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  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
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            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2016年09月26日

練拳Diary#73「武術的な強さとは その17」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 武術を修得するために最も必要なこと、それは何でしょうか?

 努力、忍耐、根性、理解力・・と、思いつくままに挙げれば色々と出てくるものですが、武術の修得にはどれも必要であると思えてきますし、加えてそれらのことはどうしたら自分に備わるのか、という疑問が出てきます。
 そしてそれは武術に限定された話ではなく、何に係わっていようとも誰でも人間の問題として行き当たることであり、ある意味、人生を活き活きと生きるために必要なことであると言えると思います。

 よく、幼少期に習い事をさせると根気や集中力が養われるという話を聞きますが、自分の周りにいる人を見ても、習い事の有無と根気や集中力との関係は明確には表れていないように感じました。それでは、何事に対しても継続出来る人と、いわゆる三日坊主で終わる人とでは、一体何が違うのでしょうか。
 ひと言で言えば、意識と志が高いか低いか、その程度に由るのだと思いますが、私は自分の経験から、意識と志を支えるものが「自分を律する力」であると思うのです。その支えがないと意識も志も高めていくことは難しく、良くても元のまま、悪ければ反対に低くなり、やがては挫折へと繋がるのだと思います。
 考えてみれば、人が成長することを目的として自分を投じるところには、必ず日常には無い規則が存在します。それは、日常を持ち込んでいては何事も現状以上のことを達成するのは不可能であることを示していると同時に、自分の中に規律を生じさせることを目的としているように思えます。

 少し話が飛びますが、ここで「食事と音」について話をしてみます。
 食事のマナーは、世界規模で見れば様々なマナーがあるようですが、一般的には食事中にガチャガチャと音を立てるのは不躾とされています。一緒に食事を楽しむ人が不快な思いをしないよう、守られるべき最低限のルールとして誰もが心に留めているものですが、さて、それでも一切の音を立てないのは不可能です。また、音を気にするあまり食事を楽しめないのでは本末転倒です。
 禅寺では、もちろん食事中に音を立てることは厳禁ですし、たくあんをバリボリと音を立てて食べることもできないと聞きました。けれども、やはり全く音を立てずに食事をすることは難しいでしょう。
 このような、「食事」という人間にとって欠かすことの出来ないことに於いて、日常と非日常とでどのような違いがあるのか、私は以前から興味がありました。そしてある時、面白いことに気がついたのです。

 それは、フランス料理で名の知られたマキシム・ド・パリのマナー講習会に行ったときのことです。
 実際に食事を楽しみながらの講習会では、恐らくはギャルソン(Garcon=給仕をする人)の見習いだと思われる若い男性が、主任の監督の下でお皿やグラス、料理のサービスを行っていました。
 その中で、重ねられた何枚もの大きなお皿を片手に持ち、もう片方の手で一枚ずつお客に出すシーンがあったのですが、そのサービスの仕方に無駄な動きがなく、大きなお皿を扱っているにも係わらずお皿同士が触れるカチリという僅かな音しかさせていなかったのです。そして、一枚目のお皿を配るときから最後まで、音の大きさは変わりませんでした。
 心地よく次の料理を待つ気持ちを一切妨げないそのサービスに、私は驚きました。
 音がしているのに、気にならない。それは、音が小さかったからなのでしょうか?

 そのことがあってから、「音」と「ルール」の関係に更に興味を持つようになりました。
 たとえば、茶事。
 私は茶道を本格的に学んだことはなく、師父の設計された茶室でお茶の真似事を経験したに過ぎませんが、茶室という独特の空間で殆どの動作が静寂の中で行われるのに、お点前の最中には、茶道具を置く際にわざと音を立てるところがあります。
 或いは、掃除。
 掃く、拭く、雑巾を絞るなど、音の立つ所作ばかりですが、京都のお寺で和尚さんが掃いていた竹箒の音は、掃除をしていることを感じさせない、心地よいものでした。それらはまるで、音を含めた規矩がその空間に表れているかのようだったと記憶しています。
 私たちが庭の落ち葉を掃くときの音は、どのように響いているのでしょうか。

 さて、このように見てくると、非日常の世界では「音を立てること」が戒められているわけではないことが分かります。ルールが存在するどのような世界でも衣食住から離れて生活することは出来ず、生活を無音で過ごすことはできません。しかし、好き勝手に音を出すことは厳しく戒められる。そのことから導き出されるのは、戒められているのは音を立てることではなくその人の「無意識」だということになります。

 これで、なぜ非日常の世界には細部にまで厳しいルールが存在するのか、私たちにとって何が「日常」で何が「非日常」であるのか、答えはもう目の前に見えているはずです。
 日常の所作であるが故に、日常を持ち込めない規則を設ける。
 それは、自分を越えることを人生の目的として修行してきた先人たちが発見した知恵であり、また後に続く人々への親心でもあるのだと思います。

 先日のCQC特別講習クラスでは、師父から、脳を老化させる一番の原因は “独りよがり” や “自分勝手” であるというお話がありましたが、独りよがりにはルールが必要ありません。むしろそれがあると自分勝手にできないので、まるで手枷を外すようにルールを外したくなることでしょう。その心地よさがいつしかクセになり、やがて自分を律すること、人間として成長し高めていくことが億劫になってくるのです。
 人は誰でも大変なことよりも楽なことの方が良い生き物ですが、それでもこの世に生を受けた理由は楽をすることではなく、自分を成長させるためだと感じていることも事実だと思います。

 自分を律することに目覚めるには、まず自分の無力さ、非力さ、情けなさに直面するのが一番手っ取り早いと、私は思います。
 たとえば、ひとりで野原に出掛けて一晩をそこで過ごしてみれば、嫌でも己の無力さ、怠惰さと向き合うことになります。
 それがたとえ整地されたキャンプ場であっても、自分で寝起きするスペースを考えて選択し、風向きと相談してテントをきっちりと張り、最適な場所に火を熾し、空腹で疲れ切った自分のために今夜の食事を作り上げる。面倒だからと言って整地をせずに火を熾し始めたりすれば、その場で倍の面倒となって自分に還ってきます。そしてそのためにまた走り回らなければならないけれど、太陽は非情にも刻一刻とその姿を山に沈めていきます。
 私が初めてソロでキャンプを行ったときなど、ゆっくりとキャンプを楽しみ始めたのは、すっかり日も暮れて空一面に星が瞬き、あまり美味しくない夕飯をすっかり平らげて、後は小さな焚き火を前に温かい飲み物を頂くばかりになった頃でした。

 ホッと一息ついたときに感じたのは、自分の都合で動いても通用しないということです。
 荷物の置き方も、火の管理も、虫との格闘も、食事の仕度も、その場所での全ての行動は「我が儘」にできることなど何ひとつとして無く、その都度求められたことは、思慮深さや感受性、協調性など、「受容性」に係わることばかりでした。

