Welcome to Blog Tai-ji



  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
  ウェブ・ブラウザは「Safari」または「Firefox」をお勧めいたします。



            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2018年01月17日

JAZZYな、太極拳を。 第1回

  〜The Days of Wine and Jazz〜     by Taka Kasga


 久しぶりに生のジャズを聴きたくなって、日本でライブ・レストランを予約した。

 世界のトップアーティストが、入れ替わり立ち替わり毎夜ライブ演奏をする、よく知られたナイトクラブが東京にある。もとはニューヨークにあった店で、常にチェックをしていないと、タッチングなアーティストが来た時や人気のセットだと、アッという間に席が一杯になって、なかなか良い席を確保できない。

 音楽は、やっぱりライブに限る。
 ぼくは球場や武道館のような巨きな会場ではなく、アーティストの息遣いまで聞こえてくるような、こじんまりとしたライブハウスが好きだ。ニューヨークには10ドル札を握ってフラッと入って、それでチケットを買うとウイスキーが1杯付いて来る、客が肩を寄せ合うようなちっぽけなジャズハウスもあった。そんな処でナマのジャズに触れると身もココロも浄化され、また新しい明日が来るのを確信できるような気持ちになれる。

 東京のナイトクラブは、幸いにもステージにほど近いボックス席が取れたので、大切な人と一緒に、ちょっとお洒落をして、気の利いたお酒と料理を摘まみながら、迫力のある生演奏に触れて来ることにした。


 そして丁度そんな時に、新しいカテゴリーを開設したいから、何か書いて貰えないかという依頼が、すげー館の事務局から来た。
 「龍の道」だけでも手が一杯で、それでなくても本業が忙しくて、いつも原稿がギリギリのアップであっぷあっぷしてるのに、新しい記事なんかとても書けるワケはない、と思ったのだけれど、「まあ、これも稽古だと思って楽しんで、気合いで書いて行きましょう ♪」などと、化勁で巧みに崩すように言われ、とうとう書くハメになってしまった。

 ブログの新しいカテゴリーは、「JAZZYな、太極拳を。」なのだという。
 何でも良いから、春日サンが思いつくまま、自由気儘に書いてくれれば良いです。
 別にジャズの中身には拘らないし、掲載日を決めなくてもかまわない。
 ジャズソウル、ジャズフュージョン、アダルトコンテンポラリー、シャーデー、ザーズは言うに及ばず、ケニーGだってアリ、何でもヨキに計らってケッコーです・・・と仰るので、ほ、それならばナンボでも─────と、気楽に書くことにいたしましたのです、ハイ。


 でも、どーして、なんで今、すげー館で「ジャズ」なのヨ?─────と聞くと、
 「師父はジャズがお好きですからね」、だって・・・あはは。
 でも、いくら何でも、それだけの理由じゃないでしょうと、よく聞いてみると、
『そもそも、Alfa Romeo を駆るときにジャズはよく合うし、ワインとジャズも、ウヰスキーとジャズも、ビールとジャズも、太極拳とジャズも、とてもよく似合う。だから、武藝館のブログに、ジャズカテがあっても、イイじゃないか!』
・・などという、「グラスの底に顔があっても岡本タロー(古っ!)」みたいな、師父のご意見があったといいます。
(不明な人はググってください。僕もそのグラスを持ってます ( ^ω^ )

 因みに、アルファを駆る時にジャズというのは、実際にはちょっと難しいのです。だってエグゾーストノートが余りにもやかましい・・いや、アルファサウンドと呼ばれるほどの、とても心地良い響きなので、BOSEだろうがカロッツェリアだろうが無理、本来不可能なのです。
 でも、アルファにジャズってのは大賛成ですね。新しいジュリエッタなんか室内が静かそうで、すごく合うんじゃないかな。ジュリエッタ、ほすい。。(。-_-。)


 ついでですが、そもそも太極拳の套路を演じる人は、どうしてみんなサテンのパジャーマーズみたいな服を着て、申し合わせたみたいに喜多郎の「シルクロード」をバックにかけながら遣りたがるンだろうか─────ぼくはそのコトが、ずっと不思議でした。

 別に喜多郎の曲がマズいってワケじゃない。ぼくは彼のアルバムはほとんど全部持っているし、まだシルクロード・デビューする以前の、つまり彼が売れないヒッピーの頃の、遥か昔のアルバムも、ヤフオクにも出さずに何枚か持っているし、日本武道館のハレのライブに行ったことだってあるのだから、彼を貶(けな)すつもりなんか毛頭ない。
 確かに、ちょいとリズム感が悪いかな、というキライはありますけどね。♪(´ε` )

