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  太極武藝館のブログ、「Blog Tai-ji(ブログタイジィ)」へようこそ。
  このブログは、太極武藝館の創立15周年を記念して平成21年1月より
  開設されたものです。

  Blog Tai-ji では、普段の稽古の様子はもとより、どのような人がここで学び、
  どのように稽古し、太極拳の学習がどのように日常生活と関わっているのか・・・
  それらを中心に、新鮮で盛り沢山な内容を掲載していきたいと思っています。

  私共にとって初めての試みでもあり、至らぬ点は数多いと思いますが、
  お気づきの点などがございましたら、当方までお知らせいただければ幸いです。

  なお、コメントの書き込みにつきましては、現在のところ、小館門人および
  ゲストの方々のみに限らせて頂いておりますが、コメンターとして参加を
  希望される方は、太極武藝館・事務局までご連絡下さい。

  また、当ブログを快適にご覧いただくために、
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            太極武藝館オフィシャルブログ「Blog Tai-ji」編集室



2022年04月22日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その59

   『変化するものと合わせる』

                    by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 最近の稽古において、自分の課題として、「動くこと」というものに焦点が当てられています。稽古全般を通して、玄花宗師の動きと比べ、明らかに動きが少ないのです。
 それは万人が見てもそう感じられるというレベルのもので、よく見なければわからないという程度ではないのです。明らかなのです。
 では、自分は自分の動きに固執していて、全然真似をしようとしていないかというと、まったくそうではなくて、全力で真似をしようとしているはずなのです。なのに、まったく違う動きしかできていないのです。
 自分にはまだ見えていなくて真似できていない動きも、当然あるかとは思うのですが、それだけではなくて、確かに見えているはずの動きも、真似できていないのです。
 見えているために、動けていないことが分かるのですから・・・。

 ところが、それが分かっても全く問題は解決していません。
 これは由々しき事態です。
 ともあれ、放っておいてもどうしようもないため、問題解決のため、状況をいくつか推察していくことにしました。

 まずはとにかく動きを大きくして真似してみること。
 動きが足りないのだから、もっと大きく動けばいい。

 シンプルな方法ですが、一番最初に取り組むことができます。
 玄花宗師の後ろに付いて動く機会を得たとき、それを実行してみます。ところが、それではどうしても動きが合わないのです。真似しているはずなのに、やっぱり違う動きをしているのです。
 そうして、問題の別の側面が見えてきます。
 
 そもそも動こうとしている箇所、体の動き方そのものが違うという点です。
 こうなってくると、また違う側面と向き合わなければならないということに気づかされます。自分はいったい、どのようにして体を使おうとしているのか、という点です。

 これは考え方や発想という点と結びつくかと思うのですが、人間の頭と体は本来不可分であり、表裏一体であるはずです。
 考え方を変えれば動きも変わるといえますし、逆に、動きを変えれば考え方も変わるともいえます。


 先日の火曜日の一般武藝クラスでは、普段ではやらないような「スペシャルな稽古」が行われました。
 玄花宗師の計らいではあったのですが、宗師は「こんなことをする予定ではなかった」と仰っていたので、逆に言えば稽古に参加した我々門人がその稽古を引き出してきたともいえるのかもしれません。これもまた表裏一体です。

 その稽古では、詳細は省きますが、自分が抱いていた考え方ががらりと変わるような、それでいてやれば誰でもできるような(一人では不可能ですが)、体を使った稽古が行われたのでした。
 そこで得られた自分の感覚は、それまでは気づけなかったものが非常に多かったのです。

 例えば、体を動かす、使うというときに自分が意図していたのは、ある意味では無駄な動きであったということ。そのような無駄な動きは、動く際には余計なものであるため、必然的に続けていく中で省かれていってしまいます。結果、動きは小さくなります。
 ところが、その稽古においては、嫌でも体を使うことが要求されます。そうしなければ一歩も動くことができなくなってしまうからです。
 そして、いざ一人になったときに自分の動きを振り返ってみて初めて、もっと自分の体が細かく分かれて動けるのだということが認識されました。

 玄花宗師の動きを拝見させていただくと、門人の皆さんの中からよく、
「すごく動いている」「自分たちより関節が多く見える」であるとか、はては、「宙を舞っているようだ」といった意見が出てきます。
 自分でも拝見させていただくと、それらの意見には全面的に同意である上に、毎回の稽古でちょっとずつ動きが変わっていっているようにも見えるのです。
 本質は共通されていても、同じであるということがなく、常に進化し続けているように見えるのです。
 それは、玄花宗師の動きが大きく、かつ動き続けているというだけでなく、その考え方においても、稽古に対して動き続けているような頭の使われ方をされているという現れなのではないかと感じます。

 稽古に対する発想でさえも、我々は固定的にしがちです。というのも、変化がない=安定した状況のほうが自分にとっては安心できる材料になるからではないかと思います。
 ところが、この世界は常に生々流転しており、変わらないことがあるとすれば、それは常に変化しているという点しかないのではないかと思います。
 その流れに逆らって、自分が固執的になり、太極拳の真理=絶対的なものを探すと称して、変化することのない安心感を探しているのだとすれば、それが見つからないということは道理ではないかと思います。
 そういったことを玄花宗師はしておらず、それを我々に示してくださっているようのではないかと思います。