 人は、こう思うかも知れません。
 たったひとりで出掛けたのだから、思う存分好きなように勝手気儘に過ごしたら良いじゃないかと。それこそ日常の喧騒を離れて大自然の中で大地の息吹を感じるアウトドアの醍醐味ではないか!、と。
 私は、そうは思いません。
 普段何の疑問を抱くこともなく自分の周りに在る、家や火や食料などの日常が無い状況では、それらの物がいかに整備され、利便性を追求されているかが、しみじみと感じられるものです。
 自然の中ではそれを自分の力で整えなければならず、そのためには自分の「我が儘」を排除して「法則」に耳を傾ける必要が出てきます。なぜなら、「我が儘」から出た行動では実際の成果が出てこないからです。そしてその「法則」を見出すためには自分の中に「規律」がなければならず、その「規律」こそが稽古で指導され続けている「自己統御」の素に他ならないのです。

 私は、自分を統御できることこそ人生の課題のような気がしています。
 日常から非日常の道場へと足を運ぶことを繰り返しても、そこで得られる成果はたかが知れています。日常を非日常として認識し、自分の人生そのものを道場だと思えるかどうか。そうでなければ、何かひとつの物事を修得することも、ただの夢で終わることでしょう。

 用意不用力──────────
 太極拳の大原則として第一番目の要訣に挙げられている言葉の重みが、今ようやく感じられる思いです。


                                (つづく)



2016年09月15日

連載小説「龍の道」 第184回




第184回  P L O T (4)



「モサドか、厄介な相手だな─────」

 ぼそりと、宏隆が言った。

「モサド=イスラエル諜報特務庁(ISIS)は創設が1949年、首相府管下にあって諜報要員はすべて士官クラス、情報局には ”PROMIS” と呼ばれる、世界有数の電子データベースを保有しているわ。さすがのCIAも真っ青、というところね」

「工作員は、一般諜報活動、対象者の行動監視、特殊作戦、要人暗殺、プロバガンダと偽旗作戦、友好国との密な連絡、世界中のユダヤ人の保護、などという部門に分かれるそうだ。ケネディ大統領の暗殺では、CIAと連携して多くの部門が同時に動いたわけだな」


 ─────アメリカのテレビ番組やハリウッド映画で散々洗脳されてきている日本人は、CIAが世界最強の情報機関だと思い込む傾向があるが、実際はその行動力や個々のエージェントの能力に於いて、モサドほど強力な機関は他に存在しない。

 モサドは世界中の大事件に多く関わってきており、例えばケネディ大統領と同じく、多くの謎に包まれたダイアナ元妃の死亡事故についても、SAS(英陸軍特殊部隊)や、SIS(英国情報局秘密情報部=MI6)は無論、そこにもモサドが深く係わっていたという情報が多く存在する。
 リビアのカダフィー政権や、もとSS(MI5)の情報員などもその情報を提供しているが、事実、死亡した運転手のアンリ・ポールはパリのリッツの警備責任者であると同時にMI6の情報員でもあり、彼の口座には、事故の9ヶ月前から毎月多額のフランが振り込まれている。
フランスでは、モサドが他の国より活動しやすい環境であることは言うまでもない。

 パリで起きた深夜のトンネル事故は目撃者もなく、ダイアナを追い回したパパラッチたちが本当にその職業の人間であったのかも疑わしく、トンネル内でベンツに接触した白いフィアットの主は、後にパリ郊外で首が切断された焼死体で発見されている。
 また、事故当時は15分後に救急隊が現場に到着したにも係わらず、その場で1時間も放置された上、わざわざ6キロ先にある遠い病院まで、時速40kmでノロノロと走る救急車で43分という長い時間をかけて運ばれている。後部座席が前にずれて体が夾まれ、救出に手間取ったというが、筆者の経験でもベンツはそんなに簡単には壊れない。
 また、ただ一人助かったボディガードだけがシートベルトを装着していたという事実は、その筋の人間から見ると理解に苦しむ。シークレットサービスやボディガードは守るべき人にシートベルトを着用させ、自分たちはベルトをしないことが常識だからである。

 パレスチナの状況をその眼で観ることを切望し、地雷除去運動にも深く係わっていたダイアナ妃はチャールズ皇太子と離婚して、ハロッズやリッツのオーナーでもあるエジプト人富豪、モハメド・アルファイドの息子、ドディと交際していた。ドディはアカデミー賞を受賞した「Chariots of Fire(炎のランナー)」を手がけたプロデューサーでもあった。ロンドンのハロッズの地下には今もダイアナとドディの記念碑が設けられている。
 もしダイアナ元妃がドディと結婚してイスラム教に改宗し、さらに子供を設けることになれば、アルファイドの一族は未来の英国王の異父兄弟という事になる。つまり、英国国教会の頂点にある未来の英国王の母親がイスラム教徒であるという事態が起こるわけで、今なお継続中の中東戦争に於ける対立に大きな問題が生じる怖れも出てくる。
 本物の事故か、陰謀かはさておき、英王室がそれを想像して震え上がったことは想像に難くない。そして、もしそれが陰謀であるとすれば、実行部隊は英国内の情報組織ではなく、外国のエージェント(諜報員・代理業者)の方が何かと都合が良く、ユダヤ=イスラエルもまた、このような状況にあっては大人しくしている訳がない。それは今日では素人でも分かる理屈であろう。



「─────そうそう、ケネディと特殊部隊の、知られざる特別な関係を知ってる?」

「いや、知らないな」

「米陸軍のグリーンベレーのことは知ってるでしょ」

「勿論だ。この訓練センターに来た初日に、入所式の講話をしたのは、そのグリーンベレー(U.S. Army Special Forces=米陸軍特殊部隊)の Harry Lewis(ハリー・ルイス)少尉で、そのときもグリーンのベレー帽を着用していたしね」

「そもそも、グリーンベレーは、ケネディが許可したものなのよ」

「え、そうだったのか、初めて聞いたよ。どんな経緯があったの?」

「グリーンベレーの ”グリーン” は、ブリティッシュ・グリーンの緑色を意味しているのよ。ジャガーもロータスも、レースでは必ずその英国のナショナルカラーを使うでしょ」

「そうだね。まあ、ウチの父のジャガー Eタイプは真っ赤だけど・・」

「赤は本来イタリアのカラー、アルファロメオやフェラーリでお馴染みの色よね」

「その英国の色であるグリーンが、どうしてアメリカ特殊部隊の帽子の色になったの?」

「第二次大戦中に、米国のレンジャー部隊がスコットランドの ”コマンド訓練本部” で集中訓練を受けたのよ。アメリカには無い独特の自然環境の中で、渡河技術や小型艇の操作、登山技術、パラシュート降下、サバイバル訓練など、戦場に必要なありとあらゆるテクニックを厳しく仕込まれた、というワケ」

