され、現在では殆ど樹立された世界単一政府(一般には陰謀論とされる。知的能力を実証された人々が世界を治めること)の目標の一部である、「愛国心と民族意識の根絶」と「家族制度と結婚制度の撤廃と子供のコミューン教育の実現」、他にも「私有財産と相続財産の撤廃」や「すべての宗教の撤廃」、これらは、コミンテルン・共産主義の基となりました。「天皇制打破」は共産主義者の目標の一つとなっています。「天皇制」という言葉も、元は共産主義用語です。

 戦後の日本では、国民にそれらを徐々に浸透させてきました。
 「愛国心と民族意識の根絶」をするため、すなわちその中心となっている皇室や、国民の各家庭内教育者の女性(日本では特に大和撫子といった)を変革し、彼らの思うようにする必要がありました。特に女性は膨大な経済効果がありますので、男女平等を超え、まるで女尊男卑のようになっている今の世、政界は女性票を獲得するため、国は女性から税金を取るため、経済界は女性を疲れさせ浪費させるため、様々なことが行われています。

 私は、先進諸国と言われる国々の女性(男性も)に関しては、残念ながらほとんど仕上がっていると感じます。日本では、天皇を女性・女系にして最後の仕上げといったところでしょうか。

 日本は1985年に、United Nations (連合国・国際連合)の女子差別撤廃条約を批准し、厚生労働省は男女雇用機会均等法を、行政は男女共同参画社会企画室を作りました。それにより、ジェンダーフリー、フェミニズム、女性解放、女性の社会進出が世間に流行りました。
 善し悪しは別にして実際に世の中がどの様に変化したかは、皆さんの周りを見ればよくお分かりのことと思います。家庭内では、昔大家族だったものが核家族になりました。子供にお金をかけた教育をすればするほど、昔の四書五経の教育の頃とはかけ離れた自由平等博愛の考えが浸透し、なぜか、親子の別離、夫婦の離婚まで進み、一家離散となっている方も多くなってきました。
 古くからの伝統的なものを、そのまま後世に伝えること (伝統文化)に携わっている人達は受難の時代であり、革新的な考えの人達やビジネスチャンスを狙う人達にとっては、素晴らしき新世界秩序の到来と思ったことでしょう。
 また、現代は一般的に男女同権・男女平等の世の中といわれますので、世論調査をすれば女性天皇や女系天皇支持は当たり前のことと思われます。

 戦前、日本は現在のような民主主義ではなく、天皇統治であり、それは、大御宝(おおみたから 国民)を君主である天皇が知ろし食す国家でした。すなわち、天皇は国民を宝のように思い、まるでご飯を食べ消化するかのように国民のことを深く知り、国を各家のように大切に思っていたのでした。私は理想的な国家ではないかと感じます。
 例えば、「大和」という古代の国名では、「和」という字の禾偏は穀物の意味です。旁(つくり)に口があり、穀物を食べることを意味します。ご飯を食べると皆は和らぎ、それが大きく広がり国中でご飯を食べ和らぐことが「大和」につながるという説もあります。
 また、後に述べますが、国民の朝の竈の煙が昇っていないことを心配した天皇もおられました。そういったことは、代々の天皇が御言葉を宣べたもの、「みことのり」「神勅」「詔勅」という永久保存の公文書として知ることができます。
 124代目の昭和天皇の御代の終戦を迎えるまで、天皇は「現人神 あらひとがみ」といわれ、国民が君主の皇位継承について語ることはとんでもないことでした。神主であった私の先祖も、普段から「言挙げせず」を心掛け、君主について語る事はとても恐れ多い事だったでしょう。
 私も18歳の頃、元 現人神であられた昭和天皇行幸啓の神社参拝(熱田神宮)の折、自分と陛下までの距離2メートル、皇后様が一歩下がって歩くその陛下の御姿は、まるで後光がさしているようで、とても恐れ多くて顔を上げることもできませんでした。

 では、現人神とか皇孫 (すめみま)といわれた天皇とは一体何か。戦後、神社や皇室について何の教育も内容も教わることのなかった世代(ほとんどの人)は、皇室のことを一般家庭と同じように思っているのではないかと危惧します。
(私も18歳まで神社や皇室について何の教育も受けていません。)



 <「男系」の男性天皇と女性天皇、「女系」の女性天皇と男性天皇>

 「男系」とは、父親を遡れば初代に辿り着く系譜をいいます。今迄、男系で続いてきた歴代126代の天皇は、父親の血統を遡れば初代の神武天皇に繋がります。母親を辿る場合を「女系」といい、母親を遡っては初代に辿り着きません。
 「女性天皇」は、過去に8人おられました。そのうち2人は、2度即位しています。しかし、いずれも男系の女性天皇であり、次の継承者が即位される迄の「中継ぎ」として、男系を守るために皇位につかれました。すなわち、その在位中は子供を産む状況にはなかったことや、結婚をせず独身を通したかです。
 
 男系守護の「女性天皇」は8人おられましたが、「女系天皇」という「女系」の女性天皇・男性天皇は全く例がありません。一旦「女系」となってしまうと、皇室とは別の血統である「別の男系」にすり替わってしまいます。
 男系皇位継承は、2680年間、126代続いている世界に類のない「万世一系の天皇」と称され貴重な伝統が守られています。その貴重な日本の国柄のことを「国体」といいます。国民体育大会の「国体」とは違います。「国体」の崩壊は、古き良き時代の日本の崩壊を意味します。