 円山洋玄師父はよく我々に「君たちには遊びが足りない」ということを言ってくださいました。一流の人間は、その遊び方さえも洗練されており、一流のように見えます。
 翻って我々が「遊べない」と言われるのはどういった理由があるのでしょうか。
 遊びには楽しさが伴っており、そのためには物事が変化していく様子と、それに驚き受け入れることのできる性質が必要とされるのではないかと思います。

 多少乱暴な論法になりますが、我々が遊べないのは、物事の変化を受け入れるだけの器の大きさがない、という現れなのかもしれません。

 未知のものに出会い、それを楽しめるかが遊びの本質であれば、安心安定を求め、絶対不変の法則を探すなどとうそぶいているようでは、それは遊びの本質ではなく、それでは太極拳はわからないのだと、言っていただいていたのではないでしょうか。
 そのような状況では、千差万別に変化する戦いの場において対応できるような体の動きなど生じるはずもなく、それが稽古の中で端的に表れていたのではないかと思います。

 体の動きを変えることは頭を変えることであり、その逆もまた然り。

 太極武藝館の稽古においては、それに必要なものをすべて提示していただいているように感じます。あとはそれを、我々門人ひとりひとりが、どれだけ生かして自分のものにできるかという点のみが、問われているのだと思います。
                               (了)




*次回「今日も稽古で日が暮れる/その60」の掲載は、2022年5月22日(日)の予定です

2022年02月28日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その58

   『合わせて、奏でられるもの』

                    by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 今年に入って、太極武藝館の稽古では、「合わせる、真似をする」ことが大切だという指導をしていただいています。もちろん、これまでの稽古においてもそれらのことは、重要なことだと指摘していただいていました。それを今は、より追求しながら稽古している、といえる状態でしょうか。
 稽古においては、自分を挟まずに合わせる、真似をするということは当然であり、それがなければ上達は見込めない、といっても過言ではないかもしれません。
 今年の稽古が始まり二ヶ月近くの時間が経ちましたが、その間に私が感じたことを、少し書いてみたいと思います。

 いきなり個人的なことですが、最近、クラシック音楽、特に管弦楽団の音楽をよく聴くようになりました。学生時代(遠い昔のことのようです・・・)はクラブ活動でブラスバンドに所属していたこともあり、先輩や顧問の先生などから、おすすめされた曲を熱心に聞いていたことが思い出されます。
 当時は、このCDがいいよと言われれば、近くのCDショップに足を運び、そこになければもっと大きな店に行きと、東西奔走しながら目的のものを探し回ったものです。
 それが今では、音楽配信サービスにより、以前聴いていた曲はもちろんのこと、それ以外にも多種多様な音楽が配信されており、自由に聴くことができます。こういう点に関しては、改めていい時代になったものだと思いました。

 さて、音楽配信サービスでクラシックが配信されていることに気づいた私は、軽い気持ちで再生をしたのでした。聴いたのはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。かの有名な、世界最高峰のオーケストラです。そこで私は、改めて、これまでにない感動と衝撃を受けたのでした。

 う、うまい・・・上手すぎる・・!

 奏でられる音の一つ一つのハーモニー、それらがピタッと合い、渾然一体となって体に響き渡ります。学生時代も当たり前に上手だと思っていたのですが、その時とはまた感想が違うのです。
 太極武藝館には、師父に作曲していただいた太極武藝館の歌があります。
 それをみんなで歌った時の、最初のあの合わなさたるや・・・。メロディーをピアノで伴奏し、声を出しながら、みんなで苦労しながらも、少しずつ合奏を形にしていきました。
 その経験があったからこそ、より自分に響いてくるものがあったのだと思います。
 プロの管弦楽団は、当たり前のように合っていて、ズレがありません。音やタイミング、それらが成す一つの音楽、それが全くブレることなく数十人という人間によって形作られていることの、なんて脅威的なことでしょうか。

 音楽を聞く中で、いくつものことが頭の中に浮かんできました。
 一つは、凄すぎるものは逆に当たり前に見えてしまい、より注意深くならないと、その本質を見逃してしまうかもしれないということ。
 クラシック音楽は、昔からいろいろなところでBGMとして使われてきているので、名前は知らなくても一度はメロディを聴いたことがある曲というのは多いと思います。
 なので、なんとなく聴いていると、あ、この曲知ってる〜と自分の中で簡単に通り過ぎてしまいます。
 素人、またはそれに近いバンドが演奏した時の、曲が曲として成立しないかもしれない、バラバラになりそうな状態を思い浮かべてみると、それがその曲として当たり前に認識できることが、実はいかにすごいことかわかります。・・プロの演奏としてはそれが大前提なのは言うまでもないことなのですが。

 なぜこのようなことを思ったかというと、最近、玄花后嗣の動きを見ていると、そのように感じている自分に気付いたからです。
 玄花后嗣の動きが、以前にも増して師父に似た、凄い動きになっているように感じられるのと同時に、凄いのは分かるのに、あまりに滑らかに一動作(いちどうさ)で動かれるために、それが自然なものに見えてしまって、認識がし辛くなったように感じるようになったのです。
 自らのセンサーを鋭敏にし、感性を磨いていかないことには、高度な内容は学習していけないと痛感させられました。また、当たり前ではないものを当たり前だと思えてしまうような鈍さも、より一層戒めていかないといけないと思ったものです。