「なるほど、それで・・?」

「そして、そのブリティッシュ・コマンド訓練本部の過酷な訓練を見事にやり抜いた兵士には、名誉として、英国コマンド部隊と同じグリーンのベレー帽が授与されたの」

「なるほど、あれは元は英国のコマンド部隊の帽子だったのか。しかし、よくアメリカ陸軍が外国の特殊部隊のベレー帽の着用を許したね?」

「もちろん決して許さなかったわ。でも、彼らはそれを無視して、まるで勲章か階級章のように、戦場では勝手にそれを被っていた。そして、やがてアメリカ陸軍にも特殊部隊の訓練所が設立され、1961年にケネディ大統領が議会で『冷戦下では秘密戦争が主となり、特殊部隊が必要だ』と発言し、それによってノースカロライナ州フォート・ブラッグ陸軍基地内にある陸軍特殊部隊司令部に、5th SFG(第5特殊部隊グループ)が編成され、ベトナム戦争で特殊作戦に従事したの。この基地には現在、非公式ながらもグリーンベレーやデルタフォースが置かれているわ」

「ふむふむ・・」

「そして、ケネディがフォート・ブラッグの基地を訪れた際、ウィリアム・ヤーボロー大将は特殊部隊の兵士たちに、全くの非公認であったグリーンベレーを被るように命じ、その格好でケネディを出迎えたの。ケネディは特殊部隊の兵士たちに大変感銘を受け、彼らが着用していた英国コマンド部隊の緑色のベレー帽を、『卓越性の象徴・勇気の徽章・自由の為の戦いにおける名声の証し』としてそれを被ることを正式に許可した、というわけ」

「なるほど、いかにもアメリカらしい話だね」

「その話には、まだ後日談があるのよ」

「・・と、言うと?」

「ケネディ大統領が暗殺されたときに、グリーンベレーの兵士たちは皆その死を悼み、ベレー帽に付いている徽章の回りを太い黒い線で囲った。彼らはケネディに信頼され、誇りを与えられ、情熱溢れる若き大統領と共に戦ったことを、その帽子に刻み込んだのよ。そして、それは今でも第1特殊部隊グループの徽章として正式に採用されているわ」

「うーむ、いい話だな。それを聞くとますます、ケネディを暗殺した奴らが憎く思えてきてしまうけれど」

「ほんとうに、ね・・・」

 天井から床までが大きなガラス張りの休憩室からは、限りなく閑かで穏やかな冬のアラスカの景色が広がっている。この世界で起こっている様々な陰謀や戦いが、まるで嘘のように思えてしまうほどの、美しい雪景色であった。


「─────ミスター・カトー、ご気分はいかがですか?」

 いつの間にか、ナースがすぐ後ろにやって来て、そう言った。

 このNWTC(Northern Warfare Training Center:米陸軍北方軍事行動訓練センター)には、小規模ながらこのような軍の病院が併設されている。
 アラスカ大学のROTC(予備役将校訓練課程)の士官候補生たちが訓練を受けるばかりでなく、陸軍はもとより、ネイビーシールズなどの特殊部隊の兵士まで此処に来て訓練の仕上げをするので、訓練中に何か事故でも起これば、広いアラスカで数えるほどしか無い大都市の病院にいちいち運んではいられない。軍事訓練センター自体に、信頼できる軍病院を作っておく方がよほど安心なのだ。
 そして宏隆は、凍った川に落水して奇跡的に生還し、ここにヘリで運ばれて以来、精密検査をしながら入院を続けているのである。


「・・ああ、まったく問題ないよ。これからトレーニングしようと思っていたところだ」

「またそんな強がりを言って・・大事を取らなきゃダメよ!」

 ヘレンがちょっと怖い顔をして、睨んで見せた。

「本当さ、今すぐパラシュートで降下したって良いくらいだよ!」

「ミスター・カトー、これから色々と検査をしますから、私に従(つ)いてきて下さい」

「えぇーっ、また検査?、もう退院しても良いんじゃないの?」

「結果次第では、一週間ほどでドクターから退院のお許しが出るかもしれません」

「たしか、最低でも二週間は安静が必要と、始めに言われたわよね」

「むぅ・・ま、しょうがないか。それで、今日は何の検査をするの?」

「血液を採って、頭部と腹部のCT、それに心臓の検査です」

「また血液を?────────マズくて少ない病院食しか食べてないのに、そんなに血ばかり採ったら、腹が減ったドラキュラみたいになっちゃうよ!」

「真冬のアラスカの、凍った川の水に落ちたんです。血圧が200以上に上がって、低体温症で死ぬところだったんですよ。十分な検査を受けて治療しないと、後遺症が出て訓練どころじゃありません」

「ほらほら、素適なナースもそう言っているでしょ。文句言わないで、ちゃんと検査してもらいなさい!」

「分かったよ、やれやれ─────血を採ったらヤクルトくれる?」

 ヘレンに言われて初めて気付いたが、確かに看護婦はなかなかの美人だ。
 しかし、ここへ来てから初めて見る顔であった。

「コホン・・ではこちらへ。車椅子を用意しましょうか?」

「ははは、そんなに危ない病人じゃないよ」

「確かに、だけどヒロタカは別の意味で ”アブナイ” 病人よね」

「どういう意味だよ、もう・・」

「あはは・・それじゃ私はフェアバンクスに戻るわ。検査結果が出たら連絡をちょうだい」

「オーケー、世界金融史講座からケネディ暗殺事件まで、いろいろ貴重な話をありがとう、勉強になったよ。ヴィルヌーヴ中佐にもよろしく伝えてほしい」

「伝えておくわ、帰る前に下で電話しようと思っていたところよ」

「ありがとう」

「ちょっと疲れたでしょ、検査が終わったらゆっくり休んでね」

「確かに、すごい話ばかり聴いてたんで、すっかり頭が疲れたよ。ははは・・」

「さあ、検査に行かないと───────Have fun!(楽しんでね)」


 ヘレンと別れて、ナースの後ろを従いて歩く。
 流石に宏隆は、まだ少しばかり足がふらつくように見えるが、車椅子を用意しましょうかと気を遣った割には、ナースは早足でさっさと歩いて行く。

「足が速いなぁ・・看護婦さん、キミの名前は?」

「え、私ですか?・・・ミラー・・ジョディ・ミラーです」

 なぜか、胸の名札を見直してから、名前を宏隆に告げる。

「ミラーさんか、初めて見る顔だね」

 胸に付けた名札は、先ほどすでに確認済みだが、あらためてそう言った。

「昨日まで休暇で、シカゴに帰っていましたから」

「ああ、なるほど・・」

「どうぞ、ジョディと呼んでください」

 ニコリと微笑んで言う。

「ジョディ、お世話になるね」

 そのとき、

「ヒロタカ──────!!」

 さっきの休憩室の方から、誰かが呼び止めながら走ってきた。

「・・やあ、アルバじゃないか!」

「ヒロタカ─────よかった、元気そうね!、病室に行ったら居ないから探していたのよ」

「アルバこそ、具合はどう?、どこか痛かったりしないかい?」

「私は大丈夫よ、サウナの後みたいに、ほんの少し冷水に飛び込んだだけだから。無事に検査も終えたし、明日からフェアバンクスの訓練に戻るわ。それより、私を助けるために危うく命を落としそうになったヒロタカがとても心配で・・」