 万世一系の天皇の血統は、皇位継承の危機に備えた、天皇の男系子孫を当主とした「宮家」によって守られてきたのです。しかし、昭和22年に、昭和天皇の実弟である3宮家を残し、11の宮家が皇籍離脱させることになりました。その理由は、GHQの指令により皇室財産が国庫に帰属させられることになり、従来の規模の皇室を維持出来なくなったことでした。

 当時の加藤進宮内次長の言葉として『万が一にも皇位を継ぐべき時が来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい』とあります。

 女性当主の「宮家」は、過去に例はありません。皇室は、俗に「天皇家」という一般家庭と同じような家の継続ではなく、皇統という男系の血統の継続なのです。
 また、血統というと思い当たるのが、血統書付きの動物、競争馬の血統の良し悪しや、美味しい肉牛の血統ですが、皇室の皇統はそのようなものではなく、血液が代々繋がっているだけの唯の血統ではありません。
 すなわち「万世一系」とは、単に血統上だけのものでなくて、精神的にも一貫不断の継続を意味している事を見失ってはならないのです。その精神的なものとは何か、それは、「日本の神話」や「みことのり」で示されています。



<日本の神話>

 我が国の神話は、戦後、学校では殆ど教えないものとなり、私が教わった極端思想の先生が神話について話した内容は、「日本神話は、皇室を権威付けるための作り話であり、日本民族の歴史伝承では無い。そういった嘘を教え込まれ、洗脳されたから、神風が吹く神国日本は必ず勝つとか、天皇は現人神と言われるようになった」
 また、大東亜戦争についても、「近隣諸国を植民地として支配して、連合国相手に勝てる見込みのない戦争を挑みアジアの国々に極悪非道なことをした。原爆を落としてもらったから戦争を敗戦という形で終了することになった」
 「広島の爆心地の横の平和記念公園では、(安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから)との碑文もあり、敗戦とともに、神話をはじめとする様々な洗脳が解け、日本はアメリカという解放者によって、自由で開放された良い国になった」
などという、日本人であることが恥ずかしくなるような自虐的なものであり、その当時の出来事に対し何の検証も無く、戦勝国側の理屈を押し付けたひどいものでした。  
 私も、当時、大袈裟に嘘を言っているのはその先生の方だと薄々思っていましたが、検証するすべもなく、後にその先生は、学校の帰りに、恨みに思った卒業生によって車に轢かれそうになりました。

 そのような自虐的な史観は、大人になるにつれ、自ら進んで行なった勉強と調査検証により次第に解かれ、日本人に生まれて本当によかったと思われる、すっきりとした史観に変わっていきました。
 様々な方とお話をすると、いい年をしていても自虐史観の解けない、または、自虐史観とも思っていない、私にとっては大変お気の毒と感じる方も多いのですが、しかし、そのような方は、私のようなものを、職業柄、昔の日本にかぶれた可哀そうな人と思っているようです。

 日本の神話では、伊勢神宮の内宮に祀られる天照大御神の子孫が天皇になられていますので、それはどのようないきさつがあったのかを、天孫降臨からの分かり易い神話物語として大筋を紐解いていきます。

 神話(国史)は古事記と日本書紀があり、その解説には様々な説があります。古事記の神々は、命(みこと)・日本書紀の神々は、尊(みこと)と表されます。日本書紀は、各地域の風土記も記載され、今年で編纂1300年を迎えますので、書店に書籍が少しはあると思います。
 また、諸説や神話に出てくる難解用語や神様については安易にインターネットで調べる事ができますので、少しでも興味がわき、もっと詳しく知りたい方は調べてみて下さい。日本神話は、唯の出鱈目ではなく各地の言い伝えや様々な暗示がありますので、初めて神話に触れる方はとても面白く感じると思います。
 皇室に関しては、インターネットの情報は不敬なものが多く見られますので、行間を読み、注意した方が良いと思います。



<天孫降臨(てんそんこうりん)>

 高天原(たかまのはら 天上の世界・中央政権)と葦原中国(あしはらのなかつくに/地上の世界・地方政権・出雲の国)で様々な攻防が治まり、天照大御神と高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が、天照大御神の子である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に葦原中国を統治するように命じました。
 しかし、天忍穂耳命は「出雲に天降ろうと身支度をしている間に末の子が生まれました。名を邇邇芸命(ににぎのみこと)と言い、出雲にはこの子を降ろしてはどうでしょうか」と提案しました。
 古代ではこのように末の子が家督を継ぐという末子相続は、仁徳天皇の頃まで続きます。「天孫降臨」は、官僚が関係組織に下るというあまり良い言葉ではない「天下り」という言葉の語源になってしまいました。

 天照大御神の孫(天孫)邇邇芸命は葦原中国の統治を命ぜられ、天児屋命(あめのこやねのみこと・中臣連(なかとみのむらじ)の祖先 藤原氏の祖神)、布刀玉命(ふとだまのみこと・忌部の首(いんべのおびと)の祖先)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのやのみこと)の、天石屋戸開きで活躍した五神を従えて天より降りました。
 その時に邇邇芸命が天照大御神から授かったものがあります。それは、「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)と「三大神勅」(さんだいしんちょく)です。それらが、我が国の天皇統治のいわれの基となっていきます。