 もう一つは、プロとしてどのように稽古をしていかないといけないか、という点でした。
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、世界でも最高峰の管弦楽団であり、いわば音楽においてはプロ中のプロです。歌ひとつを形にするのに四苦八苦した経験を思うと、コンスタンスに何曲も形にし、最高の演奏を聴かせられ続ける彼らが、一体どれほどの勉強をし、訓練を積んできているのか、少し想像することができます。
 問題は、彼らのレベルで音楽を出来るかということではなく、彼らと同じレベルでの訓練・稽古を、我々が太極拳に対して行なっているか、という点ではないかと思いました。

 プロの管弦楽団として音楽を演奏すること。師父がおっしゃっていたように、プロとして武術に関わり、太極拳を稽古すること。ジャンルは違えど、そこに求められるプロとしての意識には、違いがあっていいはずがないと思います。
 では、自分は、彼らのようなレベルで武術に取り組めているでしょうか。
 それは今ある実力という意味ではなくて、ウィーン・フィルハーモニーのメンバーがそこに至るまでに辿った道筋、そこに掛けた力と時間と情熱と同じものを、自分は太極拳に注ぎこめているだろうか、と自問したのです。
 とてもではないですが、足りません。何よりも、圧倒的にその意識が足りません。
 プロとして取り組むこと・・・それが当然でなければ、到底師父の太極拳など理解できるはずがありません。その現実に、自分は愕然としました。

 そしてもう一つは、冒頭に書いたこととリンクするのですが、彼らの音楽は、全てがピッタリと合ってるという点です。
 和音が合っているという単純なレベルではなくて、例えば、無音の中からポンっと鳴らされるひとつの音、それがすでに音楽として成立しており、一体となってその姿を表してくるように感じられます。本当にすごいことだと思います。

 管弦楽団には指揮者がおり、素人からするとテキトーに指揮棒を振ってるだけで何をしているかわからないと思われるようですが、その人物を通して、楽団全体の音楽に一貫性が生み出されてきます。
 学生クラブレベルのブラスバンドでさえ、指揮をちゃんと見ない学生は、どうしても音楽として少し外れてしまいやすかったです。極論すれば指揮者がいなくても音楽は成立するかと思いますが、クラシック音楽というジャンルにおいては、指揮者という存在もまた、楽団を構成する要素のひとつとして、その全体性を成しているように感じられるものです。

 太極拳の稽古に話を戻しますと、当然誰しも、前で指導していただいている人と合わせて動こうとしているはずです。
 自分ももちろんそうしていました。ところがある時、玄花后嗣の後で動いている時に、ふっと感じるところがありました。自分は玄花后嗣に合わせようとしているけれど、その玄花后嗣は一体何に合わせようとしているのだろうか?と。その何かに、自分も合わせてみようと思ったのです。
 多分に感覚的で、言葉にすると取りこぼしが多く感じられます。
「月を指す手ではなく、月を目指す」
 そのように言われたことも一度ではありません。ですが、感覚的にはっきりとそうしてみようと思えたのは、もしかしたらその時が初めてだったのかもしれません。

 クラシック音楽も太極拳も、それが作られ、成立した当時の「もの」は、形としては何も残っていません。200年前の演奏家や音楽が残っていないように、200年前の太極拳は物体としては残っていません。
 ですが、それらは人々の中に、文化という形として脈々と保たれて残ってきました。
 楽譜は音楽ではありませんが、そこに記されたものを、人は音楽として再び演奏することができます。その時演奏家は、一体何をもって、それを音楽として成立させることができるのでしょうか。

 楽譜があっても音楽は出来ないのと同じように、秘伝を聞いただけでは太極拳は出来ないのかもしれません。先人たちが何に合わせてきたのかを自分で理解し、自分という存在をあたかも楽器のように奏でることができて初めて、太極拳はここに現れるのかもしれません。

 師父が合わせていたものとはなんだったのか。玄花后嗣が合わせていて、我々にも教えてくださっているものはなんなのか。
 そこに焦点を絞って、自らの感性を最大限に磨いてチューニングしていかないと、本当に大事なことは見えてこないようになっているのかもしれません。

 幸運なことに、我々太極武藝館の門人は、すでにそれに必要なことを目の前で提示していただいていますし、事細かな指導をしていただいています。
 あとは、それをどれだけ自分自身の課題として、自分に課して、切磋琢磨していけるかという点だけが問われているようにも思います。
 すでに述べた通り、管弦楽団の一員として多くの人々の前で演奏するプロの演奏家と、実践の場において自らの身を守り、大事なものを守れる武術家には、求められる努力に何も違いはないのだと思います。
 秘伝を習えば一朝一夕で戦える、そんな都合のいい話は恐らくないはずです。
 レクチャーを受けて一晩でプロ並みの演奏ができるようになります(??)
 ・・そんな話はあり得ないことくらい、誰でもわかる話です。

 だからこそ我々は、朝に夕に、教わった内容を正しく身につけるための努力を惜しんではいけないのだと思います。
 師父がそうされたように我々も倣わなければ、到底、太極拳をものにすることなど不可能に違いありません。