「ああ、あのままじゃ二人とも死んでたからね。それにボク一人の方が動きやすかったし」

「まあっ!、私が足手まといだったって、そう言いたいワケね?!」

「・・そ、そんな意味じゃないよ、ボクはただ・・・」

「あはは、冗談よ、ヒロタカにはとても感謝しているわ。ただお礼が言いたくて」

「ふう、女は怖いなぁ、ほんまに・・」

「ところで、キャンベル曹長には会えた?」

「何だって─────キャンベル曹長が来ているのか?!」

「ええ、さっき下の階でちょっと顔が見えたわ。きっとヒロタカのお見舞いに来たんだろうと思っていたけど、どうしてそんなに驚くの?」

「他には・・誰かほかに、彼と一緒じゃなかったか?」

「ええ、曹長しか見えなかったけれど」

「そうか─────」

「ヒロタカ、何かあったの?」

「いや、何でもない・・・」

「ミスター・カトー、そろそろ検査に行かないと」

 ちょっと時間を気にするように、看護婦が時計を見てそう促した。

「アルバ、ちょうど検査に行くところなんだ・・わざわざ来てくれてありがとう」

「また来るわ、もうしばらく入院でしょうから」

「ありがとう────────」

「そうだ・・アルバ、メモを持っているかい?」

「防水メモはいつも持っているわ。水中で書けるペンもね、ほら、このとおり!」

「ちょっと貸してくれ・・ジョディ、済まないがあと30秒待ってくれ」

 小さなメモ帳に何やら素早く走り書きをして、ページを破くと畳んでアルバに渡し、

「これをヘレンに渡してくれないか。まだ下のロビーの辺りに居るはずだ」 

「オーケー、すぐ渡しておくわ」

 宏隆の表情から、何かを感じ取ったのだろう、ヘレンに間に合うよう、エレベーターを待たずに、急いで階段を駆け下りて行く。


「さてと・・ところでジョディ、どこで検査をするんだい?」

 アルバを見送って、宏隆が看護婦に尋ねた。

「1階で採血してから、地下のCT室へ行きます────すぐ済みますよ」

「えーっと、今日は何曜日だったかな?」

「土曜日です」

「そうか、どうりで、病院に人が少なくて、ひっそりしているワケだ」

「入院していると、よく曜日や日付を忘れてしまいますね」

 1階でエレベーターを降り、人気のない静かな廊下を奧へ奥へと歩く。週末は不要な照明を消しているので、廊下はずいぶん薄暗く感じる。

 やがて看護婦が廊下の右手にある一つのドアを開けて、部屋の電気を付けた。

「・・どうぞ、そこのベッドに横になって下さい」

「オーケー」

 言われるままに、ゴロリと横になって、ゆっくり辺りを見回す。
 壁際には棚やガラス張りの収納ケースが並んでいて、看護婦が使うゴムの手袋やマスク、点滴用の袋や用具が入っている箱やらが所狭しと置かれている。
 小さな流しや湯沸かし用のコンロ、反対側にはバケツも洗えそうな深いシンクも設けてあって、その奥には隣の部屋に行くドアも見える。宏隆が横になった右の壁際のベッドには、目隠しのカーテンも付いている。

 しかし、不思議だな・・と宏隆は思い、
 
「まともな検査室は、土曜日には空いていないのかい?」

 寝転んだまま、ジョディにそう訊ねた。

「え・・・?」

「この部屋は、ナースたちが備品の補充や仮眠に使う部屋だろう?、なぜわざわざこんな所で血液検査をするんだ?」

「あ・・ああ、それは・・・上の検査室に血液検査のセットが無くなってしまって、それでここに来てもらったんです。仰るとおり、不足した物はこの部屋から補充するので、ここの方が早いし、CT室にも近いので─────何か気になりましたか?」

「いや、ボクは通常とは違う状況がすぐ気になる性分(たち)なのでね」

「こんな仕度部屋でごめんなさい、すぐに済みますから」
 
「いや、これまでに色々と詭計に陥ったり、危険な目にも遭っているので、ただ臆病になっているだけなんだが・・」

「ハイ、まず血液を採りますね。少ない量ですから、あっという間です」

「ボクが怖がりだから、安心させてくれてるの?」

 看護婦のジョディは、黙って笑っている。

「さあ、済みましたよ。次に、CTで内臓を撮影するために、点滴で造影剤を注入します」

 そう言って、手早く点滴の袋をスタンドに掛け、注射針を手首の表に挿し込む。
 慣れた手際の良さは、若い看護婦に似合わないほど上手で、鍼を刺すときにもほとんど痛みが無い。

「Barium Sulfate・BaSO4、つまり硫酸バリウムか、たぶん造影剤のコトだろな・・」

 吊り下がったプラスチック・バッグの文字を読んで、少し納得したように言う。

「・・え、なにか仰いました?」

「いや、ただの独り言だ」

「点滴は小さいので15分くらいで終わります、そのままノンビリしていて下さい」

「Copy that.(了解)」

「はは・・兵士はみんなそれね!」

「そう言うキミも兵士だろう?─────肩に PV2(Private E2=1等兵)の階級章が付いているじゃないか」

「一応は兵士だけど、野戦訓練で看護テントに行くくらいで、どうせ戦場に赴くことなんか無いだろうし、多分この病院か、どこかの軍病院を転々とするくらいでしょうね」

「ん?・・なんだか、気分が悪いな・・・ちょっと吐き気がする」

「造影剤のせいでしょう、大丈夫ですよ」

「少し目まいもするし、すごく気怠い・・・薬が合わないんじゃないのか?」

「ああ、それは・・・」

 そのとき、いきなり奥の扉が開き、白衣を着てマスクを着けた男が入って来た。

「誰だ?・・・か、看護師か?!」

 すぐ上体をを起こそうとしたが、いつの間にか体が痺れてきていて、すでに思うように動けない。

「あ、そのままじっとして─────これから検査室に案内します」

 低いしゃがれ声で、その男が言った。

「ジョ・・ジョディが・・行ってくれるんじゃないのか?」

 口が動きにくく、言葉までうまく喋れなくなってきている。

「ご心配なく、”特別な検査室” へ、私がお連れしますから────────Mr. Kurama !」

「・・な、何だと・・なぜ、ぼくのコードネームを?・・・ジョ、ジョディ・・・おまえ、て、点滴に、何を混ぜた・・?!」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第185回の掲載は、10月1日(土)の予定です


2016年09月01日

連載小説「龍の道」掲載延期のお知らせ

いつも「龍の道」をご愛読頂き、ありがとうございます。

誠に勝手ながら、本日9月1日(木)に掲載予定の連載小説「龍の道」第184回は、
著者・春日敬之さんの出張が長引いているため、掲載を延期させて頂くことになりました。