 葦原中国に降り立った邇邇芸命は、大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と結婚します。ほどなく懐妊し、それを夫に不審に思われたため産屋に火をつけます。
天津神の子であれば無事生まれると予言し三人の御子が誕生します。末の御子の火遠理命(ほおりのみこと)が、天皇とつながっていく山幸彦、長子が海幸彦です。これが、弟の山幸彦が海幸彦の釣り針をなくし海神の宮殿に行く物語になります。

 山幸彦は、海神の綿津見神(わたつみのかみ)の娘、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)と結婚し、生まれた御子の名を鵜茸草茸不合命(うがやふきあえずのみこと)といいます。そして、叔母である玉依毘売命(たまよりびめ・母の妹)をめとり四人の御子を生み、その末子の若御毛沼命(わかみけぬのみこと)が、後に初代・神武天皇となる神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)です。神話は、後に神武東征の物語へと続きます。すなわち、日の御子からの血統が続いているということです。



<三種の神器>

 八咫鏡(やたのかがみ) 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 草薙剣(くさなぎのつるぎ)を三種の神器といいます。その神器は、皇居で奉斎(大切に保管され祭祀がおこなわれる)されていましたが、現在、八咫鏡と草薙剣は、伊勢神宮と熱田神宮に祀られていますので、それら二種は、神霊が宿る形代(かたしろ)で皇居(賢所・剣璽の間)にて祀られ、これらを奉斎することで正当な帝(天皇)の証であるとされました。
 また、八咫鏡は知恵を、八尺瓊勾玉は慈悲深さや仁義(優しさ)を、草薙剣は勇気や武力を象徴しているという説もあります。   

 八咫鏡は、伊斯許理度売命が作り、第十一代垂仁天皇の御代に、皇居から、祀られる場所の変遷を経て伊勢神宮の内宮に祀られました。
 八尺瓊勾玉は玉祖命が作り、天の岩屋戸開きの時に、八咫鏡と一緒に榊の木に掛けられたといわれています。
 草薙剣は、須佐之男命(すさのおのみこと)が退治した八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から出て天照大御神に奉納され、皇室が奉斎していましたが、第十代崇神天皇の時代に伊勢神宮に移され、第十二代景行天皇の時代に伊勢神宮の倭姫命(やまとひめのみこと)が、東征に向かう日本武尊(倭建命 やまとたけるのみこと)に草薙剣を託しました。
 東征の途中、尾張国造(おわりのくにのみやつこ)の祖先、宮簀媛(みやずひめ)の家に滞在し、無事東国平定の後、尾張に戻り二人は妹背(いもせ)の契りを交わします。日本武尊の逝去後、尾張に社を立て草薙剣を奉斎したのが熱田神宮の起源といわれています。
 この剣は元々天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれていましたが、東征中に賊によって草原に火を付けられた時、逆に、草を薙ぎ払いそれに火を付け、難を逃れたことから、草薙剣と呼ばれるようになったそうです。今でも、草薙・焼津といった地名が残り、縁の祭神を祀った神社があります。



<三大神勅>

 三大神勅は、天照大御神が天孫邇邇芸命に授けた“みことのり”といわれます。

 「宝祚天壌無窮(ほうそてんじょうむきゅう)の神勅」とは、

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂國(みずほのくに)は、是吾(これあ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく 爾皇孫就(いましすめみまゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)の與窮(むたきはま)りなかるべきものぞ。
 天照大御神がご自身の子孫こそ天皇として、天地とともに永遠に日本を治めるにふさわしいと示された神勅です。
 
 「寶鏡同床共殿(ほうきょうどうしょうきょうでん)の神勅」とは、

吾(あ)が兒(みこ)、此(こ)の寶鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、當(まさ)に吾(あれ)を視(み)るがごとくすべし。與(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を供(ひとつ)にし、以(も)て斎鏡(いはいのかがみ)と為(な)すべし。
 天照大御神が三種の神器の鏡を授けられた時、この鏡を私だと思い大切に祀るよう、命じた神勅です。伊勢神宮に祀られた寶鏡は、大切に祀られ、国の重要な行事の前後に、天皇は、報告と祈願をするため必ずお参りに行きます。

 「斎庭穂(ゆにわのいなほ)の神勅」は

吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す、斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(も)て、亦吾(またあ)が兒(みこ)に御(まか)せまつる。
 天照大御神が「人々の食の中心」として高天原で育てた神聖な稲穂を地上に授け
たことを伝えた神勅です。お米を中心とした食文化が、今でも途絶えることなく続いているのは、お米が神様からの賜りものと伝わっているからです。



<「みことのり」「詔勅」>

 今から2680年前、初代天皇の神武天皇が橿原の宮で即位します。そして国を肇(はじ)めます。神武元年1月1日(現2月11日)のことです。
 日本は米国のような建国ではなく、肇国(ちょうこく)なのです。初代神武天皇は、橿原建都の詔(みことのり)を宣べます。その後、歴代天皇はさまざまな重要なみことのりを宣べています。