                                 (了)



*次回「今日も稽古で日が暮れる/その59」の掲載は、2022年4月22日(金)の予定です

2022年02月11日

門人随想「科学的態度と道場 自分を疑うことから始まる太極拳」

                    by 拝師正式門人 阿部 玄明


【初めに】

 太極拳が上達するかしないかのポイントととして、どれだけ自分を観れるかが重要です。それは普段の稽古でもよく話題になるのですが、イマイチ自分を観るということに慣れてなく曖昧に捉えがちです。では、普段の日常生活ではどのように物事を観ているのかを「科学」という観点で整理し考察してみたところを今回の記事で紹介したいと思います。

 太極拳を科学的に論じるために、比較例としても科学を扱うニュースをテーマとして引用しようと思います。これから挙げる例は見方、考え方を判りやすく説明するために厳密性を求めずに大雑把に述べますので、”そういう考え方もあるよねっ!”という程度で軽く読み流していただきたいです。こういう説もある、ああいう説もあるなど諸説乱立している中で、一つの仮説を取り出してお話させていただきます。


【結局石油は無くなったの?、無くなるの?、いつ無くなるの?】

 今から何十年前のこと、石油ショックと呼ばれるイベントをきっかけとしてエネルギー危機が声高に叫ばれた時期に、あと50年くらいとかで石油が枯渇するという言説が科学的根拠をもって官産学そろって喧伝してました。それから50年たった今、石油は無くなるどころか地球上をどこを掘り出しても吹き出してきて無くなるどころではないというのが現状です。なぜかというと、当時の枯渇論の前提があって今の採掘技術や省エネルギー技術に進歩がなく、ただ現状のまま掘りつづけた場合にはという前提があったのです。その部分があまり(意図的に)フォーカスされずに石油が無くなることだけを切り出して、テレビや新聞や教育の現場で強烈な印象を植え付けられ続けたのです。
 その後技術が進歩し、より広い範囲、より深い地層からも石油を採掘できるようになり枯渇を免れているのは皆さんご存じの通りです。(原理的にはそれこそあと何十年、何百年もすれば枯渇するかもしれません。ですがいわゆる商業的、政治的意図を持った専門家がいかにも科学的っぽく言い続けた結果、国民全部が思考を限定させられた状態になり、クリーン(?)エネルギー推進の方向に突っ走ってしまった。その結果、活断層だらけの日本の国土中に原発が並び立つ異常な光景が出来上がったのです。この事例はその部分だけで見るとそれ自体は正しいのだけれど大きな視野でみると見ると不足と間違いがあることが観て取れます。科学的に議論されていることでも視野が狭いと後々取り返しが付かなくなることがあるのです。)


【地球温暖化議論はスケールが小さすぎないか?】

 類似な事例として地球の温暖化というテーマについても考察してみましょう。
 人間の経済活動に伴って二酸化炭素が放出され温暖化効果によって地球の温度が上昇しているというアレです。確かに日本の夏日は最高記録を更新するような猛暑日も近年増えているので「ああ、なるほど!」と思います。メディアは過去最高気温を記録すると元気になり、環境問題の重要性を語り始めるようです。しかしながら世界を見渡すと信じられない厳冬になる地域があるのはなんででしょうか?
 熱というものは、暖かいところから冷たいところに循環して均一化すれば移動しなくなる性質を持ちます。地球が温暖化しているなら、どこでもいつでも平均気温が上昇していないとおかしくないでしょうか。日本の夏は暑い一方、世界中で記録的な厳冬(アメリカのある州で前回の冬には部屋の中につららができるほどでした)になるのは何故なのでしょうか? 

 地球の気温を決定する熱量は入りと出の収支から決まっているはずであり、つまり大きな目で見ると、太陽の活動の影響による熱量増加(入り)、地球の大気からの冷却による熱量の減少(出)が気温に影響するのです。ですが温暖化について語るとき太陽の活動について詳細に報道する例はどれくらいあるでしょうか?
 天文学で観察されている事象としては、太陽には黒点の数が増減する太陽黒点周期というのがあり、太陽の活動が活発なときとそうでないときが周期的に繰り返されています。実は最近の太陽の活動はすごく活動が少なくなっており2030年にむけて極小期に突入すると推測されています。これは1700〜1800年ごろの前回の寒期に次ぐ規模のものであり、これからは地球が寒冷化する可能性を示唆しています。(産業革命から二酸化炭素の排出が増えて地球が暖かくなって来たというのが温暖化の主張ですがその当時は太陽の活動も少なかったということになり、信憑性に疑義が生じます。また万年単位で繰り返されている間氷期と氷期のサイクルは、二酸化炭素量の変動で説明できるのでしょうか?)
 また熱の収支に影響する因子として、太陽以外にも大規模な火山活動が起こった場合は火山灰により太陽光が長期間遮られるだけでも地球の温度が下がることが知られています。偏西風の流れが変わっても(近年日本などの夏が特に暑いのはこの影響が大きい可能性があります)特定の地域の気温が変わります。事象を観察するときどう見るか?、顕微鏡と望遠鏡を使い分け、観察対象のスケールを原子サイズから太陽系サイズにまでせわしなく拡大縮小してゆくと風景や登場人物がどんどん変わってゆき、原因が一つに特定できないことが判ります。このような思考と視点を漂わせることで一点集中の思考から抜け出すことができ疑問が生じます。この事例もまた、太陽や火山活動という関係性のある色々なものに触れずに二酸化炭素というきわめて微小なこと(それ自体の主張は正しいのが厄介ですが)に焦点をあて、聞く人の視野を狭くしそれが全てであると思わせ、次のビジネスに誘導しようというところが先の例と同じですね。
 なぜそんな風潮になるのかというと、センセーショナルなほうが世論を誘導しやすいし、研究者にとっては国や企業から予算が出るから乗っかるのです。巷に流れている情報はちっとも科学ではないのです。科学のふりをした政治とビジネスのコマーシャルなのです。