楽しみにお待ち頂いている愛読者の皆様には大変申し訳ございませんが、
何とぞご諒承くださいますよう、お願い申し上げます。


                      Blog Tai-ji 編集室

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2016年08月31日

練拳Diary #72「武術的な強さとは その16」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 「武術」について考えたとき、戦い方、強さ、力など、様々なことが想い浮かびますが、同時に気になるのは、それらのことについて、すでに自分の中にある確立された認識(自分勝手な解釈)を元に考えていないか、ということです。

 自分がそう考えるようになったのは太極拳を学び始めてからのことですが、例えば太極拳では、「足を一歩出すこと」や「階段を上る」といった日常的な動作でさえ、自分の認識とは全く異なる非日常的な身体の用い方が要求されます。
 その要求はたいへん細かいことで、これほど厳密に指導される武術は他に無いとさえ思えるほどですが、よく考えれば、戦いの基本は「立つこと」と「歩くこと」にあるわけですから、そこに重点が置かれるのも頷けますし、それを指し示すように歩法で真っ先に指導されるのは半歩足を前に出す「太極歩」であり、套路で最初に行う動作は「足を肩幅に開く」ことです。しかも、上級者になるほどその一歩を出すことの難しさが身に染みて分かるのですから、日常の認識が通用するわけがないのです。

 私たちが日常として考えられる普通の “力” と、太極拳で示される “力” では、考え方もアプローチの仕方も全く異なり、それを区別するためにわざわざ「勁力」という言葉が用いられていることは、前回にも述べたところです。
 ところが、よく動画などで目にする、四正手による発勁や推手からの攻撃などでは、まさにこれから強い力を出しますとばかりに、広い歩幅で大きく踏み込み、腕に勢いをつけて大きく振りかぶるような動作となっています。これは、大きな力、つまり重い物を持ち上げたり動かしたりしたいときに用いられる、典型的な拙力の特徴です。
 そうであるにも係わらず、その動画を観た自分たちもタイトルが「勁力」であることに何の疑問も持たないのは、なぜなのでしょうか。

 勁力であることを示すならば、先ずはとても強くて大きな力は出せないような姿勢で、相手への踏み込みや腕の勢いが必要無いことを証明しなければなりませんし、尚かつ相手に確実な影響を及ぼせなければ、ただ拙力の用い方を工夫しているだけのことになってしまいます。
 武術の極意が誰もが小さい頃から認識している拙力であるならば、その用い方を単なるタイミングや相手にぶつける角度などでどれほど工夫しようとも、それは誰が見ても自分にも容易に手が届くものだと思えることですし、本来そのようなことに太極拳の武術的魅力を感じられるはずがないのです。

 私たちが毎回の稽古で思い知らされているのは、如何に自分の認識が一般常識的な範疇を超えていないか、ということです。
 先日の対練中にも、師父から「それでは盆踊りと同じだ」と指摘されたことがあります。
 その時行われていた対練は、お互いに長さ40cm程のスティックを持って攻撃し合うという、非常にシンプルなものでした。師父はその対練の様子を見て、“盆踊り” だと仰ったのです。つまりそれは「動きが丸分かり」だと言うことなのです。
 盆踊りがいくら速くなろうとも奇抜な動きをしようとも、それが盆踊りであることに変わりはなく、武術的な動きとは程遠い日常的な動きであると言えます。

 その対練に含まれている動きといえば、「歩く」「スティックを振り上げる」「相手に斬りつける」となり、特に難しい動作は入っていません。
 ただ、この対練では「受け」と「取り」に分かれずにお互いに攻撃となるため、正しい身体操作が行われていないと 双方の肩にスティックが触れて斬られた “相打ち” の状態となります。
 本来高度な修練を積んできた者同士では、お互いに僅かな実力差が感じられただけでも事前に回避できるか、またはそれを感じる暇さえ与えずに斬ることができるため、相打ちにはならないのですが、ひとまずそのことについては措いておき、ごく一般的には相打ちとなるケースが多いとだけ述べておきます。

 その、歩く、スティックを振り上げる、斬りつけるという三動作は、確かに目に見えていれば攻撃が来るタイミングも計ることができるので、それを見越して避けることや相手よりも早く切り込むことが可能になります。
 ところが、師父に相手をして頂くと、動作が見えないのです。
 それほど速い動きではありません。むしろ横から見ていれば目で追える程度の速さで、歩調が急激に変化するわけでもありません。それが、向かい合って歩き始め、“ここで来る!” と思えた瞬間に動きが消えたように思え、次の瞬間にはこちらの首元にスティックが来ているのです。
 その様子を離れた所からじっくり観察すると、動きが消えたように感じた瞬間はちょうど師父がスティックを振り上げ始めたところであり、面白いことに横から観察していてもその瞬間に師父の足元がよく分からない状態になります。つまり、「見えない」のです。
 横から細かく観察していても見えないのですから、ましてや正面に立って相手をすれば、見えるはずがありません。

 これらの稽古から分かることは、私たちの「見方」がまだまだ常識的である、ということです。何の見方かと言えば、それは「戦い方についての見方」だと言えますが、師父の動きがまるで消えたように見えてしまう所こそ、私たちがもたついて身体が思うように動かず、相手に、こちらが武器を振り上げて打とうとすることを認識されてしまうところなのです。
 師父は、この見方の違いは「考え方」の違いである、と仰います。私たちの考え方がまだ武術的ではないために、見え方も違ってくるのであると。
 このことは、武術を学ぶ人間にとってはとても大きな事です。
 なぜなら、この対練は何も “スティックを手にした際の戦い方” を練習しているわけではなく、相手に向かって歩いて行けるということは、すなわち相手に危機感を覚えさせずに近寄れるということですし、スティックで相手を斬れるということは、つまりは相手にパンチが当たるということに他ならないからです。

 特にスティックを振り上げるときなど、自分が思う “斬れる” タイミングやそれに合わせた小手先の動きでは、どれ程素早い動きであっても相手には見えてしまいます。
 それは、反対の立場に立ってみると良く分かりますが、その時の身体の状態によって振り上げるときの初動が丸々見えてしまうのです。それが武術的な身体の動き、つまり非日常的な動きである場合には、ゆっくりでも反応できず、動きが見えていても斬られてしまうということが起こります。