 男系で各天皇を遡ることができるということは、歴代天皇の、みことのりに現れている精神を継ぐ、あるいは、その御心に立ち返る事ができるのではないかと思います。

 文学博士の井上順理氏は、錦正社『みことのり』刊行にあたって述べています。
 「歴代の天皇の御聖旨は、全く至公無私を旨として、常に専ら皇祖皇宗の御遺訓を継承実現するにありとせられてきた。否、逆にいえば、祖宗の遺訓継承とそれの実現のみに只管専念されるからこそ、個人的には全く無私公平であられる。しかもかく全く至公無私であるという境地は、普通の人間には到底期待しえない正に超人的な境地であるから、古代天皇は人にして人に非ざる“現人神 あらひとがみ”又は“明神 あきつかみ”ともいわれてきたのであって、かかる人にて神の如き至公無私の人の意思こそ、正にあるべき理想的な国家の最高意思即ち主権意志である。」

 簡単にいうと、天皇の祖先の御遺訓(みことのり)を継承し、それを実現しているから天皇無私といわれる。その超人的な境地は一般人には無理であるから天皇は現人神といわれた。それは国家の最高意思であった。

 私が個人的に重要と思っている「みことのり」、そして、私の好みの「みことのり」を幾つか挙げます。



◎ 神武天皇 【橿原建都の令 ― 八紘為宇の詔 (抜粋)】

 夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことわり)必ず時に随(したが)ふ。苟(いやしく)も民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば、何(なん)ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わむ。
 訳/そもそも聖人が制(のり)を立て、道理が正しく行われる。国民の利となるならば、どんなことでも聖(ひじり)の行う業(わざ)として間違いはない。
(私の解釈) 
  天皇は国民とともにあるので、国民の質により天皇も変わることになる。


◎仁徳天皇 【百姓の窮乏を察し郡臣に下し給える詔】 
      【三年の間課役を除き給ふの詔】
      【百姓の富めるを喜び給ふの詔】

 即位四年目の春、天皇は高台から国を眺め、各家に炊事のための竈の煙が昇っていないのを目にされました。民の生活が貧しいのを察せられ、三年間の税を止め苦しみを癒すよう仰せられました。ご自身も、御所の垣根が崩れ屋根に穴が開き、夜は星が床を照らす宮殿で過ごされたのです。
 三年後、竈の煙が満ちた国を見られ、ご自身の豊かさを皇后に語られます。朽ち果てた宮殿に住みいぶかしむ皇后に、民の豊かさが君主の豊かさなのだと天皇は仰せられました。 


◎聖徳太子 【七条憲法 三に曰(いわ)く (抜粋)】
 詔(みことのり)を承りては必ず慎め、慎まずむば自(おのずから)に敗れなむ。
 (私の解釈)みことのりを慎んでうけたまわなければ、日本は自ら滅ぶ。


◎明治天皇 【教育に関する勅語 (教育勅語)】
 この勅語は余りにも有名な勅語です。
 「・・・父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、・・・」
 日本の道の精華であり、私は、最高の勅語と思います。


◎昭和天皇 【米国及び英国に対する宣戦の詔書】
      【大東亜戦争終結の詔書】

 この二つの詔書は、本当に大切なことが書かれています。
 私はこの詔書で曇った心が救済されました。


◎四千から五千勅あるといわれる、「みことのり」への和歌を記します。

 明治天皇御製 
  伝え来て 国の宝と なりにけり 聖(ひじり)の御代の みことのりふみ

  すめろぎの 勅(みこと)かしこみ 美くしと 思う心は 神ぞ知るらむ (象山) 
  いくそたび 繰り返しつつ わが君の 勅(みこと)しよめば 涙こぼるる(玄瑞)


◎昭和23年6月19日
 衆議院本会議において、教育勅語等排除に関する決議によって「みことのり」は全て無効となった。
 内容は、「詔勅の根本理念が主権在君並びに、神話的国体観に基いている事実は、明らかに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。」というものである。
 私にとっては、まるで理不尽な言い掛かりにしか思えませんでした。

 日本は本当に悲しい国になってしまった。・・・
 みことのり排除決議と、所謂天皇の人間宣言をうけて、三島由紀夫氏の著書『英霊の聲(えいれいのこえ)』には、今の日本への予言ともいえる文章が載っています。(抜粋)

 ───────平和は世にみちみち 人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交わし 利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国の金銭は人らを走らせ もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、邪なる戦のみ陰にはびこり 夫婦朋友も信ずる能わず いつわりの人間主義をたつきの糧となし 偽善の団欒は世をおおい 若人らは咽喉元をしめつけられつつ 怠惰と麻薬と闘争に かつまた望みなき小志の道へ 年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば 道徳の名の下に天下にひろげ 真実はおおいかくされ、真情は病み、ただ金よ金よと思いめぐらせば 人の値打ちは金よりも卑しくなりゆき、・・・・・などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。


 「万世一系」とは、単に血統上だけのものでなくて、精神的にも一貫不断の継続を意味している事を見失ってはならないと思います。その精神的なものとは何か、それは、「日本の神話」や「みことのり」で示されています。
 男系で各天皇を遡ることができるということは、歴代天皇の、詔勅(みことのり)に現れている精神を継ぐ、あるいは、その大御心に立ち返る事ができるのではないかと思います。
 女系天皇では、別の男系にすり替わってしまい始めの一世となります。そうなると日本国の国体である貴重な国柄の万世一系の天皇ではなくなり、精神的な一貫不断の継続はますます難しくなることでしょう。その精神的なものが継続されなかった時、天皇は、皇道(こうどう)ではなくなり、権威ではなく権力となるでしょう。
 また、今の国民は、残念ながら、英国王室のようなカッコよくセレブな皇室を望んでいると思います。