 ただ、誰も彼もが「シルクロード」を掛けながら、ランチャーイー、ダンビエン、とやっているのが、ぼくにはチト不思議なのです。(ランザツイとか、タンベン、ゲホココ、なんてゆーのは、もっと不思議ですが)
 喜多郎のシルクロードは、とてもハートフルな佳い曲です。
 同名のNHK番組のテーマ曲をはじめ、シリーズの全曲を担当していて、彼の曲のお陰で、あのテレビ特集の映像が、視聴者にどれほど悠遠に、神秘的に、幻想的に映ったかは、計り知れないと思うのです。
 ただし、ですな・・・日中共同製作であるNHKの「シルクロード」という番組と、その舞台となった支那(China/チャイナ)に関しては、アレコレ言いたいコトが山ほどある。だけど、ここでは場違いなので、グッと堪(こら)えて、いつかバッコーンと爆発する時に備えての 蓄勁にしときましょう。押忍っ。

 ちなみに、ぼくは独りで套路を練る時には「ENIGMA 3」なんかをかけます。
 ・・というか、その曲が掛かっているときに(執筆中なんかに)套路をやりたくなる。
 5曲目の「Why !」、6曲目の「Shadows in Silence」なんか勝手に体が動いてきて、うおおっ、コレが十八球だ!、いや、幾つにも割れるから「ちかいの魔球」だ!、いいや、軽くて飛びそうだから「オバ球(Q)」かな?、それっ、♬ 8キロ、10キロ、50キロ・・なんて、ひと休みするまで思えてくるのです。(最古〜っ)


 えぇ〜っと・・・違った、ジャズだ!、ジャズの話だった─────
 これは地の糧、オンドレ・ジイド・・
 いやいや、ジャズ・カテの話だっけ。オンドレは、ナ二考えとんぢゃいっ!
 おっと、すんません、初回からつい極道言葉が入っちまいました。。(^0^;)
 ENIGMA はジャズじゃないっスね。
 喜多郎と同じような、ヒーリング・ミュージックの部類に入れる人もいますけど。
 余談ですが、豪州ではKITAROは、カイタローと呼ばれています。



 さてさて、ようやく本題。
 記念すべき、第1回目にご紹介するアルバムは────────

 そうね・・・うん、

 「Easy to Love / Roberta Gambarini 」

 にしましょう。

 
 ロベルタ・ガンバリーニ。
 1972年生れ。イタリアのピエモンテ州、トリノ出身の女性ジャズシンガー。
 12歳の時からクラリネットを習い、17歳からジャズクラブで歌い始め、翌年からキャリアを磨くためにミラノに移り住み、数々の国内フェスティバルに入賞。
 その後、1998年に活動拠点をニューヨークに移し、セロニアス・モンク・インターナショナル・ジャズボーカル・コンペティションで3位に入賞。本格的にジャズシンガーとしての道を歩み始めました。
 2005年(33歳)に、『Easy to Love』でアルバムデビュー。


 ─────いやあ、これは昨今の、やたらと色気やムードだけで売り込んでいる薄っぺらなジャズシンガーとは全く異なる、久々のホンモノです。
 この「Easy to Love」は、2007年のグラミー賞のベストジャズアルバム部門にノミネートされた大傑作です。ぼくはこのアルバムが彼女の「デビュー作」だと聞いて、本当にビックリしました。ぜひ、この素晴らしいアルバムをじっくりと聴いて、本物の深みを味わってください。

 このアルバムのピアノ奏者、Tamir Hendelman(タミール・ヘンデルマン)はオスカーピーターソンも太鼓判を押すほどの実力者。15歳の時に「合歓の郷」のジュニア・オリジナル・コンサートに来日出場した経歴も持っています。

 2008年には、そのタミール・ヘンデルマンと共に来日しました。
 ロベルタは、20014年の春にも来日して、先述の東京のジャズクラブでもライブをしたそうなんですが、ああ、いちど日本でナマで聴きたいなぁっっ・・!!

 エラ・フィッツジェラルドや、サラ・ボーンの再来とまで言われているロベルタさん。
 あの偉大なカーメン・マクレエを彷彿とさせるような、本物の実力派です。
 貫禄の歌いっぷりには、ただひたすら、脱帽するしかありません。
 この人が21世紀のジャズに大きな足跡を残すことは、もはや疑いようがありません。
 まだご存じない方は、ぜひぜひ、聴いてみることをお勧めします。


CDジャケット


     

     



 ついでに───────
 このアルバムに似合うワインは?