 このようなことを可能にするには、やはり “たった一歩をどう出すか” という教えをひたすら追究しなければなりませんし、自分の武術に対する認識がどのようなものであるのか、常に見直すことが必要なのだと思います。
 私たちが普通に考える「突き」や「蹴り」は、本来は到底武術的とは言えないものです。
 武器という、誰にとっても力になる物でさえ、ただのチンピラが持つときと武術家が持つときとではワケが違います。その事を、特に研究会では毎回のように体験させられます。
 私は、まだ武器を高度に扱うことはできませんが、稽古を重ねる中で見えてきたことのひとつに、武器を相手に当てようとすることと、武器が相手に当たることとは違う、ということがあります。武器を手にすると、どうしてもそれを早く相手に触れさせたくなりますが、そうすると自分の歩法と合わなくなってしまうのです。歩法とスティックを振り下ろすことの不一致は原理の不在とも表現することができ、その状態では相手に致命的影響を与えることができません。つまり、どのような状況に於いても決して負けないような状態にはならないのです。
 相手に身構える暇さえ与える事なく斬れたとき、それは自分がそれまで斬れると思っていたタイミングや身体の状態とは全く違うものでした。

 武器を手にすれば一般的な斬り方になるようでは、拳を握っても同じことです。
 一般常識的な物の見方をやめて武術的な認識に立ち返らなければ、所詮はちょっと力の使い方を覚えただけの一般人と、何も変わらないのです。

 ただ歩いて行って斬り掛かるということだけでも、私たちの認識とは大きく異なるわけですから、武術の核心である「戦い方」ともなれば、その認識は100%完璧にひっくり返ると言っても過言ではありません。
 真に恐れるべきは、すでに自分の中に構築された “戦い方” を大事にとっておき、どこかでそれを正当化しながら太極拳の戦い方を学んでしまうということです。
 一切の自分の古い認識を捨て去り、まっさらな心で正しく見ること。そうして初めて、武術としての太極拳がみえてくるのだと思います。


                                (つづく)



2016年08月15日

連載小説「龍の道」 第183回




第183回  P L O T (3)



「もちろん証拠は山ほどあるわ。実際にそれを公言して憚らない政治家さえ居るのよ」

「どんな人が、何と言っているんだ?」

「例えば、イリノイ州の元共和党議員、ポール・フィンドレーは、Washington Report on Middle East Affairs 誌(中東情勢ワシントン報告書。中東と米国の政策に関するニュースとその分析について年8回発行)で、こんな指摘をしているわ」

『イスラエルは決してケネディ一族に親しみを持たなかった。ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディは、イギリス大使時代に度々ナチスドイツを賞賛し、ヒトラーの熱烈な支持者とさえ考えられていた。
 また、ケネディが大統領選を戦っている間、ニューヨークの有力ユダヤ系グループが中東政策への影響力を手にする事と引換えに選挙資金を提供すると密かに申し出たが、ケネディは同意しなかった。さらに大統領になるとイスラエルには部分的な支援しかしなくなった。
 一方、ジョンソンはケネディとは反対にイスラエルへの強い支持を表明していた。つまりイスラエル政府にとっては、ジョンソンが大統領になった方がよほど都合が良いという十分な理由があったのである。
 そしてそれは現実となった。ケネディの死後、アメリカ合衆国は歴史上初めてイスラエルに対して大量の武器の供与を開始した。また、モサドが地球上のどのような場所に於いても暗殺を実行できるだけの人材と資金を持っていることについては、もはや誰も疑いようのない事実である─────』

「それじゃ、パーミンデクス・コネクション(Permindex Connection)というのは?」

「パーミンデクスは東欧系ユダヤ人ジョージ・マンデルが設立したCMC(Centro Mondiale Commerciale=ニューオリンズ世界貿易センター/映画JFKでトミー・リー・ジョンズ扮するクレイ・ショウが運営)の子会社。それはケネディ暗殺のみならず、フランスのアルジェリア占領を維持するためにドゴール大統領を暗殺する陰謀に深く関与していたモサドの海外秘密工作の拠点と見られているのよ。
 パーミンデクスを中心に絵を描くと、モサド、北京、フランスOAS(アルジェリア独立反対の反ドゴール極右秘密軍事組織)、SDECE(フランス秘密諜報機関)、ランスキー・シンジケート(ユダヤ系ロシア人、マイヤー・ランスキーのマフィア・シンジケート。ジャック・ルビーのボス)、そしてCIAを加えた六芒星が見事にできあがるわ」

「なるほど・・・」

「そして、アメリカのメディアを支配する強大な親イスラエル勢力、つまりユダヤ系国際金融資本家たちの勢力が、ケネディ暗殺の隠蔽工作に大きな役割を果たしていたのも事実ね。多くの団体や人間が関わったケネディ大統領の暗殺事件は、メディアの協力が無ければ決して成功しなかったでしょうしね─────この暗殺陰謀に関わるすべての謎は ”イスラエル” という、たったひとつのキーワードで見事に解けてゆく。そして実際に、ケネディ大統領が暗殺された事によって、イスラエルは大国となる道を切り開くことができたワケよね」

「うーむ、何ということだ。しかし、ジョンソンが大統領になってくれた方がイスラエルにとって都合が良いという理由は、いったい何なんだろう?」

「まず、ケネディ大統領は、中東和平への道を切り開くことに大きな関心を持っていた。
特に1948年にイスラエルに土地を追われたパレスチナ難民の ”安住の地” を探すつもりだと明言していたのよ」

「ケネディはイスラエルよりも ”親アラブ派” だったわけだね」

「けれども、実はケネディ自身はユダヤ系アメリカ人の支援に大きく依存することで、辛うじて選挙を勝ち取り、大統領になった人なのよ」

「・・ん?、何か矛盾するな。それじゃイスラエルからの期待は大きかったわけだね」

「そうね、そしてケネディは上院議員時代から強力にアルジェリア独立を支持していた」

「アルジェリア?─────イスラエルと何の関係があるの?」

「大ありよ!、アルジェリア問題を知らないの?」

「常識程度には知ってるけど・・フランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争だよね。
フランスからの独立を求めて、アルジェリアの民族解放戦線(FNL)が、首都アルジェを拠点にゲリラ闘争をしていた─────そのFNLを掃討するために派遣されたフランス外人部隊の兵士と、パリからカスバの酒場に売られた女性の悲恋を歌った『カスバの女』という歌が日本じゃ大ヒットしたしね。 ♫ ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く、酒場の女の薄情け・・ってやつ」

「やれやれ、こんな時にエンカなんか歌ってどうするんだか──────」

「カスバの女は演歌じゃないけど、そのアルジェリアがイスラエルと何の繋がりがあるのか分からないな」

「フランスの植民地となったアルジェリアのイスラム社会が民族解放のために対フランス独立運動を始めた。アルジェリアには100万人ほどのフランス人が居て、その中にはかなりの数のユダヤ人が含まれていた。ドゴールはアルジェリアを独立させる方向で動き、ケネディも上院議員時代からそれを支持してきたのよ」

「なるほど、そのために現地アルジェリアのフランス軍と植民地フランス人の中にドゴール政権を打倒する考えが生まれ、ドゴール暗殺の陰謀が企てられたんだな」

「そのとおり。そしてフランス国内のユダヤ人勢力を通じて、イスラエル政府とその情報機関であるモサドが動き出した─────」

「そのあたりが、今ひとつピンと来ないけど・・・」

「無理もないわ、もう少し説明が必要ね。それは1948年のイスラエル建国と密接な関係があることなのよ」

「・・と、いうと?」

「イルミナティにとって、第二次世界大戦における主な仕事は、世界の共産主義国を拡大成長させて西側の資本主義と拮抗する超大国を造りあげることだった。そして─────」