 ・・いかがでしたでしょうか?
 一度は見聞きしたことがある話題ですが、いろんな受け取り方、解釈もでき、研究の余地があるかと思います。もしそうではなく見聞きしたたままのことをそのまま聞き流してしまうことを習慣化していたとしたら、それは教育のせいかもしれません。
 今はどうかわかりませんが、昔の学校の勉強は教科書を暗記し、テストでは提示された選択肢の中から一つの正解を選び取ることが求められる。選択肢外のことを回答しては減点されるし記述式のテスト自体ほとんどなかったのです(議論についてはその機会さえ与えられてこなかったはずです)。余計なことを考えないロボットのように画一教育され、自由で創造的な思考は許容されなかったのです。

 結局温暖化説が正しいかどうかは現在進行形で議論中ですし、あと10年位は経過しないと検証できないかもしれません。ですが、政府や自称専門家の言うことを「ああ、そうですか」と受け入れているだけでは、本当に正しいことが判るのは時間経過頼みになってしまいます。本当にそれを知りたい、備えたいと思うのなら、自分で関心をもって周辺を研究しないと間に合わないのです。そして研究とは、なにも専門性の高い知識を学校通って詰め込む事は必要はありません。身近な日常のその場、その場で既に知っていることを新しい視点で観察し思考の幅を広げる一歩を踏み出し始めることだけなのです。日常の「聞くもの」「触れるもの」「味わうもの」を当たり前と思わずに疑問を持って関わることが、研究の始まりなのです。そうすると今まで見えていなかった周辺風景が見えてきて、まだ登場していない人物が浮かび上がってきます。そこからもっと知りたいと興味が生じることで研究が加速するのです。専門家が言うからとか大多数の人間がそう言っているからその意見に従うというのは科学的な態度とは言えませんし、多数派か少数派かどうかは科学とは関係ありません。大多数の人間は科学的真実を研究することはないし、日々の生活を過ごすのに都合の良い心地の良い行動と信念を選択します。また、それは維持が簡単だからであり、安心感があり葛藤を生じない感情の選択のことだからです。

 歴史をみると、その当時大多数に支持されてきた学説や信念は感情に基づいた動機で支持され、後の時代の科学的検証で否定されてきたのです。つまり科学的態度とは商業的と政治的動機や安心感や多数派であることとは反対の立場であり、非感情的、懐疑的、少数意見の側なのです。道場での稽古もまた、日常的ではなく孤独な研究であり自己の習慣に否定的であります。科学と道場は向き合う態度としては同じ性質なのです。


【太極拳に向きあう科学的態度】

 一般的な常識からすると、とてもできるとは思えない(大多数の人間がそんなことできるはずがないと否定するであろう)動作や事象を可能にする太極拳も、「ああすればこういうメカニズムでこうなる」と、架式の理論体系をもって説明され、実際にそれが実践され、その正しさが証明されます。そして太極拳は難しいことではなく、誰でも知っていることから成っていると言われますが、日常的に見ていては判らないものだとも言われます。できない場合は、出来るようになるための主体的な工夫や研究をしなさいと指導されます。
 ここに上述した科学の事例とかなりの一致が観られ、大変興味深いと思います。自分の選択行動と価値観に疑問を持って、自分でやらないとダメなのです。自分の取り組みのプロセスや考え方自体が狭くなっていないか、習慣化されてしまい同じことを繰り返していないか、つまりは『科学的な態度で稽古できているか?』ということです(上から見なさい、横から見なさい、もっとずっと遠いところから観なさい、など言われます。これらは自分の視点を変える 縮尺を変える、意識を変えることを意味しています。宇宙スケールにまで観方を変えないとダメなのです)。

 科学的態度とは、今まで使ってきた常識や行動パターンに疑いを持ち、自分自身の習慣化された行動を否定し新しい視点を獲得する姿勢のことです。そして、浮かび上がってくる関係性に関わってゆくプロセスです。勇気をもって過去の自己を否定し、観直すことから研究が始まるのです。道場でも日常でも何かを研究するのに必要なことは、未知の秘伝を教わることではなく、既に知っている当たり前のことを疑いの目をもって見つめ直すことでもあるのです。このことを念頭に置いて、気持ちを新たに稽古に打ち込みたいと思います。

                               (了)