 そもそも、天皇の問題は、結論が議論の前という有識者達が、戦後の憲法や法律により議論すべきものでなく、各界の代表が歴史や伝統を踏まえ検証して議論すべきと思います。

 前々から私が感じ思うことは、戦前、もしくは昭和の時代まで大切だったもの、「国体=日本国の貴重な国柄」「旧日本的な考え方」「大東亜戦争の調査検証」「本来の男女夫婦の役割」「家族・親族のあり方」「友達・同志とは」「地域の人達との結びつき」「人と自然の関わり方」「寺社の本来のあり方」「心身の健康のあり方」「日本人の死生観の変化」「改憲、国防とは」「英霊の護りたかったもの」「日本人の価値観の変化」「本来の幸せとは」「そもそも日本とは何か」「日本人とは」・・・等を考える事さえ、まるで災害でものを失うかのように、急激に失いつつあると思います。

 以上の文章は、戦後帰還した日本兵が「もう今の日本人には言っても仕方がない」と同じように感じていた、浅学非才な田舎の神主(私)が書いたもので、諸兄には大変僭越、皇室にも大変不敬(一般人が皇位について述べること)なものかと思います。文章中不快なものがありましたら、どうかお許しください。
                                (了)

2020年07月22日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その49

  「情熱を持って」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)




 本気で何かを習得したいのなら、それに対して情熱を持たないことには、始まらないと思います。
 自分にとって師父は、ただ太極拳の師というのみならず、人として、男として、多くの大切なことを教えていただける人生の師と言える存在です。

 師父が以前、「情熱を持って」取り組むのだと、説いて下さったことがありました。
 その言葉には、ただ熱意を持つといったことや、熱心にやるといったことを超えた深い意味があるのではないかと思いました。

 自分が感じたのは、情熱には必ず行動が伴うのではないかという点です。口先だけの情熱…など、言葉にしただけで矛盾があるように感じられます。
 どれだけ熱心にやろうとしている、思っていると言ったところで、それが行動に結びつかないことには全く意味をなさないのだと思います。

 師父の言葉に重みを感じる一番の理由は、何よりも師父が「行動の人」だからです。
 数十年に渡る武術稽古という途方もない営みも当然のことながら、何か行事を行うとなったら、一切手を抜くことなく準備を行い、それを実行されます。
 太極武藝館の歌を作ると聞かされた時も、非常に驚きました。
 忙しい日々の合間を縫って実際に歌を完成させ、我々門人に自ら指導までしていただき、みんなが歌えるようにしていただきました。
 このような武術の師など、他に聞いたことがありません。ですが師父はそれを考え、実行に移されるのです。

 最近では、ご多忙のため道場に来られない時でも、スマートフォンを使ったテレビ通話を利用して指導をしていただくこともあり、常識に囚われない姿には、本当に驚かされます。
 中には「そんな指導で上達するわけがない」と思う人もいるかもしれませんが、実際に師父に指導を受けた人にポンポンと崩され投げ飛ばされるということを自分で味わうと、その結果に目を向けざるを得ません。

 それも全て、師父が理論的・科学的に太極拳を解明しており、何をどうしたらどうなるということを理解されていることの証明に他ならないのだと思います。
 そして、こういう文明の利器を利用することもいとわず、我々に指導をつけてくださるという師父の行動そのものが、師父が情熱を持って太極拳に取り組んでいらっしゃることの現れではないかと思います。
 その姿にこそ、我々門人は、何よりも多くのことを勉強させて頂いているのではないかと思います。
 師父のように太極拳に向かえているだろうか? と自分自身に問わない日はありません。
 口先だけ、うわべだけの情熱になってないだろうかと、常に自問自答しなければならないのだと思います。

 何かを理解することもまた、結果的には行動を変えることにつながることではないかと思います。
 太極拳の原理を頭で理解したということは論理的にありえず、理解が起これば、少なからず自らの動きに変化が生じるはずであり、そうでなければ本当の理解には至っていないと言えるのではないかと思います。
 このことは、自分を知的馬鹿へと誘う甘い誘惑と戦う時に大いに役立っています。

 極論すれば、本当に情熱を持って何かに取り組むとき、そこにあるのは「やる」か「やらない」かの2つだけであり、その間に「やろうとしている」というものはないのだと思います。
 やろうとしていると思っている間は、実際にはやってはいないはずです。
 実際に行動を起こしていない人間が、それに情熱を持っていると言えるのでしょうか?
 そうは言えないはずです。自分のこととしてもそう思います。

 世の中にはいろいろなことがありますが、どうしても興味を持てないこともありますし、特にやる必要を感じないこともあります。それらのことをやろうとは思いませんし、当然、情熱など持っているはずもありません。
 情熱を持たないものに関しては、変化を望まないものです。
 だからこそ、目標に向かって取り組んでいるはずの人間は抱いていて当たり前のはずの情熱について、師父はあえて我々に問い直してくださったのではないかと思います。
 自分の中で何かが袋小路に入り込んでしまった時、最後に照らしてくれるのは、自分の中にある光だけではないかと思います。本当に大事なこともまた、そのようにして見つけ出していかなければならないのではないかと思います。

 師父が「太極拳の構造はすでにそこにある」という話をしてくださったことがあります。
 何かを作っていくのではなくて、すでにそこにあるものを見つけ出して、磨いて使っていけるようにすること。それを行うためには、情熱を持ち、実践し続けることが必要不可欠なのだと思います。