「お・・おいおい、ちょっと待てよ・・イルミナティだって?」

「それがどうかした?」

「それって、それこそ ”陰謀論” の代表選手なんじゃないの?」

「やれやれ、何をとぼけたコト言ってるんだか。玄洋會の期待の星とも思えない発言よね。
イルミナティは単なる陰謀論なんかじゃなく、とんでもない歴史を持つ実在の秘密結社だってコト、知ってる?」

「まあ、それはそうだけどさ・・・」

「実際に、かつてフランクフルトのイルミナティ本部からは、現在でも疫病のように世界を蝕み続けている ”ふたつの悪” を誕生させているのよ」

「世界を蝕む、ふたつの悪?・・それも何だか陰謀論クサいなぁ」

「ふたつの悪でワルければ、”シオンの呪い” と言い換えてもいいわ」

「シオンの呪い?・・ははは、ますます陰謀論っぽいね、何なんだ、それは?」

「共産主義と、シオニズムよ─────まずは共産主義インターナショナル。レーニンが設立したコミンテルンとも呼ばれる共産主義政党による国際組織のことだけど、1922年には日本共産党も支部として承認されている。
 それは当初、英国ロスチャイルド商会のライオネルと詩人のハインリッヒ・ハイネ、そしてカール・マルクスという、たったの三人の構成員で作られたのよ。イルミナティの創設者ワイス・ハウプトはとっくにこの世を去っていたけれど、その後を継いだのがイタリア人の革命指導者ジュゼッペ・マッツィーニ。この人物の指揮のもとで、イルミナティの方針は『世界中で革命を勃発させ、政権の転覆を起こすこと』へと転換された。共産主義インターナショナルはその計画の第一歩だったのよ」

「ええっ・・?!」

「これは現実の歴史よ。ちっとは陰謀論から目が醒めるでしょ。まあ、だからこそ私が話を聴かせるお役目としてココに来ているんだけどね」

「むむ・・・」

「この共産主義インターナショナルは、当初はイルミナティの一部門である “正義者同盟” というものだったけれど、これこそが1847年にカール・マルクスに、あの『共産党宣言』の執筆をさせた張本人なのよ」

「な・・な・・なんだって!!」

「あら、驚いた?、そして翌1848年にこの本が出版されると、世界各地にあるフリーメイソンの支部によって、たちまち世界中に流布され広がって行った。”事実は共産党宣言より奇なり”、ってところかしらね」

「むむむぅ・・”共産党宣言” は、実は奴らの仕業だったということか!」

「そして、世界中に ”革命” のムーブメントをを引き起こしたのは、イルミナティのもうひとつの柱である ”シオニズム” だった。シオニズムの目的は世界中のユダヤ人の力をひとつの運動に結集して、世界を支配するための権力中枢としてのイスラエル国家を建設することにあった。ソロモン神殿を再建し、世界中の富を我が物として蓄えることは元々フリーメイソンの目的でもあったから、シオニズムの源流はフリーメイソンだと言えるわね」

「話の腰を折ってしまったけど、第二次世界大戦における、そのイルミナティの主な仕事、というのは?」

「ずばり、共産主義を飛躍的に拡大させ、西側の資本主義と拮抗するもうひとつの勢力に仕上げることよ。そしてその計画と展開に反抗したアメリカの数々の政治家や軍部指導者が次々に排除され、暗殺されていった」

「そんなことが、実際に起こっていたのか・・」

「紛れもない事実よ。米国民と米軍人に最も人気のある、パットン戦車でお馴染みのジョージ・パットン陸軍大将は任地ドイツを離れる直前に暗殺され、他にもマーフィー最高裁判事、ステティニアス国務長官、フォレスタル初代国防長官、マッカーシー上院議員など、イルミナティの長期計画に反抗するアメリカの要人が次々と暗殺されていったわ」

「それじゃ、第二次世界大戦の後は?」

「暗殺されたのはケネディだけじゃない、あのフランクリン・ルーズベルトもそう」

「ルーズベルト?、あの第32代大統領のことか?」

「そうよ。アメリカ史上先例のない四選を果たした途端に脳卒中で亡くなり、副大統領のトルーマンが昇格就任した、そのルーズベルトも彼らに暗殺された」

「やれやれ、もう何を聞いてもあまり驚かなくなってきたよ」

「そして大戦後は、シオニスト・イスラエル、つまりユダヤとイスラムの全面対決が ”演出” されることになった、というワケ─────」

「むむぅ・・”演出” か、難しいなぁ・・」

「やがて近い将来、ユダヤとイスラムの間にもっと大きな事が起こるはずよ───────
 そして兎も角、イルミナティの世界戦略にとって、ケネディは巨大な邪魔者として存在した、ということは紛れもない事実だった」

「実際に、どこがどう邪魔だったの?」

「そうね、そこはとても肝心なところなのだけれど・・」

「なんだよ、やけに勿体ぶるじゃないか」

「それじゃハッキリ言いましょうか─────実はイスラエル政府は核武装計画を進めていた。そしてケネディは徹底的にそれを阻止しようとした。つまりイスラエル政府とケネディ政権は、事実上の戦争状態だったのよ!」

「ええ・・ま、まさか・・そんなことが・・・本当に?!」

「本当よ。そしてそれこそが国民に知らされていない、世界中の一般市民が全く知らない、政治の最も深い部分ということになるわね」

「こうなるともう、何をどう考えていいのか、分からなくなる」

「まだあるのよ─────ケネディ大統領はイスラエルの核武装だけでなく、毛沢東の中国共産党独裁政権の核武装も、武力で全面的に阻止する覚悟だったの」

「ええっ!・・そんなことは宗少尉にも聞いたことがない。それも驚きだな。日本の隣の国だから、イスラエルよりもっと身近にショックに思えてしまう」

「ケネディは暗殺に先立つ数ヶ月間、中国共産党政権の核施設を軍事攻撃する計画を着々と推し進めていた。けれどケネディ暗殺の一ヶ月後には、ジョンソンがその計画を中止して闇に葬り去り、おかげで中国は難なく核兵器を手にすることが出来た。
 イスラエルのモサドと中国の情報機関は、共同で核兵器の開発に携わっていた。チャイナ・コネクションとイスラエル・コネクションは、お互いを指し示す道標となっていたのよ」

「うーん・・ボクたちは本当に何も知らずに、何も知らされずに、ただ単にどこかの国家という土地の上で、ありきたりな日常生活の、ごく目先にある喜怒哀楽に左右されながら生きているだけなんだな・・本当は、この世界では、もっと大変なことが起こっている・・・」