2022年01月11日

門人随想「無心でやり込むこと」

                    by 拝師正式門人 平田 玄琢



 想えば、物心ついた子供の頃、無心でやり込んでいたことがある。
 春には・・・桜でんぶのような鮮やかな桃色の、蓮華いっぱいの田んぼに入り蓮華つみ。堤防でつくし摘み、山の方でわらびとり。田植えを家族と一緒に行き、畦の堀にいる雑魚やドジョウを箕(み)ざるで大量にすくいとり、くし刺しにして干物づくり。
 夏には・・・木に止まっている蝉を素手で捕まえる。川に入り石の下にいる魚を両手で捕まえる時のダイレクトな魚信。毎朝、早起きしてカブトムシやクワガタムシを肥料袋一杯つかまえ、飼えない分は近所の鳥獣センターに売りに行き、お菓子やアイスを買い豪遊。
 秋には・・・山に入り、リスに負けないよう山栗を拾い、アケビを採って食べる。木からつり下がっている太いつたでターザンごっこ。山の枝や大きなシダで秘密基地づくり。
 冬には・・・北風の中で鼻水を垂れ、田んぼの氷割り遊びに夢中になる。祖父と一緒に、神無月に神様が旅立つためのお弁当の赤飯を背負っていく「ツト」という藁で作った水戸納豆の入れ物のようなものを作る。正月に使うしめ縄作り。
 一年を通して、山・川・田・畑・車の来ない道路が遊び場であった。

 半世紀前の田舎の子供は、テレビゲームもパソコンもなく、無心にやり込むことが沢山あって毎日忙しく楽しかった。
 憧れたものは、祖父が素手でマムシを捕まえること。ただそっと手を差し伸べるだけで捕まえられたマムシは、頭を取られ皮をむかれ干しマムシになっても動きつづけた。乾くと炙って酒のつまみとなった。
 驚いたことは、なぜか昆虫毒に耐性のあった父が、蜂に刺されても毒毛虫を素手で捕まえてもなんともなかったこと。私は、自転車に乗りスズメバチの巣に石を投げ素早く逃げる遊びで逃げ遅れ、頭を刺され膿んでしまい10円ハゲができた。

 高校生の頃、部活やスケートボードを無心にやり込み、千葉にスケートボードパークが出来たと聞き、早速行ってバンクに挑戦したが、コンクリートバンクの上から転げ落ちた友は、服はボロボロ血だらけの打撲となった。今思うと防具もつけず大変危険な遊びである。

 20代はダンスにはまった。ダンスは出来たらいいなと憧れていたものであり、その頃はやりつつあったブレイクダンスである。チームのリーダーが鏡張りの専用スタジオを経営し部活の様に運動をした。チャチャという昔のステップからディスコダンス。壁・ロープ・マネキン・ロボットなどのパントマイム。ポピュラーなムーンウオークのバックウオークは今一の動きだったが、サイドウオークはジャクソンより上手いと好評だった。
 スタジオのメンバーとは、スタジオで練習して様々なところにショータイムの依頼を受けて踊るだけだったが、あるとき、チームの皆とディスコに行った。他の客と違って、さぞかし目立って素晴らしいものかと思いきや、皆の、のりにのった状態は、唯の酔っぱらいが踊っているようだった。
アクロバティックなダンスは、床運動・鞍馬競技でもおなじみのウインドミルやトーマス旋回、頭のてっぺんで回るヘッドスピン、逆立ちして片方の手の平だけで回るナインティナインという技があり、その技が上手かったコメディアンがその名をコンビ名とした。そういったダンスは、痛いことも忘れ体中痣だらけになりシップ薬を張るのが日常となった。音楽が流れると、ところかまわずどこでも踊った。気が付くと、まるでセミプロの様にギャラをもらうようになっていた。そのスタジオからは多くの有名なダンサーが育っていった。

 ダンスに限界を感じた30代は、18歳からの雅楽を再び志し、笙(しょう)という楽器の演奏に熱中した。顔の正面に楽器を構える為、横の下に譜面を置きその譜面を長時間見て練習をしすぎて、両目とも網膜が剥がれ、治療後は再発しないように暗譜するようにした。雅楽の先輩の勧めで、憧れていた宮内庁の先生に教わるようになり、先生方は東京から熱海へ、生徒は熱海まで出向き稽古に励んだ。琵琶の稽古では、琵琶の重さで外くるぶしが腫れてしまったこともある。いつしかダンスは舞楽の舞に変わり、県神社庁の雅楽講師に任命された。

 40代では、22歳で神主として独立してからずっと念願であった、地元の神社の普請を行うべく取り組んだ。明治の初めに、神仏判然令により建築された拝殿は、昭和19年の東南海地震で柱と梁を繋ぐほぞがつぶれて傾いてしまっていた。その拝殿を両側から鉄骨で支え、その鉄骨も朽ちようとしていた。
 屋根瓦はガタガタにずれて建物自体も立体的に傾き、拝殿に入ると一本たりとも垂直に立っている柱はなく、まるでトランポリンのような床も、めまいが起こりふらつく原因となった。正座をしてもなんとなく斜めに座っている感があり気持ちが悪くなった。正月に大勢の参拝者が神社の中に上がり、重さで床板の底が抜け、ドリフのコントの様になった時もあったという。雨の日は雨漏りにバケツを置き、鉄のバケツ・金たらい・プラスチックバケツの雨だれ音は不協和音のハーモニーを奏でた。拝殿の畳は、梅雨時には見たことのない毒キノコが生え、朽ちた畳は畳床の中でカブトムシが育つかと思えた。扉はすべて賽銭泥棒によって壊され、トタンとベニヤでの安価な補修は、みすぼらしい社殿をよりみすぼらしく強調していた。当社は、通称を渋垂神社(しぶたれじんじゃ)というが、しみったれ神社とか、まるで貧乏神が祀られているようだと言われ大変悔しい思いをした。