 師父が行われることには、太極拳には繋がらない無駄なことは含まれていないように感じます。
 先日も、稽古でわからない部分で悩んでいた時、ふと浮かんできた太極武藝館の歌の歌詞に、とてつもないインスピレーションを受けたことがありました。
 稽古中にぶつぶつと歌詞を口ずさむのは怪しいことこの上なかったかもしれませんが、どうしてもわからなかった部分の解決の糸口が、その歌詞によって少し見えてきたのは紛れもない事実です。

 歌を作ると聞かされた時にはピンと来なかったものが、こうして稽古へと繋がってくるのは、まさに陰陽虚実が流転する太極の在り方だと感じられます。

                                 (了)



*次回「今日も稽古で日が暮れる/その50」の掲載は、9月22日(火)の予定です

2020年05月22日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その48

 「システムとシンプルさについて」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 先日の稽古中、玄花后嗣から「学習していけるシステムを理解しないといけない」
というお話をしていただきました。
 稽古をしていて、自分がよく注意される点に、「頭で考えていて身体が動いていない」
というものがあります。頭で理解することが物事を理解することだ、と思っていたためなのですが、言ってみればそれが間違いの始まりなのかもしれません。
 極端なことを言えば、頭で理解することと、それができるようになる=本当に理解すること、との間には、全く何も関係がないのかもしれないとさえ思うようになりました。


・刀鍛冶の話

 刀が武器として使われなくなって久しいですが、現代でも、刀鍛冶は伝統文化として日本に残っています。
 日本では刀の製作は法律で規制されていて、しっかりと弟子入りして、認められた人間が伝統的な手法で作ることしか認められていません。

 聞いた話でしかないのですが、刀鍛冶の師のもとに弟子入りした人は、刀の作り方について事細かに教えてもらえるかというと全くそんなことはなく、最初の数年は ”炭切り” と言って、炉に火を灯すための炭を切る仕事をずっとやらされるそうです。
 炭を切って運ぶだけの毎日で、たまに師がやっている作業を横から覗き見できるだけであり、当然何も教えてもらえないそうです。
 そんなことを続けていると、ある時、ふいに師匠が作業のひとつを「やってみろ」とやらせてくれるそうです。師や兄弟子を見様見真似でやってみると、師が一言「ダメだな」とだけ言い、それからは自分もその作業に加わることが出来るようになる…。

 最初その話を知った時は、「伝統文化ってそんな感じなのかぁ」と思うと同時に、
「現代の冶金技術や金属工学の知識を使って、しっかり教えてくれれば、もっと簡単に凄いものが作れるんじゃないの?」とも思ったのですが、太極武藝館に入門し、今になってようやく、そういうことではないのだということが理解されてきました。

 先日の師父の特別寄稿で、「師は弟子に何もしない」という言葉がありました。
 ただそのものを見せ、弟子はその在り方を感じとる…。

 これほどまでに全体的で、豊かな方法があっただろうか!と自分は凄まじく感動したものです。武藝館に入門させていただいて、我ながら随分考え方が変わったと思います…。

 刀を作ることは、鉄を化学的に変化させていくという、極めて科学的なアプローチの集合体です。事細かに分析していけば、いくらでも技術的な説明はできるはずです。ですが、刀鍛冶の伝統的な師弟関係では、そのような説明の仕方は行われていないそうです。

 相槌を打つという言葉がありますが、これは鍛治の時に、熱した金属を2人で叩く様子からきた言葉だそうです。
 その、ハンマーで熱した金属を打った時に出る「カンッ」という音、その音で熟練の職人は金属の温度や変性の様子がわかるそうです。
 また、金属を熱する、焼き入れの時の炎の温度を、揺らめく炎の色を見ることで判断して、焼き入れの仕方を調整する。熱した後、冷ますための水の温度を、その時々の気温によって判断する、などなど…。

 一般人には理解しがたいことを、刀鍛冶の職人は、師匠から受け継がれてきた方法で理解し、実践しているそうです。
 昔から受け継がれてきた方法ですが、戦国の時代に、金属の温度による分子構造の変化、云々といったことは当然発見されていません。科学的に言えば、ほんの少し条件が変わっただけで、刀は使えない鉄屑になってしまうそうです。

 そのシビアな物理的な条件を、彼らは先人のやり方を真摯に学ぶことで受け継ぎ、現在まで発展させてきたというのだから、驚くほかはありません。

 ある意味では、科学的な知識がなくて事細かに説明できなかったために、刀鍛冶の師は説明をしなかったとも言えるのかもしれません。
 代わりに、その作業そのものを、何の説明もなしに見せる。
 教わる弟子は、説明をされない代わりに、それらの現象そのものを、余すことなく全て見ることが要求されます。
 師が何に耳を傾け、何をじっと見据えているのか。おそらく、それが何を意味するのかさえも、説明はしてくれないのでしょう。しかし、ただその様子は示されている。
 弟子入りした人は、それを全て真似していくしかないのでしょう。
 最初はわからなくとも、それを真似していくしか、刀を作る方法はないのですから。

 太極拳の話に戻りますが、頭で理解することが理解することではない、というのは、上にも書いた理由によります。
 鉄が変性する温度を知っていたとして、刀を作れるかというと、そんなことはない…それだけの理由です。