 ・・って、なんでワインまで話が飛ぶんだいっ!・・とお思いでしょうが、
 この記事のサブタイトルが "The Days of Wine and Jazz"(サケとジャズの日々)なのよね〜 ^_^;

 で、すげー館の「そむりえ・まっつ」さんにでも訊こうかと思ったんだけど、
 ええい、オイラだって酒呑みの端くれ、いっそ自分で選んじゃえっ(呑んじまえっ)、となりまして・・ハハ



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 この、GAJA MAGARI(ガヤ・マガーリ) 2011 ROSSO ─────
などは如何でしょうか?・・まずまずのオススメだと思います。


 イタリアワインの帝王といわれるガヤさんがピエーヴェ・サンタ・レスティトゥータの
 次に手に入れたのが、ここ、トスカーナのポルゲリ地区にある「CA' MARCANDA」。

 熟した黒系果実の味としなやかに感じられるタンニン、ボルゲリ地区で注目品種である、カベルネフランを主体に、カベルネソービニヨン、プティヴェルドを加えたボルドーブレンドで、フローラルな芳香が満ちて、骨格もしっかり、酸味とまろやかさが備わったエレガントな味わいです。
 デイリーワインには贅沢ですが、ちょっとした記念日や気分を変えたい週末に、大切な人とふたりで、キャンドルを灯して味わうにはピッタリな一本でしょうね。
 
 ワイナリーの名前である「CA' MARCANDA(カ・マルカンダ)」というのは、
 ピエモンテ地方の方言で「望みのない家」という意味。

 オーナーのガヤさんは、このワイナリーの土地を手に入れるために所有者に何度も交渉を
 しましたが、何回行っても断られ続け、何と18回に及ぶ交渉の末、ようやくこの土地を
 譲り受けたといいますが、交渉に行くたんびに断られるので、奥さんから
 「アナタ、懲りもせずにまた ”カ・マルカンダ(望みの無い家)” に行くの?」
 と、呆れられていたので、それをワイナリーの名前にしたのだそうです。
 ボクだったら、「へ・マタイクンダ」なんて名付けるところですけど σ(^_^;)

 さあ、皆さんも、極上の一杯を飲りながら、ホンモノのジャズを聴いて・・

 稽古をいくらやってもマルカンダ(上手く行かない・望みがない)なんて言わずに、
 たぶん、きっと、parhaps, maybe・・(MAGARI の意味です)、
 望めばきっと手に入る!、と信じてあきらめず、しっかりとガンバリーニ!!


                              ( Cheers!)



 *GAJA MAGARI (ガヤ・マガーリ) 2011 ROSSO
  イタリアワインの帝王ガヤがトスカーナのボルゲリで造るシリーズ。
  ガヤの実力が如何なく発揮された、世界中で高い評価を受けるプレミアムワイン。
   <参考価格/2015年 750ml 6,300円(税抜)>

2018年01月12日

新連載!ブログ記事のお知らせ

新春にふさわしい、楽しく爽やかなエッセイの連載が始まります。
筆者はご存知、春日敬之(Takayuki Kasga)さんです。

ご多忙が続き、大人気連載中だった「龍の道」の執筆がなかなか思うように進まない状況となった事を憂慮され、これでは読者の皆さまに大変申し訳がないと、以前から事務局より依頼されていたジャズとワイン(サケ類全般?)のエッセイを既に何話分かストックしてあるので、読者へのお詫びとしてブログに出してほしいと仰り、この度の掲載の運びとなりました。

ご覧になればお分かりのとおり、読んでる端から音楽(モチろんJAZZ !!)が聞こえてきそうな、なんとも軽快で、たっぷりのユーモアやエスプリを利かせた、JAZZの好きな人も、そうでない人も、ヒトがなぜ音楽やお酒を楽しむのかがじんわり解けてくるような、奥行きのある豊かさを感じられるエッセイです。皆さまの功夫上達のエネルギーの一助にして頂ければ、とても嬉しく思います。

それでは、間もなく始まる、JAZZYな香り高い "カスガ節" のエッセイを、どうぞお楽しみください !!

                        ♪ Blog Tai-ji 編集室 ♬




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2018年01月01日

謹 賀 新 年

  明けましておめでとうございます
  本年もどうぞよろしくお願いいたします 



日頃よりブログタイジィをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
太極武藝館では昨年、新しい拝師正式弟子の入門式と披露宴が執り行われました。
人類の偉大な文化遺産である太極拳の、秘められた拳理拳學の真伝が継承されていく貴重な瞬間に、時を同じくして道場で学ぶ機会を得られることは、門人全員にとって真に有り難いことであり、自己成長と功夫上達のための大きな助けとなることは容易に想像できます。

また、今年は何もかもが一新されるような、素晴らしい年となるような予感を受けて、
太極武藝館オフィシャルブログ「ブログタイジィ」は、今後ますます内容を充実させて行きたいと思っております。
本年も「ブログタイジィ」を、どうぞよろしくお願いいたします。