 神社建設委員会の発足は困難を極めた。神社の現状を見ても見ぬふりをして補修で済まそうとする人達によって、何回も何回も会はご破算になった。神社保存検討委員会から神社建設準備委員会になり、次に漸く建設委員会となった。何れの会も、会長はじめ三役の人選と会の規約を作り承認されてから進みだすという有様で、発足まで5年の歳月を重ねていった。事務局は大変なので誰も受けてくれる人もなく、自ら神社総代や建設委員総勢50名の事務局となった。

 神社建設の理解を得るため各自治会に説明会を開き、宮司・総代会長・建設委員長の3名が出向いたが、納得する人は少なく大きなヤジが飛び交った。拳を握りしめ耐えがたきを耐えるしかないと思った。カタカタという抜刀寸前の鞘鳴りの音とはこういったものかと納得をした。
 説明会の後、神社を受け持つ20の自治会全てが寄付行為は出来ないとの声明を出してきたため、やむなく各戸をくまなく回ることとなった。建設委員会全体を、総務・設計監理・神事部会の3部会に分け、なおかつ部会前の役員会や寄付の現状を協議する会合も行ったので、忙しい時には、一週間に4、5回の会合を行った。まだ神社に社務所もなく、会議案を作成し公民館を借り、お茶や茶菓子を準備し会場の設営や片付けを一人で行なった。もちろん妻も献身的に手伝ってくれた。

 神社総代や建設委員が出ていない自治会の寄付活動は、たった一人で回ったこともあった。各戸を回ると、詐欺や偽物と思われた事もあったが、本物の神社宮司と認識されても、話をしている最中に戸を閉められ鍵をかけられた。あそこの宮司は頭が狂っていると噂が広がった。冷静に考えてみれば、見ず知らずの家庭にアポなしで訪問し、10万円以上の篤志寄付を頼むのだから、狂っていないわけがないのである。炎天下の中、トボトボ歩いて寄付を乞う田舎の神主の姿を見て哀れに思う人も多く、その同情からか何とか寄付も集まっていった。

 神社の建築用材は、伊勢神宮の式年遷宮用材の主となった南木曽の檜であり、『太一』という立て札を掲げた新車のトラックを調達する材木屋から購入した。
 『太一』という言葉は、神道ではあまりにも古い言葉であり意味不明となっていて、太いに一は変だということで、一時期『大一』という言葉に変えたこともあったという。太極拳ではお馴染みの『タイチ』であり、陰陽や宇宙の理をあらわすものとなっているため、神道では大自然の理をあらわしているのかもしれない。
 私が40年程前に勤めていた神社の参集殿を設計した有名な設計士がいた。その当時、助手を務めていた設計士に社殿社務所の設計を依頼し20数年ぶりに話をしてみると、社寺の設計はパソコンでは出来ないものであり、昔からの製図版で鉛筆の手書きだという。私の今迄の知り合いの設計士は皆、社寺もパソコンを使って設計することから考えて、あの助手は超一流の設計士となったに違いないと思い大変感慨深いものを感じた。設計士の勧めで社寺の新築は日本で最高の技術を持つと、マニアの間で囁かれている大工さんに依頼した。建築途中、日本で唯一人の宮大工の人間国宝がおしのびで遊びに来ていた。聞けば、いとこであり、若い頃一緒に大工修行をした仲だったとのこと。三年前に亡くなられたその大工さんは、建築業界では神といわれていた人だったことが最近耳に入った。
 依頼した設計士と大工のコンビは、私には驚くことばかりで、材木屋は、実生(みしょう:種子から発芽して生長すること。またその草木のこと)で200年以上育った伊勢神宮に使うご用材を「いいからもってけ」と言い、安価で譲ってもらった。屋根屋は半額に近い価格でよいと言った。屋根屋は、国技館や東宮御所を葺いた屋根専門の業者である。建具屋は、日光で実生の320年物の檜を特別に使ったといって自慢気に話した。
 師父が研究会でよくお話されていた『一流』は人間にも当てはまるようで、その人達と関係すると、気運が上がり物事が良い方に転がっていくようだった。
 毎日、建築を見学することは最高の楽しみであり、全ての普請が終わり竣功の神事や催しが終えた暁には感無量で放心状態であった。

 さて、ここからが問題である。毎日議案や資料づくりに明け暮れ、パソコンを午前様までやり込んだ体は、かなりガタがきてしまっていた。毎朝トイレに行くのに30分以上の時間を要するようになっていた。座骨神経痛から、肋間神経痛を発症し、狭心症の疑いもあり、心臓発作の時のためのニトロ薬を財布にしのばせていた。犬の散歩も心臓が苦しくなり途中で帰る時もあった。
 病院の他に、整体、鍼灸と治療をはしごして、神前の拝礼では腰から動かすことが出来ず首だけのお辞儀の時もあり、社殿の普請を終えたので私の役目は、もう終わったのかなと一抹の寂しさを感じた。