 もちろん、鉄の温度変化に対する科学的な知識があれば、刀を作る上で有効に活用はできるはずです。
 ですがその知識も、刀を作る上で鉄の温度変化がどのような役割を果たしているのかを、全体性の中で理解できていなければ、全く意味がなくなってしまいます。それよりは、むしろ科学知識が何もなくとも、炎の色を見て温度を判断することのできる人の方が、よっぽど上手に刀を作れることでしょう。
 なぜなら、炎の色で温度を見分けることが出来るようになった人は、実際に、炎を見て、鉄を熱して、温度の変化を体験したしてきた人だからです。
 それが、本当の意味で理解している人を指すのだと思います。自分も、頭で理解するだけでなく、実際的な人間にならないといけないと、そう思っています。


・システムとは

 刀鍛冶の例が長くなってしまいましたが、刀を作るという極めて物理的な手順がはっきりした作業であるため、理解しやすいように思ったためです。
 というのも、こうしたらこうなるという明確なルール(物理法則)があり、それに則った手順で作業を行えばうまくいき、そうでなければ違った結果が出てくるというのが、システムの考え方を表していると感じたからです。

 道場では、結果にマルやバツを付けたいわけではない、という話をよくして頂きます。

 ある手順でAという作業を行い、Bという結果が得たいのにXという結果がでたとします。
 その場合、疑うべきは行なわれたAという作業であり、得られた結果Xそのものが問題ではないというのはすぐに理解できます。
 ところが、どうしても我々はXという結果が出たことのみに目を向けてしまい、作業Aそのものに目を向けなくなってしまいます。実際は、改善すべきは作業Aの工程であり、ここが是正されれば結果も正しくなるというのは道理なはずです。

 師父は、そのAにあたる部分をあらゆる手段を以て示してくださっているので、そこを改善できるかということが、我々に問われているところだと思います。
 そこを正していくには、さらに上位のシステムとして、間違った結果Xを得た場合、作業工程Aを見直すことが必要になり、それがつまりネガティブフィードバックが必要だと言われている点だと思います。
 そしてこれが一番大事なことだと思うのですが、多くの場合、問題になるのは、作業工程Aが間違っているのではなくて、自分が正しくその工程を“行えていない“ことに気付けるかどうか、という点だと思います。

 太極武藝館の太極拳について言えば、事細かに検証していけるだけのシステムが、稽古体系としてすでに構築されているように感じます。
 常々言われていることですが、理解していくために必要なのは、そのシステムに則って勉強していけることであり、そこで必要とされる考え方は、システムに乗った形で考えられているかどうかであって、「自分が」どう考えているかなど問題ではないという点ではないでしょうか。

 ここが違った!とシンプルに受け入れることが出来るのか否か。

 ここを理解できるかどうかは、多くのことを勉強していけるか、自分の考えで凝り固まって先に進めなくなってしまうかの、大きな分かれ道になっているように感じます。

                               (了)



*次回「今日も稽古で日が暮れる/その49」の掲載は、7月22日(水)の予定です

2020年03月22日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その47

   「すべて真似する」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 太極拳の稽古では、示された動きを全て真似をすることが求められます。それは、自分の気になったところや教わって理解できているところだけでなく、自分の考えを挟まずに動きの全てを真似するという、言葉通りの意味です。

 表面だけをなぞって真似することを猿真似と言いますが、先日、おもしろい実験の記事を読みました。
 人間だけでなく、チンパンジーなどの類人猿も他者の行動を模倣する能力を持っているのですが、人間とチンパンジーでは、その真似の仕方がどう違うのか? という実験でした。

 その実験では、箱の中に入ったおやつを研究者が取り出す様子を見せて、チンパンジーと人間の子供が、それぞれどのように箱の開け方を模倣するかを観察していました。
 箱の開け方を示すやり方にはいくつかバリエーションがあったのですが、その中でいくつか、箱を開けるのには必要のない行為(たとえば箱をポンポンと叩く、など)もわざと含んでいるものもありました。

 実験をしてみると、おもしろい結果が得られました。
 箱が透明で、明らかに「箱をポンポンと叩く」ことが開けることに関係がないと分かるとき、チンパンジーは箱を叩くのを省略する傾向があったのに対し、人間の子供はというと、それでも箱を叩くという示された手順を真似する傾向があった、とのことでした。
 一見すると、必要のない手順を省くことのほうが合理的にも思えます。一体、どういうことなのでしょうか? 実は人間よりも、チンパンジーのほうが知的だと…?

 実はこの実験は、人類が繁栄した理由は「何も考えずに他者を模倣する力」を持っていたから、ということを確かめるために行われたものだったそうです。
 自分の考えを挟まずに、他人の行動を注意深く真似することによって技術が伝達し、生き残る確率を上げる。結果として、これだけ人類が繁栄することに繋がったのでは、という考え方です。

 現実の物事は複雑で、全てを人間の知識で理解できると思っているとしたら、それは思い上がりではないかと思います。ではどうすることもできないかというと、そうではなくて、実際に先人たちたが生き残ってきた手法を真似することで生き抜くことができた、そうやって人々は今まで、綿々と生命を受け継いできたのではないかと思います。