「そのとおりね」

「それを知ることが幸せなのか、知らない方が幸せなのか───────
 実際にこの現実を目の前に見せられたときに、普通の人たちはきっと、マゼランがティエラ・デル・フエゴに上陸したときの、五隻の大きなガレオン船が全く見えなかった土人のようになるか、それとも大海原の果てには巨大な滝があるという常識を全面的に疑って、勇気をもって航海に出る人となるか、そのふたつに別れるんだろうな・・」

「ヒロタカは、その時にどうするの?」

「ぼくは真実を知りたい、本当のことをこの目で見たい、だから航海に出る───────
 もっとたくさんの事を学んで、真実を知ることで、人類がもっと進化して、より良い高度な社会を築けることを信じたいんだ」

「それじゃ、もっと勉強を続けましょう。ここまでは、まだほんのイントロダクションよ。知識を増やすのではなく、考える力、知性を高めていく必要があるのよ」

「仏教ではそれを ”智慧”─────物事を有りのままに把握し、真理を見極める認識力、というけれど、つまりは、それもインテリジェンスだね」



 ケネディ大統領の暗殺がオズワルドの単独犯行であると結論付けたウォーレン委員会は、その22人のスタッフのうち9人がユダヤ人、1人はユダヤ人を妻に持つ者であり、残りの12人はイスラエル系の団体と密接に結びついている人間であった。
 1964年11月22日のワシントン・ポスト誌にはウォーレン委員会の調査結果報告書を賞賛するイェール大学ロー・スクール校長のユージン・ロストウの記事が掲載された。
 ロストウは後にジョンソン政権の国務次官に任命されたが、彼はケネディ暗殺事件の真相を隠蔽するための中心的な役割を担っていたと考えられている。

 そして、後にニクソンが大統領に就任して反イスラエルの路線を明らかにすると、ユダヤ・シオニストの陣営は「ウォーターゲート事件」によってニクソンの追放を謀り、同時にケネディ暗殺の首謀者がニクソンであるというニセの情報を世界中に流した。
 ニクソンの追放劇は、田中角栄が金脈追求の果てにロッキード事件で受託収賄罪等に問われて逮捕収監された事件と様々な共通項が多く、ほぼ同時代的に進行しているが、それもそのはず、この二つの事件は、実はある意図を以てそれを企てた組織が存在している。
 その組織の名は Trilateral Commission(日米欧三極委員会)─────決して闇の組織ではないが、1972年にロックフェラー邸で秘密裏に創立が準備され、翌年に正式発足した。
この最初の準備会議に日本から招かれたのは、田中角栄が嫌った宮沢喜一であった。

 「世界金融マフィア」とも称されるデイヴィッド・ロックフェラーを総帥とする三極委員会の初期の任務は二つあった。ひとつは米国民にニクソンの人格を不信にさせ、ホワイトハウスを完全に牛耳れるようにすること。もうひとつは日本の田中角栄の政治生命を終わらせ、彼らに絶対的な忠誠を誓う者たちを日本の政治権力に据えることである。
 実際に世界を動かす力を握る者たちは、この「三極委員会」に「ビルダーバーグ会議」と「ダヴォス会議」を加えた三つの会合を日米欧のいずれかの都市のホテルや避暑地で繰り返して行い、世界を如何に運営するかブレインストーミングを行ってきた。それが1945年から2000年位までの世界情勢を実質的に決定してきたことは、知る人ぞ知る事実である。
 日本ではその会合がホテルオークラの別館地下で度々行われてきたが、なぜか日本のメディアがそれを大きく取り上げることは無い。


 オズワルドが射殺された僅か2時間後、ダラスからホワイトハウスに戻る大統領専用機、ケネディの遺体を載せたエアフォース・ワンの機中で、ジャクリーン夫人の隣にジョンソン副大統領が立つという異例の大統領就任式が行われたが、その際もジャクリーン夫人はケネディの血に染まったピンクのスーツを決して着替えようとはしなかった。
 その機上就任式で、ジョンソンに向かって笑顔でウィンクする男の写真がある。その奇妙な写真は、以後多くの研究者たちの注目を集めることになった。ウィンクをする男は34年間ジョンソンの顧問弁護士を務めたエドワード・クラークであり、その後ジョンソン大統領から年間400万ドル(現在の14〜15億円に相当)もの大金を受け取っていたことが明らかになっている。

 大統領となったジョンソンは、米軍を2年以内にベトナムから撤退させると表明したケネディとは正反対に、軍事介入を拡大して新たに55万人の兵士を投入、ベトナム戦争は泥沼の様相を呈し、国内に激しい反戦運動と世論の分裂を引き起こしたが、その結果、軍需産業は大儲けをし、ケネディによって解体されかけていたCIAは再び息を吹き返した。ケネディがベトナムからの米軍撤退を表明したのは、暗殺されるわずか22日前のことであった。

 アメリカ政界の保守派が「ケネディ王朝」とまで言われた、人気の高いケネディファミリーの政界君臨を非常に怖れていたことは紛れもない事実である。ジョン・F・ケネディが二期を務めた後からは弟のロバートが二期、さらにその後には末弟のエドワードが続いて二期を務める事になっていたのである。しかし、実際にそうなっていた方がアメリカにとっては良かったに違いないということは、未だに多くのアメリカ国民が認めるところでもある。
 それは、ケネディの暗殺が行われた後に、米国がジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュといった大統領を連続して持つことになり、彼らの国家政策の路線が限りなく国際金融資本家と同調したイスラエル寄りのものになったことを見ても明らかであり、この暗殺事件はもはや、単にケネディ個人に対する暗殺を意味するものではなく、自由と民主主義を標榜するアメリカという国家に対する「暗殺」であったと言えるかも知れない。

 ケネディがパレードで狙撃された後、ジャクリーン夫人は病院に到着してもケネディを抱きしめたまま離れようとしなかった。ケネディの死後、彼女の最も大きな不安となったのは子供たちの安全であり、弟ロバート・ケネディが暗殺されたことで、その不安は頂点に達したに違いない。
 ジャクリーンは子供たちの安全を考え、海運王アリストテレス・オナシスと再婚しギリシャに移り住むことを決意したが、それまでと変わらずケネディ家との繋がりを保った。
 オナシスとの結婚は決して心の通い合うものではなく、夫婦が顔を合わせることも滅多になかったと言う。事実オナシスがパリで死去した際も、ジャクリーンは遠く離れたニューヨークに居たままであった。
 アメリカに戻ったジャクリーンはリンパ腫を患って64歳でこの世を去ったが、長男のジョンが最期を看取り、その亡骸はオナシスではなく、ジョン・F・ケネディの墓の隣に葬られた。
すぐ傍には、かつて死産と病気で亡くした二人の子供たちも一緒に眠っている。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )






  *次回、連載小説「龍の道」 第184回の掲載は、9月1日(木)の予定です


 北朝鮮の拉致を許すな!


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