     平成三十年  元旦

                   太極武藝館 オフィシャルブログ
                  「Blog Tai-ji 編集室」スタッフ一同



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2017年11月23日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その33

   「 弱さに向かい合う」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)


前回の記事に書いた体質改善の命ですが、期限内になんとかクリアすることができました。
出されていた課題は、約2ヶ月で体重を14キロほど落とすという、実にシンプルなものでした。
というのも、減量前の時点で体重90キロオーバーという、武術修行者にはあるまじきたるみきった僕の体を見かねて、師父が出した課題だったのです。
 
 2ヶ月で14キロ。
 
あらためて文字にしてみると、わりと難しい話に思われますが、バットマンシリーズで主役を演じたクリスチャン・ベールが映画「マシニスト」のために役作りで30キロ減量(その後バットマンのために6ヶ月で30キロのビルドアップ)したことと比べれば減らす量は半分以下です。
 
もう少し頑張らなければハリウッドデビューは叶いそうもありません。
 
 
冗談はさておき、今回の場合は、期限が決められていたこともあり、わりと短期間で目標まで持っていったわけですが、さすがにそれだけ体重が減ると目に見えて見た目も変化しますし、なにより体を動かしてみると、とても軽く感じるものです。
 
自分1人ではそこまでやろうとすることはできなかったと思うので、きっかけを与えてくださった師父に感謝しています。
 
さて、前回の記事でも書きましたが、それまでできなかった起き上がり腹筋ができるようになったり、体重を減量することができたりと、人間というのは変化することができるのだと、最近の出来事を通じて実感することができるようになりました。
 
 
前回と重複してしまう内容もあるかと思いますが、少し書いてみたいと思います。
 
 
人間のみならず、世界や環境というものは、たえず流動的に変化しています。
 
そこに生きている生き物は、環境の変化に対応できなければ、最終的には死滅してしまいます。
 
だからこそ、生きるための強さには、環境に適応できる強さが必要であり、変化できることが強みでもあるわけです。
 
 
人間の体について考えてみると、人間は常に細胞レベルどころか、原子のレベルで常に変化し続けています。食べたものが、数日のうちに体を構成する原子レベルで入れ替わっていき、自分という人間を構成していた要素は、短期間のうちに全て新しいものに入れ替わってしまうそうです。
 
当然、人間の考えを作り出す脳もその中で入れ替わり続けていて、しばらくすれば全く新しい自分になっているはずです。
 
なのに人は、なかなか自分の考え方を変えることができません。
 
これは一体、なぜなのでしょうか。
 
それは、パターンを変えられないためだと思います。
 
たとえば、いつのまにか体重が増えていってしまうのも、本当はいつのまにかではなくて、体重が増えるような生活を続けてしまったからです。
 
そこを見直して変えることができれば、自然と体重は落ちていきます。
 
簡単なことのはずですが、人間は一度馴染んでしまったパターンを、なかなか変えることができません。
 
ものの見方という点でも、一度こうだと思ってしまった見方を変えるには、相応の努力をしなければならないように感じます。
 
 
太極拳の稽古をしていても、いつのまにか「きっとこうに違いない」と思い込んでいることに気づいてハッとする、ということが毎回のようにあります。
 
本当は知らないことのはずなのに、あたかも自分が知っていることの中にあるように感じてしまい、そこからどうにかしようと解決策を考える。
 
そして、当然のようにそれではうまくいかないので、悶々とする。その繰り返しです。
 
 
一体、これまで何回このパターンを繰り返してきたことでしょうか。
 
このパターンを打破するためには、まったく違ったことをやらなければなりません。
それまでとは違うことをやることでしか、同じことを繰り返すパターンという殻は破れないのです。
 
 
その、やってみるという行為の中には、自分の考えを挟む隙間はありません。
 
そもそも考えを否定するためにやるはずなのに、考えながらやってしまっては、元の木阿弥というものです。
 
考えずにやる中で、うまくいかなかったらやめる。
 
じつは、ネガティブフィードバックを繰り返すことが、生命がこれまで絶滅せずに数十億年繁栄し続けている、自然界の最善手のようなのです。
 
 
ネガティブフィードバック、それは最強の手段といっても過言ではないかもしれません。
 
 
誰しも、強くなりたくて武術の稽古をしているのだと思いますが、そのためには否が応でも自身の弱さと対面しなくてはなりません。
 
敵は己の中にある、と言われる所以だと思います。
 
ところが、自分の弱さを知ることが、本当の強さにつながっていく。
 
それに気づいたことで、自分がどれだけ開かれる思いがしたことでしょうか。
 
上で書いたように、人間の体で新陳代謝が起きているのも、不要になった細胞を自身で切り捨てることで、別の細胞に入れ替わり、総体としての体は健康な状態を保つ、という仕組みが働いています。
 