 ちょうどそのような時、風の噂で太極武藝館のことを知った。太極拳だけでなく治療も行っているそうだと。すぐに知人より紹介してもらい治療を受けるようになった。受動的な治療だけでは直ぐには治りそうになく、積極的な治療法として太極拳を習う事とした。道場に見学に行くと歩く稽古をやっていた。歩法である。それは、今迄見たこともない宙に浮いているかのような歩き方だった。人類は退化するのみと思っていたが、ここにいる人達は進化していると感じ驚いた。
 太極拳に憧れ早速入門したが、最初に行う柔功や圧腿は、錆びついた体にはとてもできるものではなく、大汗をかき、それだけで帰りたくなった。歩法や対練は、何回やってもまったく出来ず、次第に稽古を休む日々が増えていった。

 東日本大震災の起こった年、2011年の9月と、その翌年の6月に大型の台風が標高50メートル以上の場所に災いをもたらした。一般の民家の被害は少なかったが、神社の境内と山林は、竜巻に近い風で立木はすべて倒れめちゃくちゃになった。その光景は、まるで地獄の様で、これからもっと何か大きな事が起きる、何が起きても不思議ではないと感じた。まだまだ自分の役目は終わっていないと感じる出来事であった。

 毎日、負けるものかと思い神社境内の復興の作業が続いた。作業の合間に太極拳の柔功や圧腿・歩法を行った。その基本の動きを、大汗をかく苦しい動きではなく楽にできる動きとなるまでは到底先に進めそうにないと思い、朝昼晩できれば3回は行なって、まずは10年続けようと決意した。神社の山の災害が見える場所で、負けるものかと思って行う自発的で勝手な稽古は、膝を痛めたこともあったが、同じことを無心でやり込んでいくと、師父や玄花后嗣や門人から指摘された事や、声が、何回も何回も脳裏によみがえってきた。まるで、それは丁寧なご指導をいただいているようだった。

 太極拳は、今迄自分が取り組んだ何よりも面白くかつ難解であり、並大抵の努力では出来そうになく、還暦を過ぎた自分に残された時間も多くないと思われる。
 先日の稽古で玄花后嗣から雅楽の練習方法を問われたとき、「昔から伝わる練習方法をするだけです。」と答え、次の言葉を出そうとして、はっと思い口をつぐんだ。それは、嫌になるような地味な稽古だが、昔ながらの稽古方法の通りにやらないとそれは全く違ったものになる。それを面倒臭いと思ったり、小馬鹿にして怠った人は、自分のリズムと音程を整えることが出来ず、たった一人の相手すら合わせる事が出来ない。ましてや笙・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)の三管を三人ずつと、三種類の太鼓と琵琶二面と楽筝二張という、複数の異なる楽器の相手と合わせる合奏は何十年経っても全く出来る日はやってこない。すなわち合奏のセンスが全く身につかないのである。
 指揮者のいない雅楽自体は非常に高いレベルのものもあるが、私の習得したものはまだ低いレベルの雅楽であり、自分の体全体や相手の体にも意識を用いる太極拳ほど複雑なものではない。しかし、振り返れば、最初に習った曲は、昔ながらの稽古である唱歌(しょうが)を何千回と稽古していると思われる。そして、曲ごとに何回も基本に戻って稽古をしている。昔の唱歌稽古は、合の手(あいのて)といわれる民謡の基となった独特なリズムと中世の基調音(現代の基調音よりも10ヘルツ程低い)による音の高さを正確に体に叩き込ませるため、正座にて足の腿の上と側を手で叩くため、腿が赤く腫れ上がった人もいたほどである。
 太極拳の門人の中には、基本となる昔ながらの稽古方法を行って大きな気付きと成果が出ている方もいて、やはり、昔ながらの稽古を無心にやり込む事は、これから先に進むならば、必要な事であり、とても大切なものであると思う。
                            (了)


2022年01月01日

笑 門 来 福

  新しい年が実り多き年でありますように
  本年もどうぞよろしくお願いいたします 




日頃よりブログタイジィをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
昨年は、札幌支部の支部長と副支部長が新たに任命され、コロナ禍の中でも玄花后嗣を中心に本部道場と札幌市部の間でリモートによるビデオ稽古が定期的に行われ、後半では后嗣による支部訪問と稽古指導が叶えられました。

稽古に於いては、困難の中でも現状維持に留まらず、試行錯誤の繰り返しによって更なる高みを目指すその姿勢こそが、太極武藝館創立の時より変わることのない揺るぎない軸であることを再確認し、私たちも背筋が伸びる思いでした。

時の流れは止めることも巻き戻すこともできず、ただそこに流れがあるだけですが、ただ流れただけの時間にすることなく、濃密な時の積み重ねとなるよう、正に「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」と心得て、皆さんと一緒に学び成長していきたいと思います。

ブログ編集室は昨年、数ヶ月間のブログ休載期間を頂きましたが、今年はその分を取り戻す勢いで充実させていく所存でおります。
本年も「ブログタイジィ」を、どうぞよろしくお願いいたします。

     令和4年  元旦

               太極武藝館オフィシャルブログ
               「Blog Tai-ji 編集室」スタッフ一同





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