 昨今、タピオカがブームとなっていますが、その原料であるキャッサバという芋は毒を持っており、適切に加工しないと食べることができません。
 東南アジアやアフリカなど、世界中で広く食べられているキャッサバですが、彼らが化学の知識を持っていて、正しい理屈を知っているから毒を処理できているかというと、そうではありません。
 経験則として、この調理の仕方なら食べられるようになる、というのを先人のやり方を観て学習していった結果なのです。
 2000年代に入って、気候のせいでアフリカのある地域で食糧不足が発生したそうです。
 それに伴って、その周辺で奇妙な病気が蔓延しはじめたそうです。原因がわからなかった当地の医師たちは、海外から研究者・医者を呼び寄せて原因を究明してもらいました。
 原因は、適切に毒が処理されていないキャッサバを食べたため、ということが判明しました。
 食糧不足により、過酷な環境でも育つキャッサバを、それまで食べていなかった都市部の人間たちが食べはじめたことにより、加熱したキャッサバを水につけて一晩置いて絞る、という、ごく単純な毒抜きの方法を知らずに調理していたことが理由だったようです。

 考えずに全て真似することと、「合理的に」手順を抜き出して真似すること、果たしてどちらが本当の意味で合理的なのでしょうか。
 人間の文化、営みの中には、理由はわからないけれど受け継がれてきて、そうするようになっている文化がたくさんあるかと思います。ところが、近代の合理主義は、それらをバッサリと無用のものとして切り捨てていきました。
 近代の合理主義には、「わからないものをわからないまま受け入れる」ことで、自分には理解の及んでいない部分の可能性が開けるということが、どうにも理解できなかったようです。

 残念なことに、我々現代人は、その近代合理主義の洗礼にどっぷりと浸かって育ってきてしまっています。

 示された太極拳の動きを真似する際、考えずにその動き全てを真似しようとすることは、自分が気づいていない宝物を手に入れる可能性を与えてくれるのだと思います。
 逆に、自分の理解の及んでいる範囲でのみ真似しようとすることは、そこにある大切なものを取りこぼしてしまうばかりか、毒の含まれている食材をそのまま食べてしまうかのような害を自分に及ぼしているといえるのかもしれません。


 太極拳を理解していくには、示されたことを真似するのはもちろんのこと、師父がどのように太極拳に向かっているのかという点をこそ、真似しなければならないのではないかと思います。
 先の例では、キャッサバの調理の仕方を先人から学ぶと書きましたが、では師父がされていることはというと、どうでしょうか。
 ただキャッサバの食べ方を伝えるのではなくて、キャッサバの新しい調理の仕方、ないしはキャッサバに変わる新たな食料をずっと開拓し続けているのではないかと思うのです。
 我々門人が教わることができるのは、もしかしたらそのキャッサバの調理の仕方だけで、それを覚えただけでは、太極拳を理解するには足りないのではないかと思います。

 前回の記事で、「なにを掛けるか」として書かせていただきましたが、自分の調理したキャッサバをまず自分で食べられるか? ということだと思います。
 自分の命が掛かっていれば、手を抜いて調理をすることはないでしょうし、もっと真剣に示されたものを真似しようとするはずです。
 太極拳は武術なので、全く同じことが(むしろもっと直接的に)いえるのだと思うのですが、どうしても、我々にはその感覚が欠如してしまっているのではないかと、自分のこととして特に強く思います。

 そのことが少しばかり感じられて稽古に向かうようになった時から、少しずつ自分が理解できるものも変わってきたように感じました。
 自分の責任で生きるということは、毒がある(かもしれない)料理を平然と他人だけに食べさせるような人間には理解できないことではないかと思います。それは、近代合理主義が生んだ官僚のようなやり方で、彼らほど勇敢さとかけ離れた人類はいないのではないかと思います。
 まずは自分のこととして、しっかりと正面から向かい合う必要があるのだと思います。
 自分では毒を抜いたつもりだったという言い訳は、自分でその料理を食べていないからできるのではないでしょうか。

 自らが責任を負うということは、自らが傷つく覚悟を持って、腹を切る覚悟で物事に臨むことではないでしょうか。人から咎められないように、うまく見えるように稽古をしていくことは、最終的に全てを水の泡に帰すような崩壊が待っているのだと思います。
 それが自然の道理だからです。
 逆に、ネガティブフィードバックを続けていくことは、小さな間違いをずっと見つけていくことでもあります。それはある意味では、うまくいかないことを繰り返すことでもあり、自尊心は傷つくのかもしれません。しかし、自分が本当にしたいこと、目標と照らし合わせたとき、そんなものは傷ついたといえるのでしょうか?
 その目標が明確になっていないときは、小さなエゴを満足させるような稽古をしてしまうのではないかと思います。そうすると、堰き止められたダムに溜まりに溜まった間違いは、ある日、大きな音を立ててドカン! と崩れてしまいます。
 「晴々と立ち向かう」ことは、いつだって自分に成長の種を与えてくれるのではないでしょうか。

 師父はいつだって、そのことを自分に伝えてくださっています。
 言葉はもちろんのこと、言葉以外のあらゆる手段でも、です。

 師父に、太極拳に関して「上達しろ」と言われたことはありません。
 ただ、人間として「一人前になれ」「男になれ」とは何度言われたことかわかりません。

 そうすることでしか、太極拳が本当の意味で上達することはないのだと、ようやく理解出来はじめたように感じています。
「男らしく」なんて死滅した古い言葉かな、と師父が冗談でいわれたこともありましたが、それを死滅させないように、さらに繁栄させていくことこそ、我々…というか、男である自分に求められていることのように感じます。

                                (了)


*次回「今日も稽古で日が暮れる/その48」の掲載は、5月22日(金)の予定です

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