考え方においても、これと同じことが言えます。
 
うまくいかないひとつのことを、あれこれいじくり回しているよりは、いくつもやってみて、その中でうまくいくものを取捨選択していくほうが、最終的に残るものは有効なものになります。
 
弱い自分というものは、どうしても見たくないものですし、できればそんなものは存在しなかったことにして、強い自分だけ表に立たせて飾っておきたい。誰しもそういう心が働くものだと思います。他ならぬ自分自身がそうです。
 
それまでの僕は、本当の強さについて考えるとき、何事にも動じない強さこそが強さなのだと思っていました。ところが、本当はそうではなかったのです。
 
弱い部分があるからこそ、それを乗り越えていくことで、人や、物事は、少しずつ強くなっていけるのです。
 
稽古をしていて、自分でも少し前とは変わってきたと感じるところは、言ってしまえばすべてたったこれだけのことが理由で起きたといえるかもしれません。
 
 
痩せろと言われたらやせる。
 
起き上がり腹筋をやれといわれたらやる。
 
 
道場にいる人はわかるかと思いますが、なにもかもいきなり出来たわけではありませんでした。
 
起き上がり腹筋に関しては10年はダメでしたし、減量に関しても、ずっと以前から走れと言われ続けていて、それでもうまくいってなかったのです。
 
ではなにがきっかけだったかというと、それまで言われ続けてきたということもあると思いますし、師父が仰るんだからきっと何かあるに違いない、と遅まきながら気付いたのかもしれません。
 
自慢しているわけではなくて、本来はやらなければいけないことから単に逃げ続けていただけなので、全くほめられたものではないのです。
 
 
しかし、それらのことが自分にとってはきっかけになったのは本当のことなのです。
稽古をしていて、それまでわからなかったことが急に分かるようになった、ということではありません。
 
ただ、稽古をしているとき、師父の動きを拝見しているとき、それまで気付かなかった「これではダメだな」という、
自分の姿が少し見えるようになった気がするのです。
 
取り組み方への考え方でしょうか。
それが果たして、理にかなったやり方なのか。そう思えるようになり、これもまた少しずつ変化を起こしているように感じます。
 
 
自分で感じる変化は非常に些細なものなので、太極拳に限らず人生全般で、本当は「こんなのでいいのか」と思うところもあります。
 
弱音を吐き続ければ、一晩は語り明かすことができそうです。
 
ただ、それとは別に、自分の中に、そんなものは一切置き去りにしてやっていけそうな力があるのも同時に感じています。
 
一足飛びに強くなったり、成長することはむずかしいことだと思います。
 
朝起きたら達人になっていた、なんてことはありません。
 
アメーバみたいな生き物からいきなり人間が生まれるのはほとんど不可能のように思えますが、段階的に進化を重ねていくことで、最終的には不可能とも思える人間が生まれ、さらにそれが進化していく可能性も見えてくるのだと思います。
 
 
多くの人は、なにかを成し遂げようとして夢見るのは憧れの姿であり、それと自分を見比べて、とてもそれはできそうにない、と諦めてしまうのだと思います。
 
本当はそこに至るまでの道筋があるはずなのですが、それが普通にはわかりません。
 
だから、そこに到達するのがまるで不可能なように感じるのだと思います。
 
だからこそ、段階的に成長していける体系があるということは、本当にとてつもないことであり、それこそが本当の意味での宝なのだと思います。
 
とはいうものの、では教わればそれで全てができるかというと、全くそんなこともないのも事実だと思います。
 
教えてもらうことができるのは、道の歩き方であり、歩くべき道です。
 
実際にそれを歩くのは、自分であり、自分の脚を動かさなければならないのです。
 
おまけに、教えていただいた道は、自分の考え方という草木が覆い、一見するととても道のようには見えないのかもしれません。
 
そのため、最初にその道を行く冒険者のように、自分の手で道を切り開いていくという意志が必要になるのかもしれません。
そして、そこを歩いていけるのは、自分の力で、自らの脚でのみ、です。
 

                                  (了)



 *次回「今日も稽古で日が暮れる/ その34」の掲載は、1月22日(月)の予定です

2017年11月01日

連載小説「龍の道」 第200回




第200回 NEW YORK (2)


 「あっ──────!!」

 開いたドアの向こうに広がる壮大な夜景に、宏隆は思わず息を呑んだ。
 いったい此処はどこの高層ビルで、この階は何階なのか。周りに見えるまるで星屑を散りばめたようなビル群も決して低くはないが、いま宏隆が観る目線よりも、どれもかなり下に見えている。

 山の手の家から一千万ドルと喩えられる神戸の夜色を見慣れている宏隆には、シアトルやサンフランシスコは無論、ナポリ、シドニー、香港など、どこへ行ってもそれほど驚くようなことはなかった。だが、この景色は六甲山や ”スペースニードル” から見下ろすそれとは少し違って、まるで夜景の中に自分が居るような感覚になってくる。
 【編註*:スペースニードル(Space Needle):ワシントン州シアトルの万博記念塔。UFOが塔の上に乗っているような奇抜なデザインで知られる】


「ようこそ、ミスター・カトー。よく来てくれましたね」

「やっぱり・・あなたが現れると思っていました」

「初めまして、ではないね──────WASILLA(ワシラ)の山荘で、すでに君と顔を合わせているから」

「カーネル(Colonel=大佐)、でしたね。雪の山荘では、暖炉の前でシガーとコニャックでお寛ぎの最中に、たいへん失礼をしました」

「ははは・・君はおもしろい。若いのに、まるで老練な人間のような話し方をする」

「さて、僕に話があるようですが、それにしては、ずいぶん大掛かりな招待の仕方ですね。誕生日のサプライズというワケじゃなさそうだし」

「ははは、敵地に侵入して見事に脱出もする手腕ばかりでなく、ジョークもジェームスボンド並みだね。君とはじっくり話ができそうだ」

「話なら、街角のカフェでもできる。わざわざ手の込んだ誘拐をしなくても、ね」

「まあそこに掛けたまえ。何か飲むかな?、ミスター・カトーは珈琲がお好きだったね。  
 それに、かなり腹も減っていることだろう。あいにくKOBEフロインドリーブのゲベック(ドイツ風のペイストリー)やニシムラコーヒーこそ無いが、ここのキッチンではアメリカ伝統の美味いサンドウイッチならすぐに用意できる。具はターキーがお好みだったかな? 好きなものを何でも、遠慮なくそこのバトラーに申し付けてくれたまえ」

「ほう、すでに僕のことをよくご存知のようだ────────
 では、お言葉に甘えて、フランス式のキャフェ・オレに、6インチのイタリアンロール・サンドウイッチ、中身はローストターキーにオールド・イングリッシュ・チーズを添えて、ブラックオリーブ、オニオン、マスタードは多めに、アーモンド入りのバジルソースで。
 それに、ライブレッドのBLT(ベーコン・レタス・トマト)もだ。ライブレッドは日本のホテル・オークラのレベルとは言わないが、中粗挽きの全粒粉でキャラウエイシード入りならなお結構。軽くトーストをして。それに、水から茹でた5分30秒のボイルドエッグを2個付けて」

「・・Certainly, sir.(かしこまりました)」

 捕らわれの身の宏隆が、立て板に水を流すように堂々と食事を注文するので、カーネルに従(つ)いているバトラーは少し呆れ顔で去って行く。
 だが、腹が減っては戦(いくさ)が出来ぬ。機を伺ってここから脱出するにしても、空腹でヨロヨロしている状態では何も思うようには動けない。相手が敵だからと言って感情的になっていては闘う前に負けたも同然だ。せっかく食事を提供するというのだから、先ずは充分に腹拵えをして行動のエネルギーを確保し、然るべき時に備えるのが正しい──────
宏隆には、そう思えたのだ。

「なるほど、その人間の出自や本性は本人の食べ物でも分かると聞くが、本当らしい。
 心が貧しい人間は、たとえどれほど金持ちになっても、その貧しさ自体は少しも変わらないままだが、反対に、豊かさをカネや物で測らない人間は、どんなに惨めな時でも、その豊かさが何も変わらない、という──────君は良い家に生まれたようだな」

「そんなことより、宗少尉はどこに居る? 先に無事を確認させてくれ」

「ああ、Ms. Zong Lihua(ミズ・宗麗華)は、別の部屋で話を伺っているところだ。
 取るに足りない台湾のちっぽけな秘密結社だとは言っても、君たち玄洋會はなかなか手強い集団で、以前から興味があったからね。キミを拉致しようと企んだ北朝鮮の特殊部隊をいとも簡単に潰滅させてしまうのだから大したものだ。あの時は君も大活躍だったようだね。
 相変わらず秘密結社の皆さんはカンフーの訓練をしているのかな?、ハァーッ、ハッッ、ハァッ!、アチョォーッ!、などとやるのだろう? あははは・・」

 カーネルは、少しおどけた格好で手足を振りまわし、映画のブルースリーのように拳や足を振り回して物真似をした。

「貴方たちの目的はいったい何だ? 何のためにわざわざ僕らを捕らえ、遙々アラスカからここに連れてきたのか、先ずはそれを聞かせてもらおう」

 宏隆が、少し語気を強めて、そう言った。

「ふむ、怒ったかね? 人間は誰も空腹だと怒りっぽくなるものだ。間もなく食事が来るから、まあ落ち着きたまえ。そうだ、ちょっとこの夜景でも観てみないか」

 高い天井から床まである、大きなガラスの窓際に歩いて、宏隆をいざなう。

「うーむ、見事な夜景だ。たぶんニューヨークだな、ここは──────」

「おお、流石は Kobeite(神戸っ子)だ! 眠らされて空路をアラスカから連れて来られたというのに、夜景を見ただけで、すぐにここがニューヨークと判るのか?」

「ただの直感だ。あなたがユダヤ人で、こんな世界一の大都会で高層ビルを所有する、非常にリッチな人間だということは、特徴のあるその顔を見れば分かるが」

「ミスター・カトー、今ここに見えている景色の、ほとんど全ては、私たちが造ったものなのだよ」

「ほう?・・つまり、あなた達はニューヨークの建設業者ということかな」

「ははは、君は本当におもしろい。だが、まだ若い──────この世界が一体どのように動いているのか、きちんと知っているかね?」

「ユダヤの国際資本家たちが、我が物顔に世界を牛耳っているらしいのは聞いているが」

「ふむ、それはそれで正しい。だが流石にその真の目的までは分かっていないはずだ」

「目的は極めて単純だろう──────グローバリゼーション、経済構造の改革を武器に、ユダヤ人の考え方で、世界を恣(ほしいまま)に支配することではないのか?」

「君が想うような支配が目的なのではない。それに、支配自体が目的なら現時点でほぼ完遂しているとも言える。そして、これからは、わずか数十年の間に、さらにそれがシステマティックに行われるようになる」

「大きく出たものだな。それを証明できるのか?」

「できるとも・・君は銀行預金やクレジットカードを持っているかね?」

「今の世の中は、それが無ければ始まらない。先進国ではなおのことだ」

「そのシステムを創ったのは、私たちなのだよ」

「資本家や銀行家のやった事だというのは、よく分かっている。だがそれで世界を支配できるというのは、少々烏滸(おこ)がましいのではないか?」

「社会のシステムを、キミはまだ分かっていないようだ。君たちが所属する社会の構造というものが、どのように出来ているかを全く認識していない、ということになる」

「多くの民族があり、領土があり、そこに居住する人々によって造られる国家があり、そのような国家が多く存在する地球という惑星が太陽系にある──────簡単に言えばそういうことだ」

「では、君の言う ”国家” とは、何によって統治されているのかね?」

「どこの国家も、主権としての統治権を持つ政治組織によって統治されている」

「つまり、政治とその制度が国民を統治している、と言うことかね?」

「そうだ、そんな事はどの国の小学生でも知っている」

「あははは・・・これは可笑しい!!」

「なにが可笑しいんだ?」

「いや、まだそんな戯言(たわごと)を言うスパイが地球に居るのかと思ってね」

「それを戯言だと言うのか? それに僕はスパイじゃない。祖国や自分を脅かす人間に対して当然の抵抗しているだけだ」

「ふむ、なるほど・・・だが、国家を統治しているのは政治ではないよ」

「では、何だというのだ?」

「BANK──────キミもよく知る、銀行だよ!」

「国家を支配しているのは、銀行だと言うのか?」

「そのとおり、だからこそ私たちは、”銀行” というシステムを発展させてきたのだ」

「あはは、そんなバカな。銀行家は国家元首よりも偉いとでも言うのか?」

「そうだ。それは厳然たる事実なのだ。今日では銀行のシステムは、実際に国家の支配だけでなく、世界を支配することまで出来るようになってきた」

「まるで狂人の妄想のように聞こえるが・・では、その可笑しな理論を、アタマの悪い僕にも分かりやすく解説してもらえないか?」

「良いとも。君の考えを根本から改めてあげよう──────例えば、事業を興すには資本が必要だね。その資金は銀行から融資を受けるか、株券や債券を発行するか、いずれにせよ金融機関を通す必要が出てくる」

「だからと言って、銀行が国家を支配しているとは言えない」

「まあ、私の話を最後まで聞いてほしい・・・銀行と取引があれば、大きなお金を融資してもらう事ができる。ビジネスを大きくするためには融資が必要になる。君の父上のような大きな資産家でも、必ず銀行との取引があるはずだ」

「それはそうだが」

「そして、銀行から融資を受ければ、銀行は企業の債権者となり、反対に企業は銀行の負債者となる。つまり企業は銀行から借りたお金を返済する義務を負うわけだ」

「そんな事くらい、誰でも知っている」

「そう、そして銀行は、企業の債権者であるがゆえに、その経営状態を把握することができるし、経営それ自体についても口を夾む権利がある。つまり、銀行を利用した時点ですでにチカラ関係としては企業よりも銀行のほうが強い立場と言えるのだ」

「それはそうなのだろう。だが、そのこと自体が国家の統治力に勝るとは言えないはずだ」

「そうかな? では国家は、その国を営むための収入を、どこから得ているのだろう?」

「税金に決まっている。どの国も、税金がなければ国家経営は成り立たない」

「そうだ。だがその税金、商品に掛かる物品税や所得税、消費税などは、各企業が営利活動を行うからこそ、そこに国家が税金を掛けることができる。政治家にしても、よほどの資産家の息子でもない限り、企業からの政治資金の献金がなければ選挙資金さえ賄えず、政治活動自体が成り立たない。要するに、企業が利益を出さなければ国家の運営も政治も成り立たない、と言うことになる」

「つまり、銀行>企業>国家という図式──────国家よりも企業、企業よりも銀行の方が強い、というチカラ関係になる、と言いたいのか?」

「そのとおりだ。ミスター・カトー、なかなか物分かりが良いじゃないか」

「だが、実際は国家が銀行や企業の存在を認めて、その営利活動を法的に許可しているからこそ、銀行も企業も成り立っているはずだ。それが法治国家というものだろう」

「確かに、表向きにはそのとおりだ。だが本当のところは、それは建前に過ぎない。
 実質的には銀行と企業が国家の上に君臨している。だからこそ、このような貨幣経済社会に於いては、お金を持っている者と、お金を操作できる者が、最も強大な権力を持つのだ。大資産家である君の父上の言うことも、日本の政治家は喜んで聞いていることだろう」

「世界はカネで回っている、それを支配できる者が世界を支配する、ということか。
だから、マイヤー・アムシェル・ロートシルト* は、『私に一国の通貨の管理権を与えてくれれば、誰が法律を作ろうとかまわない』などと、豪語したのだな」

【註*:Mayer Amschel Rothschild(1744~1812)=ロスチャイルド財閥の基礎を築いた初代。フランクフルトでユダヤ人銀行家オッペンハイム家に12歳から丁稚奉公し、古銭商人を経てヘッセン・カッセル方伯(ほうはく)家の御用商人となって成功し、ナポレオン戦争で大きな財を成した。当時のフランクフルトのゲットーに住むユダヤ人には家名がなかったが、暮らしていた家が赤い表札であったため、ロートシルト(ドイツ語で”赤い表札”)と名乗り、以後もそれが家名として使われた】


「そのとおり、よく知っているじゃないか、はははは・・」

「経済のシステムは勉強を始めたばかりだ。特に通貨システムの裏側を知らなくては、世界がどのように動いているか、本当のところは全く分からないと、今の話を聴いて思えるようになってきた」

「それはとても良いことだ。格闘に精通し拳銃を振り回していても、世界は分からない。
君の言うとおり、この世はカネで動いているのだから」

「だが、世界がカネで動いていても、それを人生の目的としない人はいくらでも居る。人生の目的を人間性の成長におき、精神的により進化していくことこそ、人として最も尊いことだと僕は信じている。この広い宇宙には、そんな精神的進化を遂げた生物が多く存在しているはずだ」

「Oh、ゼン・メディテーションだね!・・なるほど、そういった趣味も必要かもしれない。絶対的な支配を受けている事へのストレスを紛らすには、たしかに良い健康法だろうな」

「禅や瞑想は趣味で行うものではない。それは古今東西の賢者たちが見出した、人が人としてより高く進化していくための優れた方法だ。そんなことがカネの亡者に分かるものか」

「それは失礼した。だが、君の父上もその意見に賛成するだろうか?」

「何だって・・・?」

「日本でも有数の資産家である君の父上、ミスター・ミツオキ・カトーには、近々私たちと一緒に働いてもらおうと考えているのだ」

「父を、お前たちの配下にするつもりか?!」

「配下ではない。同じ立場で仕事に携わってもらいたいと思っているだけだ」

「ば、ばかな──────息子を誘拐して監禁した挙げ句、言いたい放題を言うような人間に、父がそう簡単に協力関係を築くワケがないだろう!」

「ははは、そうかな・・?」


                                ( つづく)





  *次回、連載小説「龍の道」 第201回の掲載は、12月1日(金)の予定です


 北朝鮮の拉致を許すな!



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